2023/10/14 - 2023/10/16
121位(同エリア631件中)
白熊爺さん
今回の旅は名古屋の弥生時代の遺跡を巡る旅です。
初日は、
東海地方最大の弥生時代の集落があった朝日遺跡と、清洲越しでおなじみの清洲城近辺をまわりました。
昨日は旧テレビ塔、名古屋街歩きをしてから笠寺観音と見晴台遺跡とひつまぶしの旅。
3日目の最終日の今日は、
熱田神宮と高蔵遺跡と古墳もちょっと見に行きます。
そして最後に温泉で締めようという大欲張りの長い1日になりそうです。
名古屋は城だけじゃないよ~の旅のはじまりはじまり~~。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- その他
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
-
2023年10月16日 晴れ
【10月16日の歩行数 22230歩】
おはようございます。
日当たり悪~いホテルの小部屋。
そんな小部屋にも朝はやって来る~。 -
どんな朝がやってきたのかしら~?
好奇心にかられてパンドラの箱を開けるように
小部屋の窓を開けようと思ったら、、
ガツン!!
これ以上は窓が開かない、、、
しかも隣の壁が目の前に、、、 -
ふと足元を見たら、、
パンドラの窓はガッチリと金具で固定され
少ししか開けられないようになっていました、、
もしかして、、
私が小部屋から脱走しないようにするため?
塔の上のラプンツェル状態?
まぁ、、防犯上安全といえば安全かも、、 -
そんなお茶目なホテルも
今日で~お別れ~ -
なんだかんだ言っても
とても便利な場所にあるホテルでした。
しかもこのホテルは料金がとてもお手頃でした。
足回りの立地が良くて、
滞在時の安全が確保されていて、
ある程度の清潔感があれば(←個人差ありw)
それほどホテルにはこだわりが無いんです。
逆に高級すぎるホテルは気疲れしちゃう体質の私w
ここはタイミングが合えばまた利用するかも~。 -
チェックアウトしてホテルの玄関をでたら、、
-
目の前が地下街出口。
やっぱりこの立地ってすごい事ですね。
とりあえず便利な立地に助けられました。
3日間お世話になりましたー。
またお世話になるよ~。
じゃあ、またね~。 -
名古屋マリオット城の天守閣も今日はスッキリ見えています。
-
何はともあれ最初に荷物を預けましょう
-
コインロッカーはエスカにあるようです
-
コインロッカーはこっちみたいですね
-
ありました~
-
身軽になったところで駅に入ります
-
JRに乗ります
-
こっちのようです
-
電車が来ました
-
割と人が乗ってました
-
名古屋駅を出発します
-
あっという間に金山駅に着きました
-
電車を見送ります
-
地下鉄に乗り換えをします
-
金山駅は大きいですね
-
金山駅は駅舎の中も大きいです
-
駅の中ではたくさんの人が右往左往しています
-
この駅は私には大きすぎて
しかも思った以上に人が多すぎます。
案内表示も少なくてちょっと迷ってしまう感じの駅です -
地下鉄の駅はどうやらこっちのようです。
意外に目立ちにくかったです。
ちょっとキョロキョロしちゃいました。 -
次は地下鉄に乗ります
-
動線が入り組んでいて
なかなかわかりずら~い駅です -
やっと地下鉄金山駅に到着しました。
人が多くてごった返してます。 -
人混みにエネルギーを吸い取られてしまう前に
さっさとホームに向かいます。 -
あれー?
この地下鉄の表示~
これからどう行くのかがよくわからないです。
私はどっちに行くのでしょう? -
行き先がいろいろあるようです。
間違って乗車すると行きたい方向に行かないようです。 -
電車が来ました。
これで良いのかな? -
とりあえず乗っちゃいました。
-
すぐに熱田神宮伝馬町駅に到着しました。
無事に着いて良かったです。
しかし、、、
ここの駅名は日本語でも英語でも長いですねー。
看板が文字だらけw -
電車を見送ります
-
ふ~ん
こういうのがあるんですね。
とりあえず駅員さんに聞いてみましょう。 -
駅員さんに歴史マップの事を聞きました。
駅員さんはなぜかとても不機嫌な人でした~~。
駅の壁に貼ってある歴史地図の事聞いただけなのに、、、
なにか気に障ったのかな~?
私はいつものように低姿勢で尋ねたと思うんだけどねー、、、
兎にも角にも
小心者の私は「じゃあ、けっこうです」と話を打ち切って
すぐにクルッと背を向け逃げるように小走りでその場を離れたのでしたー。 -
いったい何だったんでしょうー?、、
今日はたまたま機嫌が悪い日だったのかな?
まぁ、そういう人には関わらないでさっさと行きましょう。
とにかくそんな人はカルシウム飲んでください~。
もうー、、、
せっかくの楽しい気分が台無し。
モヤモヤした気持ちで散歩開始。 -
目的地はこっちの方でしょうね。
この長い階段は老人の私にとってはまるで登山ですな。 -
やっとの思いで階段を上がると
この地域の歴史の解説板がありました。
ふむふむ
歴史のある街だというのはわかりました。 -
しかし、目の前には大きな道路の大きな交差点があります。
歴史の趣は全然無いです。
名古屋は道路がでかいわりに横断歩道が極端に少ないです。
道を渡る場所を探すのも一苦労します。
車社会ということは、
地球に優しくないし
歩行者にとって住みづらい街ですな。
(←さっきの八つ当たりw) -
目的地はこっちに行くようです。
と思ったら何やらお醤油の甘辛い良い香りがします。 -
ふと見たら吉野家があるではありませんか。
2、3度行きつ戻りつしましたが、、、 -
やっぱり結局は入店しましたw
鮭とか納豆の朝定食はここではやっていないようなので
朝牛セットにしました。
珍しく並盛りw
大盛りにしないのには訳があるのです。
この後行く熱田神宮で名物の宮きしめんを食べる予定なのです。
吉野家 伝馬町店 -
半端な時間なのか空いていました
-
店の前は車がビュンビュン走っています
-
朝牛セット 552円
腹七分目~w
腹八分目にはちょっと足りない感じですかねw
私ってば、もしかして、、、
大食老人かしらね~w -
吉野家の牛丼はたまに食べると美味しいですね。
普段は自炊爺の私ですが
旅先では時々吉野家の牛丼を食べたくなる時があります。
旅と牛丼は相性が良いように感じる私です。
ごちそうさまでした~。 -
お腹も満たされてモヤモヤも消えましたw(←単純か!)
ではお散歩に出かけましょう。 -
歩いてすぐに最初の目的地に到着。
ここは目立たなくて奥まっていて
うっかりすると見過ごしてしまいます。 -
この狭い道を入っていきます。
-
熱田神宮境外攝社 松姤社(まつごしゃ)
熱田神宮の境内の外にある摂社という事ですね。 -
ひっそりとした狭い参道
胎内回帰の趣さえ感じます。
元々はもっと広い境内だったのでしょうね。
知らんけどw -
鳥居には枯れかかった葉っぱが飾られています
-
こっちにも枯れかかった葉っぱが飾られていました
-
そんな鳥居をくぐって参道を行きます。
おじゃましま~す。 -
ひっそりとした隠れ家的な参道です。
まるで生まれる前の世界に戻るような不思議な感覚です。 -
唐突に空が広くなりました
-
左をみると奥にお社が見えました
-
これはなんだろ?
集会所? -
石段を上がると 熱田神宮境外攝社 松姤社(まつごしゃ)が鎮座
-
宮簀媛命(みやずひめのみこと)を祀っているとのことです
-
宮簀媛(みやずひめ)は日本武尊(やまとたける)の最後のお妃ですよね。
「日本書紀」では宮簀媛、「古事記」では美夜受比売と記されていますよね。
記憶力の弱ーい私の頭はこんがらがることもしばしば。
ちょっとややこしいです。 -
ここは宮簀媛(みやずひめ)と日本武尊(やまとたける)が最初に出会った場所だという言い伝えがあるようです
-
最初に2人がここで出会った場面がなかなかケッサクで
東の地の平定に出かけた日本武尊(やまとたける)がここを通りかかった時に、たまたまここにいた宮簀媛(みやずひめ)に道を尋ねたところ、宮簀媛(みやずひめ)は聞こえないふりで華麗にスルーしたのだとかw
その後二人は運命的な再会を果たしますね。
なかなかのドラマですよね。
で、
日本武尊(やまとたける)の猛アタックで結婚。
日本武尊(やまとたける)が30歳くらい
宮簀媛(みやずひめ)が15歳くらい
しかも初めての夜は宮簀媛(みやずひめ)が生理中なのに強行突破という当時の常識では考えられないことをしていたようです。
でもそれほど愛し合ってたんですね。
日本の神話もギリシャ神話に負けず劣らず人間臭い神様のエピソードが満載で楽しめますね。
今回この日記を書くためにまた拾い読みしていてそういう感じ方を再認識しました。 -
ここはそんな聞こえないふりしていても聞こえていたことから、耳の病にご利益があるという話もあるようです
-
すぐ近くに小さな祠がありました
-
木々の中でひっそりと佇んでいました
-
松姤神社末社 十握社(とつかしゃ)
-
日本の神話が好きな方なら
十握と言えば「十握剣(とつかのつるぎ)」を連想する方も多いでしょう。
日本の神話ではここぞという時に出てくる十握剣。
ここはもしかしてそれと関係があるのかも。
知らんけどw -
境内は狭いながら綺麗に保たれていました。
常日頃ここを維持されている方がおられるのでしょうね。 -
この古びた家もきちんと管理されている感があります
-
モヤモヤしていた私の気持ちが不思議と清々しい気持ちになりました。
建物に囲まれている小さな境内でしたが、、、、
とても静かで俗世間とは隔絶されているような、
なんだか不思議な静寂が気持ちに染み込んできたみたいです。
では次の場所に向かいます。 -
参道を出ると一気に俗世界。
-
大きな道を行って少ししたら右に曲がります。
次はこの道を行きます。 -
歩いていく途中の道沿いですが
せっかくなのでちょっと見ていくところがあります -
進行方向の右手のここの上のようです
-
看板が見えます
-
林桐葉(はやし とうよう)宅跡
野ざらし紀行の旅の途中の芭蕉を自宅に迎え入れた人の家のあった所。
この方は芭蕉の一門にもなった方で尾張地方の俳句の普及にも尽くした方でもあります。
その後書道の世界にも活動の場を広げた方のようです。
この家には芭蕉はよく立ち寄っていて定宿だったようです。
おそらく居心地が良かったのでしょうね。 -
ここは現在は個人宅なのでこれ以上は近づけません
-
さてでは次に行きましょう。
先ほどの場所の隣にあるのは、、、 -
何やらゴチャゴチャ書かれています
-
あつた蓬莱軒 神宮店
いつも混んでるお店です。
今日は定休日のようです。
本店はここから少し反対方向に歩いたところにあります。
そちらもいつも混んでますね。
まぁ、私はここ以上にお気に入りが見つかったので
これからはここに来なくても大丈夫で~すw -
進行方向の正面に鬱蒼とした森が見えます。
熱田神宮です。 -
左も森
-
右も森
-
道を渡ると大きな鳥居
熱田神宮 正門 (南門・第一鳥居) -
こんな朝っぱらから思った以上にたくさんの人が来ていました。
人がいなくなるのをしばらく待ってこの写真を撮りました。
右に座り込んでる爺さんは、いくら待っても、場所をどきそうもないので諦めてこの写真を撮りましたーw -
熱田神宮の境内図
-
熱田神宮は広い境内なので
見て回る順番を一応は考えて参拝しました。 -
最初に来たのが
摂社 上知我麻神社(かみちかまじんじゃ) -
参道から見た感じははなかなかの風格です
-
葉っぱもツヤツヤ
-
こちらの葉っぱもツヤツヤ
-
意外にも長い参道です
-
手水舎
-
屋根の大きな立派な手水舎です
-
ミツバチは農作物を含む植物の受粉などで重要な働きをしている大切な生き物なので絶対に殺さないようにしましょう。
ミツバチがいなければ世界は滅びるという有名な学説もありますね。 -
別宮 八劍宮(べつぐう はっけんぐう)
新しく作った神剣のために創建された神社だそうです。
本宮(ほんぐう)に準じた建築様式で祭事、神事も本宮(ほんぐう)に準じているそうです。
いわゆる本宮(ほんぐう)のバックアップ的な雰囲気なのかな? -
そのせいかあたりは妙な緊張感というか
ただならぬ雰囲気が漂っていて近寄りがたい感じです。 -
私ほど鈍感な人間でも迂闊に近づけないような圧迫感のある雰囲気がしました。
本宮をお参りした後はここにもお参りするのが熱田神宮からのオススメらしいです。 -
塀の隙間から 別宮 八劍宮(べつぐう はっけんぐう)の中の写真を撮ろうとしてる人がいました。
その時に係員がどこからともなくすっ飛んできてその人に注意していました。
見ていないようで係りの人は見ているんですね。 -
次に来たのが
末社 大國主社(おおくにぬししゃ) -
ここは写真を撮っても何も言われない感じでした。
大国主は出雲の神様でしたっけ?
