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浦戸城(うらどじょう)は、高知県高知市浦戸にあった日本の城。<br />戦国時代に長宗我部元親が居城とし、山内一豊も高知城に移るまで居城とした。現在は県の史跡に指定されている。<br /><br />高知市南部、桂浜の北部丘陵の浦戸山(標高59m)上に築かれた中世の平山城跡で、土佐湾(太平洋)に面している。浦戸は高知平野の入り口に位置し、古来より水運の拠点となる地であった。<br /><br />長宗我部元親時代には本丸・二の丸・三の丸・出丸で構成されて3層の天守が設けられる大規模な城であり、丘陵北部の浦戸湾岸に城下町が置かれた。江戸時代、長宗我部氏に代わって土佐に入国した山内一豊もまた本城を居城としたが、高知城築城後に居を移したため、廃城となった。<br />現在は県の史跡に指定されているが、城跡には国民宿舎桂浜荘・県立坂本龍馬記念館が建ち、石垣・堀切の一部を遺構として残すのみである。<br /><br />翌年の慶長6年(1601年)1月になってようやく一豊が入城した。しかし、この地では手狭であると感じ、同年8月より高知城建設に着手。慶長8年(1603年)完成し移ったため浦戸城は廃城となった。<br /><br />遺構と呼ばれるものは殆どない。本丸石垣の一部と二ノ丸付近に3条の堀切が僅かに残り、石碑が建っているのみである。桂浜荘と龍馬記念館の建つ辺りが本城となる。<br />天守台跡には大山祇神社と城八幡の祠が残るのみである。天守台への入口横には浦戸城址碑と案内板が立てられ、移築された石垣の一部がある。<br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用) <br /><br />

高知-7 浦戸城天守跡 高台に残る礎石 ☆龍馬記念館の前‐史跡探訪

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2023/04/24 - 2023/04/24

2119位(同エリア2164件中)

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マキタン2

マキタン2さん

浦戸城(うらどじょう)は、高知県高知市浦戸にあった日本の城。
戦国時代に長宗我部元親が居城とし、山内一豊も高知城に移るまで居城とした。現在は県の史跡に指定されている。

高知市南部、桂浜の北部丘陵の浦戸山(標高59m)上に築かれた中世の平山城跡で、土佐湾(太平洋)に面している。浦戸は高知平野の入り口に位置し、古来より水運の拠点となる地であった。

長宗我部元親時代には本丸・二の丸・三の丸・出丸で構成されて3層の天守が設けられる大規模な城であり、丘陵北部の浦戸湾岸に城下町が置かれた。江戸時代、長宗我部氏に代わって土佐に入国した山内一豊もまた本城を居城としたが、高知城築城後に居を移したため、廃城となった。
現在は県の史跡に指定されているが、城跡には国民宿舎桂浜荘・県立坂本龍馬記念館が建ち、石垣・堀切の一部を遺構として残すのみである。

翌年の慶長6年(1601年)1月になってようやく一豊が入城した。しかし、この地では手狭であると感じ、同年8月より高知城建設に着手。慶長8年(1603年)完成し移ったため浦戸城は廃城となった。

遺構と呼ばれるものは殆どない。本丸石垣の一部と二ノ丸付近に3条の堀切が僅かに残り、石碑が建っているのみである。桂浜荘と龍馬記念館の建つ辺りが本城となる。
天守台跡には大山祇神社と城八幡の祠が残るのみである。天守台への入口横には浦戸城址碑と案内板が立てられ、移築された石垣の一部がある。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用) 

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス JALグループ
旅行の手配内容
個別手配

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