
2024/08/17 - 2024/08/17
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SamShinobuさん
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富士美こと東京富士美術館で「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」を観る。
この展覧会は今年4月から東京都美術館を皮切りに、郡山市立美術館→東京富士美術館→あべのハルカス美術館と年内巡回していく。
アメリカ・ボストンのウスター美術館は印象派の作品を多く所有しており、モネ、ルノワールにくわえアメリカの印象派を代表するハッサムもある。
今回はフランク・ウェストン・ベンソンの「ナタリー」という作品に出会うことができた。
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八王子駅に到着
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純喫茶 田園
まずは腹ごしらえをしよう。
純喫茶 田園は八王子駅北口出てすぐ。60年以上前に創業した純喫茶は、場末感たっぷりの路地裏を抜けると現れた。 -
暗めの階段は昭和へのタイムトンネルのようだ。
そもそも純喫茶の純って何?わざわざ純なんていうからには、不純喫茶があったのかという話だが、それがあったのだ笑。昭和初期にはカフェーと言うと、女給が客の隣に座りお酒を出して接待をする店だった。そんな不純な店と区別するために、お酒を出さず純粋に珈琲を楽しむ店を純喫茶と呼ぶことにしたというのが始まり。その当時のカフェーに行ってみたかったなぁと不純なことを考えながら扉を開ける。 -
メニューを見るとランチセットがある。
ナポリタン、ドリンク、サラダ付で900円。かなりリーズナブルだ。 -
太めの麺にケチャップ多めのThe喫茶店のナポリタン。
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ドリンクはホットコーヒーにした。
還暦過ぎのおじさんには、おしゃれなカフェよりこんな喫茶店のほうが落ち着く。 -
創価大正門東京富士美術館行きのバスに乗る。
八王子駅北口のバスターミナル。
後乗り後払いで350円。約15分で到着。 -
東京富士美術館
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ロビー。ネットで前売り(1,200円)を購入していたので、スマホ画面を見せて入場。
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「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」
第一回印象派展は1874年だったので、今年でちょうど150周年になる。当時パリには、海外からやって来た画家がわんさかいた。印象派に影響を受けた画家たちは自国に帰り、それぞれの国で印象主義を展開していく。 -
税関吏の小屋・荒れた海 1882年
クロード・モネ
日本テレビ放送網株式会社
いきなりぐいっと惹き込まれた。崖に建つ小屋を俯瞰する視点と、広大な海と空の大胆な比率がいい。風浪に反射する一瞬の光を筆触分割で描いていて、実に印象派らしいと魅入ってしまった。可愛い雲も絶対狙ってるな。 -
テラスにて 1874年
ベルト・モリゾ
東京富⼠美術館
フランス芸術アカデミーの古い体質に反発するマネに憧れて、モネ、ルノワール、ドガらは自分たちのスタイルで展覧会を開く。第一回印象派展だ。しかし当のマネはあくまで芸術アカデミーの主催するサロンを主戦場としており、最後まで印象派展には参加しなかった。
また、マネに心酔していた画家は他にもいた。ベルト・モリゾだ。
かなりの美人だったモリゾはマネのモデルを務め、マネが彼女を描いた絵画は11作品も残っている。当初カミーユ・コローの弟子だったモリゾはマネの才能に惚れ込み弟子入りを申し込むが、「わしゃ弟子は取らん」と断られてしまう。しかしその後、マネはあっさりとモリゾより8歳下のエヴァ・ゴンザレスを弟子にしてしまう。豊満で肉感的なエヴァ・ゴンザレスは、ポチャ好きなマネの好みだったらしく、モリゾはこれに嫉妬の炎を燃やすことに。
印象派の画家たちからは慕われていたマネだが、モリゾが印象派展に参加するのは反対していた。しかしモリゾは第一回印象派展に出品し、マネとの決別を決意。それどころかマネの弟との結婚を決めてしまう。それがマネへの当てつけだったのかどうかは分からないが、その後モリゾは優しい夫と娘に恵まれ幸せな人生を送った。それに結婚してから彼女の絵はますます良くなったので、結果オーライだったんじゃないかな。
本作は第三回印象派展(1877年)にモリゾが出品した12点のうちの一つ。画風にまだちょっとマネを引きずっている感じがする。 -
裸の⾚ん坊を抱くレーヌ・ルフェーヴル(⺟と⼦) 1902-03年
メアリー・カサット
ウスター美術館
印象派の女性画家でベルト・モリゾと並んで有名なのがメアリー・カサットだ。フランスに絵の勉強にやってきたアメリカ人の彼女は、ドガの絵を見て衝撃を受ける。口が悪くまず人を褒めないドガも珍しくカサットの絵を気に入り、第四回印象派展に誘った。それからカサットはドガと親友になり絵の道で切磋琢磨していく。
カサットはアメリカの友人にドガやモネの絵を買わせたり、アメリカの蒐集家に印象派を勧めたことで自国ではまだぱっとしなかった印象派は、アメリカから火が付くことになる。印象派の普及に多大な貢献をしたカサット。その証拠に1904年にはアメリカに印象派を伝えた功績に対して、フランス政府より勲章を授与されている。
カサットとドガは、お互い亡くなるまで独身を貫いたが、果たして恋愛感情はなかったのだろうか。少なくともカサットのほうはドガに特別な思いがあったのではないかと推察する。しかし相手はあのドガだ。晩年はあられもない少女のフィギュアをこっそり何体も作っていた変態オタクのドガ。カサットに対しては女としてより同志として見ていたきらいがある。 -
