2022/12/15 - 2022/12/15
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wabisabi2さん
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桑名を巡って、磯部町の筏荘で牡蠣尽くしと美味しい酒を堪能した翌日。
帰路に着く前に中之郷から鳥羽城跡を徘徊、大山祇神社を参拝し鳥羽駅まで向かう事にした。
一泊2日の三重の旅も鳥羽駅から電車に乗れば終わりを迎えます。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
桑名を巡って、磯部町の筏荘で牡蠣尽くしと美味しい酒を堪能した翌日。
帰路に着く前に中之郷から鳥羽城跡を徘徊し、鳥羽駅まで向かう。
磯部駅
レトロな外観の駅舎は時計台の短針も長針もなく時刻盤だけというお茶目な時計台で改札口の天井はドーム状でカラフルなステントグラスがお洒落な駅でした。志摩磯部駅 駅
-
磯部駅から鳥羽方向の中之郷駅まで30分程の電車移動。
駅を降りたら山側の道を上り鳥羽城址を目指します。
中之郷駅を降りると交差点がありますが、旧鳥羽小学校に続くやや細い道を進んでください。
写真のトンネルがありますが、こちらではありません。
坂を上っていくと下の写真の解説板「鳥羽城址と鳥羽市立鳥羽小学校」が見えてきます。
ここまで来れば上を目指して上るだけです。中之郷駅 駅
-
旧鳥羽小学校から頂を目指す。
この日は前日の桑名の寒さから一転し、冬とは思えぬ気温で汗ばむ陽気。
東側の眺望が開けると眼下に鳥羽の街並みと鳥羽湾の眺望が広がる。 -
この付近には鳥羽城の石垣が連なります。
野面積みの石垣が幾重にも築かれ城の名残を感じさせる。 -
本丸跡は運動場の様な広い空間。
井戸跡など僅かに遺構は残る程度、少し前までは小学校の運動場だったようです。 -
ここから東の眺望は絶景、舟で攻めてきても遥か先まで見通せる。
-
鳥羽城本丸跡は長らく詳細が不明だったようで、平成23~25年にかけて初めて発掘調査が行われ、天守台は明治以降に削平され、遺構は見つからなかったようです。
しかし天守台と想定される場所から石垣や排水溝、本丸御殿の大井戸などが発見され、それ以外にも九鬼氏時代の瓦や内藤氏の家紋瓦が出土したようです。
鳥羽城址
所在地 / 三重県鳥羽市鳥羽3-1-1 -
本丸から北側の城山公園に向かうと鳥羽水族館やミキモト真珠島を見渡せる展望台に続きます。
最近流行りの文字モニュメント、分かりやすいので一枚。
鳥羽に来たぞッと。
ここは電車を撮るには良いスポットかも知れないですよ。
鳥羽駅を出た車両が青い海を背景にしてカーブから現れる。 -
城山公園の片隅に三角点。
これが設置されているという事は、見晴らしが悪いわけがない。
ここから左に下りていく小道があり、それを下っていくと白い幟のはためく大山祇神社・大漁稲荷大明神の境内に続いています。 -
鳥羽城の西の中腹に鎮座する小さな神社ですが、当日はイチョウの落葉で境内は黄一色に染まっていました
冬本番もいよいよなんだろうが、この暑さは歩いているだけの問題ではなさそうだ。
こちらの神社は瀬戸内海に浮かぶ大三島の大山積神社の末社で、横町、中之郷、藤乃郷、錦町の村社として1907年(明治40年)に建てられた神社だと云う。
1,594年(文禄3年)、九鬼嘉隆が鳥羽城築城の際、石垣が何度も崩れた事から、元城山に斎祀されていた大山祇神をこの地に移したところ、石垣は崩れる事無く鳥羽城が築城できたと伝わる。
祭神は大山祇神、草野姫命、猿田彦命をお祀りするようです。
ここから下の写真は社頭から順に並べ替えたもの。 -
大山祇神社・白龍稲荷神社。
鳥羽を見下ろす鳥羽城跡、その西山麗に鎮座するのが大山祇神社・白龍稲荷神社。
社頭は鳥羽城址の西山麗にあり、冒頭書いたように城山公園からも境内に辿り着ける。
