2024/01/16 - 2024/01/16
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Huumaさん
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2024年1月16日(火)今日はしばらく遠のいていた新西国三十三霊場の巡拝に出かけます。兵庫県内の福崎、加西そして三木を廻ります。福崎町は民俗学者・著作家、柳田國男の生誕地、妖怪にも出会ってきます。
福崎町:第30番札所 七種山 金剛城寺
加西市:第29番札所 泉生山 酒見寺
三木市:第26番札所 大谷山 伽耶院
表紙は、金剛城寺本堂前にみごとに実った南天
- 旅行の満足度
- 5.0
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2024年1月16日(火)晴れ時々曇 AM6時30分に家をでて、国道2号バイパス、播但自動車道を通って福崎町に入りました。
標高683mの七種山(なぐさやま)裾に位置する第30番札所金剛城寺門前に到着です。 -
駐車場に留め参道を進みます、南天が紅い房を見せてくれます。
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金剛城寺山門
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阿形仁王像
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吽形仁王像
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龍の彫り物
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虎の彫り物
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虎の彫り物
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鐘楼
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金剛城寺本堂前の美しく実った南天
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新西国第30番札所 七種山金剛城寺 本堂
標識によると、〝 推古天皇の御宇聖徳太子日本三論宗の開祖高麗の恵灌法師を講じて開山せしめ給い、 本尊十一面観世音は一刀三禮の御作、・・・” と 案内されています。
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金剛城寺本堂扁額
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龍の彫り物
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金剛城寺境内
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金剛城寺境内から山里を望みます。天気雨ならず、天気小雪が舞い始めました。
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新西国第30番札所 七種山 金剛城寺 御朱印
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福崎町は柳田國男生誕地、妖怪で町おこしを行っています。
町のいたる所に妖怪が鎮座しているそうです、今日はここ辻川山公園の河童の池にやってきました。 -
妖怪ベンチ油すまし
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河童の池
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河童の河次郎(ガジロウ)
15分毎に水中から現れます! -
水中に帰っていきます。
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河童の河太郎(ガタロウ)
頭の皿の水が干してしまい、動けなくなっています。 -
輪廻の輪
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妖怪小屋の逆さ天狗
こちらのカメラに向かって映してくれといわんばかりに留まります。 -
学問成就の道 散策マップ
松岡家五兄弟 ~柳田國男と英才兄弟~ -
柳田國男生家
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柳田國男生家
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柳田國男生家
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柳田國男の生家 案内標識
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柳田國男像
〝 をさな名を 人に呼ばるる ふるさとは 昔にかへる ここちこそすれ 國男 ” -
県指定文化財 旧神崎郡役所 (福崎町立神崎郡歴史民俗資料館)
〝この建物は明治19年(1886)、神東・神西郡役所(明治29年神崎郡役所と改称)として建設され、以後、当地方発展の中心的役割を果した。もと福崎町辻川道北にあったが、昭和57年現在地に移築し、神崎郡歴史民俗資料館として利用されている。”
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旧神崎郡役所
〝 建物は木造二階建・下見板張・ペイント塗・日本瓦葺、基礎には花崗岩を用いている。玄関部はギリシャ建築様式を取り入れた二段式で、一階部は角柱でドリス風柱頭飾、二階部は丸柱でコリント風柱頭飾とするなど、外部の意匠に特色をもつ明治建築物である。 兵庫県教育委員会 ” -
柳田國男・松岡家記念館
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新西国三十三霊場第29番札所 泉生山 酒見寺(せいしょうざん さがみじ)楼門
〝天正年間、他の諸堂とともに焼失したあと寛永19年(1642)に再建。現在の楼門は、棟札銘から文政8年(1825)に近郷の工匠の手により再建されたことが知られている。・・・” -
灯籠が並ぶ参道の奥が金堂(本堂)です。
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新西国三十三霊場第29番札所 泉生山 酒見寺 本堂
天平17年(745)聖武天皇の勅願、行基菩薩開基の伝承を持つ古刹です。現在の建物群が形成されたのは、江戸時代に入ってからで、(元禄2年・1689)これらの建物の建築には、大工村(現在の加西市大工町)の宮大工である神田氏が深く関わっています、本尊は、十一面観世音菩薩。
