2024/03/28 - 2024/03/28
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hijunoさん
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彦根に行きました。
以前から行きたかった国宝の彦根城。
お城の見学の前に井伊直弼が17歳から32歳という若い時期に過ごした埋木舎を見学。
当時の家は解体されて、新たに造られたようですが、庶子という立場で、お城から出て、質素な家での生活を余儀なくされても
武道やお茶、歌、政治への関心などにもエネルギーを注いていたことがよくわかりました。
お庭もとても素敵でした。
井伊直弼というと、安政の大獄のイメージが強く、やがて桜田門で命を落としますが、一個人としてみたときに、
やっと藩主になり、藩政改革にも努め、やがて大老に抜擢され、幕末の転換期の中で生きた人物がまた違う面もあって。
表舞台に立ったのは、ほんの数年。
激動の時代に表舞台に登場し、あっという間に消えていった井伊直弼。
この埋木舎では、自らの運命はこの館で終わるであろうというような諦め、覚悟もあったと思います。
人の運命のようなものを感じる場所でもありました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
孫と一緒に彦根城に来ました。
国宝に指定されている天守のある彦根城、ずっと来てみたかったところです。
駐車場に車を停めて、護国神社があり、 -
すぐにお堀と立派な松が見えてきます。
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こちらの松、「いろは松」といいます。
かつては47本もあったことからこの名前がつけられたそうです。
松の根が地上に出ず、人馬の邪魔にならないような種類の松を高知から
移植したそうです。
よく考えられていますね~。
すごく現実的。たしかに、あの松の根っこは往来の妨げになります。 -
ほんとだ。根っこが地上に出ていません。
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お堀も広いこと!!
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イチオシ
井伊直弼の歌碑がありました。
1860年のお正月、に正装の姿を絵に残し、この歌を残し、井伊家菩提寺の清凉寺に納めたそうです。
自らの運命を悟っていたのでしょうか。。。
二か月後に桜田門外の変が起こります。 -
「あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世にこころをくだきぬるかな」という歌です。
琵琶湖に打ち寄せる波のように、何度も難局に向かい、国のために尽くしてきて、思い残すことはない、、という意味。 -
説明がありました。
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彦根城のマップがあります。
今回は時間がないので、彦根城と井伊直弼の居住していた埋木舎、彦根城の博物館を回ります。
残念だけれど、お庭などは次回に。 -
埋木舎の看板がありました。
井伊直弼が15年も過ごした家が復元されています。 -
お堀の側を歩きます。
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イチオシ
桜の花ももう少し。
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埋木舎の説明板です。
井伊直弼が17歳から32歳までを過ごした藩の公館。
もともとは、1759年に造られ、その後1985年~80年の間に
解体の工事が行われ、当時の屋敷が復元されています。 -
お屋敷まわり。
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イチオシ
すぐ前にはお堀。
水面に映る風景も綺麗でした。 -
お堀が広がります。
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こちらが屋敷門。
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イチオシ
江戸時代の句がありました。
柳、、、井伊直弼は柳が好きだったようで、この句も好きだったようです。
何か腹立たしいことがあっても、柳のように、柔らかく、強くありたいという気持ちだったのでしょうか~。 -
チケットを買って、中に入ります。
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玄関にも資料が展示されていました。
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子孫の方のお写真などなど。
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井伊直弼の時代の着物。
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こちらも井伊直弼の時代に使っていた籠だそうです。
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埋木舎の名前の由来の歌がありました。
17歳から32歳という、若い、エネルギー溢れた時期に15年間、この館で過ごし、自分は、もうここで一生を終えるのだろうなぁ~という、
諦めのような、溜息のような声も聞こえてきそうです。 -
こちらの説明文を読むと、井伊直弼の生い立ち、その後の様子がよくわかります。
11代藩主の井伊直中の14男として1815年に誕生し、嫡子ではなかった井伊直弼は決まりで、お城の外で暮らすことに。
この埋木舎で暮らします。
その後養子縁組の話もありますが、結局養子にはなっていません。
城主の子供というと、恵まれた環境と思いきや、側室の子供となると、また違った環境があり、井伊直弼のように、お城を出て質素な生活を余儀なくされる場合もあったのだと、改めて知りました。 -
彦根藩と井伊家の歴史、菩提寺の説明などもありました。
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お庭を観ながら、中へ。
屋敷の中には入ることはできません。
お庭がとにかく素敵でした~♪♪ -
苔もほどよく。
趣ある屋敷庭園です。 -
屋敷の中には外から見えるように、井伊直弼、井伊家に関してのものが展示されていました。
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美しい調度品など。
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イチオシ
井伊直弼の時代、客人のために使われていた食器など。
現在、館を継いでいる大久保家で保存されているものです。 -
表座敷。
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とても上品なお庭。
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イチオシ
質素な雰囲気ですが、どことなく優雅でもあり。
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お茶室もありました。
茶道も学んでいたことのひとつ。 -
茶室、外から。
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大きな石も切り崩されて。何に使われていたのだろう~
上の方は水をためるようになっていたような、、 -
お庭には小さな祠。
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居間。
こちらで井伊直弼が過ごした場所のようです。
大久保小膳は井伊直弼の側役人。直弼を補佐した人物ですが、
江戸や彦根を往復したり、京都へも。
井伊直弼の死後は子供の養育を行い、井伊家を守るために働き、
その後は井伊家からこの屋敷を受け継ます。 -
歌にも精進していた直弼。
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自然を愛していた人だったのですねぇ~。
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多くの歌を残しています。
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正室は松平信豪の娘の昌子さんですが、このお人形の二人は、側室の豊和と志津さん?
志津さんの使っていた箪笥や政策した挿絵もありました。 -
座禅の間。
多くの部屋があったようです。 -
お屋敷まわりの植物も調和がありました。
ゆきのしたかな、、、、まわりの葉っぱ。 -
花の生涯、、見てみたいです。
ビデオにあるかな、、。
本も読んでみたい。 -
脱衣室や浴室もちらりと見えます。
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裏の門あたりにも小さな祠。
子供の出産のときに、小さな祠を造って祈っていたそうですが、こちらでしょうか? -
根を張った樹々と苔むした庭、、
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静かで時が止まったようにも感じます。
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井伊直弼の歴史に触れて、彦根城に入っていきます。
次回に続きます。
最後までお読みいただいて、ありがとうございます。^^
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この旅行記へのコメント (2)
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- sukecoさん 2024/04/03 15:24:20
- 埋木舎
- Reiseさん、こんにちは!
井伊直弼が15年間過ごした埋木舎。
名前の由来の歌が、ホント、もうここで一生を終えるのだろうなぁ~という諦めの声が聞こえてきそう。。。
質素の中に優美さがある庭を見ながら、心を落ち着かせたりしていたのでしょうか?!。
そんな想像しながらの見学、妄想がどんどん広がっていきそう~。
滋賀県もいまだ未踏の地♪。
とても興味深々です。
次は彦根城かな?!。
楽しみにしています。
sukeco
- hijunoさん からの返信 2024/04/03 21:10:44
- いつもお便りありがとうございます。
- sucekoさん
こんばんは!
実は、井伊直弼というと、そんなに良いイメージの人物ではありませんでした。
安政の大獄で、多くの志士たちが処罰を受け、それは井伊直弼との結び付きからなんですが、、、
今回、井伊直弼の苦労の半生も知り、また、その後時代に翻弄されて、彼もまた難しい時期の犠牲者だったのかな、、とも思いました。
人って一面だけじゃわからないもんですよね〜。
こんなおばあになってからもまだまだ、わからないことが多すぎます。
そうなんです、お城から出て、15年、しかも若さいっぱいの時期に隠居のような生活をよく耐えていたなぁ〜とおもいます。
ここで、埋もれてしまうのだ、、という諦めの寂しい思いを感じます。
それを払しょくするためなのか、茶道や歌、禅、焼き物などの趣味の世界に没頭していったのでしょうか、、
やっと藩主になり、その次は国の一大事に奔走して、あっという間に表舞台からも
消えていった井伊直弼、、ちょっと切ない気持ちになりました。
滋賀、良いところですよ〜。
是非是非、お勧めです。^^
自然もあり、琵琶湖も美しく、歴史の史跡も多いです。
美術館なども素敵ですよ〜。
食べ物も。
久し振りにサラダパンを食べたくなっています。
(こっぺパンの間にタクアンがマヨネーズであえたものが挟んであります)
癖になるお味です。
今も食べたくなってきました。笑
>
> sukeco
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