2024/03/01 - 2024/03/01
92位(同エリア624件中)
白熊爺さん
本日は御茶ノ水にやって参りました。
先日、御茶ノ水の某病院で受けた生検の結果発表を聞きに来たというわけです。
なんだか、、
いや~~な予感がするので気が進みませんが仕方ないですね。
病院の後はまっすぐ家に帰るつもりでしたが、、、
急遽、御茶ノ水でお散歩することにしました。
しんみりしながら御茶ノ水散歩のはじまりはじまり~~
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2024年3月1日(水) 晴
【3月1日の歩行数 11293歩】
本日は御茶ノ水駅にやってまいりました。
本日は御茶ノ水の某病院で先日受けた生検の結果発表を聞きにきました。
なんとな~く嫌~な予感がず~~っとしています。
今日はここに来るまで何度も引き返したくなるような激しい衝動にかられました。
普通の人よりも人類から遠い感性の私なので、人一倍、動物的な本能がまま働くことがあるのです。
今回のこの感じは私の中の動物的な本能が危機回避でそうさせるのかな? -
病院の用事は済みました。
動物的本能の悪い予感ほどよく当たるものです、、、
まぁ、、、
それはさておき、、
当初はこのまま真っ直ぐ家に帰るつもりでしたが、、、
とてもそんな気にもならないので、、、
病院からの帰り道に近辺をお散歩をすることにしました。
しばらく歩いていると目の前には聖橋(ひじりばし)の美しいアーチが見えます。 -
ここを上ってみます。
今日は急に思い立ってのお散歩なのでスマホでの撮影です。
スマホといってもiPhone じゃなくて楽天オリジナル製品なので画像がそこそこなのがご愛嬌w -
ここは聖橋(ひじりばし)の上にあたります
-
聖橋の上から見た東京医科歯科大学。
建物がぎっしり立ってますねー。
2024年(令和6年)10月1日に東京医科歯科大学と東京工業大学が統合し東京科学大学が設立されるようです。
世の中目まぐるしくてついていけませんね。
この大学以外にも御茶ノ水界隈はデカイ大学病院がたくさんありますねー。 -
聖橋を渡ると本郷通りの向こうに御茶ノ水ソラシティがそびえ立っています。
以前はここに日立製作所のデカイ本社ビルがありましたねー。
その昔は大きな体育館があったような気がします。
知らんけどw(←うろ覚えw) -
本郷通りの緩やかな坂を下っていくとその先にエキゾチックな建物が見えてきます。
そこを右に曲がっていきます。 -
日本ハリストス正教会教團 東京復活大聖堂に到着。
ここには久しぶりに来ました。 -
解説
原設計がロシアのミハイル・シチュールポフさん。
実施設計が日本人にはおなじみのジョサイア・コンドルさんですね。
原設計の元図はすでに失われていて実施設計図も断片が残されているのみなので、
両者の間にどれほどの差異があったのかは今となっては分からないようです。
1884年に着工し1891年に竣工したそうです。
でもこの時の聖堂は1923年の関東大震災で焼失してしまったようです。 -
では入りましょう。
ゲートの文字がロシアムードを高めてくれます。
слава в вышних Богу
スラヴァ ヴ ヴィシュヴィシュニク ボグウ、、、、
(←これであってる?)
で良いのかな?
自信ないけど(←丸投げw)
多分だけどロシア語で「天の神様、万歳!」みたいな感じなのかな??