出雲大社でこの方の像を見たような気がします。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)つながりなのかな? -
摂社 上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)は立派な建物です
-
祭神は乎止與命(おとよのみこと)で宮簀媛命(みやずひめのみこと)の父です。
-
ちょっとした有名な神社くらいの規模ですね。
ご祭神は「知恵の文殊さま」とも呼ばれているそうで、学業成就のご利益があるとのことで多くの受験生が訪れているらしいです。 -
由来
-
末社 事代主社(ことしろぬししゃ)
-
ここも撮影していても何も言われない感じでした。
事代主も出雲の神様でしたっけ?
たしか大国主の子供だったような? -
大国主(おおくにぬし)と事代主(ことしろぬし)にかしづかれたような 摂社 上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)
-
ここが熱田神宮の一部にあるとは思えない風格を感じます。
メインの格を感じますね。
上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)の別名は「源太夫社(げんだゆうしゃ)」とも呼ばれているようで、
古くから歌われている「源太夫(げんだゆう)」という謡曲に歌われていることからその別名がついたと言われているそうです。 -
シンメトリーな配置も緊張感があって美しいです。
ここは新年の1月5日の「初えびす」で地元ではよく知られていて「5日えびす」とも呼ばれ大変賑やかになるのだとか。
これは大国主社・事代主社の祭儀なんだそうです。
初えびすで授与される縁起物が「福熊手(ふくくまで)」と「福箕(ふくみ)」なんだそうです。
これは12月のうちに事前予約が必要そうです。 -
では、初っ端から見所満載でしたので、
少しマキマキで急いで次に行きましょう -
熱田神宮 正門 (南門・第一鳥居)に戻ってきました。
鳥居にもいくつかの形がありますがこちらは神明形の鳥居ですね。
伊勢神宮と同系列ですね。
この鳥居の有名な話として
天保10年(1839)10月にこの下を棺桶が通り大騒動になったという有名な事件もありますね。
鳥居はソッコーで作り変えられたようですが
作り変えた鳥居にも悪戯するものがいてさらに作り直したという物語のような話も残っています。
つまりこの件で2度鳥居を作り直したということになりますね。 -
鳥居にはツヤツヤの葉っぱがありました
-
こちらにもありました。
枝ぶりも良い感じです。 -
綺麗に掃除されている参道を行きます。
まだ朝なのに思った以上に人が多いので少し待って空いた時に撮影しました。 -
右手に鳥居ありました。
入ってみましょう。 -
塀に囲まれた神社がありました。
-
末社 楠御前社(くすのみまえしゃ)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉册尊(いざなみのみこと)の二柱をお祀りしているようです。 -
楠御前社(くすのみまえしゃ)の由来
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石灯篭も立派
-
左右にありました
-
この神社は「子安の神」又は「お楠さま」とも呼ばれているそうです。
種々の病気を治し、殊に安産の神としての信仰が厚いそうです。
小鳥居に干支や氏名を書いて奉献すると願い事が成就するといわれているようでたくさんの鳥居が収められていました。
最初に山積みされた鳥居を見たときはギョッとしましたけどねw
この小鳥居は本宮授与所にて扱っているようです。 -
このお社には社殿がなく、垣をめぐらした中に楠の神木が祀られています
-
参道に戻りました
-
少し行くとすぐに右手にお社があります
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末社 徹社(とおすのやしろ)です
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天照大神の和魂(にぎみたま)を御祭神にお祀りしているようです
-
徹社(とおすのやしろ)
-
神様には荒魂(あらみたま)と和魂の両面があるとされ、
和魂(にぎみたま)は慈しみ加護してくださる神とされているそうです。
これがこちらに祀られています。
天照大神の荒魂(あらみたま)はとても凶暴でパワーも強烈なので別の場所に隔離状態で祀られています。
後ほど行く熱田神宮の境内の奥深くにある一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)に祀られています。
一人の神様に極端な性格が同居していると言うのも面白いですが
私もそう言う傾向があるのでちょっとは理解できますw -
参道に戻ります
-
少し行くと川?濠?がありました
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真っ直ぐに境内を分けています
-
よく見ると流れがあるような感じです
-
なんという名の川なんでしょうね?
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その先には石が落ちてます
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これは佐久間燈籠(さくまどうろう)一部なのかな?
-
佐久間燈籠(さくまどうろう)の解説
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佐久間燈籠(さくまどうろう)
寛永7年(1630)5月、佐久間大膳亮勝之は海難にあい、熱田神宮に祈りその加護によってことなきをえたのを感謝して寄進されたと言われてます。 -
高さは約8メートル、形は六角形、江戸時代から日本三大燈籠の一つとして知られていたそうです。
六角形の石灯籠って珍しいですね。 -
第二鳥居まで来ました
-
このあたりはなぜか記念写真を撮る人が多かったです
-
人が滞留する場所らしくて
なかなか人がいなくならない場所です -
袴姿の方がガイドツアーをしていました
-
ここではボランティアガイドというのはあるようですが、、、、
制服が袴姿なのかな? -
検索してみたらボランティアガイドはこの第二鳥居の近くからスタートのコースがあるようです。
私はボランティアガイドは過去に松山城でちょっとトラウマになってるので遠慮しときます。 -
第二鳥居の左手に手水舎がありました
-
参道を行きます
-
奉納酒樽
この酒樽は氏子さんや日本酒の蔵元が神様に奉納している薦被りのお酒ですね。
このお酒は参拝者の振る舞い酒などに利用されているようです。
別の思惑としては
どうやら昔から宣伝効果も期待してたようですよw
インターネットとかテレビの無い時代なら口コミで広がるのを考えてのことだそうです。
私もデザインに惹かれてついついじっくり見てしまうくらいですからね。
薦被りの酒樽にはいろんなデザインがあるので
ついつい写真を撮ってしまうので効果はあるようですね。 -
奉納酒樽の横に大きな楠が見えてきました
-
大楠(おおくす)です
-
拝んでる人も多数見かけられました
-
大楠(おおくす)の解説
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樹齢は約千年と考えられています
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弘法大師のお手植えと伝えられているようです
-
境内には楠が多くて特に巨大なものは七本楠と言われているそうです。
楠は熱海の来宮神社など他の神社でも御神木にされているケースが多いですね。
長生きで巨木化する木なのかも知れません。
知らんけどw -
熱田神宮の歴史
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熱田神宮の歴史
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熱田神宮の歴史
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熱田神宮の歴史
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熱田神宮の歴史
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熱田神宮の歴史
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熱田神宮の歴史
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熱田神宮の歴史
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熱田神宮の歴史
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熱田神宮の歴史
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熱田神宮の歴史
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さらに参道を行きます
-
参道の左に見えるのが 末社 西八百萬神社(にしやおよろずじんじゃ)。
信長塀の手前に鎮座されています。 -
末社 西八百萬神社(にしやおよろずじんじゃ)
-
末社 西八百萬神社(にしやおよろずじんじゃ)の御祭神は西八百萬神とされ、
熱田神宮より西の全ての神がお祀りされています。 -
参道の右に見えるのが
末社 東八百萬神社(ひがしやおよろずじんじゃ)。
こちらも信長塀の手前に鎮座されています。 -
御祭神は東八百萬神とされ、
熱田神宮より東の全ての神がお祀りされています。 -
末社 東八百萬神社(ひがしやおよろずじんじゃ)
-
参道に戻りました
-
信長塀を見つつ行きましょう
-
信長塀を通過すると第三鳥居に来ました
-
ここまで来ると本宮(ほんぐう)も見えてきます
-
ではここからは気を引き締めて参りましょう
-
第三鳥居を過ぎるとそこは本宮前の広場になっています。
ここで右にくるりと見ていきます。
こちら方面は広場の左手にある祈祷殿・長床(きとうでん・ながとこ)ですね。 -
その右には本宮(ほんぐう)が見えます。
-
その右には授与所が見えます。
これが広場の全景ですね。 -
本宮(ほんぐう)
本宮の前に来ました。
石段の上で何やらおじさんと係員の人が大声でもめています。 -
どうやら石段の上は撮影禁止区域のようです。
それに納得いかないおじさんが係員の人とあーだこーだやってるようです。 -
結局は、、、
どうやらおじさんはブツブツ言いながら退散していました。
権力の勝利~w -
あ~~~
私も危ないところでした~
間違いなく階段上でパシャパシャ撮影してるはずですからね~~
私の身代わりになってくれたおじさんに黙とうを捧げましょう~w -
その後私は何食わぬ顔で石段を上がりお参りしました
とりあえず
二礼二拍手一礼
ここもそれで良いみたいなので無事お参りを済ませて、、、
ゆっくりと石段を下りました。
そして、、
階段下から振り向きざまに激写! -
小心者の私は叱られると嫌なので少し離れて再びパチリ!
-
もっと遠くから望遠でパチリ!
