2023/11/28 - 2023/11/28
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ペコちゃんさん
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11月の〇〇会は、都内の紅葉散策。
午前中は北区・王子にある飛鳥山公園を訪れ、昼食後は王子神社へ。
その後は二重橋に向かい、一般公開中の乾通りを歩いて皇居の紅葉を楽しみ、最後はイチョウ並木の神宮外苑へ・・・約2万歩の紅葉散策でした。
飛鳥山は、徳川八代将軍・吉宗が江戸っ子の花見のために桜を植えた桜の名所ですが、紅葉も見応えのあるスポットです。
そして、紙の博物館・北区飛鳥山博物館・渋沢史料館の3館がある博物館ゾーンでもあります。
いよいよ来年は新1万円札の登場・・・久し振りに渋沢栄一の足跡も辿ってみました。
写真は、旧渋沢庭園にある、紅葉に囲まれた「晩香廬」。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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10時過ぎに王子駅へ到着。
2階が京浜東北線、その上は新幹線が走っています。 -
中央口通路には渋沢栄一の看板。
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駅に隣接する飛鳥山(25.4m)は、東京都で一番低い山・・・この一角に、渋沢栄一が明治12年(1879)に別荘を構え、1901年から栄一が死去した1931年までは本邸として使用した、まさにゆかりの場所です。
現在は緑に囲まれ、都民の憩いの場所になっていますが・・・ -
栄一が住み始めた明治初期の飛鳥山周辺は、郊外の農村・・・そんな所に住むようになった最大のきっかけは、明治8年に、現在の王子駅北口近くに栄一らが創業した抄紙(しょうし )会社(=王子製紙)の製紙工場を造ったことでした。
栄一は、飛鳥山から『洋紙発祥の地』と呼ばれる街の発展を見守っていたのでしょうね。 -
飛鳥山にある飛鳥山公園は、明治6年(1873)に日本最初の公園の一つに指定された桜の名所・・・徳川八代将軍・吉宗により1720年から1,270本の桜が植えられ、現在もソメイヨシノを中心に約650本の桜があり、渋沢栄一ゆかりの建物もあります。
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王子駅中央口を出た所にある「飛鳥山公園モノレール(あすかパークレール)」・・・カタツムリに似た車両「アスカルゴ」が下りてきました。
高齢者や子供連れなど、誰もが飛鳥山公園を利用しやすくするために設置され、2009年から運行しています。 -
アスカルゴの定員は16名、約2分で公園入口駅から山頂駅まで運んでくれます・・・勿論、無料!
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公園を歩くと、イチョウの黄葉が鮮やか。
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飛鳥山の頂上(?)でしょうか・・・標高25.4mと刻まれ、その前には方位盤もあります。
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アチコチで紅葉が楽しめます。
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「象山先生櫻賦」の碑・・・明治14年(1881)に、儒学者だった佐久間象山(1811~1864)の門弟である勝海舟らによって建てられた碑です。
桜の美しさを詠んだ「櫻賦」は、象山が吉田松陰の密出国の企てに連座したとして蟄居を命じられた時に作った詩で、勤王の志を桜に託したと言われます。 -
聖観世音菩薩・・・彫刻家・赤堀信平(1899~1992)が世界平和と人類の幸福を祈って製作し、北区へ寄贈した像です。
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多目的広場の噴水の周りも紅葉。
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桜の名所の飛鳥山ですが、紅葉もなかなかのもの。
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多目的広場から階段を上がって「こどもらんど」へ。
中央には大きなお城と滑り台。 -
ブランコなどもあり、親子連れには最高の公園ですね。
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こどもらんどの一角に展示された車両は、昭和24年製造の都電6080。
戦後、初めて作られた車両で、昭和53年まで都電荒川線を実際に走っていた車両です。
因みに路面電車の第1号は京都ですが、東京で現在唯一の都電荒川線は、明治44年に開業した大塚⇔飛鳥山間が始まりで、その後、早稲田や三の輪に伸延されました。 -