知らんけど(←丸投げw) -
ゲートをくぐり中に入ります。
こうして見るとまるで異国に来たようです。
思わずカメラを構えていたら、、、
オバさん二人が構わずズカズカと写り込んでくるという、、、、
ったく、、もう、、、 -
背後のビル群は割と最近できたのですが、
私の中では青空にそびえ立っているように見えてたこの聖堂のイメージがまだありますね。
函館にも似たような教会がありますよね。
たしかガンガン寺って呼んでいましたっけw -
昔は今ほど海外旅行が身近では無かったので、こういうところに来て遠い異国に思いを馳せるというのが楽しかったですね。
逆に言えば、
すっかり身近になった海外旅行は、、、、
以前ほどの輝きは私の中では無くなってきているのも事実ですねー。
人はそれを老化というのかも知れませんが~w -
関東大震災で失われた聖堂の復興工事は1927年にはじまり1929年に終了したようです。
復興設計者は岡田信一郎さん。
先日、見に行った東京都美術館の初代の建物を設計した方ですね。
先日見たばかりの美術館に関連しているので不思議な縁を感じました。 -
でも岡田信一郎さん設計のドームと鐘楼のデザインは教会側からの意向で大幅に変えられたようです。
教会側のこだわりポイントだったのですかね。
鐘は函館の教会から移設したものを使用しているようです。
聖堂の中は拝観時間が決まっていますが拝観料をお納めして拝観できます。
ロシア正教独特の装飾はなかなかお目にかかれない感じなので一見の価値有りかと私は思います。
でも聖堂内は撮影禁止なのでインスタ映え目的の人は残念でした。
今日は気持ち的に中を見たい感じではないなー。
今さら神様に泣きながらおすがりするタイプでもないしなー、、、
じゃあ、そろそろ他もブラブラしましょうかねー。 -
ニコライ堂をでました。
教会前の紅梅坂を緩やかに下って行きます -
解説
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こうしてみたらニコライ堂は駿河台の端の高い場所にあるんですね。
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結構な高さの崖の上にあります。
昔の写真を見ると遠くからでもこのニコライ堂が見えていたようです。 -
後ろのビルが無ければ素晴らしい眺めなのになぁ、、、
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背後に見える高層ビルは新御茶ノ水ビル。
日本出版販売、略して日販の本社が入ってます。
本の取次会社で有名ですね。
ビル自体は1981年にできたのでこの辺でできた高層ビルでは早かったと思います。
地下のレストラン街は場所的にJRと地下鉄の乗り換えの途中にあるので結構利用しやすいです。
私もちょくちょく利用してましたね。 -
本郷通りを渡りました。
通りの向こう側のニコライ堂を見た感じ。
逆光なのが残念。 -
御茶ノ水ソラシティにやってきました
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何か食べようかなー。
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地下の広場に降りてみます
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ここはゴチャゴチャしてるこの辺にしては珍しく開放的な広場で気持ち良いスペースです
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みなさんくつろいでいますねー。
この広場に沿ってお店が並んでいます -
久しぶりにここのカレーを食べましょう。
エチオピアカリーキッチン 御茶ノ水ソラシティ店
ここの本店がこのすぐ近くの神保町にあります。
そちらには過去に数回行っています。
御茶ノ水~神保町はなぜかカレーのお店が昔から多いんですよね。 -
メニュー
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メニュー
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メニュー
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テーブルに常備
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じゃがいもが最初に出ます。
皮付きです。
芽も付いてるので各自で除去しましょう。 -
漬け物
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サラダ
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カレーが来ました。
ミックスカレー 1290円
大盛り 250円
計 1540円 -
右奥にも少しだけ席がありますが広くはないです
-
テイクアウトで持ち帰る人がちょこちょこ来ていて忙しそうです。
スーツリーマンの利用も多い感じです。
サクッと食べてサクッと出て行く人が多い様です。
私は食べるのが非常に遅いので3人くらいの人に追い越された感じですw
(←含む女性w) -
デザート
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ごちそうさまでした。
カレーを食べると御茶ノ水に来た感じがします。
それとキッチン南海、キッチンカロリーもw
今でもあるのかな? -
街の景色はどんどん変わっていきますねー。
今の人はこの景色がいつかは懐かしい景色になるのでしょうね。
そうして時代は流れていくのですねー。
川は流れてどこどこいくのー。
人も流れてどこどこいくのー。
という感じの今日の私の気持ちですねー。 -
ま、それは置いといてっと、、、
お腹も満たされたところでお散歩の再開 -
御茶ノ水ソラシティのJR線路沿いに見晴らしの良いウッドデッキがありました。
-
線路の向こうに森が見えます。
湯島聖堂の森です。 -
しばらくぼんやりと湯島聖堂の森を見ていました。
すると、、、
なぜか警備員が私の周りをチョロチョロしだしています。
私って不審者に見えたのかな?(←無理もないけどw)
ちょっと落ち着かなくなったので移動します。
おとといくるわ~~w -
淡路坂
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解説
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聖橋は美しい。
古びないデザインというのはこういう事なのでしょうね。 -
聖橋
聖橋を渡っていると橋の中ほどに中国人の若い子が大勢たむろしていました。 -
中国人観光客のいる所
すなわち
ベストショットポイント
というケースが多いので私もここでさりげな~く待機。
彼らはどうやら丸ノ内線の出るタイミングで写真を撮るようです。 -
私もマネっこしましたw
彼らは丸ノ内線の上りと下りが来る時間を調べてきていた様です。
さすが! -
私も無事にベストショットいただきましたw
-
でもなんで?
