2024/10/04 - 2024/10/04
6位(同エリア346件中)
Kちゃんさん
もう13年も経ってしまいましたが 大きな被害の出た東北大震災。 その後も各地で大きな地震災害が起こり今年正月には能登半島での大震災も発生しています。
それぞれに被害に遭われた方は大変なのでしょうが、13年前に街ごと津波に襲われたそれぞれの地域では復興には官民での大変な努力があったと思います。 「復興」と軽々しく書きますが元通りに戻るというのは厳しく、それぞれに新しい生活の礎を築くことが行われている様子がわかります。
震災直後の数年間と異なり、志津川、気仙沼、陸前高田ともに地盤嵩上げや防潮堤の表だった工事は終わっていますので、ここ数年は景色に大きな変化はみられませんが、そのなかでどんな暮らしが始まっているのでしょうか。
当事者でもなく野次馬的な事は承知ですが、継続的に出掛けるなかで、見て、買って、食べて、泊まるということで少しでも支援になればと思います。
ここ数年の訪問は、「訪れる」こともですが「訪れるときの脚」にいろいろなものを試し楽しんでいます。 今回は「軽ぅーく」というタイトルにありますようになにになりましたか?
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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夕刻の仙台駅に降り立ちます。
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昨年、どうだったか記憶に在りませんが 東口の大きな駐車場跡がヨドバシカメラになっています。 (新たなビルが1号館、旧来のビルが2号館)
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その一階は新たな飲食店街となっており、一角には高速バスの発着所/待合室も出来ていました。 以前はメインの西側に対して「裏」の印象が強かった東口も急に賑やかになったようです。
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いつものホテルですが
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直前に予約したためか、こんなに広い部屋を充てて頂きました。
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「いやに広い」という印象には訳があり、この部屋はバリアフリールームのようです。
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従って通路や浴室には手摺りがあり入り口も広々、かつ段差がありません。
健常者でもビジネスホテルなどのユニットバスへの出入りには段差が気になりますので、こういう部屋は至って過ごしやすく感じました。 -
翌朝の朝食。
部屋数の割にはテーブル数が少ないのか、ピーク時には混雑しますので早めに出掛けます。 -
たっぷりのサラダは嬉しいです。
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勿論、仙台名物も
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ということでこんな具合
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エスプレッソマシーンで一杯お部屋に持ち帰り。
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で、
ホテル近くからレンタカーを借り出して早速にGO。
五橋近くからは駅北側の45号線に出るよりも、真っ直ぐに東に向かっていって「仙台東IC」のほうが近いことに気がつきました。 -
いつものように利符から三陸道へ
これまで出掛けたなかで多くは曇り/雨でしたが今回は珍しく快晴です。 -
石巻を過ぎます。
沿線は稲刈りも終わって秋の風景です -
もう何回も同じように出掛けてきましたが、三陸道が全通してからはつい早く着く三陸道(松島以北の無料区間は高速道路然としてますが地図上は45号線なんですけど)を使っていました。
今回は10年以上前の最初に訪れたときのように極力「旧45号線」を辿ってみます。 桃生津山ICで旧道へ。 -
北上川を渡ります。
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柳津駅。
JR石巻線の前谷地駅と気仙沼駅を結んでいた気仙沼線は沿岸部での津波被害のため柳津から先はBRTバスに置き換えられています。
ただ、BRTバスは更に前谷地駅まで運行される便もあり柳津-前谷地間の列車運行は1時間に1本程度のようです。 -
列車ホームへの階段
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BRTバスの発着するプラットホーム
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お隣の陸前横山駅
BRTバス発足時は国道から駅前に入ってきていましたが、いまやBRTバスは昔の軌道上を走っており駅(停留所)も階段の上に戻されました。 -