隣に並ぶのは、昭和18年に製造されたD51のSL・・・昭和47年に廃車となりましたが、総走行距離は1,942,471kmで、地球を48.5周した計算となるそうです。
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運転室脇のナンバープレート・・・その下を見ると、昭和18年に鷹取工場で製造されたことが分かります。
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「紙の博物館」が見えてきました。
飛鳥山公園の南側の一角は渋沢栄一の邸宅「曖依村荘(あいいそんそう)」があった場所で、明治34年(1901)から亡くなった昭和6年(1931)までの約30年間、栄一はここで過ごしました。
住居等の主要部分は昭和20年4月の空襲で焼失し、本邸や茶室があった場所に「渋沢史料館」「北区飛鳥山博物館」「紙の博物館」が建てられています。 -
昭和25年に開設した4階建ての「紙の博物館」は、世界有数の紙専門の博物館で、和紙・洋紙を問わず、古今東西の紙に関する資料を幅広く収集し、保存・展示しています。
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常設展示のほかに、企画展「抄紙会社150年ー洋紙発祥の地・王子」を開催中・・・今から150年前の明治6年(1873)、渋沢栄一の主導により、抄紙会社(後の王子製紙・王子工場)が設立され、2年の準備期間を経て、西洋式の技術と機械によって印刷用紙や筆記用紙の製造が始まりました。
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ポスターにもあるこの絵は、明治16年(1883)の錦絵「古今東京名所 飛鳥山公園地王子製紙会社」・・・この工場をきっかけに、王子地域は東京の一大工業地帯として発展していきます。
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数百社の会社や事業に関わった渋沢栄一ですが、欧州に渡った経験から明治維新後の日本の発展のためには書籍や新聞などの印刷物の普及が必要で、そのためには安価で大量印刷が可能な洋紙製造をすべきと考えて抄紙会社を設立し、工場の土地探しを行います。
王子の地を選んだのは、千田用水の豊富な水・石神井川の水運を利用できる交通の便・紙の原料だったボロ(破布)の集積地で製品の消費地でもある東京に近い、などの理由からでした。 -
2階の入り口を入った所に展示されている「ボロ蒸煮釜」・・・明治初期の紙の主な原料だった木綿などのボロ(破布)から、パルプ(繊維の集まり)を作るための釜です。
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2階は「紙と産業」がテーマのフロア。
これは、フランス人のルイ・ロベールが発明した世界で最初の抄紙機(1/2サイズの模型)・・・ロベールは、それまで1枚1枚手で漉いていた紙を連続的に作る抄紙機を1798年に発明し、紙の大量生産・大量消費を可能にしました。 -
これは、三盛舎(現:レンゴー)の創業者・井上貞治郎が、明治42年(1909)に日本で初めて考案した段ボール製造機の模型。
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3階から見た2階の機械・・・これは、王子製紙・苫小牧工場で昭和30年頃まで使用されていた、木材からパルプを取り出す装置。
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4階に飾られているのは、寛政10年(1798)に発行された、和紙の製造工程を図解した「紙漉重宝記」の挿絵をモチーフにした紙人形・・・楮から和紙を作る工程を再現しています。
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次は、平成10年(1998)に開館した「北区飛鳥山博物館」・・・北区の歴史や自然、文化を14のテーマに分けて展示しています。
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飛鳥山の傾斜地に立地しているので、入り口は2階・・・階段で常設展示室の1階に下りますが、スケールの大きさにビックリ!
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下りた所の1階に復元されているのは、奈良・平安時代の米を納めた倉。
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旧石器時代の展示コーナー。
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これは、西ヶ原貝塚(飛鳥山に近い南側)で発掘された剥ぎ取り標本・・・約3,700年前のもので、大半はヤマトシジミですが、ハマグリやカキなど貝殻がビッシリ!
