しまなみ海道(周辺の島々)旅行記(ブログ) 一覧に戻る
今回の旅は、新たな移住先を調べるために、考えていたことだったのだけど、そこまで、時間をとることができず(調査対象市関係窓口の訪問、移住受け入れ関係先の訪問、実際の空き家の調査、生活環境の調査などなど)、普通の旅になった。移住の検討は、少し先へ伸ばすことにした。<br />もともと、田舎暮らしをする、ということで、20年少し前に、その当時で、このオフィスを終の棲家とするか、と新築したのだけれど、実際に年齢を重ねてみると、重要な点が落ちていたことがわかり、数年前に、また、新たな終の棲家が必要だなと思ようになった(実際に骨折した時期があって、バリアフリー、フローリング、ボールで滑る椅子など、それなりに重宝した)。重要な点とは、これからの年齢とその段階での健康状態を考え、その年齢で歩ける距離の範囲に、日常生活を支えられる買い物ができるお店があるか、という点で、今のオフィスは、生活必需品を購入できる店から、現在の脚力で徒歩30分も離れているのである。ただし、今度は、新築ではなく、購入でもなく、借家の予定だ。高齢でローンを組むことが困難なためだ。また、介護が必要になって、介護付き老人ホームに住む必要になった場合、そのための費用は、残しておかなければならないからだ。<br />ただし、大きな負債は一切つくらない主義で生活してきたので、現在、負債は一切ない。<br />20年前の時は、バリアフリーで、家の中でも、車いす生活ができ、いよいよとなれば、車庫から車椅子のまま、リフトで自分の部屋に入れるように(実際の改修は、必要になってから)プランしたのだけれど、実際に年をとると、日常生活を支えるいくつかの点を見落としていたことがわかった。それで、終の棲家をさらに探す気持ちになったのだ(かつて、山の中に移住していた高校の同窓生も、歳をとって山暮らしは不可と山をおり、諏訪市のマンションの低層階に移った)。<br />瀬戸内海の周辺の自治体には、老若男女の移住を歓迎し、いろいろな移住受け入れ策を打ち出している自治体がある。そうした自治体の歓迎策が、どの程度、年寄にも適用してもらえるか、調べたい、というのが、そもそもの今回の旅の始まりだったのだ(実際に、今治市のポスターを見た、写真を参照下さい)。例えば、空き家バンクの有無とか、それを借家する場合の支援とか、居宅にするための改修補助とかである。老人には、子育て支援は、いらない。ただし、望むらくは、ホームドクター制度が普及していると安心この上ない。スポーツジムはいらないが、散策できる道があればよく、近くに家庭菜園ができるところがあると良い。私のオフィスの近くには、自治体が運営している家庭菜園がある。貸しっぱなしの耕作地ではなく、周りの草を刈ったりしてくれるのだ。<br />居宅近くにある24時間外来とか、病院・薬局でのクレカによる支払とか、夜間の急病に対応する病院があると心強いが、地方では無理かも知れない。<br />多くの人と、わたしとの相違点は、仕事は、できれば、何歳になってもする(現在が該当)、自分の身の回わりのことは、ワイフに頼らないで、自分でする、そうした習慣を100歳まで、続ける、私の父が実際そうしていた、兄や姉もそうしてきた、という点だ。ただし、100歳まで生きているかはわからない。脳みその衰えを少しでも、遅め、遅めにするために高額のお金を使ってサプリメントを飲むより、できる仕事をし、毎日の献立を自分で考え、素材を自分で買い求め、自分で調理を工夫すれば、お金を使わなくても、多分、体と脳の健康維持の点で、下手にサプリメントを飲むよりはるかに実践的だと思うようになった。<br />何年か前、「あなたの膝がいたいのは、コンドロイチン不足かも」とか、いろいろな、脅迫めいた宣伝文句に不安を感じ、いくつかのサプリメントを選び、サプリメントを飲み続けたけれど、ある日、思い切ってそれらのすべてをやめ、毎日の歩きと、おいしい食事作りに精を出した結果、サプリメントを飲んでいた時より、毎日が健康的になったのを感じた。