2024/02/27 - 2024/03/05
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kotetsupatapataさん
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数多の旅行記の中からご覧いただき誠にありがとうございます(^^)/
フィリピンの旅も終盤戦 楽しかったコルディエーラ棚田群を後にし、首都マニラに着きました。
バナウェからくると隔世の感を禁じ得ないですね。 あまり観光名所の無いマニラですが、1日かけて散策しました
=行程= ★印が今回の旅行記
☆2/27(火) 信州→セントレア→マニラ GK95便
☆2/28(水) マニラ→ラワグ→パオアイ教会→ビガン 泊)ビガン
☆2/29(木) ビガン→バギオ→バナウェ 夜行バス
☆3/1(金) バナウェ→サガダ→バナウェ 泊)バナウェ
☆3/2(土) バナウェ→バダット村トレッキング 泊)バダット村
☆3/3(日) ハパオ村ライステラス散策→マニラ 夜行バス
★3/4(月) マニラ市内観光 泊)マニラ
★3/5(火) マニラ→セントレア 5J5038便 信州へ
- 旅行の満足度
- 4.0
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その③より続く https://4travel.jp/travelogue/11890025
フィリピン7日目 3月4日(月)
バナウェからのバスはスケジュール通り3:30に到着 案の定一睡もできませんでした(-_-)zzz もう50過ぎのオッサンには夜行バスはえらいのです、、
しばらく近くのマクドナルドで時間を潰した後、近くの駅から今日泊まる予定のホテルへ荷物預かってもらうため向かいます。 -
駅に入るのにまず手荷物検査、終わってチケット買うのに並びます
電車乗るのに一苦労(*´Д`)
EDSA駅まで25ペソ(約65円) 安っ! -
まだ朝5時過ぎなのに超満員でした。 昨日までいたバナウェやバタッド村からマニラに来ると隔世の感がします
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EDSA駅で降り今日泊まる「RedDoorz @ Hotel Rosemarie」に向かいます。
フロントで今日泊まる旨伝え大きい荷物を預かってもらいたい事を言うと、「長い時間預かるからお金を払え500ペソ(約1,300円)だ」と言われました
はあ? 国内外色々な宿に泊まりましたが、そんな事いわれたのは初めてでした<`~´> どうしようかこのままこの暑い中バックパック背負って観光するかどうか迷い、ダメ元で再度フロントに恐る恐る預かってもらえないか尋ねてみると、先ほどと違う係員は「いいよ~ 何時くらいにチェックインする?」と快諾
えっ? さっきのやり取りは何だったの? 気が変わらないうちにバックパックを預けて身軽になって出発 -
いわゆる観光名所の少ないマニラ市なので、1日もあれば十分見て回れそうです。
まずはリサール公園へ向かいます。
最寄りのU.N.Avenue駅からひっきりなしにトライシクルやガイドの客引きの声掛けがウザかったですリサール公園 広場・公園
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ロハス大通りの北端にあるリサール公園にある記念碑です。
革命の父ホセ・リサールがスペイン軍の命令でフィリピン軍によって処刑された場所を追悼する目的で建設されたものです。
高さ15mの記念碑は遠くからでも目に付き、献花も数多く飾られている。周りには衛兵もおり荘厳な雰囲気である。
記念碑の下にリサールが埋葬されています。ホセ リサール記念像 モニュメント・記念碑
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フィリピン独立の父として現在も国民の敬愛を集めているホセ・リサール
ホセ・リサールは1880年代から独立を主張する文筆活動に入り、1892年にまず穏健な社会改革を目ざすフィリピン民族同盟を組織し、幅広い平和的な社会運動を指導しようとしました。しかしスペインの総督はリサールを危険人物としてただちに逮捕しました。
リサールの同志であったボニファシオはより戦闘的な「カティプーナン」を組織、1896年8月に武装闘争を開始。それがフィリピン革命の始まりです。
それに対してスペインは激しい弾圧を加え、リサールを指導者として1896年12月30日に殺害した。リサール公園 広場・公園
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このように銃殺したようです(享年35) その後アメリカの後ろ盾を得てスペインから独立したフィリピンでしたが、今度はアメリカによって支配されます。 更に第二次世界大戦中は日本に侵略され、真に独立を果たしたのは戦後の事です。
リサール公園 広場・公園
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公園には中国庭園や
リサール公園 広場・公園
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なんちゃって日本庭園も
リサール公園 広場・公園
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リサール公園と近代的なマニラの高層ビル群
リサール公園 広場・公園
