2020/06/14 - 2020/06/14
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takaさん
北海道は、明治初期から昭和の高度成長期までの100年で、人口が約100倍となる急成長を遂げました。
開拓使、殖産興業、日露戦争、太平洋戦争、その後の戦後復興によって石炭産業は産業革命の中枢を担ってきました。
その間北海道の石炭産業は道内の各地で石炭の採掘が進められ、飛躍的に発展しました。そして生活も潤いました。しかし、炭鉱爆発の事故で多くの人々の命が奪われたのも事実です。
また、国のエネルギー政策の転換により、多くの埋蔵炭を残しながら北海道の多くの炭鉱が全て閉山に追い込まれました。そして、それまで働いていた人たち、住んでいた人たちは行き場をなくし、町はどんどん錆びれていきました。
しかし、そんな負のイメージを払しょくし、炭鉱の歴史を新たな町起こしの取り組みにしようというところも出てきました。そのきっかけの一つは「日本遺産(炭鉄港)の認定です。
空地北部の旧炭鉱都市、赤平市でも有志の方、市役所の方等一緒にこのことに取り組み、今回の旧住友赤平炭鉱の跡を利用し、多くの人たちに炭鉱の歴史や資料を知ってもらおうと奮闘しました。その一端を皆様に少しでも見ていただきたく、今回、やや古い時季、3年前に訪問した内容ですが、ここに紹介したいと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回訪問したのは
《2020年6月14日》
旧住友赤平炭鉱跡(赤平市)のみとなります。 -
興味のない方には実につまらない内容ですが、写真だけでも眺めていただければ幸いです。
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2020年6月14日に、自宅から国道を走り2時間弱の赤平市まで出かけました。それはずっと気になっていた新施設がこちらの町にできたからです。手前の建物は赤平の炭鉱の歴史を知り未来にその遺産を引き継ぐために建てられた赤平炭鉱ガイダンス施設です。その奥が旧住友赤平炭鉱跡です。
赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設 美術館・博物館
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天に突きだす櫓と錆びれてはいるが櫓を囲む壁がはっきり見えます。この日はガイダンス施設の見学と1日2回の櫓の見学と解説を受けるためにやってきました。道内では一番最近まで、と言っても1994年までですが、操業していました。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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まずは、ガイダンス施設の中。ここには炭鉱マンの使った道具、機械、そして表彰された盾や賞状もありました。安全操業を賞されたものか、採掘した石炭量についてのものなのでしょうか良く見ませんでした。
赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設 美術館・博物館
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歴史についての資料です。赤平には主要な炭鉱だけでも4つあったそうです。一番古いのは1857年に調査が始まり1918年に開校した茂尻炭礦だったようです。最後にはこの住友赤平炭鉱が1994年に閉山しました。そして炭鉱(やま)の歴史が閉じられました。
赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設 美術館・博物館
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炭鉱時代の各種看板です。中には労働組合や主婦繪のものまであります。当時の炭鉱マンの家族は仲間(人々)の繋がりをとても大切にしました。今の時代とは全く違います。炭鉱マンは命と引き換えの仕事です。いつ坑内の爆発事故で亡くなるかわかりません。勢い経営者との団体交渉も激しくなり、労働組合の団結は凄まじく強いものでした。また、家族同士や町内会の仲間意識も強く、冠婚葬祭などはみんなが家族のように協力し合い助け合い町内全体で行っていました。思えば私も石炭世代です。家庭はもちろん、高校生の途中までは教室も石炭暖房でした。当時は近所の子ども同士も遊んだり、けんかしたり、近所のおじさん、おばさん等の大人も、みんな自分の子どものように他人の子どもを叱っていました。今ではそんなことはなくなりましたね。
赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設 美術館・博物館
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実際に坑内で石炭を採掘したり、調査したりしたドリルやハンマーも展示してありました。
赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設 美術館・博物館
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こんな風に使っていました。この掘削ドリルの重さですが7kgあるそうです。その他にいろいろな装備品も持って作業しているので相当な重労働ですね。(施設の赤平市教育委員会資料より)
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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立坑の大きさや仕組みについて書かれていました。左から2番目の図を見ると内径6.6の穴の中を4段ケージ(黄色の部分)に72人が乗って地下650mまで潜っていきました。閉所恐怖症の今の私には考えられないです。だから、私は列車や道路のトンネルとか鍾乳洞は大っ嫌いで、過去に岩手の龍泉洞に行ったときは入って3分で怖くなり入口まで戻りました。公園の遊び場にある土管の穴をくぐるのも嫌でした。
赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設 美術館・博物館
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イチオシ
そして、施設の中で10分程係の方の説明を受けヘルメットを被り、いよいよ櫓の中へ入ります。私は今まで三笠や芦別、夕張の炭鉱跡を見学してきましたが立坑櫓の中は一部を除いて見学できませんでした、というか既に中には入られないほど荒れた状態で危険だったからです。こんなに大きな立坑櫓に入るのは初めてでした。これから私の子どもの頃の時代に戻って眺めてきます。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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イチオシ
