2024/08/06 - 2024/08/08
19377位(同エリア23083件中)
Yasoさん
子供の頃から,一度は行ってみたいと思っていた甲子園球場。
子供の頃は誰かが連れてってくれない限りは行けない様な状況でした。大人になってからは,関心が薄れたり,暇がなかったりで,結局一度も行かないままでした。
時が満ちたのは2020年。いよいよ行くかと,春の選抜大会のチケットまで入手したのに,まさかのコロナ禍で中止!
次に行くとしたらいつか?となった時,2024年に「甲子園100周年」になるぞ,これを逃す手はない!と思い,ついに行く事になった次第です。
せっかくなので,夏の甲子園=全国高等学校野球選手権大会の歴史もたどってみます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩 ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今から100年以上前の1915年,野球人気が過熱していて「全国規模の大会を」と望む人々がいたそうです。そういう話を持ち込まれて動いたのが,大阪朝日新聞と箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)だったそうな。
写真=「阪急豊中駅」です -
その2年前の1913年に箕面有馬電気軌道が建設していたのが豊中グラウンド。約2万㎡の面積を誇り,当時としては日本一の設備だったそうです。
この球場を有効活用するため,というのもあり,1915年8月に第1回全国中等学校優勝野球大会,今の全国高等学校野球選手権大会,いわゆる夏の甲子園(まだ甲子園じゃないですけど)が豊中グラウンドで始まります!
写真=「高校野球発祥の地記念公園」です
豊中駅からほぼ西に300m程行くと,住宅街の中にいきなり現れます。この公園がかつて豊中グラウンドだった場所の北東部にあたる様です。 -
記念すべき第1回大会は,代表校10校,8月18日から5日間の日程で行われた模様。
我が関東の学校は早稲田実だけでした。それにしても,第1回から出てたんですね早実。今回も出てたからすごいなぁ。
約100年前で東京から神戸まで「最短で約12時間」だったみたいなので,各校行くのも大変だったのでは。
開幕試合は広島中(現・広島国泰寺)VS鳥取中(現・鳥取西)です。始球式はこの大会からあり,大阪朝日新聞の村山龍平社長がつとめたそうです。
写真=「高校野球発祥の地記念公園」内の始球式のレリーフです
このシーンは結構有名ですよね。 -
決勝で京都二中(現・鳥羽)が秋田中を破り,最初の優勝校になりました。
写真=「高校野球発祥の地記念公園」内の「第1回全国中等学校野球大会開催要項及出場校」です
小さくて見にくいですが,大会の試合規則,審判規定,日程などが細かく書かれています。参加選手も恐らく全員分書かれてます。 -
1916年の第2回大会も豊中グラウンドで開かれます。が「野球人気の高まりに対する収容人数不足」「唯一の輸送機関だった箕面有馬電気軌道が輸送力不足で観客を運びきれなかった」など問題があり,たった2回で豊中グラウンドでの開催は終了してしまいます。
優勝校は慶応普通部(現・慶応)。ここで優勝してたんですねぇ。「107年振りの優勝」が記憶に新しいです。
写真=「高校野球発祥の地記念公園」内の「豊中グラウンドの図面」です
右下の「現在地」が公園になります。公園から南西に球場が広がっていた模様。 -
一応1921年まで「中等学校優勝野球大会の予選会場として使用された記録が残されている」そうです。第7回大会ですね。
豊中グラウンドは,大正末期には取り壊されて,住宅地へ変わって行ったとの事です。
そこから長い年月がたった1988年。大会の70回を記念して,豊中グラウンドの正門の向かい側にあたる一角が整備され「高校野球メモリアルパーク」となりました。
更に第100回大会を翌年に控えた2017年,約4倍の規模にバージョンアップされ「高校野球発祥の地記念公園」になったそうです。
写真=「高校野球発祥の地記念公園」内のホームベース型イスです・笑 -
旧豊中グラウンド跡地を少し歩いてみました。
写真=かつて豊中グラウンドだった住宅地です
この道の手前がライト辺りで,センター方面に進む感じだと思われます。
この画像で「ライトからセンターって言われても・・・」ってなりますよね(笑)。 -
写真=豊中グラウンド跡,センター辺りから観客席方面への道です
なんと!当時の赤レンガが今も住宅の塀として使用されているそうです!
当時「グラウンド観覧席の擁壁」として使われていたとの事。 -
さて,舞台は兵庫県西宮市に移ります。
当時は兵庫県武庫郡鳴尾村だったそうですが,1908年には競馬場が2つあったそうな。しかし,その年に馬券禁止令が出て,競馬の開催が難しくなる事態に。1つの競馬場は廃止になり,もう1つが鳴尾競馬場として残ります。
競馬以外の興行,航空ショーやオートバイレースなどでしのいだそうです。
写真=鳴尾競馬場跡記念碑です
記念碑はかつての鳴尾競馬場の跡地で,現在は浜甲子園団地の敷地にあります。 -
1914年に阪神電鉄が鳴尾競馬場の土地を借り受けます。
一方で全国中等学校優勝野球大会の次の開催場所を探していた大阪朝日新聞。主な問題点は「輸送力不足」「収容人数不足」「開催期間の長期化」だったそうですが,もともと十分な輸送力を持っていた阪神電鉄が「グラウンドを2面設ける」事で長期化を避けるという形で応えた様です。
1916年,鳴尾競馬場内に陸上競技場・野球場・テニスコート・プールを併設した鳴尾運動場が開場します。
野球場は2面!競馬場の中に・・・すごいな,それ。
写真=鳴尾球場跡地の碑です
この碑は鳴尾浜公園にあります。実際の鳴尾球場跡はここから東に2~300m程の場所になります。先程の鳴尾競馬場跡記念碑とは400m程離れています。 -
そうして1917年8月に鳴尾競馬場内の鳴尾球場で,第3回大会が行われます!
優勝した愛知一中(現・旭丘)は大会史上唯一「敗者復活した優勝校」になっています。
敗者復活校が優勝するってどうなの?と問題となって,前回始まった敗者復活制度は2回であっさり廃止となったそうです。
写真=第3回大会のトーナメント表プレートです(鳴尾球場跡地の碑) -
1918年の第4回大会は,代表校も決まり,8月14日開催予定だったものの,7月下旬に富山県で発生した米騒動が,8月11日に神戸でも起こります。寄りによって大会直前に。
鳴尾球場近くの鈴木商店でも焼き打ち事件が発生してしまい,周辺の治安が大幅に悪化してしまったそうです。
その結果,大会は中止になってしまいました。
写真=第4回大会のプレートです(鳴尾球場跡地の碑) -
その後は普通に大会は開催されます。
1922年の第8回大会では和歌山中(現・桐蔭)が大会初の連覇を達成。
写真=鳴尾浜公園です -
先程放置していた「収容人数不足」ですが,鳴尾球場の収容人数は5000~6000人との事で,豊中グラウンドよりはかなり入れた模様です。
ちなみに鳴尾球場は,そもそも競馬場の中に造られた球場だったので,野球場専用常設スタンドを設ける事が出来ず「木造移動式スタンド」が設置されたそうです。
観客が座ったまま「大会役員が移動式スタンドを移動させる」なんて事もあったとか。へぇ~!