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1571年、スペイン人がフィリピン統治のために建てたマニラ最古の旧城壁都市。イントラムロスはスペイン語で“壁の内側”という意味。イントラムロスは、高い壁と塀で囲まれており、内側に多くの教会、修道院、官公庁、貴族の邸宅などが作られました。
市内のロマネスク風建築は太平洋戦争末期にほとんど破壊されてしまいましたイントラムロス 旧市街・古い町並み
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趣のある建物が並んでいます
イントラムロス 旧市街・古い町並み
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イントラムロス内のスターバックス
イントラムロス 旧市街・古い町並み
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ほどなく重厚な教会が見えてきました
こちらが「サン・アグスチン教会」です フィリピンの世界遺産であるバロック様式教会群の1つにも数えられています。サンアグスチン教会 (マニラ) 寺院・教会
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サン・アグスティン教会は1571年に建てられたとても歴史のある教会です。
当時のフィリピンはスペインによって統治をされていた時代でこのサン・アグスティン教会もスペインによって建てられました。
現在の石造りの「サン・アグスチン教会(San Agustin Church)」は3度目の改築で、1606年に建て替わったもの(1587年着工)。中央の祭壇を際立たせる装飾、美しいアーチ型は伝統的なバロック様式を取り入れています。地震や台風の多いフィリピンではヨーロッパのバロック建築をそのまま真似することは難しく、あえて屋根を低くする「地震のバロック」という独自の建築技を生かしているそうです。サンアグスチン教会 (マニラ) 寺院・教会
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荘厳な内部
サンアグスチン教会 (マニラ) 寺院・教会
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イントラムロス
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これまた重厚な教会が目に飛び込んできました
こちらがマニラ大聖堂ですマニラ大聖堂 寺院・教会
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マニラ大聖堂は正式にはマニラ大聖堂-バシリカ・メノール・デ・ラ・インマキュラーダ・コンセプシオン(Manila Cathedral-Basilica of the Immaculate Conception)といいます。
イントラムロス地区に位置するマニラ大聖堂は、1571年にスペイン人によって最初の木造の教会が建設された時にさかのぼります。その後、その後、火災、地震、戦争などで崩壊したため、創設時と同じ窓や石彫りを使って、1958年に再建された建物です。マニラ大聖堂 寺院・教会
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ステンドグラスが美しかった内部
マニラ大聖堂 寺院・教会
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モニュメント
マニラ大聖堂 寺院・教会
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マニラ大聖堂横の建物
政府機関の庁舎みたいです -
★サンチャゴ要塞★
イントラムロスの北の端 サンチャゴ要塞に着きました
ここは有料75ペソですサンチャゴ要塞 建造物
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★サンチャゴ要塞★
スペイン植民地時代の1590年代に建設が始まり、1593年に完成しました。マニラの防衛のために建設された要塞は、フィリピンの歴史の中で重要な軍事拠点として機能してきました。サンチャゴ要塞は、スペインだけでなく、アメリカ、そして日本による統治の時期において、重要な役割を果たしてきました。長い歴史の中で処刑場として利用されていたという血なまぐさい時代もあります。
また、この要塞は多くの戦いの舞台にもなりました。1898年のアメリカとスペインの間で起こった米西戦争そして、第二次世界大戦中の日本軍による占領時には、激しい戦闘が行われました。サンチャゴ要塞 建造物
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★サンチャゴ要塞★
太平洋戦争の遙か前、スペイン植民地時代にはここには劇場もあったようです。サンチャゴ要塞 建造物
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★サンチャゴ要塞★
ここは地下牢の入り口
第二次世界大戦時、日本軍はフィリピン人をこの牢屋に閉じ込め、満潮時に彼らを水死させた場所です。サンチャゴ要塞 建造物
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★サンチャゴ要塞★
思わず目を背けたくなるような、残虐な行為を行った写真や光景が展示してあります。
今は比較的友好的な日本とフィリピンですが、80年ほど前は日本はこの国を占領し罪の無い市民を虐殺した事実はしっかりと胸に刻まないといけませんサンチャゴ要塞 建造物
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★サンチャゴ要塞★