-
これくらい離れていると何も言われないですね。
-
この本宮(ほんぐう)は明治26年までは尾張造(おわりづくり)の社殿だったそうです。
尾張造(おわりづくり)は日本の神社建築様式の1つで、
本殿(後)、祭文殿(中)、拝殿(前)を回廊で繋いだ左右対称の建築様式で、尾張地方独特の建築様式なんだそうです
権現造と似ているかな~とも思いましたが、
やっぱりちょっと違いますね。
明治26年に伊勢神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りに改造されたようです。
三種の神器つながりなので揃えたようです。
尾張造に愛着があった尾張の人はそうとうがっかりしたそうです。 -
ここ熱田神宮は昭和20年3月・5月と、2回のアメリカ軍の爆撃を受けたので全焼したのですよね。
そんな罰当たりな事をしたアメリカに熱田神宮の神様の祟りがあったかというと
そうでもないみたいなので
神通力はアメリカには通じなかったのですね。
宗教が違うからかな?
いや、まてよ?
それとも、、、
名古屋のトヨタがアメリカの自動車産業を弱体化させたと言うのが熱田神宮の祟りなのかもw
それは相当の祟りだわw
なぜなら、、
それまでアメリカ自動車帝国の首都だったデトロイトなんかちょっと前までは焼け跡レベルのものすごい衰退具合だったしね。
今は知らんけど。 -
熱田神宮にある草薙剣(くさなぎのつるぎ)の大国主(おおくにぬし)から始まる話はもう有名な話なので皆さんご存知でしょうからここでは流石に長くなるので割愛します。
その後
宮簀媛(みやずひめ)は日本武尊(やまとたける)に託された草薙剣を持って夫の帰りを待っていましたが、、、、、
夫は白鳥になって空に飛んでいきました。
という悲しい結末でした。
それで草薙剣(くさなぎのつるぎ)は熱田神宮を創建して残されることになった、、
というのは有名な話なので細かいエピソードは割愛。 -
授与所(じゅよしょ)
たくさんの人でごった返していました。
こういう所って時々ちょっと面白いものとか売ってることもあるんですよね。 -
色々願い事を書きこむコーナーも人で溢れていました
-
神楽殿(かぐらでん)
初宮参り・安産・厄除け・家内安全などのご祈祷をする社殿です。
なかなかフォトジェニックな外観です -
外国人観光客もその日本的な風景をバックに記念写真を撮っています。
-
昨今の外国人観光客は少し調子に乗ってます~w
このあと、、
もっと調子に乗った恥ずかしい~ポーズを連発していましたが、、、
まぁ、日本人もそういうことを海外でちょくちょくやってるから文句は言えないよねw
人のふり見て我がふり直せ~
海外でのはしゃぎすぎには気をつけましょうねーw -
1月1日午前零時の「初神楽」はここで奉奏されるようです。
-
この建物は平成21年創祀千九百年の記念事業で新しく造営されたようです。
どうりで綺麗なんですね。 -
さてさて、
次は楽しみにしていた「こころの小径」に行きます。
ここは今まで見た事がありません。
楽しみです。 -
ここは割と最近から見られるようになった場所ですね。
ここから先は撮影禁止なので
ここから出口まで写真はありません -
ここから中に入り、
少し行くと右手に
摂社 龍神社(りゅうじんじゃ)が鎮座。
吉備武彦命(きびたけひこのみこと)、大伴武日命(おおともたけひのみこと)をお祀りしているようです。
日本武尊(やまとたける)の東征に従った神々だそうです。
そこから少し行くと右手に
摂社 御田神社(みたじんじゃ)が鎮座。
五穀豊穰の守護神である「大年神(おおとしのかみ)」をお祀りしているそうです。
その前あたりの道の左手に崖を登る道があり
登り着いた高い場所に土用殿(どようでん)がありました。
ちょうど神楽殿の裏にある感じです。
もと、草薙神剣を奉安した御殿だそうです。
来た坂をおりて道に戻り先を行くと
左手に
末社 清水社(しみずしゃ)があります。
水の神様の罔象女神(みずはのめのかみ)をお祀りしています。
社殿を少し降りたところに湧き水のある水場があって、このコースで一番のインスタ映えスポットです。
ですが、こころの小径は全域で写真撮影は禁止区域ですので要注意。
私の前のおばさんグループはスマホで自撮りしようとして他の人にピシャリ!と注意されてましたね。
その指摘した若い男の人に内心「グッジョブ!」と思ってしまったw
意地悪~なお爺さんは私です~w
このお水は俗に「お清水(しみず)さま」と呼ばれ、その水で眼を洗えば眼がよくなり、肌を洗えば肌がきれいになるという信仰があります。
流石に本格的に顔にタップリつけたり眼を洗うのは私的には抵抗あり~。
でも近くにいたおばちゃんグループはけっこうバシャバシャ顔につけてましたよ。
効果は、、、
もう少しあとから出るんでしょうね~
多分、、、w
ここから先はしばらくは森の中を緩やかに登っていく感じの小径が続きます。
本宮の後ろの塀に沿ってしばらく行くと道に突き当たります。
その道を右に行くと
摂社 一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)が鎮座されていました。
一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)の御祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒御魂(あらみたま)
そう言えば先ほど見た徹社(とおすのやしろ)では天照大神(あまてらすおおみかみ)の和魂(にぎみたま)を祀っていましたね。
この熱田神宮でもっとも強烈なパワーを持っている場所のようで、確かに厳重に管理されている感じがしました。
後ろを振り返りその道を行くと門番のいるフェンスのゲートがあります。
このゲートを出るとこころの小径の旅はおしまいです。 -
フェンスを出て本宮(ほんぐう)の塀に沿って歩いていきます。
ここはもう撮影しても良い場所に来ました。
振り返ったこの先に今出てきたフェンスがあります。
こころの小径のある区域は長らく一般の人は立ち入ることのできない神聖な区域だったんです。 -
2012年(平成24年)12月1日に「こころの小径」として一般公開され、参拝できるようになったんですね。
-
ここは朝の9時から夕方の16時までなのでそこは注意が必要です。
-
短い距離でしたが小旅行したような充実感がありました。
写真を撮れないのが残念ですが
良いものを見たな~という気持ちになりました。 -
私の見た感じでは、
このコースを一周する人よりも一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)だけを見る人の方が多い印象でした。
本宮(ほんぐう)横の道だけがけっこうな人通りでした。
もったいな~~い! -
左には本宮(ほんぐう)
-
こころの小径はこちらから行く場合は本宮(ほんぐう)の向かって左横にあります。
-
こころの小径の案内図
-
天照大神の荒ぶる魂がこの森の奥深くで静かに佇んでいると考えたら
この静けさも危ういものに見えてしまいます。
天照大神はなんといても短気な気分屋さんの神様ですからね~~w -
と、よからぬことを考えていたら、、、
森の奥から一陣の強い風が私にめがけて吹いてきました。
木々の枝を大きく揺らし
その風は私の体を小突くように強く押してきているように感じました。
ちょっと立っているのが大変な感じの強い風でよろめいてしまいました。
そして、
それまで曇っていた空なのに
この瞬間は強い陽光がパーっと私めがけて射るように突き刺さってきました。
目を開けていられない感じの眩しさで目を閉じてしまいました。
しばらくすると、、
急に風がおさまって
眩しさも和らいでいました。
何事も無かったかのようにあたりは静まりました。
一瞬のことで私は少しぽかーんとしてしまいました。
目もようやく開けられました。
今のは何だったんでしょう? -
ちょっと怖くなってきたので
その場を小走りで走って逃げましたw(←弱虫w)
気がつけばあたりは薄曇り、、、
さっきのビュー!!ピカーッ!!はなんだったの??
まぁ、、、
あまり深く考えるのはよしましょう、、、 -
西楽所(にしがくしょ)にきました。
貞享3年将軍綱吉の再建。
アメリカ軍の空襲で焼失した熱田神宮の中では古い建物です。
東楽所もありましたがアメリカ軍の空襲で焼失しました。 -
西楽所(にしがくしょ)の解説
-
信長塀(のぶながべい)
-
永禄3年(1560)織田信長が桶狭間出陣の時、熱田神宮に必勝祈願をしてみごと大勝したので、そのお礼として奉納した築地塀(ついじべい)です。
-
土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねたものです
-
兵庫西宮(にしのみや)神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の一つとして有名です。
東京でも谷中の観音寺とか小さなものならあちこちにちょこちょこありますね。 -
信長塀(のぶながべい)
-
信長塀(のぶながべい)
-
信長塀(のぶながべい)を過ぎると急に人がいなくなります。
こちらのエリアに全然人が来ないのはなぜ?
まるで異界に入ったような感じです。
ちょっと怖い感じです。 -
信長塀のすぐ横に鎮座していたのが
末社 大幸田神社(おおさきだじんじゃ) -
五穀をはじめ食物を司る「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」をお祀りしているそうです。
「福の神」として富貴栄達を祈る神様と言われているらしいです。 -
大幸田神社(おおさきだじんじゃ)
-
信長塀の前にあるこの道を行ってみます。
今朝通った参道と並行して走っている道ですが全然人がいないです。
でもスタッフ係員の方はマメに見回りをしているようなので少し安心しました。 -
と、その時!
私の歩いている右手すぐの横の森の中で
バリバリバリ!!
ドッスーン!!
と、ものすごい音を立てて大木が落ちてきました! -
な、なんなの??
たまたま通りかかったスタッフ係員さんが落ちてきた大木を確認しに森の中に行きました。
枝と呼ぶには太すぎる木が落下してきたようです。
スタッフの方もちょっと驚いていました。
でも、森の中から出てきたスタッフ係員さんに聞いてもその大木がどこから落ちてきたのかよくわからなかったようです、、、
う~~ん、、、
さっきからなんか変な感じです。
普通の人よりも霊感の全然無い私にさえ次々と巻き起こる怪現象。
熱田神宮はリアルなワンダーランドですね。 -
と、人っ子一人いない静かな道をかなり戦々恐々として歩いていたら
小さな神社が並ぶ通りに来ました。 -
末社 内天神社(うちてんじんじゃ)
祭神は少彦名命(すくなびこなのみこと)。
医薬の神様として祀られているようです。
この神社には社殿がありません。
のぞいてみたら二本の細い木が生えている平地があるばかりでした。 -
内天神社(うちてんじんじゃ)
-
その先には六末社(ろくまっしゃ)が並んでいます
-
末社 乙子社(おとごしゃ)
祭神:弟彦連(おとひこのむらじ)
尾張氏の15代目にあたる方だそうです。
この建物だけ他のものより少しだけ大きいのはそのせいなのかな? -
乙子社(おとごしゃ)
-
末社 姉子神社(あねごじんしゃ)
祭神:宮簀媛命(みやずひめのみこと)
日本武尊のお妃ですね。
宮簀媛(みやずひめ)は東海道の守り神でもあるそうです。 -
姉子神社(あねごじんしゃ)
-
末社 今彦神社(いまひこじんしゃ)
祭神:建稲種命(たけいなだねのみこと)
宮簀媛(みやずひめ)のお兄さんで日本武尊の東征のお供をした人 -
今彦神社(いまひこじんしゃ)
-
賽銭箱
-
末社 水向神社(みかじんじゃ)
祭神:弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)
日本武尊(やまとたける)の妃の一人で日本武尊の東征に帯同しました。
横須賀あたりで海が荒れたとき自ら海に飛び込み荒れる海を鎮めたという話は有名ですね。
大昔に見た市川猿之助のスーパー歌舞伎ヤマトタケルでも見どころの一つでしたっけ。 -
水向神社(みかじんじゃ)
-
末社 素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)
祭神:素盞嗚尊(すさのおのみこと)
天照大神の弟で草薙の剣をヤマタノオロチの尾から取り出した神様。
この方は京都の八坂神社の祭神でもあるそうです。
京都の祇園祭はこの方のお祭りなんだそうです。 -
素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)
-
末社 日長神社(ひながじんじゃ)
祭神:日長命(ひながのみこと)
知多半島を開拓した方だそうです。
ものの本には宮簀媛命の兄という方もいるようです。 -
日長神社(ひながじんじゃ)
-
六末社(ろくまっしゃ)がズラ~~りと並んでいます。
小さいながらもこれだけ並んでいるとタダならない感じがしてきます。
そう思えば、ここを通ってる間じゅう
なんだかこの辺りはヒンヤリしたやや重たい空気が流れているような感じがしました。
やっぱりお賽銭を入れなかったからかな? -
少しビビりながら黙々と歩いているとやっと参道に出てきました。
出た場所はちょうど第二鳥居のところでした。 -
今朝見た大楠が見えてきました
-
手水舎
-
この大楠はなぜだか心惹かれてしまいます。
なんとなーく呼ばれてるような~、、、
何だかそわそわするような落ち着かない変な心持ちになります。 -
で、次に行くのは、、
-
こちらです
-
ここですね
-
くさなぎ広場
何だか予想と違って新しい雰囲気です。
どことなく道の駅っぽいです。 -
くさなぎ広場 売店(くさなぎひろば ばいてん)
ここではお土産物を売っているようです。
けっこう混んでいますね。 -
剣の宝庫 草薙館(つるぎのほうこ くさなぎかん)
今回はこちらはパスします。
刀とか物騒な物はどちらかと言うとちょっと苦手~。 -
これは舟?