2012年
まだBRTバスが開通する前の陸前横山駅。
列車時刻表だけが虚しく残っていました。 -
更に進みます。
昔ながらで長閑な道が続いています。 -
この部分の45号線は東浜街道と称されてます。
狭いながらも交通量は少なくスムーズに走れます。 -
戸倉で海に出ます。
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戸倉漁港
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湾に注ぐ川は全て高い防潮堤で囲まれてしまい、どこも同じような景色になってますね。
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左上が旧気仙沼線の軌道。 現在はBRTバスが走っています。
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程なく志津川エリアへ。
右側に吉野会館遺構が見えます。 -
八幡川河口
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サギがのんびりとエサを漁ってます。
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志津川の祈念公園
当時は八幡川横にあった防災センター、残された遺構は高い防潮堤と綺麗にペンキ塗装された姿から当時を思い起こすのは難しいかもしれません。 -
2013年、震災から2年経ったころのこの場所です。
白い車の左側は八幡川です。 -
さんさん商店街。
平日の午前中とあって閑散としています。 -
志津川漁港
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朝の漁も終わって静寂の時間。
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観光施設化したさんさん商店街と異なり地元の方達が普段の生活に使う商業施設は気仙沼寄りの高台に設けられています。
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その周辺は高台に設けられた復興住宅地として整備され、いまではすっかり落ち着いたように見えます。
志津川地区では(少なくとも見る限り)津波被害に遭ったエリアは地盤嵩上げした地区も居住用には用いておらず、もともとの周辺高台への住宅地移転が進められているようです。 -
集落と集落のあいだはこのように長閑な風景です。
今回久しぶりに旧45号線を使いましたが震災直後の数年間のダンプカーが行き来していた風景も消え、通行の多くは三陸道へ移った結果として、長閑で気持ちのよい地方国道となっていました。 -
三陸道の開通する前は
復興工事用のダンプ/三陸道工事用のダンプなどがひっきりなしに往来していましたね。 -
ハマーレ歌津も復興商店街の1つですが規模が小さいのと現在の三陸道からのアクセスの悪さからほとんど訪れる人も居ません。
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歌津漁港
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2012年の様子です。
今よりも海側を通っていた45号線の橋は津波で流されてしまいました。
手前の建物の土台跡からも多くの建物がこのあたりに建っていた様子がうかがえます。 -
そしてこの場所も高い防潮堤が築かれ
いまこの場所は公園となっていました。 -
その公園の奥に建つ「三嶋神社」。
この長い階段を上って多くの人が避難をしたのではないでしょうか。
既に10m近く盛土されていますので、この写真の階段も更に下方へ長かったのでしょう -
三嶋神社横の防潮堤脇に残るのはかつての45号線跡。
上記の写真のように、ここから45号線の橋が架かっていました。
(3つ上の写真、壊れた橋の左側たもとです) -
防潮堤上に立つ碑
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歌津地区の様子が記録されています。
足許には震源の方向をを示す矢印。 -
当時、歌津地区では流された橋を迂回するために仮設された橋と残っている山側の道路を使って仮の45号線としていたはずですが、綺麗に新たな道路が整備された今となっては、何処を通っていたか定かではありません。
このあたりだったか? -
本吉にはいります。
入り江は静かですが堤防の外は結構な波のようです。 -
BRT陸前小泉駅。
ここでもBRTは気仙沼線軌道上を走っていますので、もともとのJR陸前小泉駅の場所ですね。 -
気仙沼市街地に近づきます。
震災前から45号線はバイパス的に市街地の西側を通っていましたので魚市場や内湾地区は通っていませんでした。 -
漁港方面へ右折。
この辺りも地盤嵩上げが行われているはずですが、気仙沼の嵩上げ規模は3m~5m程度なので風景に違和感はありません。
気仙沼市街は海に面した地区だけでなく大川など大小河川に沿って津波が俎上したために、こんなところも?と思うような地域も被害にあっているようです。 -
魚市場近くのこの場所も道路は綺麗に整備されましたが空き地はそのままです。