カード遊びをする人々のための習作 1890–1892年
ポール・セザンヌ
ウースター美術館
セザンヌは「カード遊びをする人々」を5点描いているが、その習作は数多く存在する。 -
睡蓮 1908年
クロード・モネ (1840−1926)
ウスター美術館
ウスター美術館は1910年に美術館としては初めて「睡蓮」を購入した。とりあえず買っとけだったのかどうかは分からないが、近年ではオークションで55億円で落札される「睡蓮」を、1910年に買うのは先見の明あり。ただ「うちが睡蓮を最初に買った美術館でーす」とわざわざ言うところはちょっと自慢入ってるゾ笑。 -
なにしろモネは「睡蓮」を200枚以上描いたので、個人蔵も含め世界中にある。似たような作品もあれば、これが睡蓮?といったものまである。特に白内障になり目がよく見えなくなってからの睡蓮はまるで抽象画。でも共通するのはどの絵も水面の神秘的な美しさに思わず引きずりこまれそうになることだ。
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花摘み、 フランス式庭園にて 1888年
チャイルド・ハッサム
ウスター美術館
アメリカの画家ハッサムは、1886年にパリに留学した。そこで印象派の作品を見てもろ影響を受ける。歩道に点在する木漏れ日なんてまさに印象派。 -
ゴルフ・ジュアン 1896年
ポール・シニャック
ウスター美術館
スーラの点描画法を受け継いで後世に広めたシニャックは新印象派の画家。光学色彩理論に基づいて点を連ねることで網膜上で色彩が混合するようにした。でもこれは印象派の筆触分割とは似て非なるもの。点描画法は不自然だし動きもないのであまり好きではないが、それが後の抽象絵画に発展していったことを考えると、それはそれで影響力半端なかったのかも。 -
ナタリー 1917年
フランク・ウェストン・ベンソン
ウスター美術館
このタブローはこの展覧会の掘り出し物だった。フランク・ウェストン・ベンソンという画家は知らなかったが、アメリカに伝わってきた印象派を広めるのに貢献したそうだ。
この「ナタリー」はアメリカ西部のワイオミング州で描かれたとあるが、ワイオミング州と言えば、イーストウッドの「許されざる者」や古くは「シェーン」等、西部劇映画の舞台として有名だ。
ナタリーの女性らしさと西部を生き抜くたくましさの共存が、未来を見つめるような眼差しから想像させられる。背景は青い空だけだが西部の光量と荒野に吹く風が感じられて、まさにウエスタンのワンシーンを観ているような気になった。ウスター美術館所蔵なので、次にいつ観られるか分からないので、今回ナタリーに出会えて本当に良かった。 -
本館ロビーのミュージアムショップ。
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常設展
次は常設展を観よう。 -
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ユピテルとテティス 1807−25年
ドミニク・アングル
フランス芸術アカデミーの重鎮、アングル。
あっ、やっぱ女性の背中が長い!
新古典主義のアングルの特徴は、不自然に長い女性の背中。ルーブル美術館にあるアングルの代表作「グランド・オダリスク」は当時批評家から「背骨が3個多い」と揶揄されたほどだ。正確なデッサンが描けてアカデミーではそれを教える立場にありながら、どうして女性の背中だけ長く描くのか。それはただ単に女性の美しい背中が大好きだったから。「背中好きすぎて長くなっちゃうー」なんて巨匠、可愛いかっ! -
散歩(ガンピー夫人) 1880−1881年
マネ
マネは一度も印象派展には出品しなかったが、モネ、ルノワール、ピサロに慕われアニキ的な存在だった。マネが印象派の父と呼ばれるのはそのためだ。 -
読書する女 1900年頃
ルノワール
この触りたくなる質感がたまらない。 -
嵐の近づく海景 1803-1804年
ウィリアム・ターナー
おおっ!ターナーだ!
印象派展を観た後でターナー作品に出会うとは。
印象派は、第一回印象派展に出品したモネの「印象・日の出」から始まったというのは誰もが周知の事実だが、実はこの「印象・日の出」はイギリスの画家ターナーの「ノラム城・日の出」や「緋色の夕日」の丸パクリだった。これ画像検索してみたらわかるけど、ほぼほぼ同じ絵。
1870年の普仏戦争でモネとピサロは徴兵逃れのためロンドンに10ヶ月近く滞在していた。その間ふたりはこの「ノラム城・日の出」や「緋色の夕日」を見たりして、ターナーを死ぬほど研究している。
そしてその4年後の1874年の第一回印象派展にモネが「印象・日の出」を出した。だいたいモネだってタイトルに「日の出」ってつけちゃってるし。僕が想像するに、「印象・日の出」で大勢に叩かれたモネは「えっ、なんでターナー先生はよくって、丸パクリした僕のはだめなの?」と内心思っていたんじゃないかな。
ターナーの凄いところは、「印象・日の出」の30年以上前に印象主義的な絵を描いており、それどころかもっと時代を先取りして抽象画っぽい絵まで描いている。
イギリスの20ポンド札の顔にもなっているウィリアム・ターナー。実は彼がいなければ、印象派は生まれていなかったのだ。 -
ムーラン・ド・ラ・ギャレット 1920年
ユトリロ
なんかユトリロを観るとほっとする。いつの時代でも人気があるのが分かる気がする。 -
レストランカフェ・セーヌ
ここは緑豊かな美術館のレストランカフェ。 -
ここでしばし休憩。
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ビールを飲もうと思って入ったが、悲しいかなアルコールは置いてなかった。
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仕方がないのでアイスコーヒーを注文し、帰りのバスの時刻まで本日鑑賞したアートのメモを書いていた。
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