2024/03/20 - 2024/03/24
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wethurlさん
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①に続き、翌日は中城城跡から勝連城跡を探索、海中道路を経て浜比嘉島へ。やっと探し当てた竜宮神で東の彼方に思いをはせる。アマミチューのお墓やシルミチュー霊場で礼し、宮城島の入口の漁港の食堂に入る。島の一本道から浜に向かい未舗装に入りかけるが、引き返し果報バンタの絶景を堪能。高速で宿のある南部に戻り、渋い玉城城跡、そして歩いて垣花城跡と垣花樋川を下りる。ここは筆舌に尽くせない憩いと清めの雰囲気、もう一度伺いたい場所になった。2日間好天と幸運に恵まれ、琉球の自然信仰や王国の歴史を今までになく真摯に体験することができた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝8時に宿を出て、初めての道を安全運転で走らせたら、9時に中城城へ到着。まだ人も少なく、一昔前の感が残る入口雰囲気に好感を持つ。
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カンジャーガマから正門、そして1‐3の郭へと、順路がわかりやすい。これは南方向の絶景。
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標高160mほどの丘陵にあり、非常によく遺構が残っている場所とのこと。これは西南方向。
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武具を作っていたらしい鍛冶屋後が残されている
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西に東シナ海、東に中城湾をのぞめる山城
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正門へと昇る。石灰岩の切り石が見事だ。
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南の郭だ
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聖地久高島への拝み所もある。
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深く礼する
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城内にはこうした御嶽が8つある
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一の郭へ
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修復作業中である
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アーチが見事だ
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城壁の上を歩けるようになっている
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14世紀後半に按司が数世代にわたり築城し、15世紀読谷から来た護佐丸によって増築された
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最も広いここには正殿の後
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この曲線が芸術的で、ついなでたくなった
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御嶽である、感謝の意を込める
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2の郭へ
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石積技法は素晴らしいの一言だ
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こちらも拝所
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イチオシ
門のアーチから望む青空がきれい
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イチオシ
曲線が美しい
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3の郭へ、感動する
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逆側を振り返る、本当にきれいだ
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大井戸(うふがー)へ続く坂
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三の郭を望む、新しい工法で、あいかたつみというらしい(亀甲乱れ積み)
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井戸を取り囲んで増築したと
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裏門、ペリーがエジプト様式と評したらしい
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イチオシ
見事。ちなみに護佐丸は第一尚氏王統の功臣。1440年尚忠(第3代国王)命で中城城に居城を移した。1454年、内乱「志魯・布里の乱」で尚布里が失脚、尚泰久が第6代国王として首里に入るが、護佐丸の娘を正室としていた。一方長女百度踏揚を勝連城の阿麻和利に降嫁させ、姻戚関係を後ろ盾に失墜した王権の復興を図った。1458年8月、阿麻和利に対抗するため護佐丸が兵馬を整えたが、阿麻和利が護佐丸に謀反の動きがあると王府に讒言。尚泰久王が阿麻和利を総大将に任じ中城城を包囲、王府軍と聞いた護佐丸は反撃せず、妻子とともに自害した。
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世界遺産!ここはお気に入りの場所になった。
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一気に勝連城へ。上に出た あわまり の城だ
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先の城跡に比べ、駐車場に真新しい博物展示館も完備され(あまわりぱーく)、スタッフも若々しく、近代化されている。
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途中までカートで運んでくれるようだが、小学は歩いた。パンフもぽっぷだ。
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12‐13世紀に築城されたらしい最古のグスクの一つ。先史時代の後期、古代人が住居していたところに、勝連按司(英祖王系である大成王の子供)が城主、10代目のあまわりが民衆に慕われ、政治力や武力を付けた。琉球国王が娘をめとらせるほど(逆賊か?、ヒーローか?)