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2011年6月
震災3ヶ月後のこの場所です -
漁船の並ぶ岸壁
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碇のモニュメント
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以前の大島フェリー乗り場付近には新たな商業施設が建ちました。
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震災前、
大島フェリーの着くこの岸壁には大きな立体駐車場がありました。
(2011年、震災3ヶ月後) -
その新しい商業施設の直ぐそばでもこのように空き地のまま。
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2011年
震災3ヶ月後のこの場所です。 -
反対側から。
この建物は交番だったのでしょうか? -
何気なく気づいた碑ですが、「冷蔵庫創業の地」とあります。
100年以上前に漁港で水揚げされた魚を冷蔵保存する施設は初めて設けられた場所とか。
津波で流された後、再設置場所が見つからずにいたようですが2年前に再設置されたようです。 -
今回のお出掛けのお供はこの車。
レンタカーでいろいろな車は試しましたが「軽」は初めてです。
私自身も普段はミドルサイズに近い車に乗っていますが、街で見かける多くの現代版「軽」はどんな具合か試してみました。
タイトルの「今年は軽ぅーく・・」のようにいきましたか? -
内湾
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いつもの南町商店街通りに入ってみます。
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中華の名店、フカヒレで有名な福建楼さんとあさひ寿司さん、はそれぞれ新しい店舗へ。 ただ周辺にはまだ空き地だらけです。
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たぶんこの辺りだと思います。
大きなショッピングセンターも在ったのですね。
(2011年6月) -
いつもの南町あたりの通りへ。
右角の建物は1階部分のリニューアルが行われたようです。 -
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蔵と空き地はそのまま
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そのなかでも営業中の洋品店。
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こちらのお酒屋さんは以前営業していましたが、様子からは閉店してしまった?
10年以上経っていますので震災による理由ではなく御商売上の理由か代替わり? -
角に建つ「武山米店」。
津波で1階部分が流されてしまいましたが、残された部材を一度分解し、それを使って嵩上げされた土地に新たに再建されました。
このあたりは1m以上地盤沈下してしまったはずですので、その分は埋め立てられているはずです。
平屋の部分は新しく始められた「おこわ」屋さん、裏の蔵部分は炊飯博物館となっているそうです。 -
再建された男山酒造の隣りにはカラオケなどが入る商業施設。
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鹿折地区に入ります。
この辺りは水産関連の冷蔵庫などが新たに立ち並びます。 -
大きなカツオ漁船が打ち上げられていたのもこの辺り
(2012年) -
再び旧45号線に合流。
右折して陸前高田に向かいます。 -
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私が最初にここを訪れたときは、まだ三陸道が開通しておらず、この先は長い「霧立トンネル」を経て陸前高田方面に向かっていました。
ところがもともとは霧立トンネルは三陸道のトンネルとして先行して開通していたようで、三陸道が全通後は旧45号線は大きく海のほうへ迂回させられてしまう(これがオリジナルの45号線なんでしょうが)ようになりました。 -
高台に設けられた復興住宅地。
陸前高田や志津川の復興分譲住宅地と少し異なるのは住宅がこじんまりしていて平屋であること。
仮設ではなくとも、まだまだ「仮」なのでしょうか? -
広田湾が見えてきました。
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岩手県に入ります。
地図で見ると判りますが気仙沼は宮城県のなかででも沿岸部に北へ突き出したように位置しますが、逆に陸前高田は岩手県の沿岸部で最南端に位置します。 その距離(市街地-市街地)はほんの15kmほどです。 -
広田湾を望む最後の下り坂。
左側にピンクの案内カンバンが建ちました。
大手ショッピングセンターのものですが、大船渡寄りのエリアに新しく開店した模様です。 -
気仙川を渡ります。
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手前右側には気仙中学の遺構
