2024/07/13 - 2024/07/14
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ゆうこママさん
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正林庵、羽賀寺、多田寺、神宮寺、若狭彦神社を巡る
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2日目は、念願の金銅仏を拝観。
正林庵(小浜市)の銅造如意輪観音半跏像にやっと会うことができた。
飛鳥時代後期から奈良時代前期、若狭地方で1、2位を争う古さ。像高17.6センチの小さな金銅仏。
縁起では海を越えて伝来したとのこと。 -
正林庵の建つ小浜市の太良庄(たらのしょう)は、京都の東寺(教王護国寺)の荘園であった。その関係で、如意輪観音は都から1240年に若狭にもたらされたとの伝承もある。
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観音さまはとにかく可愛らしい。あどけない幼児というよりは、もう少し上の少女で、ふっくらした頰に指を当て、すまし顔でポーズを決めている。
頭頂部の髪は結って大きな冠で纏め、側頭部の髪は耳の辺りにぐるりと丸めた後、毛先をまとめて肩へ垂らす。お姫様だから、髪専属の召使いがヘアメイクしてくれるのだ。
胸元の飾りもブレスレットも最上のビーズで編まれたもの。
シルクの衣はたっぷりとヒダをとってあり、ゴージャスだが上品。パーフェクトな可愛いさの金銅仏ちゃん。 -
次は、羽賀寺(はがじ 小浜市)。
716年、元正天皇勅願、行基創建と伝わる。
多田ケ岳への崇拝が元にあったのではとのこと。 -
羽賀寺本尊 十一面観音菩薩立像は、10世紀初期、檜の一木造で随所に乾漆。当初の彩色の赤と緑が全身に残る奇跡の像。奈良の都の仏師の作か。
長い腕、優美な手先、エキゾチックで高貴な顔立ち、幾重にも複雑に折り返された衣は柔らか。慈愛に満ちたお顔が魅力的。 -
羽賀寺には他に、松林寺本尊であった平安末という千手観音立像、毘沙門天立像も優しい雰囲気でいらっしゃる。
後陣には観音三十三応現身像、薬師如来も。 -
昼食はいけす割烹雅にて
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午後は多田寺ただじ。孝謙天皇勅願749年創建で奈良東大寺との関係が深いそうだ。
多田寺には多田谷の他寺から集まってきた阿弥陀を含め阿弥陀が三体もいらっしゃる。さらに、四天王、スリムなモデル風の美しい聖観音も。 -
本尊薬師如来は奈良時代末から平安初期の作で薬壺を持たないタイプ。
太ももの辺りの衣文は神護寺の薬師如来と同じデザインで力強いのに、お顔は素朴で全く怖くない。東大寺との繋がりが強いというのに、都風とは言い難い。 -
向かって右の伝月光菩薩は、奈良時代後期の聖観音か。
左側の伝日光菩薩の十一面観音は本尊より古く、奈良時代前期かもしれないとのこと。近くで拝すると幼い女の子のようで愛おしい。木彫なのに金銅仏のような造形で、衣紋のねじる表現、胸のタスキを結び目を作って垂らしたところが、見どころ。 -
続いて、若狭神宮寺。
714年創建、若狭彦神社の神宮寺、天台宗。 -
若狭神宮寺は、奈良東大寺二月堂のお水取りに先立ち、香水を奈良に送るお水送り神事が行われることで有名。境内のこの建物の中に閼伽井戸がある。
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本堂は室町時代1553年の再建で重文。
お寺だが、柏手を打って参拝するのがここのルール。なので、柏手を大きく打ってほとけさまにご挨拶。 -
内陣須弥壇の中央の区画に本尊薬師如来。左側の区画に元は十一面観音とも伝わる千手観音。そして、右側は神様の区画になっている。若狭彦、若狭姫、白山比咩、那伽王比古、手向山八幡、白石鵜の瀬明神の神号掛け軸が祀られている。神仏混淆の姿に感激した。
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本堂の正面に掛けられたしめ縄は、正月には真っ直ぐに張るが、徐々に下がってきて、そこから月や太陽が昇るそうだ。
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最後は若狭彦神社。静かな深い森の中に建つ。
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檜皮の痛みが激しく修理のための寄付を募っている。
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