-
ここには以前は南神池という池に面した休憩舎があったそうで
平成3年7月にその場所にこの広場をリニューアルオープンしたそうです。 -
熱田湊をイメージしたデザインなんだとか。
-
元の熱田湊を見てないのでイメージがわかないです。
私の印象は
「まるで道の駅みたいです」 -
お待ちかねの宮きしめんがありました
-
カウンターで受け取る形式のセルフサービスですね
-
すでにここまで出汁のいい匂いがしてきてたまりません
-
私の気持ちは決まっています
-
宮きしめん 800円
出来上がりを待ちます -
カラスも頑張ってますね
-
お水はあそこか
-
きしめんができました
-
ん~~良い香りです。
美味しいきしめんです。
驚いたのがトッピングの椎茸の旨煮がとても美味しい。
しかも肉厚の「どんこ」で決して安く無い食材を使っています。
これも上手に煮ていました。
私の作る椎茸の旨煮と似たような甘辛い味付けで私の好きな味です。
きしめん自体も美味しいです。 -
途中で一味もほんのちょっぴり入れて味変します。
私がきしめんを食べていたら
隣に座っていた親子で来ていた娘さんが自分たちのついでに私の分まで水を持ってきてくれました。
流石にこれはびっくりしました。
田舎ではたーまにあることですが名古屋のような大都会でもそういう感性が残っているのですね。
名古屋は日本的な感性が一番残っている大都市という話はよく聞きますがこういうことなのでしょうね。 -
食後に辺りをぶらついてみました。
佐久間灯籠のところに来ました。 -
この時間は日が射してるので朝見たときの印象と違う感じで見えました。
特に石灯籠の足元が可愛い感じの装飾がついているのに気がつきました。 -
南神池に戻ってきました。
池を一周してみます。 -
池の向こうに見える宮きしめん。
コードダジュールのカフェみたいに見えますw -
この舟は子供が遊べるようになっていました
-
リニューアル前の昔の写真を見ると
南神池は鬱蒼とした緑の中にあったようで
テラスのある休憩舎が池に面してある感じだったようです。 -
今では明るい感じの公園風に変わっていました。
この木はリニューアル前からあったものなのかな?
青空に向かって背伸びしているようで気持ち良さそうです。 -
この舟は熱田湊の舟のイメージみたいです。
そもそも熱田湊とは?
東海道の日本橋を出てから41番目の宿場町である宮宿(みやしゅく)にある湊で、ここから桑名宿まで海路の七里の渡しで結んでいたようです。
そのため宮宿は東海道で最大の宿場町だったそうです。
宮宿は熱田宿とも呼ばれていたようです。 -
以前はここらあたりに休憩舎があったようです
-
くさなぎ広場 売店(くさなぎひろば ばいてん)
店内はコンパクトですが熱田神宮所蔵の刀剣・宝物をモチーフとした参拝記念品があってなかなか面白いものが多いです。
お菓子とか食べ物も名古屋っぽいものが揃っていました。
特にここでも売られている「きよめ餅」は大福餅が好きな人なら外せませんよ。
私は今日はまだ歩きがあるので購入できなかったのが残念です。
持ち歩いていたらグチャグチャになるくらい柔らかいお餅なんですよ~。
中のこしあんが上品でいいんですよー。
お茶に合う柔らかくて美味しいお餅です。
休業してしまった納屋橋饅頭(万松庵のもの)の無き後、
私の中で名古屋で一番もらいたいお土産のお菓子という感じです。 -
池の半分は以前の雰囲気のようです。
森に囲まれた池のイメージです。 -
目をひいた赤い石
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南神池のひっそりとした雰囲気は残っていました
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南神池に注ぐ流れがささやかな水音を立てていて涼しげ
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二十五丁橋(にじゅうごちょうばし)
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名古屋では最古の石橋と言われているそうです
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説明板
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板石が25枚並んでいるところからこの名がついたのだとか
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人気の写真スポットのようで
なかなか人がいなくなりません -
石段がついていました
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振り返るとさっきいた宮きしめんが見えます
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宮きしめんの引力に引きよせられる私w
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こっちのカウンターはさっきのきしめんカウンターとは違うみたいです。
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こちらはスイーツのカウンターみたいですね
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色々ありますねー
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なるほど~
-
と、、、、
気がついたらソフトクリームを握りしめていましたw
宮ソフト 北海道ミルクバニラ 550円
抹茶もパラリとかかっていてミルクの味が濃いですが後味はさっぱりしていて美味しいです。
量もたっぷりという感じの嬉しさ。 -
しかもおまけ付き
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宮まんじゅう
これは別に買えば1個130円するんだよね。
おまけとしたらかなり嬉しい。
そう思うと550円はかなりのお値ごろ。
コスパ良いですねー。
さすが名古屋です。 -
甘すぎないあんこでしっとりカステラ生地の美味しい宮まんじゅうでした。
お茶と一緒に食べたら美味しそう。
今日はこれからまだかなり歩くので購入は諦めました。 -
剣の宝庫 草薙館(つるぎのほうこ くさなぎかん)
古くより祈りを込めて神様に捧げられた貴重な日本刀約450口を収蔵する当神宮ならではの刀剣専門展示館。
という触れ込みのようです。
今時の歴女は刀剣好きが多いからそういう方にはたまらないんでしょうね。
私は怖いもの、物騒なものは苦手なのでパスです。 -
宮きしめんに戻ってきました。
これでお庭は一周した感じです。 -
お昼時なのかな?
すごく混んできました。 -
ここは結構美味しかったからまたきたいなー。
今日のように天気の良い日は気持ちも良いし。
カラスに注意しながら食べると言うのも乙なものw -
さーて。
熱田神宮のお散歩も最終段階に入りました。 -
とりあえずこの先のルートを検討します
-
参道をつききって先ほどの裏参道?を行く事にします
-
天気が良くなって良かったです。
木漏れ日が心地良いです。 -
佐久間灯籠のある交差点まで戻ってきました。
ここで参道をつききって横断していきます。 -
この横道には人影がありません。
熱田神宮って人のいる場所といない場所の差が極端です。 -
令和記念館 警衛詰所(れいわきねんかんけいえいつめしょ)の所まで来ました。
迷子・落し物受付、境内の道案内などはこちらへお越し下さい。
との事です。
ちょっとわかりにくい場所ですけどね。 -
ここで右に曲がって参道と並行に走る道を行きます。
やっぱりとても静かな道です。 -
人っ子一人歩いていない道を行くと何やら見えてきました。
-
清雪門(せいせつもん)のようです
-
解説
-
もと本宮の北門といういわれがあるようです。
不開門(あかずのもん)という別称もあるという事です。 -
門が閉じている理由は、
天智天皇7年(668)新羅の僧が神剣を盗み出しこの 門を通ったといわれ、以来不吉の門として忌まれた。
とも、
神剣還座の際門を閉ざして再び皇居へ遷ることのないようにしたとも伝えられております。
という事です。
盗みをする新羅の僧というのもなんだかデジャブ感がありますw
そういえば、、、
盗まれて韓国に行ってしまった対馬の仏像はその後日本に帰ってきたんでしたっけ?
っていうのをどうしても連想してしまうw
歴史は繰り返す?
2度あることは3度あるってことかな?
はたしてそういう事を歴史から学んでいくんでしょうかね~ -
この築地塀もなかなか見事な造りです
-
では先に進みましょう。
-
左手に何か見えてきました。
奥に赤いものが見えます。 -
と、その時に私の背後の右手に何かが動いています。
見たら猫ちゃんがノッシノッシと悠然と歩いています。 -
どこから来たの~~?
いくら呼んでも無反応 -
どこに行くの~~?
やっぱり無反応、、、
猫好きな私にとって
猫にガン無視されるくらい寂しい事は無いです、、 -
そんな私の思いなんかぜんぜん関係ないわという風に
猫ちゃんは悠然と去っていきました。
去りゆく猫ちゃんを見て
痩せていないし
毛並みも悪くないので
ちょっと安心した私です。
我が家の猫様は今日あたりから怒り心頭だろうなー。
まー、今日帰ったらチュールと猫じゃらしでご機嫌取りしなきゃ。 -
さてさて、
さっき見えた赤いものはお社のようです。 -
春日燈篭
変わった形の燈明です。
しかもデカイ。 -
末社 曽志茂利社(そしもりのやしろ)
祭神 居茂利大神(こもりのおおかみ) -
曽志茂利社(そしもりのやしろ)
-
末社 八子社(やこのやしろ)
祭神
天忍穂耳尊(あめのおしほみのみこと)
熊野櫲樟日命(くまのくすひのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
天津彦根命(あまつひこねにみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
活津彦根命(いくつひこねのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
以上 5男3女の神様
素盞嗚尊(すさのおのみこと)と天照大神(あまてらすおおみかみ)の誓約で生まれた子供。
と、神話には書かれていますが、、、
素盞嗚尊(すさのおのみこと)と天照大神(あまてらすおおみかみ)は姉弟ですよね、、、
これって、、
問題山積みですね、、 -
八子社(やこのやしろ)
-
摂社 南新宮社(みなみしんぐうしゃ)
-
祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)
-
京都の八坂神社と同じ祭神で、
6月5日を祭日として南新宮社祭を行っているそうです。 -
南新宮社(みなみしんぐうしゃ)
-
熱田神宮の中で唯一の丹塗りの社殿だそうです。
過去には民衆には親しまれていた神様だったようです。 -
森の道を行ってみます
-
再び裏道に出ました
-
しかし、誰もこの道を通らないのかな?