なぜに丸ノ内線? -
調べてみたらアニメ映画の「すずめの戸締り」というのに出てくるシーンの様です。
-
さすがよくご存知で。
って言われても、、、
私はアニメを全然見ないのでそういう映画があるもの初めて知りました。 -
聖橋を渡って行くと右手に階段があります
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湯島聖堂に行ってみます。
-
都心とは思えない雰囲気です
-
ここから入ります。
湯島聖堂は1690年(元禄3年)に5代将軍綱吉によって創建された孔子廟で、後の江戸幕府直轄の学問所だった所らしいです。 -
まるで遠くへ来た様です。
この入徳門(にゅうとくもん)は江戸時代から残る貴重な門なのだそうです。 -
右手にある水屋は江戸時代から残る貴重な物のようです。
湯島聖堂はこの水屋と先ほどの入徳門以外は関東大震災で焼失したらしいです。 -
建物が正面石段の上にあるのが思わせぶりですw
-
今日は平日なので空いてるかと思いましたが
意外にも来ている人がチョロチョロいるので撮影に手間取りました。 -
なんかやってる。
お金かかるんかな?? -
杏壇門(きょうだんもん)
お金はかからないみたい。
記帳するのは嫌なので遠巻きにして入門しました。
(←コミュ障だも~んw) -
門の向こうに大成殿(たいせいでん)が見えます。
見た目ほとんど中国。
でも、この辺りの建物は1923年(大正12年)の関東大震災で入徳門と水屋以外は全部焼失しました。
今ある建物は1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリートで再建されたものです。 -
再建の時は大林組が作ったっていう事です。
大林組ってそんな前からあるんですね。
会社としては1918年(大正8年)からあるそうで、創業は1892年(明治25年)なんだそうです。
さすがゼネコン。
古さが違いますね。
でも構造計算がちょっと苦手みたいで時々失敗してますけどね~w -
回廊に何やら作品が展示されてます
-
広場の真ん中にもドヤ顔の像が立っていて正直ジャマ。
(←嫌な爺さんw) -
大正時代の建物ですが古い感じはしますね
-
遠くへ来た様な風景です
-
こうして見る分にはコンクリートとは思えないですね。
-
中国に来ました!
と言っても信じてもらえそうな風景です。
今日はお賽銭をあげて神様にお参りする気にはならないのでスルーです。 -
大成殿(たいせいでん)
大成とは孔子廟の正殿の名称なんだそうです。
殿内の中央の神龕(厨子)に孔子像。
左右には四配として孟子・顔子・曽子・子思の四賢人を祀られているそうです。 -
賢者の教えの末路が現在の中国人の精神世界や価値観、倫理観を作っていると考えたら、、、
良いんだか、悪いんだか~w
なんとも、微妙な気持ちにはなりますねーw -
孔子がいた当時の中国の文化や価値観、倫理観というのはどういう感じだったのか興味がありますね。
今とは全然違う感じだったと信じたいですね~w -
こうしていると遠くに旅行に来た気分になれて良い気分転換になる風景です。
そしてこの聖堂はどこもかしこも黒塗りです。
1797年(寛政9年)十一代家斉のとき規模を拡大した時に黒塗りにしたそうです。
それ以前は朱・緑・青・朱漆などで彩色されていたらしいです。 -
お散歩してるとモヤモヤ気分が晴れてきました。
ちょっと遠くに来たような気分にもなれました。
これも孔子様のおかげかも~
お賽銭入れてないし~
お参りもしてないけど~w -
じゃあ~、
良い気分になったのでお散歩を続けましょうかね~ -
入徳門を出ました。
よく見たら石畳になっていたんですね。
ここは左に行きます。 -
石畳の緩やかな下り坂を歩いていきます。
右側の塀の向こうは外堀通りが走っています。 -
右側には見事な築地塀がありますね。
-
石段を慎重に下ります。
お年寄りは転倒が一番怖いです。
なんたって寝たきりになるお年頃だからね~w -
ここで左に曲がります。
正面に向かって左に主張の強い木がありますね。 -
楷樹
孔子のお墓に植えられている木なんだそうです。
楷 かい 学名 とねりばはぜのき うるし科
PISTACIA CHINENSIS,BUNGE(Pistacia Chinensis Regel)
という学名らしいです。 -
解説
-
解説
-
そこにいるのは誰?
-
孔子銅像でした
-
昭和50年(1975)中華民国台北市 ライオンズ・クラブからの寄贈らしいです。
-
昭和50年(1975)11月3日に除幕式をした様です。
-
丈高15呎[4.57メートル]重量約1.5トンの孔子の銅像は世界最大なんだそうです。
ギネスに載ってるのかな? -
台座も綺麗な状態に保たれていますね
-
今でも信仰されているのでしょうね、たぶん。
私が孔子で知ってるといったら、、、、
過ぎたるはなお及ばざるが如し
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり
良薬は口に苦くして病に利あり
義を見て為さざるは勇なきなり
以上!~~w
なんか、、、
一休さんのとんち話って感じがします~~~w
でも言うのは簡単ですよね~
本人は果たして実行できていたのでしょうか~~?
