2023/12/24 - 2023/12/24
79位(同エリア352件中)
めるくんさん
2023年12月23日(土)から26日(火)までの四日間、鹿児島に行ってきました。空路は23日(土)ANA619便羽田空港6時40分発>鹿児島空港8時40分着、26日(火)ANA628便鹿児島空港16時55分発>羽田空港18時30分着です。宿泊は鹿児島のKOKOホテル天文館に三泊しました。スケジュールは23日(土)霧島連峰の韓国岳(からくにだけ)(標高1700M)登山、24日(日)知覧観光、25日(月)開聞岳(標高924M)登山、26日(火)鹿児島市内観光、いつもどおりのぎゅう詰めな行程です。※行きの飛行機内で愛用オリンパスPENが故障してしまいました。やむを得ず旅行中は携帯で撮影しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
12月24日(日)鹿児島滞在二日目は、知覧武家屋敷と知覧特攻平和会館を訪れました。鹿児島中央駅から路線バスに乗車し、およそ1時間30分で知覧武家屋敷に到着しました。
-
知覧武家屋敷は約260年前に知覧領主(18代)島津久峰時代の武士小路区割の名残りで、武家屋敷通りと屋敷庭園が保存されている風致地区です。
-
1741~1744年に作庭されたと伝わる森重光庭園です。
-
旧高城家住宅です。
-
知覧の町並みの中で2軒のみ残る茅葺屋根の古民家です。「おもて」「なかえ」と呼ばれる二つの屋根を小棟で繋げた知覧の典型的な民家の建築様式「知覧型二ッ屋」です。
-
古民家入口に不思議な河童さんが座ってました。
-
石の看板にLa chaumiere (ラ・ショミエル)と刻まれてます。古民家を改修したフレンチレストランです。看板猫でしょうか。
-
佐多直忠氏庭園です。
-
1750年頃に作庭されたと伝わります。知覧島津家の本筋にあたり武家屋敷の中では最も豪華な建築物とのことです。
-
武家屋敷の整然とした通路です。
-
佐多民子氏庭園です。
-
1751~1764年作庭と伝わります。知覧庭園群の中でも高度な石組で作庭されてます。
-
佐多美舟氏庭園です。
-
1751~1764年に作庭されたと伝わります。知覧武家屋敷の中で最も豪華で広い庭園とのことです。
-
旧高城家住宅と同じ知覧型二ッ家です。
-
平山亮一氏庭園です。
-
1781年作庭と伝わります。中央に見える母ケ岳(標高517M)を借景として作庭されたそうです。
-
平山克己氏庭園です。
-
1764~1771年に作庭されたと伝わります。こちらも母ケ岳(標高517M)を借景として作庭されたそうです。
-
西郷恵一郎氏庭園です。
-
1804~1829年に作庭したと伝わります。西郷恵一郎氏庭園ですが西郷隆盛とは関係ないそうです。
-
武家屋敷から歩いて30分、知覧特攻平和会館に到着しました。知覧は太平洋戦争期旧陸軍の特攻基地が置かれた町です。知覧特攻平和会館には隊員の遺影・遺品・記録の資料が展示されてます。
-
一式戦闘機「隼」です。太平洋戦争において陸軍の主力戦闘機として活躍したそうです。
-
特攻勇士の像「とこしえに」です。
-
慟哭、誓いの碑です。
-
知覧特攻平和観音堂です。
-
復元された三角兵舎です。敵に見つかりにくくするため、建物を半地下にして屋根は草木で隠したそうです。
-
三角兵舎は特攻隊員の宿舎でした。
-
知覧特攻平和会館に入館しました。内部は撮影禁止です。太平洋戦争末期、特攻によって1,036名の尊い若い命が失われました。親、兄弟、恋人に宛てた遺書を読んでとても悲しい気持ちになりました。
-
零戦展示室です。
-
この零戦は鹿児島県甑島の手打港の沖約500M、水深約35Mのところに海没していたものを引き上げたそうです。
-
機体はは35年海中にあったため劣化してますが、往時をしのぶ姿をとどめてます。
-
零戦のコクピットです。
-
知覧武家屋敷と知覧特攻平和会館の見学を終えて鹿児島中央駅に戻りました。宿泊先の近くにある霧島温泉で冷えた体を温めました。
-
夕食は予めチェックしていた「うなぎの末よし」で特上うな重をいただきました。
-
特上うな重です。薩摩白波との組み合わせが最高でした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
知覧・南さつま・日置(鹿児島) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
36