しかし野球人気の高まりは想像を絶する勢いだったようで・・・。
写真=かつての鳴尾球場跡と思われる住宅地です -
1923年の第9回大会,準決勝の甲陽中(現・甲陽学院)VS立命館中で,スタンドに収容しきれなかった観客がグラウンドに流れ込み,試合が一時中断するという事態が起こります。
1923年7月には馬券の発売が再開される事になります。競馬場が普通に競馬を行う場所に戻るって事ですね。
こうして,自前のドでかい野球場を作る必要性が出てきました。
写真=かつての鳴尾球場跡と思われる浜甲子園団地と水路です -
鳴尾球場として第9回大会まで使用されたこの場所は,その後も鳴尾競馬場として存続します。
1937年,阪神競馬場に名前が変わります。
1943年,戦争中に海軍基地として接収され,鳴尾飛行場になり,競馬場としての役割を終えます。
写真=かつての鳴尾球場跡と思われる浜甲子園団地です -
戦後,鳴尾飛行場はアメリカ軍に接収され,1952年までキャンプ基地として使用されたそうです。
1962年には武庫川女子大薬学部が,1963年には武庫川女子大附属中学・高校がこの地の一部に移転します。
更に1970年頃には浜甲子園団地が建設された様です。
1993年,鳴尾浜公園に「鳴尾球場跡地」の記念碑が建てられます。
写真=左側が武庫川女子大附属中学・高校の敷地です
-
1935年に建てられた鳴尾競馬場の大スタンド正面玄関部分は,なんと!今でも残っています。
武庫川女子大附属中学・高校の敷地内にあり「芸術館」という名前で今も利用されている模様。
写真=かつての鳴尾競馬場大スタンド,武庫川女子大附属中学・高校の芸術館です -
1922年,阪神電鉄には「本線の北側を住宅街,南側を遊園地などとして開発する」という構想があったそうです。
武庫川の支流であった枝川・申(さる)川が改修工事によって廃川となり,その敷地を兵庫県から買収。ここに運動場を建設する計画を進めていました。
そこへ,大阪朝日新聞から「本格的な野球場の建設」を提案されます。
もともと運動場を作るつもりだった阪神電鉄は,せっかく作るんだったらものすごいの作ってやろう,ぐらい考えたのでしょうか。
写真=甲子園大運動場顕彰記念碑です(甲子園球場外周のレフト辺りにあります) -
イチオシ
当時の日本国内には参考になる野球場はなく,ニューヨーク・ジャイアンツ(現・サンフランシスコ・ジャイアンツ)の本拠地ポロ・グラウンズを参考にしたと言われているそう。
1924年3月11日起工,7月31日竣工という突貫工事だったそうです(甲子園が出来た日って,僕の誕生日だったんや!笑)。
8月1日に開場。その月には甲子園大会やってますから,すごいスピード感です。
仮名称は「枝川運動場」だったそうですが,1924年が十干十二支の最初の年で60年に一度の縁起のいい「甲子(きのえね)年」であったことから「甲子園大運動場」と命名されました。
写真=阪神甲子園球場です!ついにやって来ました!
収容人数は公称「50000人」でした。鳴尾球場の10倍ほど!
すさまじいスケールに大会関係者が「ここが満員になるには10年はかかるのでは」と心配したそうですが・・・。 -
1924年8月の第10回大会はついに甲子園で行われます!
大会3日か4日目で球場は満員になったそうで,野球人気ホントにすさまじかったんですねぇ。「10年かかるんじゃ」と言った方はさぞビックリしたんでしょうねぇ。
記念すべき甲子園での最初の優勝校は広島商でした。
写真=阪神甲子園球場の中央指定席入口です
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1927年の第13回大会からラジオでの実況中継放送が始まります。日本初のスポーツ実況中継だったそうです。優勝校は高松商。
1929年の第15回大会。この頃「甲子園大運動場」から「甲子園球場」に名称が変更された様です。そしてこの大会から選手宣誓が始まったらしいです。優勝校は広島商。
1933年の第19回大会。準決勝の中京商(現・中京大中京)VS明石中は伝説の延長25回の死闘になりました。優勝した中京商は大会初の3連覇で,この記録は今でも破られてません。