口先だけでなかったと信じたいですね~
じゃここはこれくらいで~ -
次はここをまっすぐ行きましょう
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左に柑橘類の実がついています
-
斯文会館
ここって一般の人が入れるのかな?
よくわからないのでビビリな私は近寄りませんw -
門を出ます
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振り返ってみた感じ。
仰高門(ぎょうこうもん)というそうです。 -
石碑も入れて撮ってみました
-
斯文会館
どうも一般人は入れなさそうな雰囲気が出ていますね。 -
湯島聖堂を出て左に行きます
-
さらに左の坂に入ります。
坂の入り口には石碑がありました。
古跡 昌平坂 -
昌平坂の昌平という名は孔子の生まれ故郷のの昌平郷から来た名前なんだそうです。
名付けの親は5代将軍綱吉なんだそうです。 -
緩やかな上り坂の左手には湯島聖堂の築地塀が続いています
-
解説
-
坂を上りきると文京区立 聖堂際公衆便所が築地塀のデザインに隠れる様にありました。
でもなんで、あえてここの場所なんでしょう? -
中山道に出ました。
ここは左に行きます。 -
築地塀が見事です。
北斎や広重の浮世絵にも描かれていたという話も何処かで読んだことがあります。
古くから人々に愛されてきたようです。 -
しばらく行くと中山道の向こうに鳥居が見えます。
神田明神の鳥居です。
鳥居の下は車も通ります。
割と人通りも多い場所です。 -
江戸総鎮守 神田明神と自称しています。
祭神は三柱で、
一ノ宮 が 大己貴命(オオナムチノミコト、だいこく様)。
縁結びの神様。
天平2年(730年)鎮座。
出雲系の氏族がお祀りしたのがこの神社の始まりのようです。
そのころは現在の大手町の将軍塚あたりにあったようです。
元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し幕府により社殿が造営されたそうです。
二ノ宮 が少彦名命(スクナヒコナノミコト、えびす様)。
商売繁昌の神様。
明治7年(1874年)に大洗磯前神社より奉祀。
これには少しゴタゴタがあって、1874年(明治7年)に明治天皇がこの神社に行幸することになりました。
そうなると天皇が参拝する神社にこの時すでに祀られている逆臣である平将門がいるはちょっとまずいとされて平将門が祭神から外されたそうです。
その代わりに少彦名命が茨城県の大洗磯前神社から勧請されたという流れだったようです。
少彦名命もドサクサに巻き込まれてちょっと迷惑な話ですねw
三ノ宮 が平将門命(タイラノマサカドノミコト、まさかど様)。
除災厄除の神様。
嘉元年間(14世紀初頭)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、延慶2年(1309年)にこの神社の相殿神とされたようです。
しかし前記の理由で明治7年(1874年)に構内の摂社である将門神社に遷座というか左遷させられて、昭和59年(1984年)にやっと本殿に奉祀復帰したそうです。
死してもなお波乱万丈の平将門であった~~w -
この神田明神は神田祭でも東京都民にはよく知られています。
神田祭は山王祭と交互に開催されていて隔年に催されています。
江戸時代の頃は各町内から自慢の華麗な山車が40近く出ての行列で人気のお祭りだったようです。
山王祭が将軍家のお祭りならば神田祭は庶民のお祭りという感じだったようです。
それでもこのお祭りには徳川幕府から費用が出ている天下祭りだったようで時には江戸城内までいき将軍の御目通りがあることもしばしばだったそうです。 -
そんな神田祭の山車も明治に入って電線が架設されたり路面電車が走ったりで巡航に支障をきたすようになり次第に数を減らしていったようです。
山車自体も関東大震災や第二次大戦ですべて焼失したそうです。
現在ではお神輿だけで練り歩いています。 -
この神田明神は東京十社の一つでもあります。
東京十社は元准勅祭社(もとじゅんちょくさいしゃ)の神社です。
元准勅祭社(もとじゅんちょくさいしゃ)とは、
皇居が京都に在った頃からあるしきたりで国家鎮護のために天皇陛下から勅使が遣わされる神社があって「勅祭社」と呼ばれていたそうです。
明治時代に皇居が京都から東京に移った時にこの「勅祭社」に准ずる神社として「准勅祭社」を定めたそうです。
これが東京十社の始まりです。
この制度自体は現在無くなったので元をつけて「元准勅祭社」となったのだそうです。 -
この東京十社巡りという参拝ルートも存在していて
この東京十社の中のいくつかの神社では東京十社巡り専用の御朱印帳を扱っているところもあるので確認してから参加するのも良いですね。
私はずっと参加したいと思いつつも、、、
いまだに参加していないのが心残りです。
無精な性格なのでついつい先延ばしでこんな年齢になってしまいました~w -
神田明神に向かう前にこんな公園がありました
-
つれこみっていう表現~w
なんか、、しけこんでる感があります~w -
中山道を渡り鳥居のところまで来ました。
鳥居の横には糀で有名な天野屋があります。
天野屋は1846年(弘化3年)に創業されました。
けっこうな老舗なんです。 -
天野屋の店頭で甘酒を販売していました。
米と糀だけで作られています。
アルコールは入っていません。 -
普段飲んでいる甘酒とは全然違っている味です。
例えるなら優しい味の飴湯のような感じ。
後味もさっぱりしていて口に残りません。
1杯 350円です。 -
天野屋の横には大きな鳥居がそびえ立っています
-
