2023/12/03 - 2023/12/03
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この旅行記のスケジュール
2023/12/03
この旅行記スケジュールを元に
東大寺二月堂へ上る坂道。わたしの一番好きな東大寺の小路です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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二月堂へきました。
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周辺を歩きます。
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二月堂の「舞台」は迫力がありますね。
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東大寺二月堂 名所・史跡
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法華堂経庫(重要文化財)
この校倉は、 江戸初期まで正倉院宝庫の西北方約一五〇メートルに
あった庫蔵の地にあったものを,元禄九年(一六九六)に現在の位置に
移築したものと思われる。
昭和三十八年~三十九年の解体修理で,元来は東向きであったころが
判明,創立年代は明らかではないが,建築様式上,奈良時代のものと
考えられる。
錬倉時代に大修理が施され,小屋組・軒回り材の大半が取替えられ
ていて,その後も享保十六年(一七三一)に軒を切り詰め,野小屋が
あらたに設けられた。
次いで文政十一年(一八二八/棟札),明治中期には屋根の葺替え
が行なわれたが,昭和の修理で旧状に復された。但し,復元さらたのは
創建当時の姿ではなく,中世の姿にである。この経庫は元来,手向山
八幡宮の宝蔵として移築されたものであるが,明治初年の神仏分離の際,
東大寺に帰属することになった。入ロの扉が法華堂に背を向けている
のは,そのためである。
なお、この倉の内部には,鎌倉以降の米の出し入れの留書や,ねずみの
戯画がみられることから、中世以降,米庫として使用されていた時期が
あったようだ。
寛文七年(一六六七)に二月堂が焼亡した際、絶対秘仏の二月堂本尊
である十一面観音(大観音)は何とか堂外に持ち出されたが、激しく
破損した光背は頭光二十個・身光六十七個の断片になってしまった。
これら切光背断片はニ百年余り忘れられていたが、明治三十三年
(一九〇〇)頃に建築史家の関野貞か発見した。その発見場所がこの
法華堂校倉であった。この光背は、現在東大寺ミュージアムに展示さ
れている(但し展示替えあり)。
現在の庫内には,東大寺の僧侶になる住職試験(竪義/りゅうぎ)が
執行される際に使用されつ大きな論議台が保管されている。 -
校倉造。
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高床式なのも特徴的。
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二月堂の階段。
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こういう階段を持つお寺はいくつかありますよね。
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下からのながめ。
東大寺二月堂 名所・史跡
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階段。
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ここを降りて、
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まっすぐ行くと。。。。
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ここが私の大好きな小路。
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石垣と坂道。
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土塀。瓦の再利用。
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石の組み方もおもしろい。
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街灯はなくもがな。
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いい雰囲気。
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いいところでしょう。
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秘密の小路です。
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ずっと歩くと、
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大仏殿の裏手に出ます。
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石垣。
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傑作です。
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広い所に出ました。
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大仏殿の裏手。
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正倉院のある地区。
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正倉院の方へ行ってみましょう。
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正倉院。
正倉院正倉 名所・史跡
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正倉院にははいれません。
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どこの管轄でしょうか。
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東大寺か宮内庁か。
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葛切りが食べたかった。」
吉野本葛 天極堂 奈良本店 グルメ・レストラン
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今度ね。
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