2023/08/01 - 2023/08/31
1109位(同エリア4809件中)
luguさん
8月、、、。7月末から8月上旬にかけて雨が降り続き、太陽を見ることも少なかった。気温も下がり、夜は窓を閉めても薄手のフリースのブランケットでは足らず、冬用の厚手のブランケットを出したりした。後半は病院に泊ったり通ったりする日が続き、それ以外の外出は全く出来なかった。
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朝焼け
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散歩の途中見かけた。
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南タイ料理の店でランチ
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毎日のように雨が降った。朝も昼も夜も、降っては止んで、降っては止んでの日が2週間近く続いた。
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2階の自室の窓にパープルリースが迫ってきている。
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時々花の蜜(?)を吸いに小さな鳥がやってくる。
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花でなく、葉が白やピンクで遠目には桜のようにも見える。この木にきれいな声で鳴く鳥が10羽近く集まって葉なのか実なのかを啄ばんでいた。
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この太麺の焼きそばも、タイに来だした初期からよく食べている。カリフラワーなど茹でてないので半生で出て来て、最初は驚いたが、どこで食べても同じ調理具合なので、そのうち慣れてしまった。
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台湾料理の「華玲」でランチ。
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庭の芝や木が伸び過ぎて、また剪定をしてもらった。以前自分の身体が元気な時は少しづつ芝を刈ったりしていたが、今や3,4ヶ月に一度業者に頼まないといけなくなった。これは剪定前の庭。
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7,8人の人を使って人海戦術でやるが、それでも3時間近くかかってしまう。
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チョンコーも育つのが早い。いつも剪定するたびに鳥の巣が見つかる。
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剪定後
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ミーチョークプラザの和食屋「なると」でランチ。
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牛肉甘辛炒め定食。日によって牛肉が柔らかい時と硬い時がある。
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とんかつ定食
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焼き魚定食。普段はサバを頼むことが多いが、この日はサンマを頼んでみた。勿論冷凍なのでそれほど期待はしていなかったが、それにしてもあまりに薄っぺらで身のないサンマだった。
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夕方ミーチョークプラザに行ったら、駐車スペースの一部がオープンマーケットになっていた。
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大量のパッタイ(焼きそば)。
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隅っこにりっぱな祠があった。
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ハイビスカス
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コロナ罹患以降、以前からの身体の不具合も含め、病院で検査をしたりする機会が増えていた。 今までこの旅行記で書くことはなかったが、バンコクのアパートで暮らしていた時から自分にはタイ人の連れ合いがいて、二人暮らしをしている。その彼女の身体に問題が見つかり、急遽手術をすることになった。
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いい機会なので、少し彼女とのことを書いておく。自分は17年ほど前にアジアで貧乏一人旅を始め、徐々にバンコクを拠点にした長期(と言っても3ヶ月だが)旅行という形になっていった。旅行は勿論楽しいし、日本で感じている窮屈さを忘れて解放された時間を過ごしていた。そんな中で彼女と出会った。日本以上に格差社会のタイで、貧乏旅行をしている日本人が出会うタイ人女性は限られている。彼女もイサーン地方の貧しい農村からバンコクに出稼ぎに来ている身だった。知り合ってから少しづつ身の上話をするようになった。今どきの日本人にはないピュアな心の持ち主だった。お互いに惹かれあい、旅行の度に会い、また彼女と会うことが旅の目的の一つになっていった。後で聞いた話だが、彼女の周りにいる友達は全員、あんな貧乏な(着るものはTシャツとGパン、泊っているところは300バーツ、900円のゲストハウス)年寄りの日本人と付き合ってはダメ、と言われたそうだ。だが、バンコクにアパートを借りて一緒に住むようになった。彼女の両親に会いにシーサケットに行った。そのような暮らしを1,2年して、彼女を自分の伴侶にしたいと思う気持ちが強くなった一方、どうしても最後の踏ん切りがつかなかった。
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毎年12月半ばにタイに来て、翌年3月上旬に(確定申告をしなくてはならず)日本に戻っていた。2011年もいつものように3月9日に帰国したが、その翌々日に東日本大震災と福島原発の事故が起きた。自分が日本に住むかタイに住むかなどと迷っている時に、日本が終わるかも、というような深刻な状況になり、今タイに移住することは、まるで日本を捨てて逃げるようでそれは出来ないな、と思い始めていた。そしてこの悲劇をきっかけに日本が生まれ変わることを願っていた。事故以来3ヶ月ほどは、原発廃止とかのムーブメントが起きかけたが、徐々に政権、財界、マスコミ、御用学者など既得権益を持つ権力側の力で、大事故も有耶無耶に片付けられ始めた。その様子を見ていて、こんな日本に拘ることがバカバカしくなり、いっそのことタイに暮らしてみようと思う気持ちが強くなった。そこから本気で今の連れ合いとの生活が始まった。それまで漠然と、もしタイに住むのならチェンマイがいいな、と思っていたが、彼女の親類がチェンマイに住んでいて、空き家があるから見に来ないか、という連絡が入った。彼女はチェンマイを全く知らず乗り気でなかったが、自分は二つ返事で、旅行がてら彼女とチェンマイに行くことになった。それ以来11年二人のチェンマイ生活が続いている。
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手術日の朝、手術室に向かう。自分も8年前(もう8年も経つのか)同じように手術室に向かう朝を体験したことがあり、その時の気分を思い出した。
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自分は部屋で、手術を終えた彼女が戻って来るのを待つだけ。あの時の彼女はこんな気持ちだったんだろうなと考えたりした。手術室に向かってから4時間後にやっと部屋に戻って来た。
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手術の翌々日、何とかベッドから起き上がって、窓辺までゆっくり歩き、外の景色を見ていた。生還したと実感していたのだろうか。
退院した後、家に戻っても、彼女は何も出来ない。しばらく自分が炊事洗濯掃除、家事全般をすることになり、普段の生活で、如何に彼女に頼っていたかということをしみじみと感じた。 -
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ランチにクェチャップをテイクアウトした。バンコクのカオサンのアパートに住んでいた時、この米の麺の美味しい屋台があった。小さなテーブルを2台路上に置いたような屋台だったが、そこで食べたもちもち麺のクェチャップは忘れられない。以来あれ以上に美味しいクェチャップに出会ったことは無い。
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自動車保険を支払いに行った。保険会社はどこもりっぱだな。
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保険会社からの帰りに、ハラル料理のロットディーでランチ。
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ここで初めてオックステールスープを食べたが、これが?という位残念なスープだった。ワイキキの地元の人が行く、小さな庶民的な食堂で美味しいオックステールスープを食べたことを思い出した。
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