人の出入りが多い鳥居なので撮影するときは少し待ちました
-
鳥居をくぐり参道を行きます
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参道らしい趣あるお店も散見されました
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隨神門が正面に見えてきました。
古くからあるように見えますが昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念事業として新たに再建されたものなので歴史は思ったよりは浅い建物です。
総檜で作られています。
入母屋造の二層建てで屋根は銅板瓦棒葺です。 -
色味の少ない周囲に比べて一際目をひく丹色の門です。
平成10年の平成の御造替事業によって塗替えられたので色鮮やかです -
色鮮やかな隋神門の前に立つと遠くへ旅行に来たような感覚になります
-
隋神門の外側正面には隨神像を配しています。
左は櫛磐間戸神を安置。
この像は熊本城域内の樹齢500年の楠で作られています。
この楠は加藤清正公お手植えと伝えられているものを使用しているそうです。
一木造の木像です。
北村西望が監修したようです。 -
外側正面の右は豊磐間戸神が祀られています。
これらの木像はあの松下幸之助さんが奉納したらしいです。
松下幸之助さんといえば焼失して100年以上無かった浅草の浅草寺の雷門を寄進したことでも知られていますね。
しかも名前は出さないでという希望だったらしいです。
最近の金持ちはこういう事をするとSNSで自慢しがちですよね。
こういう謙虚なスタイルの有名人って最近はいないですよねー。 -
隋神門の左の少し離れた所に手水舎がありました
こういう境内の外にある屋根無し形式の手水舎は珍らしいですね -
最近の皆さんは作法に従って口すすぎしてる方が多い感じです
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身を清めて隋神門から境内に入ります
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境内は都心の神社にしては広々してます。
人もたくさん来ています。
インバウンドというよりも日本人率が高い感じでした。 -
隋神門から入って右手には祭務所と神楽殿がありました
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晴れ渡った青空の下の正面には御社殿が見えます。
この御社殿は1934年(昭和9年)に竣功したそうです。
権現造の建物形式ですね。
当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿です。
江戸開府四〇〇年記念の年の平成15年9月に国登録有形文化財に登録されました。 -
隋神門を入って左手には
手前に御百度石
奥にだいこく様尊像
が見えます。
御百度石は二十度もお参りする毎に、百度石に五色紙垂を一色づつお供えすれば五色で百度参りするものだそうです。
だいこく様百度参りは2キロ弱、
だいこく様・えびす様百度参りは4キロ強、
御本社百度参りは8キロ強の距離となっているようです。 -
だいこく様尊像。
昭和51年完成そうです。
近くで見ると思ったよりも大きいです。
高さが6,6メートルあるそうです。
重さ約30トンで石造りとしては日本一のだいこく像として建立されたそうです。 -
なぜか上目づかいw
誰かに似ている気がしますが誰か思い出せません。 -
境内は広々していますが樹木は非常に少ないです。
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そんな緑の無い境内でポツンと1本の木立ちがありました
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保存樹いちょう第1号
なんだか戦隊モノのようなネーミングですねw -
その看板の隣に境内図がありました。
それほど広くはない境内ですが見どころがぎっしり詰まっています。 -
御社殿
昭和9年にできたコンクリートの建物ですが木道建築に近づけるデザインになっているそうです -
狛犬さん
右側は獅子とも呼ばれています -
動物彫刻を得意とする池田勇八が原型を作成そうです
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狛犬さん
左側のは一角獣とも呼ばれています -
御神殿の左側に編みで囲まれた一画がありました
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神馬舎のようです
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あかりちゃん
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いちおう500円入れました
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あかりちゃんは今は散歩中のようです。
この場所は御社殿横にあって人通りの多い所にあります。
ちょっと落ち着かなさそうで可哀想な気もしますね。 -
魚河岸水神社の解説
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回転すしのお店で見るようなロゴですw
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末社 魚河岸水神社
祭神 水神、弥都波能売命(みつはのめのみこと)
魚河岸が日本橋にあった頃からの歴史があるようです。
一旦は魚河岸内にあった常磐稲荷神社の合殿に祀られた様です。
その後魚河岸水神社と名前を改めて1891年(明治24年)に再び神田明神に遷座されたようです。 -
境内には「神田日本橋桶工水溜講」の石碑が立っていました。
神田日本橋の人々により1924年(大正13年)12月に建立されたそうです。 -
扁額に水神と書かれているのが見えます。
以前は水神祭というのを盛大に行なっていたそうです。 -
小ぶりですがバランスの良い姿ですね。
どことなく神社というよりも山寺のような雰囲気の形のようにも見える気がします。 -
小舟町八雲神社の解説
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小舟町八雲神社鉄製天水桶の解説
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小舟町八雲神社
祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
江戸城の中にあったものが神田明神と一緒にこの場所に遷座してきたようです。
ここ神田明神の境内には三天王と呼ばれる3つの末社があってこの小舟町八雲神社もその一つに入っています。
ここは三ノ宮になるそうです。
他の三天王は江戸神社と、大伝馬町八雲神社です。 -
この神社の祭礼は小舟町天王祭として4年に1度執り行われています。
340年の歴史があるんだそうです。 -
社殿手前の両側にあるのが
小舟町八雲神社鉄製天水桶 一対
千代田区指定有形民俗文化財(平成17年4月1日指定)
この天水桶は、地上の高さ1,4メートルほどになる一対のもの。なお、四角形の基壇と台座は石製。 -
大伝馬町八雲神社の解説
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大伝馬町八雲神社鉄製天水桶の説明
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大伝馬町八雲神社鉄製天水桶
大伝馬町八雲神社鉄製天水桶 一対
千代田区指定有形民俗文化財(平成16年4月1日指定)
この天水桶は地上からの高さが1,4メートルほどになる一対のもの。
寸法は高さ76,7cm、口縁部の周囲287,3cm、口縁部の内径82,5cm。
八角形の基壇と四角形の台座は石製で蓮弁(れんべん)を模した形になってます。
天水桶は鋳鉄製です。 -
大伝馬町八雲神社
ご祭神 - 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
この神社も神田明神の境内にある三天王の一つです。
ここは二ノ宮になるそうです。 -
東京の方にはご存知あるかもしれませんが秋に日本橋の高田恵比寿神社近辺で催されているべったら市というものがあります。
ベタベタした大根の麹漬けを売ってるのでその名がついてるようです。
この江戸時代から続くべったら市は大伝馬町の有志で継承されているそうです。
甘酸っぱいべったら漬は私も好きなので以前は買いに出かけていました。
ですが最近は異常に混むようになってきて私のような老人はべったら市には行きにくい感じです。 -
境内末社めぐり
特に彼岸の中日に近い戌の日のお参りが良いようで社日参りと呼ばれているようです。 -
力石
昔の若者が力自慢のために使った石ですね。
マウントの取り合いは今も昔も変わらないw
神田明神の力石は直径80cm・短径67cm で、文政5年(1822)12月に神田仲町2丁目の柴田四郎右衛門が持ち上げたものだそうです。 -
力石の解説
-
江戸神社
ご祭神 - 建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)
大宝2年(702)に現在の皇居内に創建された江戸最古の地主神だそうです。
慶長8年(1603)に神田明神が仮遷座した時に神田駿河台の地に一旦移り、その後、元和2年(1616)に神田明神が現社地に遷座するとともに江戸神社も現社地に移ったそうです。 -
1868年(明治元年)に神社名を須賀神社に改めたようですが、、、
明治18年2月の火災により社殿を焼失してしまい、神田明神に仮遷座したようです。
その時に社名を今の名称である江戸神社に戻したようです。
改名してよくなかったみたいですね。 -
江戸神社の解説
この神社は三天王の一の宮になるそうです。 -
中には千貫御輿とも呼ばれる神田祭で披露される大きなお神輿が鎮座していました。
写真撮影は控えました。 -
正面に見えるのが祭祀殿・資料館
平成10年に開館したようです。
2階、3階が展示室で、2階には神田祭のジオラマをはじめ、神田祭に関する資料を多く展示。
3階には神田明神に伝わる神宝を展示。
各階に江戸時代の錦絵も展示しています。 -
館内は有料です。
開館日は午前9時~午後4時(最終受付午後3時45分)
拝観料:大人500円、学生300円、中学生以下無料。
1階には年祭を執り行うための祭祀殿がある。 -
鳳輦神輿奉安殿
神田祭の
一の宮・大己貴命がお乗りになる一の宮鳳輦、
二の宮・少彦名命がお乗りになる二の宮神輿、
神田明神大神輿を奉安する建物のようです。 -
神田祭の時にこの場所で「鳳輦神輿遷座祭」を執り行うようです。
まぁ、その時は部外者は近づけないんでしょうけどね。
きっちりと固く扉が閉ざされていて厳重に管理されている感じでした。 -
鳳輦神輿奉安殿の左隣には、、
浦安稲荷神社が鎮座されていました。
浦安といっても千葉ではなく神田鎌倉町で創建されたようです。