-
なんか見えてきた
-
摂社 孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ)
祭神 天火明命(あまのほあかりのみこと) -
天火明命(あまのほあかりのみこと)は尾張氏の祖だそうです。
歴史は相当古そうですが創建年が不明で謎が多いらしく、歴史が古いわりに熱田七社には含まれないという不思議な神社。
(熱田七社は熱田神宮・八剣宮・高座結御子神社・日割御子神社・氷上姉子神社・上知我麻神社・下知我麻神社)
元は別の場所にあったものが明治7年にこの場所に移されたようです。 -
解説板
-
神社の横に道があったので行ってみます
-
鬱蒼とした森の中の道を行きます。
さっきの参道あたりのの賑わいが嘘のように静かです。 -
森の中に
摂社 日割御子神社(ひさきみこじんじゃ)が見えてきました -
摂社 日割御子神社(ひさきみこじんじゃ)
祭神 天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと) -
日割(ひさき)は干崎(ひさき)から来ているという説があるそうです。
かつて熱田台地は海に突き出した細長い岬で、ここはその突端に当たり、そこから干崎と呼ばれたのだろうとする説なんだそうです。
早い時期から陸地化していた熱田台地は昨日見た見晴台遺跡も含めて海沿いに発展した文化の源ですね。 -
解説板
-
さて、再び鬱蒼とした森の中を行きましょう。
大都会の中で人のいないある意味とても贅沢な時間です。 -
歩いてしばらくしたら参道に合流しました。
目の前に熱田神宮 正門 (南門・第一鳥居)が立っていました。
ちょうどラッキーな事に人がいません。
空は青空が出ています。
今朝見た風景とは全然印象が違います。 -
こうして見たらなかなか絵になる。
熱田神宮。
不思議な場所でした。
パワースポットとかは自分には縁がない世界ですが、
今日はなんだか変な力のようなものが私の周囲で動いていたような感じでしたね。
それで私に何か特別なパワーが与えられて!
っていうのは全然~無さそうですがね~w
では熱田神宮は大体見られたので次に行きましょう。 -
左に行くようです
-
ここをまっすぐ行きます
-
熱田神宮の森が広がっています
-
振り返りこんもりとした熱田神宮の森にさよなら~。
とても楽しかったですよ~。
時間があったら熱田神宮 宝物館・文化殿などの見学をしても良いなぁ。
見所が多い感じの神社でした。 -
しばらく歩いていくと
今朝、朝ごはんで寄った吉野家のところに戻って来ました -
地下鉄熱田神宮伝馬町駅に到着。
ここから地下鉄に乗ります。
その時。私よりちょっとだけ年配の男性が2本杖をつきながらゆっくりと駅の階段を上がってきました。
それを見て自分ももっと頑張らなきゃなぁ~っなんて思ってしまいました。 -
今朝ここの駅の改札にいた例の塩辛対応の駅員さんはいなかったー。
小心者の私はドキドキしながら来たわけですがホッとしました。
お願いだからカルシウム飲んでください。 -
この電車って環状線なのかな?
-
と、考えてるうちに突然のように地下鉄は来ました
-
西高蔵駅に到着。
2駅乗っただけなのですぐに着きました。 -
電車を見送ります
-
地図で行き方を確認。
駅員にはもう訪ねる事は2度としない私です。
あ~ 昨日恋して燃えて~
今日は~ 敵と味方の二人~
そんな、キーハンターな関係の私と駅員w -
名古屋って地下鉄出口のエスカレーター無い感じなのね、、、
ま、それはそれで堅実で良いと思いますけどね。
歳をとるとちょっとしんどいのも事実。 -
地上に出ました。
私の目的地はあっちに行くようです。 -
それにしても暑くなってきたなー
喉乾いたなー
って思っていたら、、 -
や~ん!
こんな私のために~
ずっと待っていてくれたのね~
っていうタイミングで、、
コメダ珈琲店 西高蔵店 -
コメダ珈琲店 西高蔵店
看板が昭和の佇まい -
閉まる時間が意外に早いのね
-
どことなく漂う昭和な感じが
私のようなおじいちゃんのハートにグッとくるのよね。
迷わず入っちゃいます。 -
メニューも昭和感たっぷりで落ち着く~
-
おしぼりも昭和感
-
ついつい頼んじゃうこれ。
クリームソーダ 580円
氷がいっぱい入ってるのでソーダ水の量は少ないけどソフトクリームが普通のサイズで乗ってるので嬉しい。
それにソーダ水の味も昭和味で好きな味。 -
おまけの豆菓子
-
店内の昭和感が落ち着きます。
-
意外に若い人が多く入っています。
若い人もこういう昭和感って大丈夫なのかな?
若い人はスタバみたいなおしゃれなカフェしか行かないかと思った。 -
外が見えそうで見えない
-
クリームソーダだけでは満たされない私
-
たっぷりサイズ アイスコーヒー 580円
ビールジョッキくらいのものが来るかと考えていたので思ったよりは小さかった。
ていうか、値段考えたら良心的なサイズだよね。 -
まあまあ水分補給ができました
-
ではそろそろ行きましょうか。
クリームソーダ 580円
たっぷりサイズ アイスコーヒー 580円
合計で1160円でした。 -
味も昭和な感じでホッとしますね。
もしかしたら名古屋の食べ物、飲み物の味って私の好みに合ってるのかもー。 -
ではこっちの方に行きます
-
道の向こうに森が見えてきました
-
森を目指して道路を渡ります
-
のぼりが立っています
-
鳥居が見えてきました
-
鳥居の後ろは鬱蒼とした森です
-
熱田神宮境外摂社 高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)
熱田神宮の境内の外にある摂社ですね。
ちなみに熱田神宮の境外には摂社4社、末社12社があるそうです。 -
解説板
-
なかなかの風格を感じます。
でも人の気配が全然ありません。 -
参道に入りました。
木々が生い茂っています。
そして、、
黒くて足の長い蚊がものすごく多いです。 -
ここは夜寒公園というらしいです
-
愛知國學院中部神祗学校跡
-
-
赤いのぼりが見えてきました
-
森の中の赤いのぼりはなんだかちょっと怖い感じです。
-
熱田神宮境外末社 高座稲荷社(太閤出世稲荷)(たかくらいなりしゃ)
-
由来
-
謎めいた雰囲気の森の中の赤い鳥居の列。
なかなかの雰囲気です。 -
では参ります
-
ワープ!
-
まだまだワープ!
-
意外に長いワープ!
-
そろそろ見えてきた
-
もう直ぐです
-
熱田神宮境外末社 高座稲荷社(太閤出世稲荷)(たかくらいなりしゃ)
祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) -
五穀・食物を司る神様のようです
-
ここには豊臣秀吉が幼い頃に母親に手を引かれてお参りに来たそうです。
それで立身出世のご利益があると言われています。
それで太閤出世稲荷とも呼ばれているそうです。 -
立身出世をしたければまずは5000円から始めませんか?
って、投資みたいですねw -
奥にも何かありますね。
-
この鳥居はどこに行くの?
ちょっと、、怖い、、 -
でも、旅にためらいは禁物。
-
行ってみましょう
-
ワープ!
-
まだまだワープ!
-
結構思った以上に長い
-
出口が見えてきた
-
もう直ぐです
-
もう直ぐ出口
-
熱田神宮境外摂社 高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)
祭神 高倉下命(たかくらじのみこと)
に出ました -
創祀は熱田神宮とほぼ同年とされているようです。
子育ての神様とされて信仰が厚いようです -
本殿は織田信長の寄進で建てられたそうです。
-
その後蜂須賀家政の修理があったようで偉い方からの信仰も厚かったようです。
-
元は朱塗の尾張造だったようですがアメリカ軍の爆撃で全てが焼失したようです。
現在の建物は1963年(昭和38年)に焼失前の形に近いイメージで再建されたされたそうです。 -
社務所がありました。
これほど誰もいないという独り占め状態なのでこれも何かの縁。
せっかくだから何か記念になる授与品はあるかな~? -
と、近づいてみたら、、、
店番の人がうつらうつらしているように見えたので~
そっとその場を離れました~w -
熱田神宮境外末社 新宮社(しんぐうしゃ)
祭神:素盞嗚尊(すさのおのみこと) -
熱田神宮境外末社 新宮社(新宮社)
-
熱田神宮境外末社 鉾取社(ほことりしゃ)
祭神:鉾取神(ほことりのかみ) -
熱田神宮境外末社 鉾取社(ほことりしゃ)
-
熱田神宮境外末社 御井社(みいしゃ)
祭神:御井神(みいのかみ)
でっかいターバンを巻いたミーシャにここの存在を教えてあげたいですね。
ゆーえーぶりしーん
ゆーえーぶりしーん
あーなーたがー思うーよりつよーくー
って、ここの神社で大絶叫で歌うと絵になりそう。
巨大なターバンの中には金鳥の蚊取り線香を仕込んで~w -
井戸のぞき
秋田のなまはげに匹敵する幼児期トラウマ儀式ですな、、、 -
ここをのぞくようです
-
ちょっと怖い感じです
ドキドキ -
こういう感じになってました。
ちょっとホッとしました。 -
手水舎
-
ここは子預けの神社だそうです。
15歳まで預けっぱなしOKなら
今だったら大行列で大人気の神社になっていたでしょうねー
ついでに旦那まで預けられたりしてーw -
境内にはこんもりしているところがあります
-
高蔵貝塚ですね。
この近辺では道路工事の際に弥生時代を中心におびただしい数の出土品があったようです。
しかし当時は歴史上に弥生時代という概念がまだ無かった時代なので作業員が破壊してジャンジャン廃棄していたようです。
弥生時代という時代認識が確立した時点でこちらの遺跡が早くにもっと認識されていたら弥生時代という呼び方は高蔵時代という名前になっていた可能性はかなり高かったと個人的には思うのです。 -
説明版
-
境内は思った以上に広いです。
そして黒くて足の長い蚊がものすごく多いです。
林の中に淀んだ水場があるのでしょうかね。
私の手に止まり手袋の上から血を吸おうとしていてかなりしつこい蚊です。
蚊を払いながらの見物なので落ち着かなかったです。 -
広い境内ですが人の気配が全然無いです
-
尾張浜主の歌碑の説明板
103歳でこの歌の舞を舞ったという驚異の人
それを見た仁明天皇はたいそう驚いたそうですが
それは現代でも驚きますよ! -
尾張浜主の歌碑
-
巨大な木が立っていました
-
御神木のようです
-
、、、、ノキ、、、
アントニオ イノキ?
では無いと思うが、、、
残念ながら確認できず。 -
根っこがすごい!