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旧暦元旦に作物の出来を占う
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ミートガー、縁結びの井戸。それにしても井戸(ガー)、すなわち水は貴重だ。
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雰囲気がすごい
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曲輪を望む。やはり曲線が美しい。
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オフィシャルホームページより抜粋「城跡の崖下から貝塚が発見され、先史時代後期末から古代人の生活地として利用され、13世紀前後より城塞としての体裁を整えたと考えられる。城跡内からは中国の陶磁器が大量に見つかり、東南アジアの陶磁器類、朝鮮の陶磁器、大和系の瓦、熱帯に住むオウムの骨や中国の貨銭が見つかっている。城主が他国と交易を行い、拠点として壮大な力をもち栄えていた」
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阿麻和利は、勝連城の茂知附按司に召し抱えられる。茂知附按司は圧政を敷き酒に溺れた。人々の信頼の厚い阿麻和利が彼を倒し、若くして10代目の按司となった。
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神人と呼ばれる女性祭司を中心に行われる、王国時代から続く「ウマチー」という年中行事の拝所
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かみんちゅたちが腰掛けたと言われる石列(トゥヌムゥトゥ)
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正面約17m、奥行き約14.5mほどの比較的大きな舎殿跡、等間隔に柱が並び、礎石もある社殿であったと推定されている
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世界遺産登録されたグスクの中では最も築城年代が古いとされている。
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「ウミチムン」とは「三個のかまど石」を意味する言葉で、琉球古来の火の神が祀られている
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南部に多く見られる自然洞穴ガマ。「ウシヌジ」には「身を隠し、凌しのぐ」という意味があり、「身に危険が及んだ時に逃げ込む場所であった」らしいウシヌジガマ
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二の曲輪くるわ
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上るにつれて階段幅が徐々に狭まる構造、石積みに沿わせた道から敵の横腹を突いて撃退する仕組などあり
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玉ノミウヂ御嶽。一の曲輪くるわのほぼ中央にある、勝連を守護する大きな霊石をご神体とする。村の繁栄が祈願された。
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深く礼する
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一の曲輪
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かつて一の曲輪には、宝物殿のような建物があったと考えられている
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妻である百十踏揚は阿麻和利の計略を知り、付き人の大城賢勇と首里に逃げる。阿麻和利は大城率いる首里軍に敗れ、百十踏揚は大城賢勇に嫁ぐ。大城も王府の内乱で亡くなり、百十踏揚は玉城でひっそりと余生を送ったと言われている。
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歴史を知ると、より体験が深まる
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城内の「浜川ガー」は、7代目城主濱川按司の女、真鍋樽が身の丈の1つ半の長さもある長髪を洗髪したと伝わる
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さあ、また聖なる島に向かう
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「バマヒジャシマ」とも呼ばれ、『ペリー提督沖繩訪問記』には「Kama (カマ)」、『琉球覚書』に「Pama (パマ)」と記載されているらしい
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琉球開闢の祖である女神のアマミク(あまみキョ)の墓とされる
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その他の神々を祀ったとされる岩礁や洞穴があり、「アマミチュー洞窟」と呼ばれ、無病息災と子孫繁栄を願う拝所になっている
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堤防の先に、モズクを売っていた
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こうした奇岩が多い
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イチオシ
浜比嘉大橋を望む
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イチオシ
この右側に祠がある
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どうもシルミチューもまつられているようだ
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階段の上にお墓がある
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深く礼をする
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これは洞穴の右側にある石板
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こちらも何かの聖地のようだ
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このあと比嘉グスクを目指したが、あまりの登りに挫折しました
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そのまま道をリゾートホテル入口の行き止まりで止め、左側の堤防に沿って歩く。
右が原生林となっており、先端まで行くと釣り人がいるが、再び引き返し林の小道を見つけ、中に入る。少しガサゴソして怖いが、抜けたらだれもいない海に出た。マップではここに竜宮があると。たしかに岩が竜のよう。 -
岩の上にけもの道があり、のぼっていくと、見つけました!竜宮神の拝所です。
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太平洋を望む、開けた絶景です
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イチオシ
辰年に琉球で竜宮を拝む、心を込めて感謝
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さて、島のほそーい道を気を付けてすれ違い、なんとか南端のシルミチュー公園につく
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しばし林の整備された中を歩くと、鳥居があり、左側には「この奥の土地売ります」の看板、しまっている奇麗そうなカフェ、右は何やら観光業者の展望台や「この先進むには、、」切符売り場と、アジアンチック
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これが、アマミキヨ、シネリキヨが住み子供をもうけたという場所に続く参道。
