2024/07/27 - 2024/07/27
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松本伸雄さん
長尾景春の乱で太田道灌と籠城戦を戦う
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パリオリンピックを見ていたので寝不足気味です
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日産スタジアムそばの、小机駅にバスを停めさせていただき歩きます
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根古谷とは、城主の館やその周辺の屋敷のこと
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立派な竹です
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小机城の築城時期は定かではないが、少なくとも十五世紀には南武蔵の軍事拠点であった
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本丸と二の丸となっていますが、どちらが本丸であったかは定かではありません
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当時の6代将軍足利義教は3代義満の三男で、出家して天台座主となっていたが兄の4代義持、甥の5代義量が相次いで死去したため、4人の後継者候補の中からくじ引きで将軍となった。このためくじ引き将軍と言われた。
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義教に反発し、将軍に取って代わろうとしたのが鎌倉公方の足利持氏である。鎌倉公方は初代足利尊氏の四男基氏の子孫で、本来は室町幕府の関東における代官に過ぎなかったが、代を重ねるごとに幕府と対立するようになった。
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空堀
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空堀を渡る土橋を歩くと西曲輪の虎口へとつながる
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鎌倉公方を補佐していたのが関東管領上杉氏だったが、持氏によって関東管領を辞めさせられた上杉禅秀が、翌年反乱を起こした
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冠木門
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小机城碑
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本丸広場
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かっては、バックネットもあった
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二の丸へ
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大空堀、東曲輪を探索できる
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きれいに、整備されている
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幕府と上杉氏の両方を敵にした持氏は、将軍義教の命を受けた関東管領上杉憲実に討たれた
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小机城の名が文献に登場するのは、長尾景春の乱のときである。これは山内上杉氏の重臣であった長尾氏の家督騒動をめぐる反乱で、景春に味方して挙兵した豊島泰経が、扇谷上杉氏の重臣太田道灌に敗れ、最後に逃げ込んだ先が小机城であった
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豊臣秀吉の小田原平定に際しては、小机城は一戦も交えることなく、開城した
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大空堀を上から
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二の丸広場
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土塁
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櫓台跡
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小机城の敷地内を南北に第三京浜道路が走ります
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土塁
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つなぎ曲輪は東西の曲輪の間にあった南北に細長い小さな曲輪
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藍屋で昼食
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靴を脱いで食べたのでゆったりしました。 おわり
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