酒見寺 寺・神社・教会
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泉生山 酒見寺 本堂
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泉生山 酒見寺 本堂から望む境内
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美しく彩られた、酒見寺 鐘楼
寛文4年(1664)再建 彩色折衷様 -
彩色が美しい、酒見寺 多宝塔(国重要文化財)
〝この多宝塔の建立時代は、相輪に寛文2年(1662)の刻銘があり、さらに上層の柱にも寛文2年の墨書があるので、この時代の再建と考えられています。・・・” -
本坊
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新西国三十三霊場第29番札所 泉生山 酒見寺 御朱印
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新西国三十三霊場第26番札所 大谷山 伽耶院 仁王門
〝 内部に安置されている尊像は行基菩薩作と伝えられる金剛力士であるが天正年間秀吉の三木城攻めに際して頭部及び脚部を焼失したと伝えられている。
建物は大正時代の再建であり、花頭窓のみが前建造物である。” と案内されています。 -
新西国三十三霊場第26番札所 大谷山 伽耶院
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新西国三十三霊場第26番札所 大谷山 伽耶院 山門
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大谷山 伽耶院 境内
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伽耶院境内に並ぶお地蔵さま
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伽耶院 二天堂(中門)
慶安4年(1651) -
阿形仁王像
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吽形仁王像
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清浄水
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新西国三十三霊場第26番札所 大谷山 伽耶院 金堂(本堂・国の重要文化財)
〝 今を去る千三百余年前、大化元年(645)法道仙人を開基とし、孝徳天皇の勅願によって建立された。古くは大谷山大谿寺東一坊といい、天和元年(1681)に後西上皇の勅により伽耶院と改称している。
平安中期には堂宇数十、坊塔百三十余と記され、花山上皇の行幸を得るなど隆盛を極めたが、秀吉の三木城攻めの兵火及び慶長十四年(1609)の大火によって全山焼失、現在の諸堂はそれ以後の建立である。このうち本堂、多宝塔、鎮守社の三棟が国の重要文化財に指定されている。
中世以降、聖護院末の修験寺院として記録にあらわれ、江戸時代には天台系山伏を統率する五院家の一つとして修験界に威をふるった。・・・” と案内されています。大谿寺 伽耶院 寺・神社・教会
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伽耶院 金堂(本堂)
〝 伝慶長15年(1610)内陣と外陣とを格子戸と欄間で分けた典型的な密教寺院建築である。外陣入口には唐獅子と牡丹の欄間を飾り宮殿と内陣の柱・長押には華麗な極彩色をほどこしている。安置されている毘沙門天(重要文化財)は平安末期の優作である。” と案内されています。 -
大谷山 伽耶院 多宝塔(国の重要文化財)
〝 天保4年(1647)小倉城主源忠真の寄進によって建立され、弥勒菩薩を安置している。
初層は方型・平行垂木 二層は円型・扇垂木、その間に白塗りの亀腹を持ち、蟇股と連子窓は彩色されている。相輪を失っていたが昭和60年復元した。” と案内されています。 -
伽耶院 開山堂(県指定文化財)
〝 明暦2年(1656)但馬城主京極右近高供の寄進により建立され、開山の法道仙人を祀る。堂内部の壁面には極彩色の飛天を画き、長押天井回り及び須弥壇上の宮殿には何れも入念な彩色文様をほどこし、山内では最も華麗な堂である。明暦2年の墨書を持つ ” と案内されています。 -
護摩道場
山伏が集まり採燈大護摩が営まれます。 -
新西国三十三霊場第26番札所 大谷山 伽耶院 御朱印
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伽耶院前の柱状節理断層
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断層
〝 柱状節理と呼ばれる神戸層群の特異な露岩であるが、露岩やや右寄りにタテに直線の断層が走りその左右では岩層が約1m食い違い・・・” -
〝・・・更に右側部分は大きく波打っている。かってこの付近を襲った大地震のあとである。断層がこのようにはっきりと見えるのは珍しい。” と案内されています。
次回は赤穂に巡拝します。
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この旅行記へのコメント (2)
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- salsaladyさん 2024/02/12 10:49:06
- 新西国三十三霊場~日本中にどれくらい新~が存在する?
- ☆歴史的に認められた三十三霊場~は全国に氾濫気味ですが。。。
☆関東は秩父の霊場が有名で、各地にはそれなりの地域による三十三~弘法大使が全部廻ったわけでは無いでしょうけれど。。。小豆島にもありましたね。
☆全部巡ると何が?外国からもメンタルの活性化を目指す巡礼者が多く来られるとか、精神的な支えになるのでしょうか~
- Huumaさん からの返信 2024/02/12 14:41:48
- Re: 霊場はほんとうにたくさんあるようですね。
- salsaladyさま
私たちは四国88、西国33を廻り、ただいま新西国33の半分位のところです。振り返ってみましたら、1985年の京都龍安寺から今回まで39年間、記録にあるもので寺院548ヶ寺、神社76社併せて624社寺になりました。信心深い訳ではありませんが、仏閣、社寺の建築物、仏像、境内の雰囲気が好きで続いてきた感じです。細かいことはあまり気にならなくなったのではと。車などですので、行けるところまでと思っている今日この頃です。 Huuma
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