2024/10/31 - 2024/10/31
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ゆうこママさん
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意外にも初めての笠置寺と、たぶん2度目となる海住山寺を訪れた。木津川流域は平城京と強いつながりを持つ土地。そして昔、初独り見仏ドライブで走った地なので、特別な思いを持って訪れた。
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東大寺大好きな私、いつかはと願っていた笠置寺。やっと訪れることができた。
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鹿鷺山しかさぎさん笠置寺かさぎでら。
天武天皇または天智天皇の子の大友皇子の開基と伝わる。
大友皇子が鹿狩りに際し山の神に助けられ、恩返しを約束し再度訪れる目印にと笠を置いたのが地名の由来。
約束通り寺が開かれ、有名な弥勒磨崖仏が造立されたとか。
また、南北朝時代、後醍醐天皇の元弘の乱の舞台ともなっている。
じゃ、東大寺とどんな関係があるのかというと -
笠置寺のある木津川流域は、東大寺や平城宮の建築用材の供給地として、奈良との関係が深いのだ。
川の流れは近代の鉄道や現代の道路のような存在で、建設資材の運搬に欠かせない。
そんな木津川を望む標高289メートルの笠置山に笠置寺は建つ。流域の用材伐採と運搬が滞りなく行われるよう祈願されたのだろう。 -
古代からの伝承や歴史の舞台となった笠置寺修行場。
さぁ、1周800メートル、岩だらけの境内へ。 -
こんな道を登り、
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大きな岩があちこちに露出する道を登り降り。
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千手窟。
以下、笠置町ホームページより。
昔々、東大寺大仏殿を建立された時のお話です。
大仏殿のための材木は、上流の山々から木津川を流して運ぼうとしましたが、笠置の辺りは岩が多く作業は困難でした。
それを知った東大寺の僧・良弁和尚は、なんとか水量を増し材木を無事に流そうと願い、笠置の龍穴と呼ばれた千手窟で雨乞いの儀式を行いました。
すると龍穴から竜王が現れ、惠の雨を降らせ、雷神の稲光が岩をくだき、無事に材木を運び、大仏殿が完成したそうです。 -
さらにホームページには、
良弁和尚の弟子、実忠和尚は、笠置の龍穴を通って弥勒菩薩の世界に入り、観音様に人間が行ってしまった罪を懺悔する儀式を学び戻ってこられました。
笠置山の正月堂で行われたこの儀式が、現在に残る二月堂お水取りの起源であると言われています。
この写真が正月堂。 -
正月堂のすぐ横にそそり立つ奈良時代の弥勒磨崖仏。
平安後期、末法思想全盛の時代には、多くの皇族貴族が笠置詣を行ない、藤原道長も参詣している。
残念なことに、弥勒菩薩は礼拝堂の3度の火災の炎を受けて仏の姿は焼失してしまい、仏の光背部の窪みが残るのみ。 -
高さ15メートルの花崗岩の巨岩が眼前に迫ってきて、仏の画姿は無いが何だかありがたい。
岩の周辺で弥生土器も出土しており、古くから巨石崇拝の対象となっていたようだ。 -
こちらは伝虚空蔵磨崖仏。如意輪観音とも弥勒菩薩ともいわれ、製作年も奈良時代末期、平安前期、平安後期など、また弘法大師作とも伝わる。
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巨大だが、まろやかで柔和な線刻は繊細。道長も触れたかもしれない岩に手を置いて、千年前と交信してみる。
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木津川の流れが大きく蛇行するのが見える。良弁僧正が龍穴で会ったという龍神とはこの河のうねりに違いない。
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貝吹岩と呼ばれる巨岩。戦の際、この岩の上でほら貝が吹かれたそうだ。
1331年笠置寺は、後醍醐天皇が倒幕を企て鎌倉幕府と戦った元弘の乱の舞台となった。ひと月で笠置寺は落城し後醍醐は捕らえられ隠岐島へ流罪となる。
このときの兵火で笠置寺は全山炎上し、磨崖仏も石の表面が剥離してしまったそうだ。 -
後醍醐天皇の行在所あんざいしょへと向かう道の片隅に佇む小さな磨崖仏。円満なお顔は平和そのもの。
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後醍醐天皇行在所跡。後醍醐天皇が実際にどこに籠もっていたかは不明なのだが、明治時代に整備されたそうだ。
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修行場といわれるコースを一周廻って入口に戻り、最後に資料館にて本尊の十一面観音(平安時代)や発掘された遺物を見学。
その後、門前の松本亭にてキジ釜飯の昼食。美味。 -
南山城村に移動し、小さな磨崖仏のもとへ。像高94センチ、錫杖を持つ長谷型十一面観音さまだ。
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木津川沿い、旧伊賀街道を往来する人々の道中安全祈願のために建立されたのだとか。
優しいだけではない、強く念じるような意志を感じるお顔だ。 -
隣には阿弥陀如来座像。
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続いて、補陀洛山 海住山寺。
観音の住む山は海のかなたにある。その山の寺というスゴイ寺号。中興の貞慶が名付けたそうだ。
恭仁京を見下ろす位置に建ち、観音寺という寺号で奈良時代の創建。
平城京の鬼門に寺を建立すれば東大寺大仏造立が叶うとの夢の御告げを聖武天皇が受けたことに始まるそうだ。 -
本尊は十一面観音で、東大寺二月堂とおんなじ。
笠置寺もそうだが、東大寺や大仏を建立しようとした良弁僧正にとって、木津川流域のコントロールは必須で、そのために十一面観音は欠かせないアイテムだったようだ。 -
重要文化財の本尊十一面観音は、いかり肩というか首みじかめというか、榧の一木造で10世紀頃の像。
寺は、1137年に全山焼失し、1208年に解脱上人貞慶によって再興された。本尊十一面観音はその火災を乗り越えてきたのね。 -
国宝五重塔。鎌倉時代。5層の屋根の下に裳階が付くのは法隆寺と同じ。
この日は特別開扉のため紅白の幕が張られている。
四方に祀られる四天王は江戸時代のもので、鎌倉時代当初の像は本堂の中で拝観できる。
鎌倉四天王はスタイリッシュで動き軽やか。彩色がイイ感じに残り、おしゃれ度高い。特に持国天がこの日のイチオシ。 -
もう一つ、奥の院の十一面観音も重要文化財で奈良国立博物館に寄託されている。この日は本堂にて里帰り特別公開。
貞慶の念持仏と伝えられる像で、横から見るとおなかを突き出し、カーブを描く背中から腰にかけてのラインは本当に麗しい。
後ろ姿を備え付けの図録写真で見ると、細いウエストから腰にかけての美しさと言ったら、貞慶さんヤバイよ。
顔立ちはガツガツせず静かにそこにあるといった表情がよい。 -
普段非公開の本坊も拝観できる。
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借景の山は秋の気配。
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帰路、バスは木津川に架かる橋を渡り、あれが比叡山と指さしながら京都へ向かった。
木津川、いいな
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