-
黒い足の長い蚊を払いながらの境内散歩は続く
-
さっき通った鳥居の横にあったこんもりが気になったので戻ってみた
-
貝塚のような、、
-
古墳のような、、
-
どうみても人工物のような気がするが、、
-
特に看板が無いの、、、
いくら探してもないので断念して先に行きます -
今度は来た時とは違うこちらの鳥居から出ます
-
いろんな鳥がいるんですね。
こういう鳥は蚊を食べないのかな? -
振り返った感じ。
森の入り口という感じです。 -
熱田神宮境外摂社 高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)
-
説明版
-
左を見た感じ
-
右を見た感じ。
鬱蒼とした森ですね。
次はこちらに行きます。 -
次のポイントはすぐにありました。
高蔵公園
ここも高蔵遺跡の一部です。 -
現在は整備されていて遺跡自体は地下にあって
なにも見られない感じの場所です -
高蔵5号墳の解説
この辺りは熱田台地にあり海にも近かったのでかなり昔から常に人の営みがあって重層的に時代の痕跡があるところです。
この古墳も平安時代から鎌倉時代には古墳を大きく削ってたりしていたようです
神社施設が建てられたりさらに埋め戻されたりと忙しい場所であったようです。
この古墳の下には弥生時代の環濠集落の遺跡が確認されています。
この環濠の跡はさらに大きく広がっているのが確認されています。 -
この古墳の下から弥生時代の環濠集落の跡が発見されています。
-
この道を行きましょう
ここで右へぐるりと見ていきます。
この周辺には20以上の古墳があったらしいですが、大部分のものは特に保存とかされずに宅地化したようです。 -
右手には高蔵保育園があります。
この地下には弥生時代の環濠集落跡が眠っているようです。
この弥生時代の環濠集落はここ高蔵公園の大きさより少しくらい大きな環濠集落だったようです。 -
遺跡保護で少し盛土してるのかな?
やや高くなっている気がしました。
この遺跡の発見は横を走る大津通の拡張工事の時だったようです。
まだ弥生時代という時代区分が認識される以前のころだったので出土した土器類は破壊廃棄されていたようでその数はおびただしい量だったようです。 -
高蔵5号墳
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さっき来た方向
-
左手のフェンスの向こうは高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)
-
左手のフェンスの向こうは高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)
これでぐるりと見てみました。
では先に行きます。 -
この公園内には高蔵1号墳から高蔵8号墳までも古墳の存在が確認されています。
その下には弥生時代の環濠集落があり、この辺りは環濠の内側にあたります。 -
高蔵公園の解説板
調べてみると
高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)の両側の土地は市有地で北側は県有地だったようで、周囲の宅地化からの文化財保護の意味でこの公園を作ったようです。
神社の両側の市営区域は主に文化財の保護区域に
神社の北側の県営区域はグラウンドや広場に利用されている感じになってましたね。 -
この辺りは市営区域ですね。
緑が多く散策路のような感じに整備されていました。 -
緑も多いが蚊も多いw
おそらくお隣の神社から遠征して来ているのかな? -
ところどころに意味ありげなものが地面にあります。
これはなんでしょうね? -
ここにもこんもりとした場所があります
-
高蔵8号墳
円墳で周囲に溝があったようで石積みでそれを表現してるようです -
次の場所へ移動します
-
石積みが意味ありげにありますが
説明がないので意味はないのかも。
埋蔵遺跡に関係あるのかどうか、、
とにかくまぎらわしいー。 -
次に来たのが高蔵7号墳
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円墳で河原石を積み上げた横穴式石室だったそうです
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周りの石が周溝を表してるようです。
ここは地面の石積みに意味があるようですね。 -
次に行きます
-
この石積みがなんなのか気になります
-
この辺りに高蔵2号墳があると思うのですが、、
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これかな??
なんか、見当たらないですね、、 -
資料を見間違ったのかしら??
-
この辺りのはずなんだけど、、、
-
ま、いいや。
先に行きましょう。
左の森は高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ) -
せっかくの史跡ガイドが泥だらけw
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この道を行きます
-
この辺りは県営区域なのかな?
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確かに都市公園という感じだなー
-
ここからの眺めでは名古屋でも有数の価値を持つ遺跡だなんて全然想像つかない。
このグランド周辺でも方形周溝墓や環濠も見つかってますが言及されていない感じでした。
それにこの公園では弥生時代の遺跡への言及はほんのちょっぴりという感じだったし、、、
朝日遺跡でも見る事ができた赤く彩色されたパレススタイル土器もここで発見されています。
そんな凄い弥生時代の遺跡なのに華麗にスルーされていて悲しい~~
名古屋では派手で大きいものが好かれるためか古墳時代の方が人気なのかもしれないですね。
知らんけどw -
このフェンスの向こうは高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)の森
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鬱蒼としていますね。
不審な侵入者があっても黒い足長の蚊の猛攻撃で血を吸われまくることでしょうねw -
この道を行きましょう
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この先にあったのが高蔵1号墳
公園の一部の遊具かと思ってうっかりして写真撮ってなかったですw -
高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)に沿って歩いていたらこんなタコさんみたいな木がありました。
今にも歩き出しそうでしょ。
すごく可愛いので思わず写真に残しました。 -
高蔵公園の入り口あたりにありました。
-
写真に撮りませんでしたが
この公園は小さな子連れのママさんが子供を遊ばせに来ていて割と賑わっていました。
で、私が近くを通ると、、
ママさん達は子供の手を引き寄せてこちらをガン見w
なぜか一瞬緊張感が走るっていう、、、
私、そんなに、怪しい見た目~? -
ママさん達の眼力に追い立てられるように歩いて行くと、左手のフェンスの向こうに高蔵稲荷社(たかくらいなりしゃ)が見えています。
-
赤い鳥居も見えますね
-
来た時に入った鳥居とは別の場所にあるこちら側の鳥居から出ましょう
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振り返ると鬱蒼とした神社に森が見えます
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大きな道に出ました。
雁道線という道だそうです。 -
道を渡ると石碑と看板がありました
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尾張名所 夜寒里
と書かれています -
解説板がありますね
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わかったような、、、
わからないような、、、 -
なるほど
閑静な月の名所だったのですね -
実はこの裏側の旗屋小学校の敷地内も改築中に少しだけ発掘したそうです。
ちょっと掘っただけなのにバンバン出土したようですね。
その後再び学校として使ってるようです。
この辺りは迂闊に地面を掘れないですね。
以前見たテレビで奈良の人が言うには「迂闊に地面は掘れない。何か出たら自分負担で遺跡調査させられるから」と言うことでした。
古都に住むのも大変ですね。
さて、では今朝来た駅のある大きな通りまで戻ります -
さっき来た駅のある大きな通りまで戻ってきました。
この通りを渡ります。
この通りは伏見通という名前だそうです。 -
伏見通を渡って南に向かっていきます
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途中に長い白壁が続いていました
-
お寺?
-
どうやらお寺のようですね
-
青大悲寺というお寺のようです。
鉄地蔵があるようです。
でも「きの女」ってなんでしょう?? -
「きの女」、、、
かの女とは違う?、、
謎が謎を生みます、、、 -
名古屋弁のお説法というのにも興味が惹かれます
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どえりゃ~
やっとかめ~
そんな事を言うお説法だったらかなりウケる~~w
てな、どうでもよいこと言って先に進みます。 -
少し行くと熱田神宮公園に到着
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園内図
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次に見たいものがここにあるので公園に入ります
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左手の森がここの見たかったものです
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森の周りに濠があります
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ぐるりと囲んでいます
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大きくカーブしています
-
この森は小山のように見えていますが実は古墳なのです。
断夫山古墳(だんぷさんこふん) -
先ほどから見ていた濠は古墳の濠なのです
-
断夫山古墳(だんぷさんこふん)の周囲を取り囲んでいます
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かなり大きな古墳というのがわかります
-
昔は立ち入り禁止だったようです。
3月3日だけ立ち入れたようです。
昔はすぐ横が海だったようで海の眺めも良かったようですね。 -
こうしてみると古墳というよりも小山ですね
-
すぐ目の前にはミニチュアの断夫山古墳(だんぷさんこふん)がありました
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反対側からも見てみました
古墳というよりも爬虫類のぬいぐるみのようです -
管理事務所に言えば断夫山古墳(だんぷさんこふん)に入れるのでしょうか?
-
熱田神宮公園管理事務所はミニチュア断夫山古墳(だんぷさんこふん)の目の前にありましたが、、、
小心者でコミュ障の私は流石に行く勇気はありません、、、 -
ここから見た断夫山古墳(だんぷさんこふん)はほとんど山という感じです。
ものすごく大きいですねー。 -
近くで見ると見上げる感じの大きさです
-
自動販売機がありました
-
お値段も良心価格です
-
ポカリスウェットを買いました。
これはちゃんと500ml入っていました。
最近は値上げしないで中身を減らしてが485mlとか半端な数字のことが多いので珍しいです。 -
ベンチに座ってポカリスウェットを飲みながらマジマジと断夫山古墳(だんぷさんこふん)を眺めます。
古墳の森からは鳥の鳴き声がひっきりなしに聞こえてきます。
死者を祀る古墳が違う生命の新たなコロニーになっているという事実。
面白くもあり哀しくもあり -
さて一息ついたので断夫山古墳(だんぷさんこふん)を一周してみます
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濠はこの辺りは空堀になっていました
-
この断夫山古墳(だんぷさんこふん)は前方後円墳です
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この辺りは前方後円墳のどのあたりになるのかな?
-
この断夫山古墳(だんぷさんこふん)は愛知県では最大の前方後円墳だそうです
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この辺りはくびれていますね。
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現在断夫山古墳の読み方は(だんぷさんこふん)という風に読まれています。
しかし江戸時代には断夫山(だんぶやま)と呼ばれていたようです。 -
熱田神宮公園
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ここは熱田神宮の神域として保護されていた歴史があります。
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昭和55年に愛知県の所有となったそうです
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この古墳の大きさは後円部径約80m、高さ13m、前方部幅は約120m、高さ16m
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この古墳は特別緑地保全地区に指定されていて面積は1,5ヘクタールあるようです
-
墳丘は3段築成で墳丘西側は方形になっているようです
-
この古墳の近くにも、さっきの神社で見た黒くて足の長い蚊がワンサカいました。
しつこく私の血を吸いにきます。 -
この断夫山古墳(だんぷさんこふん)にはある伝説があります。
宮簀媛(みやずひめ)と日本武尊(やまとたける)は結ばれますが、
日本武尊(やまとたける)は東の平定に出かけ戦の時の病で帰らぬ人となります。 -
そして日本武尊(やまとたける)は白鳥になって空に飛び去ったと言われています。
その後この近くの白鳥古墳(しらとりこふん)に舞い降りたと言う言い伝えがあります。
白鳥古墳(しらとりこふん)はこの近くなので後ほど見に行きます。 -
日本武尊(やまとたける)への思いを持ったまま亡くなった宮簀媛(みやずひめ)の墓がこの断夫山古墳であると伝えられています。
日本武尊(やまとたける)の亡き後、終生夫をめとらず独身を通した宮簀媛(みやずひめ)。
この事から夫を断つ山、断夫山古墳(だんぷさんこふん)と名前がついたそうです。
その宮簀媛(みやずひめ)つながりでこの古墳は熱田神宮の管理下にあったようです。 -
実際にはこの辺りの勢力者であった尾張氏のものではないかと考えられています。
-
現在この古墳周囲には堀が巡らされていますがこれは昭和期に作られたもののようで、実際の濠はもっと広範囲を巡るものだったと考えられています。
-
この古墳は長い間熱田神宮の管理下にあったので、未だ詳しい調査がなされていないようですが多数の出土品があったようです。
しかしかなりの数が行方不明になったと言うのも昔らしい話ですね。
現存する出土品は昨日見た見晴台遺跡の名古屋市見晴台考古資料館にもありましたね。
他には名古屋市博物館、南山大学 人類学博物館などにも展示されてるようです。 -
濠についてはこの古墳が築造された年代が5世紀末から6世紀初頭と考えられているので二重周濠だったのではとも考えられています
-
古墳自体の大きさも後世の農地などに転用された部分も多かったようなので実際の大きさよりも小さくなっていると考えられています
-
かつてはこの古墳の反対側は海だったので、高台にあるこの古墳は海からよく見えて目立つように作られていたようです。
このようにどこからでも目立つ大きな古墳を作って権力のアピールをしたという風にも考えられています。 -
そんなアピールをしそうなのは誰か?
