2024/09/11 - 2024/09/11
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SamShinobuさん
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東京駅から至近でルノワールやピカソ、セザンヌが観られるブリジストン美術館は、2020年にアーティゾン美術館に生まれ変わった。アーティゾン(ARTIZON)は、artとhorizonを組み合わせた造語だそうだ。ちなみにブリジストンの創設者の名前が石橋さんだと知る日本人は多い。bridge(橋)stone(石)が石橋を入れ替えた造語なのは有名な話だ。それにしても、この人たち造語好きだなあ。
さて、事業の成功者が美術館を創設することは多いが、ブリジストンタイヤで財を成した石橋正二郎もそのひとり。1952年、都会のビルにあったニューヨーク近代美術館を訪れた石橋はいたく感動し、建設予定だった自社ビルの中に私設の美術館を作ることを急遽決意した。また、石橋は東京国立近代美術館も建設し寄贈している。石橋正二郎や国立西洋美術館の松方幸次郎のような奇特なお金持ちがいたから、世界の名画が驚くほど日本に集まっている。ホント感謝しかない。
今日はアーティゾン美術館の「空間と作品~作品が見てきた景色を探る」を観て、お昼をはさみ、午後は東京ステーションギャラリーに「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」を観に行った。
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銀の鈴(4代目)
東京駅の待ち合わせ場所の代表、銀の鈴は4代目だそうだ。携帯電話のない時代に待ち合わせの目印になればと、神社鈴をモチーフに設置された。あらためてよく見ると、4代目はなかなかのアートだ。 -
アロマ珈琲
ここで朝食をとろう。 -
東京駅八重洲地下街、通称ヤエチカで1970年から営業している珈琲店。場所柄、出張や旅人、外国人も多い。
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モーニングセット(600円)をブレンドコーヒーで注文。
かなり厚切りのトースト。それにゆで卵。
マーガリン、ジャム、そして小倉あんの3種が添えられている。 -
食べ終わった頃に、コーヒーのおかわりいかがですか?とサービスしてくれた。
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アーティゾン美術館が入るミュージアムタワー京橋。
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アーティゾン美術館
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「空間と作品~作品が見てきた景色を探る」
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まず展示室に入って驚いたのが、赤い部屋の真ん中にダイニングテーブルが置かれており、それを取り囲むようにピサロの作品が掛けられている。
キャプションを読むと、ピサロは依頼主にダイニングルームに飾る四季の絵を注文されて描いたそうだ。その絵が掛けられた部屋をイメージしながらピサロの四季図を鑑賞する。なるほど、テーマの「空間と作品」というのはこういうことかと納得し楽しくなってきた。つかみはOKだろう。 -
「四季 冬」1872年
カミーユ・ピサロ -
「四季 春」1873年
カミーユ・ピサロ -
「四季 夏」1873年
カミーユ・ピサロ -
「四季 秋」1873年
カミーユ・ピサロ -
「腕を組んですわるサルタンバンク」1923年
パブロ・ピカソ
「新古典主義の時代」の作品。女癖の悪いピカソは数多くの女性を泣かせてきたが、付き合う女性によってその都度画風が変わったのは有名な話だ。
1918年ピカソはロシア貴族のオルガと結婚すると、お嬢様のオルガは訳の分からない絵を描くピカソに「私を描くならわかりやすく綺麗に描いて」と注文をつけた。オルガの仰せのとおり、それからピカソはわかりやすい絵を描くようになり、それを「新古典主義の時代」と呼ぶ。
だからこの絵はちゃんと何を描いているのか分かる笑。サルタンバンクとは即興の芸を披露する大道芸人。よく見ると、男性の右隣に人物の輪郭線が残っている。当初は女性が描かれていたが、それがオルガではなかったので、「ちょっとあなた、この女誰よ!」とオルガに怒られて消した説もある。
ところで、「大列車作戦」(ジョン・フランケンハイマー監督、1964年)のファーストシーンに、この絵が出てきてびっくりした。
「大列車作戦」は1944年、パリのジュ・ド・ポーム美術館(当時ナチスがユダヤ人から没収した美術品がここに集められていた)から、ピカソ、ルノワール、ゴーガンらの名画を略奪して本国へ持ち帰ろうとするナチスと、それを阻止すべく妨害工作を仕掛けるフランス鉄道の面々との攻防を描いている。たかが絵のために命をかけてフランスの宝を守ろうとする列車の運転士たち。ジュ・ド・ポームの館長が書いた実話が基になっているそうだ。映画では、ある運転士のセリフが印象的だった。