まず、立坑に入ってみてあまりの大きさに、そして外の赤錆びからは想像できないあまりの美しさに仰天しました。今でも機会が動いて稼働しているようにピカピカです。閉山から30年とは言え、相当の年月です。実際、閉山後も当時動いていた機械や電気系統がそのまま残されていて現在でも動かすことができると言われているそうです。鉱車操作場や繰込場などもほぼ完全なまま残され、立坑に隣接する事務所には膨大な量の坑内図、経営資料が閉山時のまま保管されているそうです。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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1938年に開鉱し、1950年代に最盛期で約5000人の方が働いていたそうです。しかし、1994年に閉山し、赤平の全ての炭鉱の火は消えました。最盛期には56000人の人口も今は8000人となりました。このミニ列車のようなものは斜坑用の人車です。立坑用ではありません。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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こんな感じで斜坑用に使用しました。頭が屋根につかえそうで乗りずらそうですね。(施設の赤平市教育委員会資料より)
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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先ほどの全体の写真の立坑の真ん中の2つの青い建物は操作台です。これを操作してケージを降ろし、人や物を運びます。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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これだけの機械が閉山時のときのままで残っているのは大変珍しく貴重だそうです。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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これが600m地下まで入って行くケージです。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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各番号にそれぞれケージが入ります。今でも頑強で充分に使えそうですね。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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炭鉱マンが入るケージへの入口には「第一立坑々口」「火気厳禁」の文字が。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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どんな気持ちで中に入って行ったんだろうな?「きょうもがんばるぞ!」というような感じでしょうか。事故のことなんか考えたらとても坑内には入れませんね。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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そして、何本もレールが張り巡らせていました。さきほどあった人車をレールを通ってケージの中に移動します。18人乗りが4台で1回に72人を乗せて坑内へ潜ります。1台に18人はぎゅうぎゅう詰めの状態だったそうです。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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階段を上り2階のケージ巻上室へ移動しました。これは巻き揚げ機です。大きさの比較ができないでしょう。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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左下に小さく写っているのですが、説明を受けている人の姿が見えるでしょうか。比べると分かりますね。直径は5.5mあります。秒速12m(時速43km)の速度でケーブルを巻き上げるそうです。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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外から見える立坑櫓上部の滑車も同じ大きさだそうです。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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これは巻き揚げ機にかかっていた表示板です。見てみると三菱ーGHHケーペ巻き上げ機、最終巻上深度1015m。三菱造船株式会社広島造船所。とうことはこの巻き上げ機は1000mまで深く入って行く長さがあるんでしょうね。登山と違い、地下へいくと気圧が高くなるんですよね。体にはどんな変化が起きるのでしょうかね。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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上記3枚前の写真の滑車右のモーターであろうと思うものの表示板です。「YASKAWA」直流発電機1100kw、安川電機製作所の文字が書かれていました。いまもこの会社は北九州にあるようですね。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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天井には「天井クレーン 住友機械」の文字が。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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中央に巻き上げ機の操作台があります。真ん中の計器は深度計のようです。一番下が1100mあって、赤い印は600mところに付いています。性能上は先ほど見た表示板のように1100mまで下れるんですね。でもこの坑口ではケージで下る深さは600mということでしょう。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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その横に合った暦は1994年4月のものです。この年のこの月でこの炭鉱が閉山したのでしょう。綾小路公磨さんじゃないけれど「あれから30年」ですね。この現場で案内をしていただいたのが閉山まで現役で働いていた三上さんと言う方です。遅くなりましたが紹介します。とても詳しく親切にていねいに教えていただきました。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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イチオシ