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稲刈りも終わり、すっかり秋の様子ですね。
震災前もこの辺りは水田だったようです。 -
アバッセ前の通りはすっかり新しい街のメインストリートらしくなっていました。
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アバッセです。
いわゆる復興商店街と違い、陸前高田にはいち早く「普通」のショッピングセンターが整備されました。 -
周辺の道路も風景に馴染んできています。
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お昼時のやぶ屋さんには店外まで行列です。
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交差点角のこの標識
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何気なく眺めましたらQRコードがあります。
で、やっと位置関係が判りましたが、ここが震災前の旧市街地で「マイヤ」ショッピングセンタ-の在った場所なのですね。
(QRコードを読み取って頂けばサイトがでてきます) -
2012年
震災翌年のこの場所、マイヤショッピングセンターもまだ取り壊されていません。
その奥にNTT、マイヤの向かい側はJA? -
その翌年、マイヤやJAは取り壊されましたがNTTは残っています。
15mにもおよぶ嵩上げ工事直前の風景。 -
多分、上の写真の位置から左(山のほうへ)100mくらいの場所が今のアバッセ。
そのアバッセ内部、図書館と書店が共存です。 -
アバッセ内の飲食店さん
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かいひん食堂
道の駅にある「まつばら食堂」の姉妹店でメニューも共通のものが多いとか。 -
いたるところに佐々木朗希のノボリ旗ですね。
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佐々木朗希は勿論陸前高田出身ですが、大谷翔平も岩手(花巻)です。
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嵩上げされず(多少の嵩上げは実施)空き地となっている部分には雑草が茂ってきました。
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JR陸前高田駅。
BRTバス運行ですがJRの駅です。
上記のQRコードから読み取れる地図では、震災前の大船渡線陸前高田駅はここよりも少し南東側に在ったようです。 -
市の施設「まちのエンガワ」の間からから遠くに見える米沢紹介ビル
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慰霊碑周辺です。
陸前高田の新しい施設は屋根とか庇の使い方がとてもよくデザインされていますね。 -
慰霊碑
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さて、今回のお昼はこちらへお邪魔させて頂きました。
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かき小屋広田湾
以前は広田湾の西側海岸近くで営業してらっしゃいましたが、アバッセ近くへ移転してきたお陰で利用しやすくなりました。 -
こじんまりした店内
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広田湾の牡蠣養殖漁師さんが営んでいますので、牡蠣イカダからの採れたての牡蠣を味わうことが出来ます。
既に岩がきのシーズンは終わっていますが、メニューは牡蠣つくし。 -
どれも、これも、で悩みましたが
敢えて定番の「かき満喫御膳」は外し「かきフライ定食を」 -
この大きさが判りますでしょうか?
特性のタルタルソースに絡めていただくデッカイ牡蠣フライは最高でした。
御飯も白飯でなく「かき炊き込み」ですから、もう大満足。 -
失礼ながら
お隣の「かき満喫御膳」を食べ終えた方の写真です。
大ぶりの蒸しかきの熱い殻を掴むためにゴム手袋が用意されていました。 -
移転した市役所前の通り
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周辺は新しい家が建ち並んでいますが、このあたりは元々も比較的高いエリアだったでしょうか?
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対して、地盤嵩上げ地域の分譲地はまだまだ販売が進んでいないのでしょうか?
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高田高校のグラウンド
現在は地盤嵩上げが終わった地区ですが、震災時はこの山まで津波が押し寄せ、多くの住民は当時山の上にあった高田高校グラウンドに駆け上がったそうです。 -
2012年
まだ取り壊される前の高田高校旧校舎。
このあたりも15m近く嵩上げされていますので様子はだいぶ違っていますが、多分写真の校舎あたりが今のグラウンドでしょうか?