「列車の中の絵をみたことあるか?俺はない。これが終わったらひと目見てみたいな」
話が長くなったが、映画の冒頭でジュ・ド・ポーム美術館にこの「腕を組んですわるサルタンバンク」が掛かっていた。1945年からピアニストのホロヴィッツが所有していたのは分かっているので、ナチスから救い出されたこの絵がどういう経路でホロヴィッツのところにいったのだろう。ちょっと気になる。ちなみに1980年から石橋財団コレクションに加わり、それからここに展示されている。 -
「女の顔」1923年
パブロ・ピカソ
これもピカソの「新古典主義の時代」に描かれた作品。モデルは妻のオルガ説が有力。アーティゾン美術館を代表する名画だ。 -
「娘に読み聞かせる オーガスタ」1910年
メアリー・カサット
娘はちょっと飽きてしまって聞いていない感じがするが、それが逆に日常の幸福感をにじませている。好きな作品だ。 -
「サーカスの舞台裏」1887年頃
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
やはりこの人は馬へのこだわりが強い。SOMPO美術館の「フィロス・コレクション ロートレック展 時をつかむ線」ではロートレックの馬のデッサンが多数展示されていた。 -
「すわるジョルジェット・ シャルパンティエ嬢」
1876年
ピエール=オーギュスト・ルノワール
この絵は「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」と一緒に、第3回印象派展(1877年)に出品された。「ムーラン~」は木もれ日を捉えようとした白い斑点などかなり攻めてるが、こちらは依頼主に気に入って貰えるように描いている。貧乏だったルノワールにとって、金持ちからの娘の絵の依頼はチャンスだ。そりゃひたすら頑張って描くよね。4歳の女の子が床につかない足を組んでいるのが、おしゃまで可愛い。 -
「右足で立ち、右手を地面に のばしたアラベスク」1882-95年
エドガー・ドガ
ブロンズ
ドガは生涯で一度だけ塑像を発表している。第6回印象派展に出展した「14歳の小さな踊り子」だ。ただあまりにもリアルだったために、まわりは皆ドン引き。ドガももう二度と塑像は作らないと言っていた。ところが死後のアトリエから無数の小さな塑像作品が発見され、そのどれもが少女のあられもない姿。蜜ロウをこねて作ったものだ。ドガのおっさん、晩年は目も見えなくなり黙々と少女のフィギュア作りに没頭していたようだ。その塑像を元にブロンズ像が造られているが、アーティゾン美術館は何体か保有している。見られて良かった! -
「サント=ヴィクトワール山と シャトー・ノワール」1904-06年頃
ポール・セザンヌ
セザンヌは第1回と第3回の印象派展に出品しているが、田舎者の彼にとってパリの水は合わなかったようだ。もともと批判されることの多い印象派だったが、特にセザンヌは批評家に叩かれた。それどころか印象派の仲間にもあまり理解されなかったセザンヌは、「おいら、都会のチャラい連中とは付き合えね」とばかりに、田舎に戻ってしまう。
それでも人知れず絵を描き続け、サロンでの落選を繰り返し、ようやく評価されたのはかなり晩年になってからだ。生涯にわたり遠近法も物の質感表現もヘタなセザンヌだったが、写実的な絵より作家の個性が大切になってきて、時代が彼に追いついた。ピカソやマティスに影響を与え、かつてはあれだけ叩かれたのに、今では「近代絵画の父」とまで言われるようになったのが面白い。
セザンヌは田舎にずっと引きこもっていたので、地元のサント=ヴィクトワール山を描いた絵は多く残っている。この絵を見ると、空の質感と山の質感が同じで、ひと目でセザンヌだとわかる。 -
「黄昏、ヴェネツィア」1908年頃
クロード・モネ -
「睡蓮の池」1907年
クロード・モネ -
「縞ジャケット」1914年
アンリ・マティス -
「麗子像」1922年
岸田劉生
麗子を溺愛していた岸田はその短い生涯の中で、70枚以上麗子を描いている。そんなに好きならもっと可愛く描いてあげればいいのにと思うが、そこが岸田劉生という画家の美意識。13世紀中国の画家、顔輝の描いた「寒山拾得図」(東京国立博物館所蔵)を見て、劉生はそのグロテスクさが東洋の美だと確信する。そして寒山の不気味な顔を麗子像に反映させることで、あのスタイルが確立していったのだ。
しかし麗子が10歳も過ぎると、さすがに「お父様どうして私を気味悪く描くの」となって、麗子像はほとんど描かれなくなった。ちなみに劉生が38歳で亡くなる直前に描かれた麗子の肖像画は、珍しく右向きで、美しい16歳のお嬢さんになっていた。うーん、芸術家岸田劉生と麗子の父娘関係を想像すると、ちょっと複雑な心境になる。
ちなみに、岸田は額に相当こだわっていたようで、「劉生縁」という呼称があるほど。なるほど、この麗子像に実にマッチした額縁だ。 -
「猫のいる静物」1939-40年
藤田嗣治
裸婦や猫の絵が多い藤田嗣治。この絵は小鳥や海老、蟹、ヒラメなどが実に楽しく描かれており、それらを狙う猫の表情もまたいい。東京国立近代美術館のあの戦争画を描いた同じ画家とは思えない絵だ。 -
「バルコニーの女と子ども」1872年
ベルト・モリゾ