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これは、中里貝塚(西ヶ原貝塚の東側)で発掘された剥ぎ取り標本・・・縄文時代中期(5500~4400年前)の浜辺に形成された貝塚で、殆どがカキとハマグリです。
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西ヶ原貝塚から出土した縄文時代後期の人骨・・・歯や頭蓋骨などの状態から、40才位の男性と思われます。
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明治31年(1898)に、田端駅工事で発見されたナウマンゾウの左切歯(象牙)。
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北区で出土した弥生時代の土器と埴輪。
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弥生人の竪穴住居。
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金輪寺の御座所・・・金輪寺は明治維新まで北区役所の近くにあった寺院で、代々の将軍が日光東照宮への参詣や鷹狩りの途中、休憩所として使われました。
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将軍が休憩する御座所は3代将軍・家光の時に設けられ、吉宗の代に増築されています。
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豪華な花見弁当なども展示。
江戸は火事が多い町だったので「どうせ火事が起こるのだから、燃えてしまうものにお金をかけてもしかたがない。それならば、自分の身にとり込んでしまえる食事にお金を使おう」と『食道楽』が発達したのも、自然な流れだったのでしょう。 -
享和元年(1801)に醍醐散人が著した「料理早指南」から再現した御馳走の数々・・・江戸っ子が羨ましい!!
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巣鴨から練馬にかけての北郊地域は武蔵野台地の上にあって耕土が深く、根菜類の栽培に適していました。
代表的な滝野川人参・練馬大根・滝野川牛蒡の見本が展示されていますが、人参の細さと牛蒡の長さにビックリ! -
大正時代の水塚の物置・・・水塚は母屋より高く盛土を施した上に設けられた洪水避難用の建物。
荒川流域や利根川流域などで見られ、水害時に備えて天井には舟が吊り下げられています。 -
日中国交正常化を記念して、1974年に建立された「平和の女神像」。
長崎・平和祈念像の作者・北村西望の彫刻で、博物館と渋沢史料館の間にあります。 -
かつて渋沢栄一が住んでいた旧渋沢邸跡地に建つ「渋沢史料館」・・・1998年にこの本館が開館し、日本の近代経済社会の基礎を築いた栄一の91年に及ぶ生涯と、携わった様々な事業や 多くの人々との交流を示す諸資料を、時代背景の解説とともに展示しています。
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渋沢栄一は、天保11年(1840)に埼玉県深谷市に生まれ、従兄の尾高惇忠(後の富岡製糸所・初代場長)から「論語」をはじめとする学問を学び、一橋慶喜に仕えてパリ万国博覧会(1867年)を視察するなど見聞を広め、やがて実業界の指導的な役割を果たすようになりました。
これは、2階展示室に上る階段前に置かれた胸像。 -
展示室では、年代毎にパネル写真や資料が展示されています。
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渋沢栄一が創設・育成に関わった事業は、明治6年(1873)に設立した第一国立銀行をはじめ約500に及び、約600の社会公共事業(福祉、教育、民間外交など)にも尽力するなど、日本の近代経済黎明期に大きな役割を果たし、日本資本主義の父と言われます。
これは、明治21年に設立された札幌麦酒会社のポスター・・・栄一は同社の委員長として業務に関与しました。 -
また栄一は、かつて仕えた徳川慶喜の真意を正しく後世に伝えたい、という思いから25年の歳月を費やして、明治26年から大正6年にかけて『徳川慶喜公伝』全8巻を刊行しました。
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発明家のトーマス・エジソン75回目の誕生日(大正11年)の祝賀会の会長となった栄一は、盛大な祝賀会の様子を活動写真に収め、栄一の演説レコード等と共にエジソンに贈りました。
この書簡は、エジソンから栄一宛に送られた礼状です。 -
渋沢史料館を少し下った所にある「旧渋沢庭園」・・・園内には渋沢栄一ゆかりの「晩香蘆(ばんこうろ)」と「青淵(せいえん)文庫」があります。
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「晩香廬」は大正6年(1917)の竣工で、渋沢栄一の喜寿を祝って清水組(現:清水建設)から贈られた洋風茶室・・・木造平屋建て、赤色の桟瓦葺きの屋根は、西欧の山小屋を思わせます。
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談話室の暖炉の上には、渋沢栄一翁の喜寿を祝い「壽」の文字を表したタイル飾りがあり、照明には吉祥文様の鶴や竜・雲・松・唐草の精緻な細工が施されています。
