2024/06/26 - 2024/06/26
10位(同エリア217件中)
松本伸雄さん
天守を「大櫓」と称した仙台城の支城
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刈田郡白石は代々白石氏が支配していたが、戦国時代には伊達氏の支配下に入った
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天正19年(1591)の奥羽仕置後、この地は蒲生氏郷に与えられ、家臣の蒲生郷成が白石城を築城した。この水路も築城時からあるそうです。
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東口門跡、奥州街道沿いから二の丸へと通じる大手門であった
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二の丸東にあった大手門であったが、廃城後に当信寺の山門として移築された
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左側は野面積み
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右側は岩が削ってきれいに積んである
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井戸屋形
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マンホール。マンホールカードを集めている方も見えました。
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上杉氏の支配を経て、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後にふたたび伊達氏の所領となる。
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大手一ノ門
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大手二ノ門
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伊達政宗は白石城を仙台城の支城とし、重臣片倉景綱を白石城主とした
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門の扉の下部が空いているのは、相手を槍で攻撃するため
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本丸御殿跡
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元和元年(1615)の「元和の一国一城令」以降も、仙台藩では特別に支城である白石城の存続が許された
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関ヶ原の合戦後、片倉小十郎景綱が白石城に入った。本丸には景綱の頌徳碑が建てられている
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1995年,古記録をもとに本丸大櫓(御三階櫓)、大手一ノ御門、二丿御門、土塀が木造で復元された
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兜
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天守から見た大手枡形
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天守三階天井
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階段は急です
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二階にあったコラボキャラクター
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本丸井戸
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井戸を覗く
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1933年より石垣の復元が始まる。石垣の復元で野面積みを採用したのは全国でも初めてである
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裏御門跡
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天守台の石垣の高さは9.3㍍、野面積みです
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明治の横綱大砲(おおづつ)、身長198㌢
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切妻出窓の下は石落とし
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マンホール
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白石城のジオラマ
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この旅行記へのコメント (2)
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- ムーアさん 2025/04/25 09:16:04
- 歴史への情熱が感じられます
- 松本伸雄さん おはようございます<(_ _*)>
この度、私の旅行記にいっぱいの「いいね!」ありがとうございます。
こんな拙い旅行記見つけてくれて感謝です。
松本伸雄さんの旅行記お見受けしますと、お城が中心でびっくりです。
今回白石城行って来ましたが、私とは、目線が全然違うので、さすがと思っております。
案内人のかたもいらしたようですが、その城の歴史や、説明が的確で、とても勉強になりました。
私は、ただのミーハーなだけですので、旅行記も、それなりで・・・
鬼小十郎祭りで、武将隊見てからは、それの追っかけで仙台城にもかなり行きました(笑)
切妻出窓は上からのぞきました(笑)これは、ある映画に夢中になった時、弘前城もそこから入るというはなしでした。お城にはどこにもついているのかなあなんて思ってしまいました。
今回は、本当にありがとうございました。
ムーア
- 松本伸雄さん からの返信 2025/04/26 03:45:11
- ムーアさん
- 旅行記見ていただきありがとうございます
自分一人で行ったのも有りますが、
大体ツアーです。ガイドさんの説明を聴き逃さないようにしています
本にも載っていないお話しが有ります
これからもよろしくお願いいたします
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