横浜旅行記(ブログ) 一覧に戻る
横浜みなとみらい、ランドマークタワーに用事で行き、その戻りしに、<br />日本大通り周辺を少し散策した。<br /><br />横浜開港あたりの歴史を少し振り返りたかったので、横浜開港資料館(旧イギリス領事館)、横浜海岸教会、神奈川県庁旧舎を通り横浜開港記念館(閉館中2024年4月再開予定)、横浜指路教会などを再訪しました。<br /><br />最近のテーマである幕末から明治初期の横浜港と外国人居留地など、いわゆる横浜港の黎明期辺りの再学習を兼ねての散策です。

横浜開港資料館 日本大通り 旧英国領事館 周辺お散歩

4いいね!

2023/12/07 - 2023/12/07

7351位(同エリア9546件中)

0

19

BO/M

BO/Mさん

横浜みなとみらい、ランドマークタワーに用事で行き、その戻りしに、
日本大通り周辺を少し散策した。

横浜開港あたりの歴史を少し振り返りたかったので、横浜開港資料館(旧イギリス領事館)、横浜海岸教会、神奈川県庁旧舎を通り横浜開港記念館(閉館中2024年4月再開予定)、横浜指路教会などを再訪しました。

最近のテーマである幕末から明治初期の横浜港と外国人居留地など、いわゆる横浜港の黎明期辺りの再学習を兼ねての散策です。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 横浜開港資料館は日本大通り、海側で横浜海岸教会(明治初期アメリカのプロテスタント系教会として横浜で初の教会)や神奈川県庁旧庁舎などがあり、旧イギリス領事館だった建屋一角です。<br />残念ながら館内は撮影禁止の為、ご覧頂けるものはありません。<br />写真を撮れると良いのになあ・・・記憶にしか残せないものは記録として脆弱です。<br />ヘボン博士が外国人居留地に移り住んでからの家の写真、手紙など見ました。(手書きの英文はなかなか解読が難しかったですが・・・)<br />網羅して横浜開港とその周辺についてみる事が出来る点でおすすめで、それがほぼ日本の開国と幕末、明治初期を表している、と言って過言ではありません。

    横浜開港資料館は日本大通り、海側で横浜海岸教会(明治初期アメリカのプロテスタント系教会として横浜で初の教会)や神奈川県庁旧庁舎などがあり、旧イギリス領事館だった建屋一角です。
    残念ながら館内は撮影禁止の為、ご覧頂けるものはありません。
    写真を撮れると良いのになあ・・・記憶にしか残せないものは記録として脆弱です。
    ヘボン博士が外国人居留地に移り住んでからの家の写真、手紙など見ました。(手書きの英文はなかなか解読が難しかったですが・・・)
    網羅して横浜開港とその周辺についてみる事が出来る点でおすすめで、それがほぼ日本の開国と幕末、明治初期を表している、と言って過言ではありません。

  • 200円、1階・2階で多くの展示物や模型、資料を見る事が可能です。

    200円、1階・2階で多くの展示物や模型、資料を見る事が可能です。

  • 中庭にはこんな水栓が残っていた

    中庭にはこんな水栓が残っていた

  • 獅子頭共用栓とブラフ溝<br />当初イギリスから600基輸入され、水道はこうした共用栓を使っていた。

    獅子頭共用栓とブラフ溝
    当初イギリスから600基輸入され、水道はこうした共用栓を使っていた。

  • 旧イギリス領事館内廊下には、薩英戦争での英国側犠牲者に対する記念プレートが貼られてあった。

    旧イギリス領事館内廊下には、薩英戦争での英国側犠牲者に対する記念プレートが貼られてあった。

  • 解説銘板をなぞるが、<br />1863年(文久3年)8月16日に鹿児島で起きた薩英戦争で犠牲になったイギリス将兵を記念して、横浜在住のイギリス人が作り、この建物にそなえつけられたものである。(年代不明)<br />薩英戦争は、1862年(文久2年)8月21日に生麦村(横浜市鶴見区)で起きた薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件(いわゆる生麦事件)の賠償金をめぐって、薩摩藩とイギリス人が戦った戦争であり、横浜と関係が深いため作られたものと思われる。、とある。

    解説銘板をなぞるが、
    1863年(文久3年)8月16日に鹿児島で起きた薩英戦争で犠牲になったイギリス将兵を記念して、横浜在住のイギリス人が作り、この建物にそなえつけられたものである。(年代不明)
    薩英戦争は、1862年(文久2年)8月21日に生麦村(横浜市鶴見区)で起きた薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件(いわゆる生麦事件)の賠償金をめぐって、薩摩藩とイギリス人が戦った戦争であり、横浜と関係が深いため作られたものと思われる。、とある。

  • 横浜海岸教会、プロテスタント教会として明治初期より在る教会第1号。(第2号は横浜指路教会で徒歩5分圏内)

    横浜海岸教会、プロテスタント教会として明治初期より在る教会第1号。(第2号は横浜指路教会で徒歩5分圏内)