サンチャゴ要塞 建造物
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★サンチャゴ要塞★
ここも牢屋として使用されたのでしょうサンチャゴ要塞 建造物
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★サンチャゴ要塞★
サンチャゴ要塞 建造物
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★サンチャゴ要塞★
城壁サンチャゴ要塞 建造物
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★サンチャゴ要塞★
ここはフィリピンの国民的英雄、ホセ・リサールが囚われの身になっていた場所でもあります。
処刑当日に彼が処刑場に向かったときの足跡が残っています。サンチャゴ要塞 建造物
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サンチャゴ要塞から川向うの光景
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イントラムロスからパッシグ川を渡りチャイナタウンに入りました
チャイナタウン 散歩・街歩き
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チャイナタウンとは言っても看板に漢字が表示されるようになったくらいで、街ゆく人はさほどわ変わらず
チャイナタウン 散歩・街歩き
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ビノンド教会
スペイン統治時代にキリスト教に改宗した中国人のために、1596年にドミニコ会の司祭によって建てられました。
中国人の父とフィリピン人の母の元に生まれた聖ロレンソ・ルイスが守護聖人。グレーを基調とした外観の中に、縁起の良い赤色がアクセントとして取り入れられ、また内装も淡い赤を基調としているところに、中華文化の影響が感じられます。ビノンド教会 寺院・教会
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メインのオンピン通りをそぞろ歩き
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このゴミゴミとした雰囲気好き
チャイナタウン 散歩・街歩き
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チャイナタウンの風景
チャイナタウン 散歩・街歩き
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折角のチャイナタウンですからお昼ご飯は中華にします
どこもかしこも行列でしたが、比較的空いていたこちらの店に入りました -
多分店の看板メニューであろう「蘭州牛肉拉麺」を注文
麺 210ペソ ビール 75ペソ
こってりしたフィリピン料理が続いたのでホッとする味わい -
キアポ教会まで歩いてきました
1582年建立の由緒あるキアポ教会は、聖堂にブラックナザレと呼ばれる等身大の黒いキリスト像が祀られていることで知られています。
ブラックナザレには人々を癒す奇跡の力があると信じられているため、フィリピン全土から多くのカトリック教徒が集まり祈りを捧げる聖地となっています。特に毎週金曜日はの礼拝には多くの信者が集まり講演を聞き黙想を行い社会福祉活動を行います。
建物は設立当初はニッパ椰子と竹で造られていましたが、400年以上の長い歴史の中で地震や火災によって複数回に渡って損害を受け、1933年に石造りの現在の姿に再建されました。キアポ教会 寺院・教会
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キアポ教会周辺に広がる市場
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露店が広がっています とにかく凄い人なのでスリには気を付けましょう
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フィリピンの駄菓子屋さん
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ドラゴンフルーツジュース
50ペソでした これ美味しかった~(^。^)y-.。o○ -
キンタ・マーケット
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フィリピン庶民の足"ジープニー"です。 行先が表示されていますが、料金はいくらなのか?どうやって降りるのか?初心者には難しい乗り物です。
キアポ教会の前からホテルの近くであるBaclaranと表示してあったジープニーに乗りました。 -
ジープニーの内部
料金はバケツリレーの如く乗客が手渡しでドライバーに渡していきます。
急な割り込みやクラクションは日常茶飯事
ドキドキのアトラクションでした
Googlemap見ながらEDSA駅近くで降りました -
チェックイン開始の14:00にホテルに戻りました
翌日のフライトが早い時間でしたので、空港からも遠くないパサイ地区で選びました。 駅からも近いですし大通りに面しているので探しやすかったです。
「RedDoorz @ Hotel Rosemarie」
1泊960ペソ(約2,500円) -
3畳ほどのシングルルーム 本当に寝るだけの設備です
そして防音の概念が無いのか、外の騒音が丸聞こえ
ほとんど寝られず でも久しぶりにホットシャワーでした -
午後少し部屋で休んだ後Mall of Asiaへ行きました
SM モール オブ アジア ショッピングセンター
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まあショッピングには興味が無いので、涼みに来ただけです
SM モール オブ アジア ショッピングセンター
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フィリピン最後の夜 ようやく噂の「Mang INASAL」で夕食をとることに
マンイナサルはフィリピンのバーベキュー料理「イナサル」をメインにしたファストフード店。2003年の創業から瞬く間に店舗数を増やし、現在はフィリピン全土に450店舗以上を展開しています。
名物は、自家製ダレに漬け込んだ鶏肉をじっくり焼いた「チキンイナサル」です。マングイナサル ファーストフード
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店内では懸命に鶏肉を焼いています
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平日午後なのに店内は大賑わい
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レギュラーサイズのチキンイナサルとハロハロを頼みました
とてもチェーン店の味とは思えないこの炭火焼のクオリティ(^。^)y-.。o○
これは是非日本でも展開してもらいたい! -
フィリピン最終日 3月7日(火)
ほとんど寝れませんでしたが、朝4時30分に起きました。
ホテル前からタクシーで空港へ向かいます Grabだと268ペソ(約700円)と表示されてましたが、タクシーで120ペソ(約300円)ほどで済みました。ニノイ アキノ国際空港 (MNL) 空港
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機内持ち込み手荷物7kgに抑えるがために、既にダウンジャケットを着こみ、重たいものはポケットの中に入れ万全の体制でチェックインに挑みましたが、ノーチェックでいとも簡単にチェックイン完了
まあいいんですけどニノイ アキノ国際空港 (MNL) 空港
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最後の〆もやはりジョリビー
日本にも進出してくれないかな~ジョリビー (ニノイ アキノ国際空港店) ファーストフード
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楽しかったフィリピンともお別れです
ニノイ アキノ国際空港 (MNL) 空港
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少し時間があるのでラウンジで一休み
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往路4時間半遅れのトラウマがあってドキドキしましたが、オンタイムのようでホッとしました
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フィリピン雑感
=良かった点=
・英語が通じる 表示がアルファベットだから分かり易い 今までタイとかばかりだったし…
・人々が総じて親切で明るい 幾度も困った時は助けてくれました。時折ボッタクリがいるくらいで、特段命の危険を感じる事は無かったです
・チキンが美味い 結局チキンばかり食べてたからかな~
・歴史的建造物や景色 -
フィリピン雑感
=ちょっとだけ気になった点=
・交通網や道路網が脆弱な為移動が辛い 高速道路が整備されてるのはマニラ近郊のみ
・食事の量が多く、濃い味付けで油っぽい 年寄りにはちょっとキツイかな(^_^;)
・地方のトイレ 結構東南アジアを色々と旅してますが、あのトイレは勇気がいる。 男で良かった 何せ便座無いし
あくまで1週間ほど旅した者の個人的な感想です。 -
マニラ上空
こうしてみると高いビルも聳えたってて、流石は1千万の人口を抱える大都会 -
当初12:20に到着する予定でしたが、25分ほど遅れてセントレアに到着
どうしても13:17発の特急に乗らないといけないので焦りまくり( `ー´)ノ
又しても人を押しのけるように空港内をダッシュ!
入国審査を終え税関を出たのは13:00丁度 しかもここは第2ターミナル 駅まではまだ遠い -
何とか出発5分前に駅に到着 何せこの特急に乗らないと、名古屋から松本行14:10発の高速バスに間に合わないのです。
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時間があれば台湾ラーメンでもと思ったのでしたが勿論そんな時間も無く、駅内のコンビニでビールとおむすび購入して一息つきました
最後の最後までドタバタした旅でした 反省・・ -
恵那山トンネルを抜けた途端に雪模様 終点の松本市は南岸低気圧の影響でボタ雪が降ってました
この後さらに長野市までバスを乗り継ぎます。
初めてのフィリピン旅でしたが、何で今まで行かなかったんだろうと不思議に思うほど楽しめました。 英語も通じますし、人々も総じて親切で明るいキャラクターに何度も助けられました。 移動が辛かったのが難点でしたが、また違うフィリピンの景色を見に行きたいものです。
そのためにも又明日から馬車馬の如く働かないとね(*^^)v
尚この後中央自動車道は飯田山本~中津川間が雪の為通行止めとなり、1本後の便は運休となってました
危なかった~
=了=
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