写真=1924年の第10回大会から1933年の第19回大会までの歴代優勝校のプレートです(甲子園球場外周のレフト辺り) -
1935年の第21回大会から,今でも選手入場曲として有名な「全国中等学校優勝野球大会行進歌」が使われます。これ「行進曲」じゃなく「行進歌」なんですね。歌詞があるとは知らなかった。
選手宣誓はなんと!伝説のミスタータイガース,呉港中の藤村富美男選手でした。優勝校は松山商。
1939年の第25回大会は海草中(現・向陽)の嶋清一投手が5試合全試合完封かつ準決勝と決勝で2試合連続ノーヒットノーランというとてつもない記録をつくって優勝します。
1941年の第27回大会。太平洋戦争が始まった年ですが「関東軍特種演習」という軍隊の演習に伴う大動員による交通輸送の逼迫で「県をまたいでの移動が禁止」されたそうで,大会は中止になってしまいます。
これ以降1945年の終戦まで,大会は中断されます。
写真=素戔嗚(すさのお)神社から見た阪神甲子園球場です -
1946年8月,全国中等学校優勝野球大会は復活しますが,甲子園球場がGHQに接収されていたため,阪急西宮球場で開催されます。
甲子園と並ぶくらいの大規模な球場は,当時はここしかなかったのでしょう。
写真=阪急西宮球場跡地に建つショッピングモール「阪急西宮ガーデンズ」です(工事中ですが・苦笑)
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第28回大会は戦後初の大会として阪急西宮球場で行われますが,この大会で初めて選手が,いわゆる「甲子園の土」を持ち帰った様です。
皮肉にも甲子園球場じゃなかったんですね。
優勝校は浪華商(現・大阪体育大学浪商)。
写真=阪急西宮球場の模型です(阪急西宮ガーデンズ5F) -
阪急西宮球場は1937年,プロ野球が始まった頃につくられた様です。
夏の甲子園では3大会で使用されたそう。
1952年に阪急ブレーブスの本拠地になります。
写真=阪急西宮ガーデンズ4Fのスカイガーデンです,ん?左の方に・・・ -
1988年に阪急がオリックスになり,その後本拠地も移転することになります。
1991年,阪急西宮スタジアムに名称を変更。
1996年にプロ野球公式戦での使用が終了してしまいます。
写真=ホームベースのモニュメントが!ここが実際の阪急西宮球場のホームベースの位置だったとか -
2002年に営業終了。その後解体されます。
そして2008年に阪急西宮ガーデンズが開業します。
写真=阪急西宮ガーデンズ3Fです
さて,話は甲子園に戻ります。 -
1947年の第29回大会は7年振りに甲子園球場で行われます。優勝校は小倉中。
1948年の第30大会から「全国高等学校野球選手権大会」になります。そしてこの年に,あの「全国高等学校野球大会の歌」=「栄冠は君に輝く」がつくられます。小倉が連覇。
1952年の第34回大会。この大会から背番号が導入された模様。優勝校は芦屋。
1953年の第35回大会からテレビでの実況中継が始まります。選手宣誓を担当した松山商が優勝します。
写真=阪神甲子園球場の1塁側付近です -
1958年の第40回大会は記念大会として,初めて47都道府県から1校ずつの47校が出場します。甲子園球場と阪急西宮球場の2つの球場が使われました。
徳島商の板東英二投手がつくった1大会83個の奪三振記録はいまだに破られてません。ちなみに魚津戦の1試合25三振も記録でしたが,延長18回の記録なので今では参考記録になっている様です。優勝校は柳井。
1963年の第45回大会も記念大会でしたが,北海道が2校になっていたため,出場校は48校に。この大会も甲子園球場と阪急西宮球場が使われますが,甲子園で試合が出来ず敗れた高校からクレームがあったそうで,この大会を最後に阪急西宮球場は使われなくなります。優勝校は明星。
1964年の第46回大会から甲子園の名称が「阪神甲子園球場」になります。優勝校は高知。
1965年の第47回大会は,我が千葉県代表の銚子商が県勢初の決勝進出。三池工に敗れはしますが準優勝でした。この辺から個人的思い入れが強くなります(笑)。