おそらくはその当時のこの辺りの勢力者の尾張氏ではなかろうか?
その首長のなかでも年代的に有力視されているのが尾張連草香(おわりのむらじくさか)という人の古墳ではないかと目されているようです。 -
と、ダラダラと話しているうちに
今朝来たところまで来ました。 -
これで断夫山古墳(だんぷさんこふん)を一周した感じです
-
大きくカープを描く濠
-
時間と勇気がある方は断夫山古墳(だんぷさんこふん)内の散策をトライしてみてください。
険しい道のようですが散策路のようなものはあるようです。
熱田神宮公園管理事務所に行けば許可してもらえるようです。
知らんけどw -
さて私は次のところへ行くことにします。
今来た道を戻ります。 -
右手に断夫山古墳(だんぷさんこふん)を見ながら行きます
-
こうしてみると大きさが実感できますね
-
最近、愛知県埋蔵文化センターで断夫山古墳(だんぷさんこふん)の発掘調査をし始めているようです。
-
発掘現場の公開もする予定だそうです。
興味がある方は是非!
なかなか無いチャンスですよ。
ここでクイッと曲がります。
ここから前方後円墳の前方部の直線部分位入る感じなのかな? -
右手に大きな断夫山古墳(だんぷさんこふん)の前方部分の直線部分を真近に見ながら行きます
-
このまっすぐな感じは前方後円墳の前方部ですよね?
-
ここでクイッ!と曲がってるのでやっぱり前方後円墳の前方部ですよね?
-
ではここで断夫山古墳(だんぷさんこふん)ともお別れです。
なかなかの大きさが実感できました。
楽しかったよ~
ありがと~。
調査でいろいろ分かるといいね。
では次に白鳥古墳(しらとりこふん)を目指して行きましょう。 -
グーグルマップを見ながら住宅街を少し迷いながらクネクネ歩いてきたら公園に出ました。
-
少し行くと森が見えてきました
-
この森が目的地です
-
ここから入るようです
-
右手は下り坂になっているようです
-
石段のある入り口を入ると広い感じになっています。
その奥に白鳥古墳(しらとりこふん)がありました。 -
この白鳥古墳(しらとりこふん)も小山のように鬱蒼としていました
-
ここは高台にあるようですね。
良く日の当たる場所になっていました。
向こう側は遠くを見晴らせる感じの崖のようです。 -
ここからさらに入って行きます
-
入って左手に白鳥古墳(しらとりこふん)がありました
-
入り口のようなものが見えます。
鬱蒼としています。
こういう風景を見ていると、、、
なんとなく茂みの向こうから視線のようなものを感じてしまいます。 -
ちょっと緊張してしまう感じの風景です。
ビビリな私にとってなかなか近づきずらい雰囲気に満ち溢れています。
私の影もビビっている感じw -
かなりの急斜面で盛り上がっている古墳です
-
由来
伊吹山の平定に行き、返り討ちにあった日本武尊(やまとたける)。
逃げ延びた伊勢の能褒野(のぼの)で息を引き取って白鳥になったが宮簀媛(みやずひめ)への思い断ち難く、宮簀媛(みやずひめ)のいるこの地の木の枝にに舞い降りたと言う伝承があるそうです。
これは本居宣長が言ってたんですけどね。
なんだか切ない話です。 -
ここも特別緑地保全地区のようです。
範囲は0.5haのようです。
断夫山古墳ともども保全される緑地となって違う生き物のコロニーとして役目を果たしていくのでしょうね。 -
白鳥古墳(しらとりこふん)の前は急な崖でした。
ここが熱田台地の縁だったのでしょうね。
古代にはここから先が海だったなのかな?
そうだとしたら眺めの良いところに造られた古墳ですね。 -
綺麗に前方後円墳の円墳部分が見えますね。
-
この白鳥古墳(しらとりこふん)の近くには妻である宮簀媛(みやずひめ)のお墓の断夫山古墳(だんぷさんこふん)があります。
ようやく一緒に静かにこの地で眠っていると思うとジーンとしてしまいます。 -
という言い伝えは別として
この白鳥古墳(しらとりこふん)は尾張氏の首長の墳墓ではないかという風に考えられています。 -
こんもりとした盛り上がりの円墳部分です
-
なかなかの高さで残っています。
-
広場から白鳥古墳(しらとりこふん)を見てみます。
この白鳥古墳(しらとりこふん)は江戸時代までは隣接する白鳥山法持寺(はくちょうざん ほうじじ)が管理していたそうです。 -
なかなか高さのあるこんもりとした古墳です。
明治時代から第二次大戦までは熱田神宮が管理していたようです -
さっきいた白鳥古墳(しらとりこふん)前の広場です。
白鳥古墳(しらとりこふん)の高さが分かります。
第二次大戦後から名古屋市の管理下にあるようです。 -
流石にこの白鳥古墳(しらとりこふん)は立ち入りできる感じでは無さそうです。
-
私が白鳥古墳(しらとりこふん)を見学していたら西洋人の若い男性がここを熱心に見ていました。
西洋ではこういうような巨大な土盛りの古墳のような形式の墳墓がないので興味があるでしょうかね。 -
ここの広場から右に全容を見てみます。
すぐ横に大きな建物があります。 -
建物に接するように白鳥古墳(しらとりこふん)があります
-
急な角度で盛り上がっています
-
白鳥古墳(しらとりこふん)は森に覆われています
-
広場の向こうは崖になっています。
これが白鳥古墳(しらとりこふん)の全容です。 -
白鳥古墳(しらとりこふん)と隣の建物はギリギリまで接している感じです
-
少し離れたところから見ると
スッパリと白鳥古墳(しらとりこふん)が切れている感じがわかります。 -
白鳥古墳(しらとりこふん)に接しているこの建物は何??
-
お寺?
観光旅館?
大衆料亭?
なんか、、派手。 -
ここは白鳥山法持寺(はくちょうざん ほうじじ)でした。
江戸時代まで白鳥古墳(しらとりこふん)を管理していたお寺のようです。 -
天長年間(824年 ? 834年)に空海が建立したのが始まりとされる由緒ある古刹です。
でも、、その割にはなんだか、、、、
思ったよりもケバケバしい雰囲気のお寺です、、
テーマパークとか海外にあるお寺のような雰囲気を感じます。 -
かつては塔頭10ヶ院を数えたほど繁栄したお寺のようですね。
この絵図でもその様子がわかりますね。
そのころは海も見えたというか、
当時は海沿いにあったお寺だったんですね。 -
それにしても、、
由緒あるお寺にしては、、、
なんだか、どぎつくないですか~~??
そう感じるのは私だけ~? -
実はここは1945年(昭和20年)5月17日のアメリカ軍の空襲で全部焼けちゃったんですね
6月9日の空襲の際にもダメ押しで焼夷弾に焼かれたようです。
なので昔の建物は何も残っていないというわけです。
っていうか違う場所からここに移って来たようです。 -
阿形仁王像
-
吽形仁王像
、、、なんとも、、、
これで良かったのかな? -
まぁ、境内に入りましょう
-
色々石碑があります
-
お相撲関係なのでしょうか?
理事長に就任って誰が? -
あ~。
北の湖ですか~。
確かに強かったもんね~。 -
若山牧水もこちらに来てたようですね
-
直筆の複写らしいです。
達筆というか可愛い感じの字ですね。 -
山岡荘八も縁がある感じですね
-
徳川家康のちなんでるんですね
-
横綱とは誰?
-
ここでも北の湖、、、
なんで?
調べてみたら、
1957年(昭和32年)から30年間にわたって大相撲名古屋場所の際の三保ヶ関部屋の宿舎としてこのお寺は使用されていたようです。
それで境内に横綱北の湖の石碑や土俵の跡などがあるあるようです。
なるほどねー。 -
北の湖 21歳の一句
-
ほとんど相田みつおですねw
にんげんだもの~ -
味がある一句ですね
-
これは?
-
ふ~~ん、、、
こういう体勢の運動は晩年に腰痛で苦しみそうですね~。
知らんけどw -
芭蕉の句碑は撮り忘れてました~w
このお寺は俳人が多く立ち寄ったようです。
芭蕉の野ざらし紀行でもこのお寺は登場してるらしいです。 -
今朝熱田神宮に行く前に見てきたお宅の林桐葉(はやしとうよう)のお墓だそうです。
この方もこのお寺で芭蕉とともに句会を開いてたそうです。
この方の墓石も撮影し忘れてました。 -
解説のない石碑もありました
-
これは存在していた庵の石碑?
-
名古屋城の石垣の残り物
-
ここから境内を右へ見てみます。
こんもりしているのは白鳥古墳(しらとりこふん)です。 -
背後の森が白鳥古墳(しらとりこふん)です。
-
白鳥古墳(しらとりこふん)が続いています。
-
本堂はコンクリート製
これが境内の全容です
境内のこの部分が白鳥古墳(しらとりこふん)を削って作られた部分です。
調べ絵みたら
このお寺の元の境内は現在の名古屋市立宮中学校のところにあったようです。
1955年(昭和30年)5月に戦災復興都市計画に基づき旧境内は宮中学校となり、道を一本挟んだ現在地(白鳥古墳の隣)に移転したとの事です。
その際に白鳥古墳(しらとりこふん)をガッスリと削ったようです。
その時はもうこのお寺は白鳥古墳(しらとりこふん)の管理する立場では無かったし当時の管理者は名古屋市だったから致し方なかったんでしょうね。
名古屋の人の感性は超現実的だから古いものには固執しないという傾向がある感じですよね。
遺跡とか史跡とか、おまんまの足しにならないものなんかに振り回されないっていう感じ?
