2023/12/18 - 2023/12/18
616位(同エリア817件中)
BO/Mさん
大倉山駅を出て、熊野神社に向かった。
熊野神社はこの辺りでは結構名高い神社であり、向かって左隣に法華寺が在る。そして、道沿いにずっと行って左に曲がった左側(徒歩5-6分行くと)に杉山神社がある。その辺りの散策を夕方の時間にしたので、残念ながら法華寺は16時きっかりに閉門されてしまい中に入れさせては頂けなかった。
杉山神社は裏に小山があり、鬱蒼としたものを背に建っている感じで昔から村の鎮守なんだろうな、と感じた。
その並びの熊野神社は別項であげたが、こちらも重厚感があり、歴史の厚みを感じさせる素晴らしいものだった。
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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熊野山全寿院 法華寺
しっかりと整えられた敷地内がうかがえました -
平安時代末期の治承6年(寿永元年1172年)から鎌倉時代初期の元久2年(1205年)にかけて、近隣の池延郷に本拠を構えていた在地豪族の草壁末友夫妻の発願によって書写された、除災招福を祈る「大般若経」の古写経が遺されている。全600巻のうち330巻が現存。
法華寺は、奈良時代の創建と伝えられる天台宗の古刹で、旧諸岡郷の中心的な霊場として栄え、毎年正月八日にこのお経を転読して一年間の安泰を祈願する儀式が行われました。
寺社に於いて正月に「大般若経」を転読し、地域と住人たちの息災安全を祈る儀礼は広く全国に分布しますが、当寺の遺品は関東地方では群を抜いて古く、しかも800年余り連綿と使用され続けた伝統をもつ貴重な文化財である事から、一括指定して保存をはかることになりました。(横浜市指定有形文化財・典籍、の説明書きより) -
当山は熊野山全寿院法華寺と号す
伝承として貞治3年住僧瑞海の知るセ氏縁起によれば神亀元年 全寿と言う僧が何処より来りて当山に居住し、専ら法華経を読み、年月を重ねたある晩 夢の中に熊野証誠権現のお告げを受けて阿弥陀像を大和春日明神より負い、当所に小祠を造り安置した。この尊像が当山のご本尊だある。 その後仁和元年、光孝天皇の御后妃御願成就に依って草創されたと言われる。
歴史的には熊野詣に顕れた阿弥陀信仰が熊野修験者により勧請されたものと思われる。
江戸期末までは熊野権現・法華寺が一体の信仰(仏教)であったが、明治の廃仏毀釈により熊野権現の名称が熊野神社に、中身の信仰も新しいものとなりました。そのとき法華寺は廃寺同然になりましたが、その後多くの檀信徒の力により復興されました。
とにもかくにも開山より法華の梵音と弥陀の称名は絶え間なく響き渡っています。
由緒書き、一部私訳簡易化しました。 -
入口部分
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丁度閉門の時間だったのでしょう、残念ですが入れませんでした
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熊野神社、法華寺の道を隔てたトイメンには「いの池」があります。
この辺りは水脈が走っているのでしょう、熊野神社の奥側の山上もひんやりとして湿気を多く含んだ冷たい空気が流れています。
バイク乗るのですが、それが結構体感されます。走っていると、ある瞬間から幕のようにハッキリと急に湿気で空気の重さを感じたり、ひんやりしたり、ああアレですね、と思われる方はバイク乗りの中には多いものと確信します。
三浦半島などでもアップダウンの道すがら、急に水の膜に入った、と言う瞬間があったりします。(余談ながら) -
この池には亀が居たりします、水さらいをして沈殿物をすくい浄化を促す定期清掃があるようです。(年イチとかで)
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小さな祠があります
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振り返ると、熊野神社の入り口で、こちらの向かって左側が法華寺です。
熊野神社は入口から結構な段数の階段を登って行きます。 -
熊野神社、石碑
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さて、ずずっと歩いてトレッサ横浜方面へ行きますと左に折れ曲がった先の左手に見えて来るのが杉村神社です。
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参道の左手は分譲住宅で区画売りされた戸建てが迫っています
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その先、鳥居をくぐるとこちらの神社が見えて来ます
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サッシュやトビラなどは現代の作ですが作り自体はしっかりとしたものです、ご覧の通り基礎がコンクリです
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向かって右側には鳥居、その先は裏山への道が上っています
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こんな道が続きますが熊野神社で結構足を使ったので遠慮しました
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どうやら、天神平と言うそうです
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側面の鳥居奥にも祀られたものがあります
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手前です
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こんな参道で、左右に奉納された石柱が並びます
石は永年(長年)残ります、カタカナ会社名なども残りますが会社の存続の方が先に途絶えている事も十分に考えられますね、それだけ石、は長く持つものです。ミケランジェロ然り。石の材質にもよりますが本当に石彫は寿命が長いです。 -
沿革が記されています
樽町鎮守、と記されています -
創建年代不明、応永18年(1411年)に記載されていることからそのころ既に勧請されていたものと思われ、それ以前どこまで遡れるのかは知れず。
諸岡村法華寺の進退する所、と記載があり、当時は神仏習合により法華寺が管理士、法華寺は熊野神社の別当寺であったので、現在は熊野神社の宮司が兼務をしている、とある。
従い、丘陵を隔てて若干距離はあるが熊野神社が兼務で見ているようだ。 -
由緒
樽町全町の鎮守として鎮座し、明治6年12月村者に列格、応永18年(1411年)に鋳造された鰐口は1820年頃に所在不明となっている。
杉山神社は全国でも珍しく、江戸時代に鶴見川の流域のみ73社が存在していたものが合祀された。 -
73社だかが合祀され現在は31社に減少した。樽町杉山神社はその中の一社で水害防止と方策の祈願を目的として建立された。
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奥に擁する丘陵は小高く、その背後更に少し行くと熊野神社、法華寺に繋がります。
今回はここまで。
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