  • この辺りは史跡などが多い場所である。

    この辺りは史跡などが多い場所である。

  • 神奈川運上所跡、とは横浜の荷揚げ・船積み貨物の入れ出しに際して課金徴税などをする税関の前身として理解しておけばほぼ正しい筈。

    神奈川運上所跡、とは横浜の荷揚げ・船積み貨物の入れ出しに際して課金徴税などをする税関の前身として理解しておけばほぼ正しい筈。

  • 横浜税関の前身である。

    横浜税関の前身である。

  • この街路が外国人居留地と日本人街を区分する街路だった。<br />多くの歴史的建造物が居並ぶ通りで、現在に至り歴史的景観を残す。

    この街路が外国人居留地と日本人街を区分する街路だった。
    多くの歴史的建造物が居並ぶ通りで、現在に至り歴史的景観を残す。

  • 旧英国総領事館です。<br />横浜開港資料館の真裏で敷地内と言う感じで在ります。

    旧英国総領事館です。
    横浜開港資料館の真裏で敷地内と言う感じで在ります。

  • 橋の真後ろに見える三角屋根が外国人居留地に新築されたヘボン邸です

    橋の真後ろに見える三角屋根が外国人居留地に新築されたヘボン邸です

  • 神奈川県庁、銀杏の葉が秋空にキレイです

    神奈川県庁、銀杏の葉が秋空にキレイです

  • 横浜市開港記念会館、残念ながら2024年4月リニュアル・オープン目指して改装中です。

    横浜市開港記念会館、残念ながら2024年4月リニュアル・オープン目指して改装中です。

  • 銘板には、開港50周年記念で建造された建屋が基本的に残っている旨が記されてあります。

    銘板には、開港50周年記念で建造された建屋が基本的に残っている旨が記されてあります。

  • 横浜指路教会<br />ヘボンさんが日本在住の総仕上げ、最後に残して行った横浜プロテスタント長老会派として初、プロテスタント教会として2つ目の教会です。

    横浜指路教会
    ヘボンさんが日本在住の総仕上げ、最後に残して行った横浜プロテスタント長老会派として初、プロテスタント教会として2つ目の教会です。

  • ここを渡って左側に進むとJR京浜東北線駅にたどり着きます(関内)

    ここを渡って左側に進むとJR京浜東北線駅にたどり着きます(関内)

  • 銘板をなぞります、<br />指路教会<br />1874年(明治7年)9月13日創立<br />ジェームズ・カーチス・ヘップバーン(通称ヘボン)は、米国長老教会から派遣され、1859年10月18日に来日、横浜に居住し、医療と伝道にあたった。<br />やがて、ヘボン塾で勉強していた青年を中心として、教会設立の機運が起こり、宣教師ヘンリー・ルーミスが初代牧師となり、18名の信徒を以て設立、その名を横浜第一長老公会とし、日本最初の長老教会として誕生した。<br />教会は、ヘボンの外人居留地39番館から現在地、太田町、住吉町を経て、1892年(明治25年)再び現在地に戻り、ヘボンの尽力により赤煉瓦の教会堂が建った。その時、ヘボンの母教会である Shiloh Church の名をとって指路教会とした。<br />「シロ」は旧約聖書において、「平和を来たらす者」すなわちメシアを意味し、「指路」は「シロ」のあて字で、路を指し示す意味である。<br />1923年(大正12年)関東大震災によって教会堂が倒壊した後現在の教会堂が、1926年(大正15年)に再建された。その後も幾多の厳しい事態に直面しながらも、いつも「主イエス・キリストの福音が正しく語られ、真実に聞かれる」教会として、今日まで伝道の使命を果たしている。<br />教会堂の大改修を記念して<br />1990年3月<br /><br />とあります<br /><br />本日、これまで!

    銘板をなぞります、
    指路教会
    1874年(明治7年)9月13日創立
    ジェームズ・カーチス・ヘップバーン(通称ヘボン)は、米国長老教会から派遣され、1859年10月18日に来日、横浜に居住し、医療と伝道にあたった。
    やがて、ヘボン塾で勉強していた青年を中心として、教会設立の機運が起こり、宣教師ヘンリー・ルーミスが初代牧師となり、18名の信徒を以て設立、その名を横浜第一長老公会とし、日本最初の長老教会として誕生した。
    教会は、ヘボンの外人居留地39番館から現在地、太田町、住吉町を経て、1892年(明治25年)再び現在地に戻り、ヘボンの尽力により赤煉瓦の教会堂が建った。その時、ヘボンの母教会である Shiloh Church の名をとって指路教会とした。
    「シロ」は旧約聖書において、「平和を来たらす者」すなわちメシアを意味し、「指路」は「シロ」のあて字で、路を指し示す意味である。
    1923年(大正12年)関東大震災によって教会堂が倒壊した後現在の教会堂が、1926年(大正15年)に再建された。その後も幾多の厳しい事態に直面しながらも、いつも「主イエス・キリストの福音が正しく語られ、真実に聞かれる」教会として、今日まで伝道の使命を果たしている。
    教会堂の大改修を記念して
    1990年3月

    とあります

    本日、これまで!

4いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP