2024/09/13 - 2024/09/13
22位(同エリア573件中)
松本伸雄さん
上杉謙信が居城とした戦国の巨大山城
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監物堀です、堀の底から材木が出ました。深さ170cm
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堀氏の時代に東裾野に築かれた、総延長1.2kmです
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堀と土塁からなる総構
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ものがたり館でスタンプをいただきます
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今回は、直江津観光にお世話になりました
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春日山城ジオラマ、現在左下に居ます
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大手道入口。初期の築城者は不明だが、戦国時代に越後守護代長尾為景とその子長尾景虎(上杉謙信)らが本格的に城を整備強化、戦国時代有数の難攻不落の城となっていった。
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門があったと考えられる番所跡、標柱のある小山は木戸が作られた土塁跡
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大手道。城のある春日山の地名は奈良の春日神社に由来する
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清水が流れている。1587年(天正6)3月13日、上杉謙信が春日山城で急死した。謙信は信仰上の理由から妻帯せず、子どももいなかった。養子を同時に3人も迎えていたのである。
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南三の丸、城の畑。謙信の死から2日たった3月15日.、景勝側が動いた。本丸を占拠するとともに、城内にあった金蔵を押さえた。その仕掛け人が直江兼続だと言われる
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南三の丸屋敷跡。金蔵には、謙信が貯めていた3万両があった
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個人の畑
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竪堀
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登って行きます
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上杉謙信の重臣柿崎景家の屋敷跡、池もしくは水堀があった
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桑取道、謙信公の時代は春日山城と北島方面を結ぶ重要道
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時の関白近衛前嗣が通った御成街道
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御館の乱で勝利をおさめ謙信公の跡目を相続した上杉景勝公の屋敷跡
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春日山山頂周辺の雨、雪が地下水として砂岩にしみた井戸曲輪。今でも水が枯れないそうです
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油を流して登れなくした油流
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本丸から見た二の丸、三の丸
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天守閣跡
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標高180mの本丸からは、かっての越後府中(直江津)と周辺の山々の支城跡、日本海が一望
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護摩堂
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毘沙門堂
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謙信公が深く信仰した毘沙門天
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お花畑
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直江山城守(なおえかねつぐ)宅
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虎口
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搦手
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空堀
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上杉少弼入道宅
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千貫門。赤い服の人の上の部分は道が無く、ガイドさんの立っている所を左折して木のあるところを回って、手前を左折して上に登ります
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木が生えているところも屋敷跡です
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春日山神社。謙信公を祭神とし、旧高田藩士小川澄晴が浄財を募り、祭主となって創建したもの
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謙信公像
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謙信公銅像
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街路樹にムクドリがいっぱいいます
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今夜の宿です
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燕三条駅の前に、田んぼが有りました
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駅は燕三条でインターチェンジは三条燕でした
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オロシガネは、11000円です おわり
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