逆に当時のグラウンドは山の上に在り避難された方々が集まっていたようです。 -
その校舎の中はこんなでした。
多くの「遺構」として残された施設も、保存の都合や様々な配慮から公開用に手が加えられて当時の状況からは生々しさが薄められていますが、当時1年後ではあってもこの場に脚を踏み入れた時は、ただ呆然と立ちつくし涙が溢れてきた事を思い出します。 -
震災祈念公園を訪れます。
この庇のなかから遠くに見る防潮堤は本当に美しく厳かな雰囲気です。 -
昨年「伐採?」と驚いた16本の木も復活、根付かずに育ちの悪い木を植え替えたようです。
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この祈念公園の一角に残された「奇跡の1本松」ばかりが有名ですが、
広大な敷地と築かれた防潮堤上の「祈りの場」など、陸前高田の祈念公園は他の同様な施設とはスケールやデザインの力の入れ方など別格です。
国設であることは、陸前高田はもちろんですが岩手県全体、さらにはこの震災の被害にあった全地域を代表する「祈念」の場と捉えているのでしょう。 -
広大な芝生部分は美しく、いつも綺麗に苅られていると思いましたら、
左右それぞれのエリアで芝刈りロボットが活躍していました。 -
防潮堤上に設けられた「祈りの場」
被害にあった街に向かって祈ります。 -
古川沼
津波で松原全体がながされてしまった結果、一時は海と一帯となってしまったようですが、防潮堤の整備などで再生にむけて事業が行われているようです。 -
高田松原復活を目指して植樹された松
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2年ほど前の姿がこんなですから、
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短い間にこれだけ伸びました。
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以前は気が付きませんでしたが石川啄木の歌碑が設けられています。
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石川啄木は盛岡中学在校中に修学旅行で陸前高田を訪れ、高田松原で海水浴など楽しんだと書かれています
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震災前の高田松原の様子を伝える展示。
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東北有数の海水浴場として県外からも多くの来場があり賑わっていたようですね。
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さて
帰路は三陸道を一気に仙台へ戻ります。 -
気仙大橋から見る大島
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と言っても、この辺りの三陸道には給油所が無く、歌津手前で一旦降りて給油。
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再び三陸堂にもどり、三滝堂IC横の道の駅に立ち寄ります。
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道の駅「三滝堂」
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この時期、一部ではまだコメ不足を騒いでいますが、
新米があります。 -
栗も
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一般的な道の駅での販売品に加え苗木などが多く売られていますね
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キャベツの苗
レタスの苗 -
蒔も
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トイレも趣向を凝らした
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キッズ用のこういう施設は幼児教育に必用ですね
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今回の車を少し御紹介
ホンダN-BOXです。
残念ながら最新型ではないですが、軽ハイトワゴンのベストセラーとか。 -
運転席
車高が170cmもありますので乗り込むときもかがむ必用もなく、シートもほぼ腰の高さなのでスゥ-っと座れます。 -
「軽」といって馬鹿に出来ません。
排気量こそ660ccと軽規格なものの、衝突安全安全装備やアダブティブACなど装備満載。 高速道路で速度をセットすれば前車追従機能もついて車線すらハンドル修正してくれます。
ただしレンタカー用のこのグレードでも¥180万くらいはしているはずで、ハイブリッドでなければヤリスなどのコンパクトカーのほうが安いくらいでしょう。 -
小さい車で4隅は良く見えます。
前にはボンネント風に出っ張りがありますがフロントウインドウから前端までは30cmもありませんし、後ろもリアタイヤの端からバンパーまでは10cmほど、つまりここから見える範囲がほぼ全てです。
更に左側ドア下を見るミラーがついています。 -
後席スペースはYARISなどコンパクトカーの比ではなく脚を投げ出して乗れますね。
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ラゲッジスペースです
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後席バックレストは左右独立で倒せ、
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更にはシート座面も跳ね上げられる、などアレンジは多彩
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街中での走行は軽であっても全く問題なし。
一旦加速してしまえば1500rpm程度でユルユルと流れに乗って走るので室内も静かです。 -
高速道路でも100km/h時の普通の時の回転数は3000rpmくらい。
この程度なら大して五月蠅くもなく快調ですね。
ただし「普通の時」と書いたのには訳があり、
クルーズ速度を100km/h似セットして走行時に上り坂に差し掛かると、エンジンは速度を維持しようと急に回転数を上げ6000rpm近くまで達します。 CVTの特性からは仕方のない制御ですが、このときのエンジン音はけたたましく、室内は騒音に包まれてしまいます。
ターボ付きなら多少はパワーもあるので救われるのでしょうが、軽自動車とCVT変速機の宿命でしょうね。
なお、燃費は高速道路、一般国道とも変わらずに18km/Lちょっとと、この面ではコンパクトカーよりも劣るかもしれません。
総合的には、地方都市での一人使用/毎日の下駄、たまに使う高速道路も80km走行、と考えれば全く問題なさそうですが、車を楽しむという用途ではありませんね。 -
再び仙台に向かいます。
-
仙台東ICへ到着しました。
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