2024/09/14 - 2024/09/14
5位(同エリア441件中)
松本伸雄さん
村上、堀氏が築いた総石垣造りの平山城
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ここでスタンプをいただきました
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前の小学校で運動会が行なわれていました。三面川の鮭は、村上藩の財源の一つでした。村上氏の次に藩士になった堀直竒は三面川筋の村々に制札を立て、保護を図りました。
天井から鮭が沢山ぶら下がった写真は有名です -
この城は室町時代以来、この地方の地頭本庄氏の根拠地でしたが慶長3年(1598)国替えでこの地に入った、村上頼勝が大改造を加え、その後、堀直奇、松平直矩によって本格的に築城され、三層の天守がその威容を誇っていました
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一文字門。居城、本丸の入口としての門であり、全面を桝形として石垣を高く積み゙、その上に塀を廻し冠木門を付属させた二重構造の厳重な門構えです
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村上城跡。本庄氏は天正18年(1590)に豊臣秀吉によって改易され、上杉氏の家臣直江兼続の実弟大国実頼の支配下になる。しかし慶長3年(1598)には豊臣秀吉の命により上杉氏は国替えとなる。かわって村上頼勝が入封し、近世城郭改修に着手した
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竪堀
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七曲り道(大手道)
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四ッ門右側の石垣
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四ッ門、4つの道が交わる所
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四ッ門跡。内側
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靱櫓跡。靱(ゆき)とは矢を背負った籠のこと
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武具倉跡
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玉櫓跡
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三の丸から二の丸へ
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御鐘門
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門跡内側は左折れの桝形
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ここで見える野鳥たち
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御鐘門。礎石が良好に残っている。享保三年(1718)落雷により焼失
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手前、出櫓と奥、本丸
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出櫓跡、本丸から突出する近世村上城最大の防御拠点。多門櫓が有りました
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黒門跡、大手道と搦手道の合流地点の設けられた道
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ブルーシートの所にも道が有ります
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1663年(寛文3)松平直矩(なおのり)が三重天守を新造
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明治初年の戊辰戦争によって二の丸が放火で焼失
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焼け残った本丸以下の建物も明治8年迄にはすべて解体されました
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埋門
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1620年(元和6)地元の徳光屋覚左衛門が京都宇治から自費で茶の実を購入してから、茶の栽培が、藩の財政を潤します
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九km離れた海沿いの石切丁場から、日本海、三面川、城下の水堀を船で経由したあとに山上に運ばれた
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冠木御門
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村上城の天守櫓は、江戸時代前半の落雷により焼失、現存しないものの、天守台跡には、位置をとどめた礎石が十五石残っている
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臥牛山135メートル
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城下町
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裏鬼門の鏡石
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石材は、溶結凝灰岩の一種の黒雲母を多く含む流紋岩です
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関ヶ原の戦い後の元和年間に盛行した打ち込みハギ布積み゙です
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新潟ふるさと村で休憩です
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ツアーの昼食です
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新潟は、田んぼばかりです
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新幹線はくたか569号で帰ります
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鱈めしを食べました おわり
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