一番大切なのは今を生きる!という素晴らしい感性ですね~w
実は私、、、
そんな名古屋の人の性格に私は軽~く憧れを持っています。
なぜなら、自分が全然そうなれないから、、、 -
ここに土俵があったようです
-
削られた白鳥古墳(しらとりこふん)ですが祈りの場として再利用されている感じになっています
-
水子地蔵
-
水子地蔵
-
ここから白鳥古墳(しらとりこふん)に近づいてみましょう
-
石段を登っていきます。
-
石段の上には弘法堂がありました
-
石仏があって趣があります
-
背後は白鳥古墳の頂上のように見えますね
-
この古墳は天保8年(1837年)8月14日の台風の際に陵上の樹が倒れて内部の石室が露出したそうです。
-
その時に確認されたのは石室は全長約3.7メートル、全幅1.2~1.5メートル、深さ1.5~
1.8メートルの石垣組みで、5枚の蓋石によって覆われていたという事だそうです。
その時に石棺の中の埋葬物は法持寺の僧侶の手でいったん取り出されて確認した後に再び石棺に戻されたようです。 -
次は左に続いてる道を行ってみます。
白鳥古墳(しらとりこふん)のほぼ頂上部分を縦断する感じですね。 -
弘法堂の由来が書かれていました
-
古墳の頂上付近。
この古墳は見事に真ん中からスッパリと削られたようですね。 -
次は道に沿ってこちらにいきます
-
中村元勝の墓
これは法持寺の石造物中でも最も古い物らしいです -
でも元はここは古墳だったはずだからこの石碑はここはに無かったはず。
だからどこからか持ってきてここまで上げてきたんでしょうね。
ご苦労さんです、っていうか、、、
古墳を崩してこういう山巡りみたいなコースを作ったっていうのは誰の考えだったんでしょうね??
私にはあまりこういう事をした意味がわからないです。 -
そろそろ古墳の終点に来たのかな?
-
この辺りでおしまいのようですね。
ではここから右に見ていきましょう。
ここから平らな感じで続いてます。 -
少し緩やかに下っている感じです。
-
少し上り坂になってるのかな?
-
向こうは盛り上がってるようにも見えます。
これが全容ですね。
ともかく近くで白鳥古墳(しらとりこふん)の上の部分を見られて良かったです。 -
コースはここでおしまい。
ここから下っていくようです。 -
少し下って振り返る
-
丸みを帯びた古墳の頂上
-
降る途中にあった石碑の解説。
この方は歌舞伎役者さんだったようですね。 -
屋根囲いがついていて特別扱いですね。
これもどこからか持ってきたのかな? -
色々な石碑をわざわざここまで上げてきたんでしょうね
-
この方もどこからか連れて来られたんでしょうね
-
ここから古墳の上部が見えますね
-
足元に気をつけて降りていきます。
歳をとると階段の下りが非常に怖いです。 -
降りたところで振り返ってみました。
白鳥古墳(しらとりこふん)は結構な高さがあることがわかります。 -
階段を降りたところは広い駐車場になっていました。
-
ここから白鳥古墳(しらとりこふん)を右にぐるりとみてみます。
-
白鳥古墳(しらとりこふん)は下から見上げると小山くらいの高さがあります。
-
本堂の横まで続いています。
-
断夫山古墳(だんぷさんこふん)ほどではないですが大きな古墳です。
これで元の大きさの半分以下のと言うのですから元の大きさはもっと迫力があったでしょうね。
戦後処理のとばっちりを受けた感じですね。 -
ではそろそろ山門に向かいます
-
山門の内側にこんな解説がありました。
-
デカイです
-
サイン入りです
では白鳥古墳(しらとりこふん)の裏側も見られたのでそろそろ次に行きましょう -
地下鉄熱田神宮西駅に到着
-
道の向こうに見える森は熱田神宮です。
この奥あたりに熱田神宮の摂社 一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)が鎮座されているあたりですね。 -
地下鉄熱田神宮西駅のホームに降りてきました。
この路線は名城線と言う路線のようです。 -
来る時に下車した熱田神宮伝馬町駅とこの熱田神宮西駅は2023年1月4日に名称が変更になったらしく以前はそれぞれ伝馬町駅・神宮西駅だったらしいです。
それで長ーい駅名になったんですね。
駅名長くなって不便そうな気がしますけどね。 -
こちら方面は右まわりになるようですね。
よくわからん、、、、 -
そんなこんなで電車が来ました
-
目的地に到着
-
電車は去って行きました
-
ここは今朝乗り換えた金山駅
-
相変わらず人が多い駅です。
-
名古屋の副都心?
なのかな?
実は金山は昔よく来ていました。
ここにボストン美術館があったんですよね。
かなりの名品が来ていていることもあったのでその度に来ていました。
でも20年契約のはずが人が入らなくて(←w)
20年を待たずにあえなく閉館しちゃたんですよねー。
残念~~。(ギター侍風にw) -
次は名鉄金山駅に乗り換えます
-
犬山行きの各駅停車に乗ります。
-
犬山行きが来ました
-
中は空いていました
-
目的地に到着
-
山王駅です。
-
長ーい階段を降ります。
下り階段はちょっと怖いです。 -
目的地は自力で調べます。
駅員には2度と聞くものですか!(←くどい!) -
この道を行くようです。
たぶん、、 -
で、日置橋南交差点を右に曲がります。
たぶん、、、 -
お!見えてきましたね。
山王温泉 喜多の湯 -
どうやらこちら側で正解のようです。
-
私だって一人でできるもん!って言う感じです。
実は地図で見ると入口が川沿いにあるのか山王通と言う大きな通り側にあるのかよくわからなかったんですね。 -
こちらの川の方が入口で正解でした。
良かったです。
では入りましょう。 -
ここは車がメインのようで、歩きの場合はこの狭いところから入るようです。
-
車は目立つように案内が出ていますが歩きの場合の案内は無い感じです。
-
点字ブロックに沿って行きます
-
広い駐車場です
-
ここから上がるみたいです
-
なかなか歩かされます
-
ここから入口に向かいます
-
深夜までやっているようです
-
ここから入るのかな?
-
ではおじゃましまーす
-
最初に靴ロッカーがありました
-
さらに扉があります
-
中のドアの横に券売機がありました
-
山王温泉 喜多の湯 大人800円
タオルと着替えは持参してます。
タオルのレンタル(有料)もあるようです。 -
中は民芸調?
-
お土産も売られていますね
-
ジューススタンドもありました
-
でもその前に腹ごしらえしましょう
-
食事処は床がピカピカでとても綺麗に保たれていて良いですね。
-
この時間は空いていますね
-
あちらは入口側になるのかな?
-
席に来た途端に
もう、即決!
メニューも見ませんw -
お茶はこちらですね
-
大好物のカキフライ定食にしました。
タルタルソースがお椀にタップリ入っていました。 -
接客はとても丁寧なお姉さんで気持ち良いです
-
とても美味しいカキフライでした。
カキフライ定食 1220円
お得な感じがしました。
さすがお値打ち命の名古屋という感じです。 -
結構広い食事処です
-
ちょうど人がいない時間だったみたいです
-
掃除もきちんとしていて床がピカピカ
-
お腹も落ち着いたのでゆっくり汗を流しましょう
-
ジュースは後で飲むかも
-
どことなく旅館みたいな感じの内装です
-
ここからお風呂に行くのかな?
-
よっこらしょと階段を上がります
-
ではお風呂に入ります。
ここからは残念ながら(←w)写真はありません。
内湯部分も露天部分も外から想像するより広かったです。
人の混雑もそれほどでもなくのびのびできました。
露天風呂のところからJRと名鉄の鉄道が見えます。
そのため列車の走行音がひっきりなしに聞こえるのでお風呂につかって静寂を楽しむと言う雰囲気では無いです。
それでもつぼ湯がたくさんあったり外気浴場も広かったりとくつろげました。 -
良いお湯でしたー。
内湯は私にとってはちょっと照明が明るすぎて落ち着かなかったので
露天風呂にいる時間の方が圧倒的に長かったです。
でもここは安くて広くて良いお風呂でした。 -
ジュースを飲んで一息
-
では帰りましょう
-
ゆっくりと階段を降ります
-
気がつけばすっかり暗くなっていました。
夜見るのも良い感じですね。 -
汗も流して着替えもして
さっぱりしました~。 -
良いお湯でした。
お世話になりました~。
さてでは駅に向かいましょう。 -
山王駅が見えてきました。
駅から徒歩でも歩いていける日帰り温泉でした。
駅に近いというのはありがたいですね。 -
では山王駅に入ります。
-
この時間は電車の本数はとても多いのですがこの駅は通過電車ばかりでちょっと待たされました。
やっと電車が来ました。 -
名鉄名古屋駅に到着
-
電車は去って行きました
-
名鉄名古屋駅から地上に上がりました
-
JRの名古屋駅に入ります
-
JR名古屋駅に入りました
-
まだまだ人が多いですね
-
とりあえずエスカに行って荷物を出しましょう
-
荷物を出します
-
では東京に帰ることにします
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のぞみ254号で帰ります。
のぞみと聞くと私はいつも「峰のぞみ」を連想してしまいます。
「さすらいの太陽」という漫画の主人公だったんですよね。
いつも
「ふっふっふっ、、峰のぞみだね」という謎の電話がかかってきて震え上がるんですよね。
テレビアニメを見てから原作の漫画を見たら、、
もっと残酷でびびりあがってしまいましたとさ。
と、ホームでぼんやり思い出しながらニヤニヤして(←危ない人w)
どうでもいいことばかり考えてしまいます。 -
名古屋駅はこの時間は人でごった返しています
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私はここで新幹線を待ちます
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この新幹線もかなり混んでいるようで乗る前に名古屋駅で予約画面を見たらほとんど満席。
残った席は通路側に少ししかありませんでした。 -
新幹線が来ました。
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無事乗車しました3列シートの通路側です。
幸い隣は誰もいなくて
一つ空いて向こうの窓際はスーツ姿のビジネスマンでした。
私よりはるかに若い方(もしかして、、私と親子に近い年齢差?)でした。
ですがとても落ち着いていて大人な感じでした。
(←私の方がちょこまかして見えたかも、、、) -
一応その方にお許しを得てから食事をしました。
新幹線に乗る前にホームの売店で購入しました。 -
味噌カツ。
美味しい~。 -
へへへ、実は2つ買っていました~w
間髪入れずに食べました~w -
立て続けに2つ目のお弁当を開けてる私に、、
さすがに隣の方もちょっとびっくりしていました~w
自分の親くらいな爺さんが弁当2個喰い。
そりゃ驚くよね~~w
でもでも、、風呂上がりだからお腹空くんだもん! -
とかなんとかしているうちに品川駅が近づいてきました。
隣の方は東京駅まで行くようです。
降りるときに軽く会釈を交わして私は下車しました。 -
品川駅に到着
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あっという間に着いた感じ。
ほとんど食べてたからかな? -
新幹線は去って行きました
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無事に運んでくれてありがとう~
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ふぅ~とため息が出ました。
何故なんでしょう?
食べ過ぎ? -
さてさて乗り換えなくては
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新幹線改札を出ます
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E電(←w)のホームの通路に来ました。
3日間だけど不思議な感じの瞬間が多かったなぁー。
でも意外に楽しめたなぁー。
名古屋ってジンワリとした味があって結構楽しいかもー。
そう感じた今回の旅でした。
またどこかに行けるといいなー。
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