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清水組が心を込めて建てた晩香廬・・・渋沢栄一は大変気に入り、自作の漢詩の一節「菊花晩節香」に因んで「晩香廬」と名付け、レセプションルームとして内外の賓客たちをもてなしました。
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窓から見える美しい紅葉。
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天井の飾り模様も凝っています・・・よく見ると、葡萄に止まっているハトやリスが。
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晩香盧の前に建つ、渋沢栄一の立像。
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「青淵文庫」は渋沢栄一の傘寿(80歳)と男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて、竜門社(現:渋沢栄一記念財団)が大正14年(1925)に寄贈した図書館です。(現在は修繕のため建物はシートで覆われており、これは工事前の写真。)
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大正14年に竣工しましたが、2階の書庫に収蔵する予定であった「論語」をはじめ多くの漢籍が関東大震災で焼失したため、1階の閲覧室は主に接客の場として使用されました。
青淵文庫という建物の名称は、栄一の雅号・青淵(せいえん)から名付けられたものです。 -
外壁は石貼り、テラスに面した窓の上部はステンドガラスで飾られています。
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ステンドグラスのデザインは、渋沢家の家紋「丸に違い柏」に因んで柏の葉。
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飛鳥山公園を後にして王子駅に戻り、都電荒川線の王子駅前駅を見ながら王子駅前の中心街へ。
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駅前の大衆割烹「半平」で海鮮丼の昼食。
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今回の参加者は6名。
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折角、王子に来たので、王子神社に参拝します。
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王子神社は、元亨2年(1322)に当時の領主・豊島氏が紀州熊野三社から王子大神を勧請し、若一王子宮として祀ったのが始まりです。
王子村は古くは岸村と言いましたが、これにより、村名が王子村と改められました。 -
境内の大イチョウは、都の天然記念物。
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王子神社は江戸幕府と関係が深く、三代・家光は社殿を新造し、紀州出身の八代・吉宗はこの神社が紀州に所縁があることを知ると、飛鳥山に桜を植えて寄進し、飛鳥屋が花見の名所となった訳です。
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この時期は、七五三のお詣りする家族も多く訪れます。
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拝殿の内部。
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王子神社は「東京十社」の一つになっています。
東京十社:明治元年に東京近郊の12社(日枝神社・根津神社・芝神明宮・神田神社・白山神社・亀戸神社・品川神社・富岡八幡神社・王子神社・赤坂氷川神社・六所神社・鷲宮神社)が准勅祭社と定められましたが、1975年に昭和天皇即位50年を奉祝して六所神社・鷲宮神社を除いた23区内の10社を巡る「東京十社巡り」が企画され、現在に至っています。 -
王子神社の例大祭「槍祭」で担がれる神輿・・・8月上旬の土・日に開催されます。
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王子神社から再び王子駅に向かいます。
石神井川に架かる音無橋は、昭和5年の竣工。 -
王子町と滝野川町を繋ぎ、交通の便を図った音無橋はアーチ形・・・建築の際には渋沢栄一も支援しました。
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レトロな街灯。
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王子駅から東京メトロ・南北線に下りる所の壁に飾られた陶板レリーフ「ふれあい」・・・ベルギーのルイ・フランセン(1928~2010)が原画・監修したこのレリーフは1986年に創られ、永遠に生命を支える石神井川の流れと飛鳥山を背景に、過去から現在・未来へと続く時の流れを1ページとして、区民の生活を一家族に表して描いているそうですが、分かります?
この後は、皇居に向かいます。
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