今となっては貴重な形の電話器です。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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それにしても中は立派です。今でも稼働していると言ってもおかしくないくらいきれいです。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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この滑車が先ほど見た外部の滑車と繋がっています。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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2階の見学を終えてまた階段を降ります。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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先ほどとは反対側から見た操作台です。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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時間がないので中は残念ながら見られませんでした。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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30年前に閉鎖した炭鉱の立坑がこんなにきれいに保存されているとは思いませんでした。今まで私が見たものとは雲泥の差でした。これから外へ出て別の場所を案内していただけるということです。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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ここから見ると壁はそんなに傷んではいませんね。当時の建築方法が最新のものであったということが伺われます。炭鉱も開鉱の1963年当時のお金20億円で建設されました。今のお金に換算すると100億円で効かないでしょうね。東洋一と呼ばれるほどの最新設備だったそうです。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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立坑についての説明板です。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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外に出て道路の向こうに見える建物は何だと思いますか?木々にすっかり隠れてしまっていますが、かなり広そうです。
旧住友赤平炭鉱坑口浴場 名所・史跡
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実は共同浴場、お風呂なのです。当時は地下に浴場に通じる通路があり、坑内で塵や汗で真っ黒になった体を洗って1日の疲れを癒したそうです。吊り籠方式の脱衣籠と5つの浴槽があったそうです。中を見られなかったのが残念です。
旧住友赤平炭鉱坑口浴場 名所・史跡
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先ほどの壁の面はきれいでしたが、一方向だけ真赤に錆びるのは冬の季節風で雪の降る方向のせいでしょうか。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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イチオシ
実はガイダンス施設、立坑とは別の場所に格納庫があって、そこにも関連の機械が置いてありました。どれもとても立派で現在でもすぐ使えそうなものばかりでした。この機械は石炭を採掘するものですが、記録していなかったので名前は不明です。申し訳ありません。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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これはロードホールダンプと言って坑内で出たズリ(石炭の採掘に伴う坑道掘削や選炭によって生じた岩石廃棄物のこと)を運搬するものです。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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これは蓄電池式の機関車(バッテリー車)です。上部がバッテリーで下部が車輪と動力です。水平坑道の運搬専用車です。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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それまでは鉱夫に頼っていた採炭を大量採掘するための自走枠と言われる大型機械が登場しました。大きくて鋼鉄で作られていて丈夫そうですね。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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これもその一部だと思うのですが、記憶が曖昧になっています。すみません。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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ダブルレンジングドラムカッターと呼ばれる最新の採炭機械で、ドラムカッターが2つ組になっています。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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これはサイドダンプローダーです。粉砕された岩石や石炭をすくいあげ荷台を傾けて後続する炭車に積み込む機械です。それまでのスコップによる手仕事から解放されて大幅に作業能率がアップしたそうです。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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配電盤のようですが違います。坑内の一酸化炭素やメタンガスが漏れていないかを監視する監視盤です。
旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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坑内には万が一の事故で酸素が無くなった時に備え、空気供給設備(救急バルブ)が設置されていました。という風に、最新の設備で最新の安全体制で採掘していた旧住友赤平炭鉱でしたが、時代の変化には対応できませんでした。でも、北海道はかつて石炭の採掘で日本のエネルギー基地でした。特に空知地方には何十個もの炭鉱があり町がつくられ、栄え、人口が増え石炭産業は一大産業になりました。もちろん、この赤平市も同様です。石炭産業のおかげで今の日本の発展があったと言っても過言ではないと思います。でも、今、幸いなことに30年前に閉山したとは思えないほどの新しい状態で当時の施設をここで見学することができます。私も生まれて十数年間は石炭のお世話になって生活した世代です。炭鉱事故では何百人もの尊い命が失われましたが、若い人たちにも先人の苦労と努力で今の豊かな日本があるんだということを是非、理解してほしいものだと感じました。
以上、最後までお付き合いいただきありがとうございました。旧住友赤平炭鉱立坑櫓 名所・史跡
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この旅行記へのコメント (4)
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- Decoさん 2023/09/12 08:12:01
- 貴重な施設と旅行記
- takaさん、はじめまして。
赤平の旅行記、とても興味深く読ませていただきました。
1994年閉山ということですが、30年近く経ったことが信じられないほどに良好な保存状態です。閉山後も坑の管理などで稼働していたのでしょうか。
私は三池炭鉱以外はよく知らないのですが、フォートラで皆さまの旅行記などを拝見していて、閉山当時の状態をよく残しているという点では長崎の池島と双璧なように感じます(機械類や建物の保存状態は池島以上に見えます)。
これは大変貴重な施設ですね。詳しく紹介してくださったこちらの旅行記も大変貴重だと思います。
機械類などを見ると、三池炭鉱と共通しているようにも思えます。こんなに機械化して近代化しても、エネルギー革命と海外炭との競争には勝てなかったのですね…。
滑車の付いた竪坑櫓も感動ものです。三池炭鉱にも最後期の坑には似た形がありましたが、残念ながらなくなってしまいました。赤平の櫓はいつまでも残してもらいたいです。
最後に私事ですが、生まれてから6歳まで住んでいた家では、お風呂はコークスで沸かしていました。母と荷車(?)でコークスを買って家に運んでいたことを思い出して、今振り返ると懐かしい思い出です (^^ゞ
Deco
- takaさん からの返信 2023/09/12 14:00:07
- RE: 貴重な施設と旅行記
- Decoさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。私、炭鉱って大好きなんですね。子供の頃はまだ炭鉱の最盛期?だったのかな。高校の途中まで石炭暖房の学校でした。日直になると石炭庫に行って石炭を運んでくる仕事もありました。
列車と言えばディーゼル列車もありましたが、SLもまだまだ主流で走っていました。家のすぐ前が線路で運転士に手を振って見送るのが楽しかった小学生時代。もちろん、炭鉱の町に住んでいた訳ではないのですが、石炭なしには生きていけない生活でした。
それで、今でも、炭鉱の町は自分の心の故郷のように感じます。九州もそうですが、道内にも石狩、空地、留萌地区には大小数え切れないほどのたくさんの炭鉱があり、大きな町や集落を作りました。夕張や三笠は今でも保存活動に力を入れて私は何回も訪問しています。
過去に2つほど旅行記も書きましたが、廃墟探訪の好きな若い方もいるようですが、私はそうではなく、正に広い意味での自分の故郷、炭鉱跡へ行くと故郷に帰ったような懐かしく安堵する気持ちになり、センチメンタルにもなります。
道内では先ほども記しました夕張や三笠、そして赤平で割と状態が良く保存されていると思いますが、赤平のこの炭鉱は道内でも本当に最後の最後まで稼働していたのでより、良い状態で保存されているのかなとも思います。
Decoさんの旅行記も先ほどスマホで拝見しましたが、炭鉱跡をかなり訪問されてたくさんの旅行記に残されているようですね。素晴らしい内容で感銘しました。そして、見ると歴史がやはり九州は未開の地であった蝦夷地北海道よりも古いのでそれぞれの炭鉱が稼働していた時差も多く、興味深々で拝見しました。
私は遠くへ旅行したことがあまりないので、道内しか知りませんが、建物として私が一番好きなのは旅行記でも扱った三笠市の旧住友奔別炭鉱の立坑です。1966年ガス爆発で壊れた建物がそのままの状態で残っています。結局この年閉山したのですが、何て悲しいことだろう、何て辛いことだろう、時代の産業発展のために尽くされて亡くなった我々の多くの先人のことを考えると自然と涙がこみ上げます。
余計なことをだらだら書きましたが、気持ちが少しでも伝われば幸いです。貴重なお言葉、そして貴重な過去のたくさんの旅行記、斜め読みしかできませんでしたが、とても感動して拝見しました。ありがとうございました。
taka
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- 電動自転車さん 2023/09/10 10:33:55
- びっくり
- 興味深い内容です。
操業中といわれても驚かない大変綺麗な保存で驚きです。
しかも、スケールが違います。
これが日本を支えていたのですね。
時代の波を被った産業。
お疲れ様と言葉で労うねが躊躇われる程の大変なお仕事。敬意を表します。
私が卒業した小学校は石炭ストーブでした。
転校した時は驚きました。
日直のお仕事が翌日分の石炭を補充するというのがありました。人気のお仕事でした。
石炭を知っている世代もだんだん少なくなりますね。
見せて頂きありがとうございます。
次回も楽しみにしております。
電動自転車
- takaさん からの返信 2023/09/10 11:22:44
- RE: びっくり
- 電動自転車さん、こんにちは。
いつもありがとうございます。私が今までに見た旧炭鉱跡の中ではここは一番きれいでした。本当に今も採炭作業をしているかのような雰囲気がする施設でした。
たくさんの方の命と引き換えに高度成長を成し遂げ、今の日本があるのだなと痛感します。
電動自転車さん、私も高校の途中まで教室は石炭ストーブですよ。仰る通り、冬の日直の重要な仕事が石炭運びです。1日に朝1回、お昼頃にも1回合わせて2回くらい運びに行ったような気もします。
ストーブの上には大きなたらいのような水を入れたブリキの桶で牛乳瓶を温めて給食の時に飲みました。暑くなりすぎて1本2本割れて水が白く濁ってしまうというのが常でした。懐かしい思い出です。
今の豊かな生活の基礎が何十万もいた炭鉱マンの労働のおかげです。今は感謝の気持ちと、不幸にして命を落とした人たちの冥福を祈るのみです。ありがとうございました。
taka
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