持久力も改善されている。なお、病院などで服用が指示されている医薬の服用を取りやめる場合は、事前に医師との相談が必要である。<br />ジムにも通っているけど、雨の日以外は、散歩は、自然の中が良い。自然の中で時の移ろいを感じ、季節を感じ、自然の命を感じるのが良い。なので、現在の一番の目標は、サプリメントを飲まないで、健康を維持することであり、自分のことは、自分ですることであり、サプリメントや薬が第一ではないのである。それに、良いホームドクターに出会って、あなたは、インシュリンがよく出ており、血圧が高くならなければ、糖尿病も心配ないとかの、アドバイスをもらい、もう、何年も、医薬のお世話にならない毎日を続けている。血圧も、ほかの兆候も、何も飲まなくても正常なのである。<br />今から考えると、体の悪い兆候は、40歳を坂にして、いろいろ出てきた。飛蚊症、耳鳴り、不整脈などだ。けれど、検診のあと何もいわれず、今日に至っている。<br />今年から、いよいよ、車ものらないことにした。まだ、90歳までは、安全に運転できると考えたけれど、自身で行ってきた、些細なことのインシデント分析から、もう、潮時と判断した。今日まで、月間1000キロは走り、近々では、6年間に10万キロを走行してきた。それも、運転免許更新の直後に、である。<br />それは、思い付きで、突然、車をやめたのではなく、数年前から、生活範囲の行動を自分の脚でできるかどうか確かめ、また、実際にできるように準備してきた。今は、年に1千数百キロを歩くし、数日前にも、1時間に1本しかないバスを頼らず、2時間かけて駅まで歩き、20キロ近い買い物をして、それを背負い、また、歩いて帰ってきた。しかも、帰途は、普段より遠回りして帰ってきた。<br />帰り道では、いつも見かけている高齢の女性の方と、話をし、「お互いにがんばりましょう」とエールを交換した。合計の歩行時間は、4時間を超えた。今回の旅では、4日間で7万2千歩を歩いた。歩きで疲れることはない。<br />運転をやめるということは、二つのダメージがあって、両方とも、精神的なダメージで、その一つは、自由に出まわる翼を失うダメージであり、自動車があれば、1時間ですむ買い物が、ときに4時間も5時間もかかるという疲労感だ。自動車をやめた後の足の確保として、自動補助付きの自転車を「あさひ」という店に調べにいったら、店員が、「運転をやめるって、自由の翼を失うことですよね」と胸の内を察してくれた。気遣いのよい店員さんだ。<br />散歩で3,4時間位あるくことは、少しも苦痛ではないけど、買い物など、「ねばならないこと」で、3時間も4時間も歩くのは、大きな苦痛なのだ。<br />すぐ上の姉からは、「歳をとってからの生活態様の変更は、すごく、精神力と体力を必要とするから、経なければならない過ぎ越しは、少しでも若いうちが良いのよね」ともいわれた。<br />二つ目のダメージは、いままでの家族の足としての役割がなくなり、家族との。接点が一層細ることだ。家族の足としての役割一つでも、家族から期待されなくなるのは、寂しい。<br />ただ、私は、いろいろと、ひとよりはるかに、「心」の勉強と訓練をしたので、ものごとや自分の思いに依存する「依存症」が一切ないので、車をやめると家族に宣言して、そのとおりに、やめられた。それがこの5月26日だった。お酒も、20年ほど前、ある日、突然、禁酒すると宣言して酒を断った。タバコは、生まれてこの方、吸ったことがない。人は、知らず知らずに依存していることがらが沢山あり、それをやめなくてはならなくなったような場合に、「なぜ、やめなくて良いか」という理由を、実に、合理的に説明する。その合理的な内容が、心理的に実に巧妙なのだ。、で、そういう時、私は、その合理的説明を自分自身にいう。そして、聞いたのちに言う、「なんだ、それ、言い訳だけじゃないか。結局、やめたくないのか」と。