今の鎌倉橋のあたりでしょうか? -
神田明神の境内に遷座したのは1843年(天保14年)のことのようです。
その後明治維新や戦火で復興できない内神田稲荷社五社の合祀しているようです。
この神社は神田明神境内の三稲荷の一つです。
祭神は宇迦之御魂神です。
他の二つは、
末廣稲荷神社と三宿稲荷神社です。 -
解説
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石の鳥居をくぐると思ったよりも境内は広くとられていました
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浦安稲荷神社を出て鳳輦神輿奉安殿の前を行きます。
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解説
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三宿・金刀比羅神社の解説
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三宿・金刀比羅神社
末社 三宿稲荷神社 祭神 宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)
三宿稲荷神社は神田明神の三稲荷の一つです。
末社 金刀比羅神社
祭神 大物主命(おおものぬしのかみ)、金山彦命(かなやまひこのみこと)、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)
二つの神社が昭和41年にこちらに遷座されたようです。 -
屋根が立派なのですが建物は思いのほか小さめでした。
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末廣稲荷神社の解説
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末廣稲荷神社
ご祭神 - 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
神田明神境内の三稲荷の一つです -
創建は1616年(元和2年)ころと考えられているようです。
現社殿は昭和41年に再建されたようです。
出世稲荷としても信仰されているようです。 -
水盤の解説
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浮世絵師 水野年方の顕彰碑の解説
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水野年方顕彰碑
<千代田区指定有形文化財(歴史資料)>
品の良い美人画で有名な方ですよね。
御弟子さんには鏑木清方や池田輝方といった誰でも知っているような画家さんもいますね。
御弟子さんの絵にも年方の影響は色濃く感じますしね。 -
持って生まれた才能で早くから活躍しましたが大正12年4月に43歳の若さでこの世を去ったそうです。
大変な売れっ子であったため過労とも言われています。 -
鳥居が見えます
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裏参道の入口の鳥居です
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裏参道から来るにはかなりの崖を上ってくることになります
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鳥居の横には喜川という鰻屋さんがあります
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鳥居の右には
神田神社氏子神輿庫
がありました。
氏子中の神輿約50基が納められているそうです。 -
参道を戻ります。
石畳が敷かれています。
お年寄りはなぜかこれくらいの石畳の高さでもつまづいてしまいます。
気をつけなければ、、、 -
三の宮奉安庫 (鳳輦庫)
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小唄塚・小唄作詞塚の解説
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小唄塚・小唄作詞塚
昭和の小唄作曲に大きな功績を残した吉田草紙庵を顕彰するために建立されたようです。 -
千社札の碑
200枚以上もの「千社札」が刻み込まれた碑で、平成12年に建立されました。 -
合祀殿の解説
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合祀殿
平成24年に旧・籠祖神社社地に建立されました。
籠祖神社(猿田彦神、塩土老翁神)
八幡神社(誉田別命)
富士神社(木花咲耶姫命)
天神社(菅原道真命、柿本人麻呂命)
大鳥神社(日本武尊)
天祖神社(天照大御神)
諏訪神社(建御名方神)
を合祀しているそうです。 -
もともとあった籠祖神社の後に建てられた神社のアパート的なお社ですかね。
都会では神様も窮屈ですね。 -
籠祖神社関連の解説
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これが
も籠祖神社関連かな? -
籠祖神社の解説
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これも籠祖神社関連かな?
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この辺も籠祖神社関連?