1967年の第49回大会。千葉県代表の習志野が県勢として初優勝を成し遂げます。
写真=1958年の第40回大会から1967年の第49回大会までの歴代優勝校のプレートです(甲子園球場外周のレフト辺り) -
1969年の第51回大会。決勝は名勝負として名高い松山商VS三沢です。延長18回でも0-0で勝負がつかず,再試合は松山商が勝ちました。
三沢の太田幸司投手は初の?甲子園のアイドルとしてすごい人気だったそうです。
1973年の第55回大会。予選で数々の記録をつくった「怪物」江川卓投手が登場しますが,夏の甲子園ではあまり活躍できなかった様です。優勝校は広島商。
1974年の第56回大会は千葉代表の銚子商が優勝。
1975年の第57回大会も千葉代表の習志野が優勝。千葉県勢2連覇!この頃が千葉のピークだったんだなぁ・・・。
写真=「ドカベン」の水島新司さんは江川卓投手の凄さを見て高校野球の大ファンになったそうですが,それでこのマンガも柔道から野球になったのか・・・?(甲子園球場外周3塁側辺り) -
1978年の第60回大会は記念大会で,東京代表が2校になっていたので,ついにここで現在の基本49代表の形が出来上がります。
優勝校はPL学園。子供の頃の僕は関東を応援して,関西は「敵」だったので,その中でもPL学園は「最も憎き敵」でしたねぇ(笑)。それだけ強かったって事ですねぇ。
1979年の第61回大会。3回戦の箕島VS星稜は延長18回の死闘で球史に残る名勝負になりました。箕島が延長で点を取られても,再び追いつく驚異の粘り強さを見せ,4-3で勝利。その後も勝ち進み優勝しました。
1980年の第62回大会は,早稲田実の1年生荒木大輔投手が新たな甲子園のアイドルとなり,すさまじい人気でした。早稲田実は決勝まで勝ち進みますが,横浜に敗れ準優勝でした。
この頃から,僕がリアルタイムで高校野球を楽しむ事になります。この辺からこだわりが強くなります(笑)。
1982年の第64回大会。1回戦の佐賀商VS木造で佐賀商の新谷博投手が,9回2アウトあと1人で史上初の完全試合!というところで死球,惜しくもノーヒットノーランになります。いまだに夏の甲子園では完全試合の記録がない事を考えると,これは凄い記録だと思います。
強打の池田が優勝。強すぎて,子供の僕にとって池田も「憎き敵」になります(笑)。
写真=甲子園球場外周レフト付近です -
1983年の第65回大会。「強すぎる」池田を準決勝でPL学園が破り,子供の僕は「よし!」となるも,結局優勝校はPL学園でした。この大会であの桑田真澄投手,清原和博選手が1年生で登場しました。
1984年の第66回大会は池田に代わって「強すぎる」存在となったPL学園が,準決勝で「金足旋風」の金足農を破り決勝へ。決勝の相手は,名将木内幸男監督率いる取手二。延長10回,取手二の満塁ホームランに子供の僕は狂喜しましたねぇ(笑)。で取手二が優勝します。
1985年の第67回大会。2回戦のPL学園VS東海大山形は,PL学園が毎回得点の29-7で勝利します。1試合29得点,1試合32安打は今でも記録になっています。こうして3年生なった桑田・清原コンビのPL学園を誰も止められず,PL学園が優勝しました。
1986年の第68回大会は松山商の水口栄二選手の安打記録がどこまで伸びるか,個人的に注目しつつ応援してました。結局19安打となり,今でも1大会の最多安打記録となっています。
松山商は決勝で惜しくも天理に敗れ準優勝。天理は僕にとって新たな「憎むべき敵」になります(笑)。
1987年の第69回大会。我が千葉代表の習志野が久々に準々決勝まで進出したものの,よりによってPL学園に敗れます。
決勝はPL学園VS常総学院。学校は変わりましたが,再び名将木内監督率いる高校でした。常総学院は敗れましたが,僕の中学の野球部の先輩がいたので,個人的な思い出になっています。
写真=1978年の第60回大会から1987年の第69回大会までの歴代優勝校のプレートです(甲子園球場外周のレフト辺り)
この10年間でPL学園が4回も優勝しています。やっぱり強すぎたんですね。 -
1989年の第71回大会。剛腕大越基投手を擁する仙台育英が,東北勢として初優勝するか?というところでしたが,決勝で惜しくも帝京に敗れ準優勝でした。個人的に大越投手,印象に残っています。
1992年の第74回大会。2回戦の明徳義塾VS星稜は,注目のスラッガーである星稜の「ゴジラ」松井秀喜選手が,5打席連続敬遠されるという前代未聞の事が起きました。個人的に「こんなの『ドカベン』でしかないよ」と思った記憶があります。
我が千葉代表の拓大紅陵が決勝に進出して「ついに千葉の優勝がこの目で見られるか?」と個人的に興奮したものの,惜しくも西日本短大付に敗れ準優勝でした。
1996年の第78回大会。決勝の松山商VS熊本工で,10回裏の熊本工の攻撃,タッチアップで間違いなくサヨナラ勝ち!と思いきやライトからあり得ない好返球。いわゆる「奇跡のバックホーム」で危機を脱した松山商が優勝しました。
写真=阪神甲子園球場1塁側付近です -
1998年の第80回大会は記念大会で55校が出場しました。我が千葉代表も2校出て「おお!」と思いましたが,2校とも初戦敗退でした。
「平成の怪物」松坂大輔投手の横浜が,準々決勝のPL学園戦は延長17回の激闘,準決勝の明徳義塾戦は6点差をひっくり返す逆転劇,決勝の京都成章戦はノーヒットノーランというドラマチックな展開で優勝しました。
1999年の第81回大会。僕の中学の野球部の友達が「エースで4番」だった(頃は弱かった)柏陵が千葉代表になり驚きました。しかもあれよあれよと勝ち進み準々決勝まで進みました。優勝校は桐生第一。
2000年の第82回大会。千葉代表の東海大浦安が決勝まで勝ち進み「今度こそ千葉の優勝を!」となるも,智弁和歌山に敗れました。智弁和歌山の打線はすさまじく,1大会11本塁打・100安打は今でも記録になっています。
2004年の第86回大会は駒大苫小牧が北海道勢として,史上初の優勝を成し遂げます。
2006年の第88回大会。史上2校目の3連覇を目指す駒大苫小牧が決勝まで勝ち進み,早稲田実と対戦。駒大苫小牧の田中将大投手と早稲田実の斎藤佑樹投手の投げ合いで,延長15回引き分け再試合という名勝負になります。再試合では早稲田実が勝ち,優勝しました。
写真=阪神甲子園球場レフト付近です -
2010年の第92回大会は興南が沖縄県勢として初の優勝を成し遂げます。
2012年の第94回大会。桐光学園の松井裕樹投手が,1回戦の今治西戦で1試合22個の最多奪三振・10連続奪三振の新記録をつくります。優勝校は大阪桐蔭。
2015年の第97回大会は専大松戸が我が松戸市から史上初の代表になり,個人的に盛り上がった年でした(笑)。優勝校は東海大相模。
2017年の第99回大会。広陵の中村奨成選手が1大会6本の最多本塁打・17点の最多打点の新記録をつくります(19本の最多安打はタイ記録)。広陵は決勝まで進みますが,優勝したのは花咲徳栄でした。
写真=歴代優勝校校旗です(阪神甲子園球場中央指定席入口付近) -
イチオシ
2018年の第100回大会は記念大会で56校が出場。100回という正に記念すべき大会なので「甲子園レジェンド」達による始球式が毎日行われました。
吉田輝星投手を中心とした金足農が,ワンマンチームではないチームワークで「金農旋風」と話題を呼びました。秋田県勢として第1回大会以来103年振りの決勝進出となり,東北勢初の優勝を狙いましたが大阪桐蔭に敗れてしまいました。個人的にも応援してましたねぇ。
2020年の第102回大会は新型コロナウイルス感染症の流行により,戦後初の中止になってしまいました。
2021年の第103回大会は2年ぶりに開催されたものの,新型コロナウイルス感染症の流行が続いていたので,一般の観客は入場出来ませんでした。
ベスト4を近畿勢が独占して,決勝は智弁和歌山VS智弁学園という史上初の兄弟校対決となり,智弁和歌山が優勝しました。
2022年の第104回大会。仙台育英が東北勢10回目の決勝にして,ついに初優勝を成し遂げます。
2023年の第105回大会。決勝は慶応VS仙台育英で「107年振りの優勝」か「連覇」か?となりますが,慶応が優勝して第2回大会以来107年振りの優勝を成し遂げました。
写真=阪神甲子園球場の中に入りました!