そして、自分に言った、どうせ、いつかはしなければならない事なら、にっちもさっちもいかない事態に囲まれて、追い込まれて決断をするより、心も、体も、健康で、車をやめた後に来る困難に。前向きに耐えられるときに、その決断をしよう、と。<br />私が、ある日、突然、自動車の運転をやめるといったとき、家族は、誰も反対しなかった。少しは、反対してほしかったけど、その「少し」もなかった。<br />むしろ、私が、日常生活上、家族にお願いしなければならないことを列挙したとき、黙って、賛同してくれた。ワイフは、それ以上のことを提案してくれ、助けられている。ワイフは、私より、かなり歳が若いからである。<br />なので、先月5月26日に車を売却した。<br />それで、こんな話をt4で、なんでするかというと、今回の旅は、車なし、自転車もなし、ただただ、公共交通機関と自分の脚と、自分の頭で旅することにした最初の旅なので、ちょと、前書きが多くなったのだ。<br />ただし、今時、自分で仕立て、公共交通機関と脚だけで旅する人は、少ない。でも、何かの参考に、変わった旅日記をまとめることにした。<br /><br />プランを立てるのが大変だった。3泊4日の旅の詳細を詰めるのに、1週間かかった。1週間かかっても、最高のプランができた、という達成感は、生まれなかった。時間がかかったのには、もう一つ理由があった。インとアウトの航空券が廉価で予約できる日を待ったことだ。<br />3泊4日ののなかで、行きたい場所を順番にならべ、飛行機、鉄道、船、バス、自分の脚の組み合わせで、プランを作ったのだけれど、あれも、これも盛り込めないか、もっと最短ルートがあるのではないか、1時間も2時間も乗り継ぎ時間が生ずるのは、コースの回り方、選んだ時間帯が悪かったのではないか、等々、疑問が次々と生まれ、作っては壊し、壊しては新たな組み立てをし、それでも、「やったぜ!」という達成感が得られることがなかった。そして、いよいよ直前になって、さらに全面的に書き直した。書き直しの中心は、旅の移動にあわせて、乗り継ぎ時刻表を得、それを切り取りコピーして、出発、乗り継ぎ、到着、目的地での時間など簡単に確認できるようにした。どのバス会社のどの目的地行のバスにのり、どのバス停の次でおり(降りる予定のバス停の1,2個前を確認しておくのは、海外の路線バスを利用する場合の鉄則、そうすると、欧米諸国における、バス停名のつけかたの一般的な方法もわかり、場所の確認の仕方もわかる)、そこでの乗り継ぎをどのように歩き、どの会社のバス、なんという行先のバスに乗っていくのか、わかるようにしたのである、<br /><br />今回の旅は、松山空港から松山駅に空港リムジンで行き、松山駅からJRで今治駅まで行き、駅前の今治バスセンターから瀬戸内海交通㈱のバスで、最初は、大島どまりし、その次は大三島を経て、本四バスに乗り換え、生口(3泊目)島から本州の三原に行き、そこから、忠海駅・港を経、うさぎ島に行き、うさぎ島から忠海―三原駅-広島駅・泊まりー広島空港ー羽田空港に戻る3泊4日の旅である。前泊を含めると4泊5日の旅である。<br /><br />旅行計画の作成では、公共交通機関を短い時間で乗り継いでいく際に、乗り継ぎのための移動に、結構、事前確認を要することがわかったからである。例えば、高速バスから、一般道の市内バスに乗り換える際、同じ名前のバスステーションであることは少なく、バスストップの場所が違うことが当然であり、高速道路から一般道に出るルートとバスストップの場所の確認をきちんと確認していないと、短い乗り継ぎ時間の間に、乗り継ぎ失敗という事態が想定でき、1本、バスを逃すと、その日の宿に、たどりつけない事態があり得るとわかったからである。<br />参考までにいうと、スマホの時代になっても、バス時刻一覧表とか、運賃表は、バスターミナルとかBSと表示されているところに案内書がある場所では、聞けばもらえる。なので、必要な場合は、訪ね、あればもらうのがおすすめである。船着場もおなじである。