結局、具体的な表示がないのでよくわからないですね。 -
祖霊社
神田明神の氏子・崇敬者の先祖をお祀りするお社。
平成16年に創建。 -
表側に比べて裏側に当たるこの辺りはのんびりムードです
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時折人通りも切れて静寂が戻る瞬間もありました
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と、ふと横を見たら境内はものすごい高いところにあるようです。
ビルでいえば5~6階くらいな感じなのかな? -
お札を納めるところがありました。
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ここはビルだったんですね。
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自販機は良心的な値段でした
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境内案内図
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明神会館
神田明神の結構式場だそうです。 -
獅子山 <千代田区指定有形民俗文化財>
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解説
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江戸期の石造りの獅子は珍しいそうです。
親獅子が子獅子を谷底に突き落とし這い上がってきたら子供として認めるという場面だそうです。
今だったら子供に逆恨みされて大変な仕返しをされる事になりそうですねw
江戸時代でよかった~~w -
1862年(文久2年)に製作されたと考えられています。
かつては神社境内参道の両脇に岩組の石獅子として据えられていたようです。
しかし関東大震災により崩壊し子獅子を紛失したそうです。
親獅子2頭を保存していましたが、今上天皇陛下ご即位を奉祝し子獅子を新調し新たに「獅子山」として建立されたようです。 -
御神殿の前に戻ってきました。
今日はお賽銭もお参りもスルーですw
だって、そんな気にならないんだも~~んw -
あかりちゃんは戻って来ていました
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なんか、こんな場所で一人、、、
見ていて気持ちがモヤモヤしてしまいますね、、、 -
銭形平次
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ハート?
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神田明神文化交流館EDOCCO
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営業案内
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館内は綺麗でした。
おみやげ物売り場は広くて大勢の人で賑わっていました -
店員さんは若い方ばかりです
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意外な東京名産のお土産もあったりします
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東京にいても東京の名産で知らないものがあるもんですね
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お土産売り場の奥にカフェがありました。
EDOCCO CAFE MASU MASU -
いろいろあるみたいです
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入店しました
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オシャレな店内です
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そこそこ人が入っています
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一人でも入りやすい感じなのが良いですね
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セット枡パフェ ホットコーヒー付き が到着しました
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枡の上に枡の絵が書いてあります
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枡が器とは意表をついています
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枡の絵は抹茶みたいです
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ほじくってみたら抹茶のアイス
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さらにほじくると小豆のあんこが埋まっています
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さらにほじくると出てきたのは白玉でした。
楽し~~。
おいし~。 -
ミルクピッチャーがかわいい
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お砂糖が小洒落ている
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かじってみたらさわやかな甘さだった
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お会計は
セット枡パフェ ホットコーヒー付き 1280円(税込) -
休まりました。
ここはまた来るかも~。 -
カフェ横にあったこれが私的に結構ツボでしたw
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ジンジャーエールのシロップは作るのは簡単なので自分でも時々作りますが、これは面白いので今度買いに来ようかな~と思わせるものでした。
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トイレが地下なので下の階に降りて来てみたら地下にはホールもあるようでした
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アニメ?
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1階に戻ってきました。
おみやげ物売り場はまだまだ盛況でした。 -
こんな絵が壁にありました
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お神輿もありました
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なんか楽しかった
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気分も晴れたのでそろそろ帰りましょう
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そういえばこの神社の手水舎は変わったところにあります
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ちょっと外れたところにあるのが変わってますね
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一応手水舎です
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なんか目を引くものがありました
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えびすさんですか
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ダイナミックな造形です
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お顔はここの神社の共通のお顔ですね
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ここから見ると京都かどこかの神社みたいです
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でも今の京都はとてもじゃないけど貧乏な私には行く事が出来ませんねー
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身の程を知っている私は近場でなんちゃって京都で十分ですw
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楽しめましたー。
ありがとう神田明神。
機嫌が直ったらお賽銭持ってまた来ますねー。
枡パフェ食べに戻って来ますよーw -
さてさて参道を戻りましょう
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参道には趣のあるお店がちょこちょこありますね
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天乃屋の糀室
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天野屋
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天野屋
昨今は塩糀ブームなのでここで糀を購入するというのも良いかもしれません。 -
JR御茶ノ水駅に来ました
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最後にどうしてもこの眺めが見たくてホームに降りてきました。
やっぱりいつ見てもカッコいいなー。 -
今日はうっすらと予想していたとはいえ
はっきり現実を突きつけられて
ちょっと気持ちがざわつきました。
でも、まぁ、これが人生。
せかせか動くのも良いでしょう。
ダラダラ過ごすのも良いでしょう。
本人が納得できる時間の使い方を心がけていきましょう。
誰しも時間には限りがあります。
時間は大事に使いましょう~~。
というしごく当たり前の事を再確認したお散歩でした。
さあ~って、
さっさと帰って我が家の猫ちゃんに癒してもらおうっと~w
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