2023/11/27 - 2023/11/27
180位(同エリア283件中)
BO/Mさん
住吉神社についてのHP内容
神功皇后三韓征伐の際、住吉三神の御守護により無事達成され、その帰途、摂津国西成郡田蓑島(現 大阪市西淀川区佃)にて、住吉三神を遥拝なさいました。これが大阪佃の住吉の社(現 田蓑神社)の起こりです。
その後、天正年間より大阪田蓑島の人々と徳川家康公とが深い関わりを持つようになり、家康公の漁業の傍ら田も作れとの命により、村名を田蓑から佃へと改め、また田蓑の名を残すため神社名を住吉神社から田蓑神社へと改めることとなりました。
その後、家康公が関東下降の際、摂津国佃の漁夫33人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分神霊を奉載し江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島しました。そして故郷の名をとり佃島とし、この地に社地を定め、正保3年(1646)6月29日 住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起源です。
佃島は江戸湊の入口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めました。
その後、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てが行なわれ、その地域の産土神(氏神)として信仰されています。
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さて、お散歩で行き着いたのが佃島・住吉神社です。
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住吉水門を背に鳥居を通過すると正面に鳥居、その先に本堂です
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住吉神社 石碑
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奥に高層ビルが出来てしまったのですが、シンプルな屋根が見えてきます
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水盤舎は欅材切妻造、瓦葺で明治2年(1869年)再建、同44年改築、水盤舎欄間は明治2年再建時のものを使っていると推察され、欄間正面には石川島の東大と佃の渡し、側面には帆を張った廻船や網を打つ小舟、背面には磯の景色、また内側にも潮干狩りなど佃島風景が彫られています。
石造水盤には天保12年(1841年)白子組と言え、木綿問屋組合寄進物とされます。
など説明書きより。 -
水盤舎
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奥には二宮尊徳
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本堂向かって左側 龍神社とあります
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本堂向かって右側、能楽堂的な舞台でしょうか
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水盤舎を振り返ります
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最初の説明書きに近い文言です(省略)
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向かって右側
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本堂側面より
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本堂右脇
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神輿車庫
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今では高層ビル群に囲まれて抜ける空が見えない絵にはなりますが古くからある由緒ある住吉神社ですね
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