写真は社頭の石の神明鳥居、ここから緩やかな石段が境内に続きます。 -
境内全景。
境内は右から大漁稲荷大明神、不明社、左の覆殿が大山祇神社の伽藍。 -
写真は境内右の城山公園から続く石段。
左は神輿庫のようで、こちらの祭礼で使用する獅子が保管されているようです。
手水舎は境内右にあり、小さな龍もいる。 -
ニノ鳥居から社殿全景。
石段前で神社を守護する狛犬は個性的なフォルムのものです。 -
全体的に丸いフォルムで尾や鬣の造形はボリュームのあるもの。
寄進年度は見忘れましたが、表面は随分風化が見られ貫禄すら感じさせる佇まいの狛犬です。 -
覆殿。
比較的最近建替えられているのでしょう、傷みもなく綺麗な外観です。 -
内部に架けられている額は「大山祇神社」
大山祇神社の前身は178年前「社宮司」に遡るようで神社には当時の扁額が残るそうです。
三重県神社庁による「大山祇神社」の由緒は以下。
「文禄3年(1594)約四百有余年前、九鬼嘉隆が築城の際、石垣が何度も崩れたので、元城山に斎祀されていた大山祇神を現在地に移したら石垣も崩れず鳥羽城(二色城)が出来上がったとの申し伝えがある。
古文書、記録等はおよそ慶長年間(1600年頃)の神社の大火の際に消失されたものといわれている。
明治6年3月に村社に定められ、同39年12月神饌、幣帛、供進指定社となる。」
とあります。
また大山祇神社には鎌倉時代から伝わる木彫りの小さな狛犬があるという事なので創建は更に遡る事になります。
祭神は大山祇神、草野姫命、猿田彦命の三神をお祀りするようです。
更には下のようにも記されていた。
「大山祇神社は瀬戸内海に浮かぶ大三島の大山積神社の末社である。
氏子は旧鳥羽町の九町の内、中之郷、錦町、横町、藤の郷の四町の氏神様であり、例祭はこの四町が輪番で、各町4年に一度、当番町として奉仕している。
四町の内、中之郷、横町、藤之郷が「獅子と天狗の舞」を奉納し、錦町は「神輿練りこみ」を神祭とし社前に奉納し、各町内を巡行する。
氏子、町内の祭りとしてだけでなく「鳥羽まつり」として多くの人で賑わっている」
とも書かれており、鳥羽町内から親しまれる神社の様です。 -
上は鳥羽城絵図で、当時の城はほゞ全周を海が取り囲む海城だったようで、神社は天守のあった頂上付近に鎮座していたとされます、正面に描かれている島は答志島。
文禄3年(1594)九鬼嘉隆が鳥羽城築城の際に天守から左斜め下辺りに神社を遷座したとされ、しかし石垣が何度も崩れるなど築城は難航したと伝わります。
町民が「獅子と天狗の舞」を奉納した所、無事に城が完成したと伝わり、以来400年以上を経ても奉納の春祭りは受け継がれているそうです。 -
覆殿から本殿の眺めは高い玉垣に囲われ姿を見る事は出来なかった。
-
覆殿左に伊勢神宮遥拝所。
左の石灯籠の寄進年は明治5年(1872)と刻まれています。 -
境内右の大漁稲荷大明神から大山祇神社方向の眺め。
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令和2年(2020)新たに建替えられた事もあり、社殿の飾り金具はピカピカ光り輝いている。
大漁稲荷大明神について調べて見ましたが詳細は分かりませんでした。 -
中央の不明社。
こちらも社名札がなく詳細は分からなかった。 -
一泊2日の三重の旅も鳥羽駅から電車に乗れば終わりを迎えます。
社頭から右方向に向かい、さざえストリートで一杯やってから帰途に着く事にします。
大山祇神社・大漁稲荷大明神
創建 / 不明
祭神 / 大山祇神、草野姫命、猿田彦命
例大祭 / 4月11日
境内社 / 大漁稲荷大明神、不明社
参拝日 / 2022/12/15
所在地 / 三重県鳥羽市鳥羽3-4-15
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