師と仰ぐマネの影響が垣間見えるが、ベルト・モリゾらしい母娘の繊細で優しい絵だ。ブリジストン美術館からアーティゾン美術館に変わった時の新収蔵作品のひとつだが、いい絵を買った。 -
佐伯祐三の「テラスの広告」1927年
こんな居間に佐伯祐三を掛けてみたい。 -
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接吻 1907-1910
コンスタンティン・ブランクーシ -
「自画像」1878-1879
エドゥアール・マネ -
人が少なくて観やすい。美術館は平日の朝一に限る。
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クリスチャン・ダニエル・ラウホによる大理石像《勝利の女神》
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清水多喜二による石橋正二郎のブロンズ像
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ミュージアムショップ
何でこれをグッズにした?みたいな、ここでしか買えない物があるのがミュージアムショップの魅力。今日はアンリ・ルソーの絵が観られなかったので、その絵のマスキングテープとポストカードをお買い上げ。 -
日本ばし 割烹 鶴の家
八重洲と日本橋を結ぶ八日通り(ハッピーどおりと読む)という路地にある割烹料理店。東京駅八重洲中央口から徒歩7分。 -
昼は安価でランチがいただけるとあって、八重洲界隈のOLやサラリーマンがひっきりなしにやってくる。
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創業は100年以上前で日本橋には1947年に移転してきたというのだから、かなりの老舗だ。
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煮魚定食(1,100円)は金目鯛。煮汁がしみて上品な味付けの金目鯛は、さすが割烹料理屋だけある。
しじみの赤出汁は若干薄め。でもしじみのエキスがしっかり効いていて、疲れた肝臓を優しくいたわってくれる。 -
美味しゅうございました。
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八重洲いしかわテラス
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2024年3月に東京駅八重洲中央口前にオープン。銀座にあった石川県のアンテナショップは閉業した。
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何か買って被災地を応援しようと、とりあえず日本酒の試飲から笑。
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能登の銘酒も揃っている。
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東京駅丸の内駅舎
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1914年に創建された東京駅丸の内駅舎は、辰野金吾の設計だ。辰野はジョサイア・コンドルに建築を学び、日本銀行本店、奈良ホテル等の名建築を残して近代建築の父と呼ばれている。
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東京駅は空襲により南北のドームを焼失したが、2012年に創建時の姿に復原された。
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JR東京駅丸の内北口ドームは本当に美しい。
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東京ステーションギャラリー
東京ステーションギャラリーの入口は改札横にあり、知らないとこんなところにギャラリーがあるんだとなる。 -
開催中の展覧会「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」
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20世紀のベルギーを代表する芸術家ジャン=ミッシェル・フォロン(1934−2005)の作品展。
なんとこの2日前に、天皇皇后両陛下と長女愛子さまがこの展覧会を訪れ、フォロンの作品を鑑賞されている。
空想の世界をフォロンと一緒に旅しているような不思議な展覧会だった。 -
会場では彫刻や絵画など約230点を展示。
撮影不可なのが残念。
館内の壁はレンガを露わにして、駅舎の構造をわかりやすく見せている。 -
ミュージアムショップ
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2階の回廊からは北口ドームの真下が見下ろせる。
さあ、そろそろ帰って夕飯の支度でもするか。
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