あまりにも見慣れた光景なので,初めて来た感じがしないかも(笑)。 -
そして,2024年の第106回大会。記念すべき甲子園球場100周年の大会は8月7日から始まりました。
写真=甲子園球場100周年記念の「甲子園の土入り」キーホルダーです
来場者には記念のキーホルダーが配られましたが,なんと「甲子園の土入り」!選手じゃないのに甲子園の土を入手してしまいました!ラッキー。 -
僕は7時頃中に入りましたが,まだガラガラでした。外は早くも人だかりが出来てましたが。
写真=7:05頃,まだガラガラの甲子園球場です -
みなさん,そんなに早く中入らないんですね。
写真=7:30頃,チラホラ入り始めた甲子園球場です -
写真=7:40頃,プラカードを持つ生徒達?が最後の練習?をしてました(分かりにくいですが)
それにしても,早くも暑い! -
8時過ぎると,さすがに人が入って来ました。
写真=8:25頃,関西吹奏楽連盟のみなさんの入場です -
写真=審判員の方々も出てきて整列です
8:30,さあ開会式が始まります! -
例によって「全国中等学校優勝野球大会行進歌」の演奏にのせて選手入場です。
全校紹介したい所ですが,僕の注目の学校だけにさせて頂きます(苦笑)。
写真=沖縄代表・興南です(分かりにくいのはご了承ください)
14回目の出場。残念ながら初戦敗退でした。 -
写真=高知代表・明徳義塾です
23回目の出場。もうそんなに出てたんですね。3回戦で敗れました。 -
写真=広島代表・広陵です
25回目の出場。3回戦敗退でした。 -
写真=愛知代表・中京大中京です
29回目の出場。名門中の名門ですねぇ。でも2回戦で敗退してしまいました。 -
写真=神奈川代表・東海大相模です
我が関東勢に入りました(笑)。12回目の出場。準々決勝まで進出しました。 -
写真=西東京代表・早稲田実です
30回目の出場。第1回大会にも出た,名門中の名門です。3回戦で第1回からの皆勤校である島根代表・大社とあたり,惜しくも敗退しました(早稲田実は皆勤じゃない様です)。 -
写真=東東京代表・関東一です
9回目の出場。勝ち進み,決勝進出しましたが,決勝で惜しくも京都国際に敗れました。 -
写真=我が千葉代表・木更津総合です
8回目の出場。残念ながら初戦敗退でした。 -
写真=埼玉代表・花咲徳栄です
8回目の出場。残念ながら初戦敗退でした。
木更津総合と全く同じ説明になってしまいました(笑)。 -
写真=群馬代表・健大高崎です
4回目の出場。春の覇者でしたが,2回戦で敗退してしまいました。 -
写真=栃木代表・石橋です
初出場。いまや貴重な公立校です。3回戦進出でした。 -
写真=茨城代表・霞ヶ浦です
3回目の出場。3回戦進出でした。 -
写真=秋田代表・金足農です
7回目の出場。吉田輝星投手の弟,吉田大輝投手が話題になりましたが,初戦敗退でした。でも最後の粘りが金農らしくてよかったです。 -
写真=岩手代表・花巻東です
12回目の出場。OBの大谷翔平選手は大活躍でしたが,初戦敗退でした。 -
イチオシ
写真=49代表が全て揃いました!
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写真=9時頃,優勝旗返還です
分かりにくすぎですね(苦笑)。慶応の加藤主将です。 -
写真=9:05頃,選手宣誓です
智弁和歌山の辻主将です。が,僕の席からだと大優勝旗に完全に隠れてしまいました(苦笑)。
選手宣誓はいつの頃からか,落ち着いた感じのしゃべりになりましたね。 -
選手退場後,9:15頃開会式が終わりました。
その後,グラウンド整備になります。
写真=9:25頃,グラウンド整備と開幕試合の練習の間です
この時間,西宮市で早くも30℃超えた模様。暑い・・・。 -
甲子園に来たら是非買っておこう,と思っていた「かちわり」。早くも売りに来たので購入します!正式名称は「かちわり氷」なんですね。
1957年に販売が始まり大ヒット。甲子園名物として今にいたります。
写真=かちわり氷です
触っているだけで,冷たくていい感じ。溶けてきたらそのまま飲んだり,水筒に氷をうつしたり。
この暑さだから,すぐ溶けるかと思いきや,1時間半くらいもちました。
夏場は必須だな,と思いましたね。 -
写真=10:05頃,上空にヘリコプターが・・・
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写真=始球式のボールを落とします
う~む,分かりにくい(苦笑)。 -
始球式は,なんと!元祖「怪物」江川卓さんです。
水島新司さんを調べた時も名前出てきたし,妙に縁があります(笑)。
写真=お辞儀をする江川卓さんです(分かりますでしょうか) -
イチオシ
写真=振りかぶる江川卓さんです
みんな写真撮りまくりです!