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シルミチュー霊場にいたる参道は、なかなかに雰囲気がある
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洞窟の中には鍾乳石があり、子宝の授かる霊石。年頭拝みには比嘉集落のノロが海浜から小石を拾って来て洞穴内に置いてある壷に入れ、子孫繁栄と無病息災を祈る
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深く礼をする
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これは公園から山側をみる
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さて、島の入口に車で戻り、右折方向の勝連浜漁港付近の駐車場に止める。
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シヌグ祭とは、沖縄本島を中心とした周辺の島々で豊年祈願の年中行事
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ここはすごい感じのスポットで、ガジュマロの木々が独特の異形を醸し出していた
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イチオシ
写真ではこの大きさが伝わりにくい
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シヌグ堂(東の御嶽)である
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その上にも何か続いていたが、、
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イチオシ
いやー、根か枝かわからないすごさ
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さて、橋を渡って宮城島方面へ行く途中の平安座漁港のレストランへよる
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実は島の一本道をのぼり、ウクノ浜に出ようと農道に入ったが、未舗装で不安になりやめた
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観光客であふれる塩工場と果報バンタにきました
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奇麗に整備されています
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私有地なのでしょうか?
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あの建物がぬちまーす観光塩工場です
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いくつか後で新しく作った感じのこうした拝所があります
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ここは絶景です、サンゴの海が美しいエメラルド
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今時持参したデジカメはいまいちで、携帯のほうがきれいに映るようでした、なさけない
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かなり各国の人々でにぎわっていた
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絶景で、この島は本当に手つかずのようです
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イチオシ
こちらが携帯カメラです
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遊歩道にある拝み所
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三天御嶽とあった
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一気に南部に戻りました。一応説明しますと、海中道路を帰路につき、うるま市をぬけて北インターへ、そこから南風原南ICへ。48号線で玉城跡へ。カップル1組以外、誰もいませんでした
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広い場所が広がっています
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いたち?がいます
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こうした階段を上ります。築城年代は不明だが石垣の積み方から約600年前のものと推定される。
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途中御嶽があります
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イチオシ
これが有名なハート形の入り口です。「東御廻い(あがりうまーい)」の聖地。自然石をくりぬいた勾玉の穴に似た城門、とのこと
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北側の海が見えます
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おそらく拝み所でしょう
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アマミキヨが築き、その子孫の天孫氏が城主であった。その後、英祖王統4代目の玉城王が王子時代に居城したが、後に弟を玉城按司として城を守らせ、修築拡大を行った。
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現在残っているのは主郭跡の城壁、石敷などの遺構のみ
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これは宿の近くにある垣花グスクあと
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深い緑に囲まれた城らしい
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あるいて垣花樋川に向かう
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かなり歩きにくい石畳の下り坂、しかしだんだん期待が膨らむ
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途中こうした休石がある
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左右は原生林、おそらく止まっている宿の裏と続いている
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ここはとても神秘的で静かで安らぐ場所
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山の奥から水がしみ沸いている
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きちんと管理されているが、自然に溶け込んでいる
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流れ落ちた下に、湧き水のたまり池があり、澄んでいる
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こうした拝み所のような風情である、女性と男性が分かれた場所で休んだり、清めたり、あらったりしたという
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最後はこれまた歩いていける、集落にある新しいインド料理屋さん
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かなり本格的なインドカレーとナンでした。
今回は晴天に恵まれ、よき自然と神々に迎えられ、心穏やかに旅することができました。
感謝の念を島々に送ります。
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