始球式も無事終了し,いよいよ開幕試合の有田工VS滋賀学園が始まります! -
写真=1回表,滋賀学園が早くも先制点をとります
1回に滋賀学園が3点先取,3回裏に有田工が1点返します。
所で,テレビでは分からなかったですが,ファールボールが観客席に来た時にフエ吹く係がいるんですね。危険を知らせるフエって事でしょう。
「ファールで盛り上がる客席」でした。 -
4回裏,有田工が3点取り逆転します。
昼飯に「甲子園カレー」を買ってきて食べました。何の変哲もなかったので写真は撮りませんでしたが,「甲子園が出来た当時からあったメニュー」だったそうな。100年の歴史があるカレーだったんですねぇ。
100年前は「コーヒー付きで30銭」だったとか(ちなみに今は700円でした)。
写真=5回表の滋賀学園の攻撃です
5回に滋賀学園が1点取り,4-4の同点になります。その後,5回が終わってクーリングタイムに。 -
途中,ゴミを捨てに売店のエリアに行きますが,こちらにも結構人がいました。日陰に避難してる人もいるんでしょうね。この頃,西宮市33℃になってました。
まあでも,この日は風が吹いたり雲が出たりして,すさまじい暑さではなかったと思います。
8回表,滋賀学園が4点取り,再びリードします。
写真=8回裏の攻撃の前,円陣を組む有田工の選手達です -
9回表,滋賀学園が更に2点追加してリードを広げます。9回裏,有田工は2点返して反撃するものの,滋賀学園が10-6で勝ちました。
写真=12:35頃,試合終了で整列する両校の選手たちです -
写真=滋賀学園の校歌が流れます
ちなみにネット情報で「滋賀学園の校歌はディズニーの曲に似てる?」ってのがあり,改めて聴いてみたら「確かに!」と思いました(笑)。
その後,滋賀学園は勝ち進み,準々決勝まで進出しましたが,準々決勝で惜しくも青森山田に敗れました。 -
今回の大会は,自分が観に行ったってのもあり,その後もテレビでいつもより見てた気がします。
個人的に健大高崎の箱山遥人選手,鶴岡東の櫻井椿稀投手が印象に残りました。
優勝校は京都国際でした。
写真=1塁側の出入口から退場しますが,すごい人です -
せっかくなので「甲子園歴史館」に行こうとしますが・・・
写真=歩道橋の所まで大行列!最後尾は更に下に下りた所みたいで
1時間程すると,かなり人が少なくなっていたので入ってみました。
前半は阪神タイガースの優勝,歴史,名選手の紹介など。「じっくり見ると2~3時間はかかるよ」と兄からアドバイス受けてましたが,確かにこりゃそうだ。
企画展コーナーは高校野球の学校のユニフォーム,名勝負ランキングなどあり,人がたまって大渋滞おこしてました。
後半は球場の中に移動。高校野球の貴重なグッズや名勝負の紹介,甲子園を扱ったマンガの紹介,球場の歴史など,結構じっくり見て2時間ほど費やしました。
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所で「甲子園歴史館」からバックスクリーンに入れる「バックスクリーンビュー」ってのがあるのですが,試合ある日は入れないと諦めていました。
しかし今年の開会式の日は午前の部・午後の部に分かれたので,午後の部が始まる前の「15時までバックスクリーンに入れます」って事で「よっしゃ!」となりました。
が,後半の球場エリアに入ってすぐの辺りで「バックスクリーンビュー後15分です」となり「こりゃ諦めるしかないか」と思いました。
しかし!すぐ近くの子供が「先にすっ飛ばして行くしかないんじゃん?」とか話してて「それだ!」と思い直し,数名で展示すっ飛ばして先にバックスクリーンに行きました(笑)。さすが子供!
おかげ様で,バックスクリーンからの眺めを堪能出来ました。
写真=バックスクリーンからのスコアボードですが,試合やってないので真っ黒です -
イチオシ
写真=バックスクリーンから見た甲子園のグラウンドです
今や「甲子園」は高校野球だけではなく,様々な高校生の全国大会に「○○甲子園」と名前が付いてますね。調べてみたら80以上ありました!
「ダンス甲子園」「まんが甲子園」などは聞きますが「検察官甲子園」「豆乳レシピ甲子園」「溶接甲子園」なんてのもある様です。
甲子園のネームバリューはすごいことになってますね。元祖である高校野球は甲子園でずっと続いて欲しいと思います。
甲子園よ永遠なれ!
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