<br />今回の旅では、前泊を除く、3泊のうち、2泊は、backpackの宿(くめちゃんハウス及び島宿NEST)を使い、宿泊費用の節減につとめたのだが、チェックイン時間が何時から何時までと決められている宿もあり、その時間枠に入るよう、1日の移動を終える必要があり、これも、プラン作成を困難にした。ホテルにだどりつければ、それが何時でも問題ない、これまでの旅と違ったからである。<br />1移動にいくつもの乗り物を使うので、乗り継ぎの時間も、プランを困難にし、乗り継ぎ時間が60分を超えるようなルートは、ルートを変え、交通手段を変え、移動時間帯をかえるなどの試行を何度も繰り返すことになった。<br />それでも、四苦八苦の末、松山空港から広島空港まで、しまなみ海道を通り抜けるプランができた。ただし、主な橋の全部の写真をとったりすること、メインのテーマの全てを網羅することなど、いくつかの点で、とても不可能ということがわかり。断念を強いられる結果になった。タオルのアウトレットとか、ジーンズの町とか、是非、回りたいという思いも、「次に」キャリーオーバーすることにした。<br />その「次ぎ」がいつくるのか、わからないけどね。<br />人は、旅の回数を抑える代わりに、旅をするときは、思い切り豪華な旅にする人もいるけど、私の旅は、豪華な旅もときどき、行きたい旅は、行きたいだけ、ただし、質素にと、私は、二兎を追うスタイルの旅をしているので、豪華な旅は、豪華にし、質素な旅は、思い切り質素にする。ただし、働ける限り、旅資金稼ぎの働きは「する」を、実践している。私の仕事は、物を売る商売ではなく、仕入れがないので、原価がかからない仕事である。私は、どちらかというと、安全、安心を重んじる性格なので、自分が獲得した知識とノウハウ、そして、会社人生の初めから、培った国内外での人脈づくりで得た、人のネットワークをもとに、自分の会社を始めた。顧客は、高額の時間料金が支払える海外企業を対象とした。また、常にリモートで行う支援なので、信用と信頼を第一にした。それで、仕事は、細くなってもめんめんと続いているのである。<br />今回は、ワイフに許可をもらって旅する一人旅なので、質素を極めた旅になる。<br />質素な旅を極める時は、食べきれないほどの食事がでる旅館は、パスする。寝るところの確保と好きなものを食べるという目的は分離させる。また、旅行代理店ではできない旅の技を使う。<br />今回の旅では、航空会社が競って実施している格安航空券を使う。こうすると、旅行代理店が常用する団体割引料金とか、仕入れ先からもらう販売促進報奨金などを組み合わせて実現するツアー料金より、格安な旅行が実現する。そのうえで、自分の夢を満喫できる旅ができる。旅の上で起こる予期しない出来事も、後に振り返ると、旅の楽しい思い出になり、楽しかった旅より、苦労した旅の方が強く、記憶に残るのである。<br />なので、今回の旅を安く仕上げる錬金術は、航空会社の格安航空券であり、backpackの宿であり、公共交通機関の利用である。自分だけの旅のプランを練るのも、旅で思わぬハプニングに出会うのも、旅の大事な楽しみなのだ。<br />backpackの宿を予約したのち、そのうちの一つから、メールがきた。宿は、日本の住まいそのままの宿であり、共通の居間、共通のトイレ、共通の浴室、共通のキッチン、共通のキッチン用具(冷蔵庫、ガスレンジあるいはIHI、食器など)を使うので、そうした点に慣れていない人は、予約を取り消しできます、という内容だった。<br />今回は、宿でクッキングをし、自炊するという選択肢は、とらないことにした。外食するか、インスタント食品とか、レンジでチンで、済む食べ物とか、おむすびやサンドウィッチで済ますことにしたのである。人数もそろえば、皆でつくり、一緒に食べるのも楽しいひと時になるけど、宿泊客が一人なんて言うときは、簡素な食事で良い。<br />私にとって、宿泊客が全員外国人であっても、問題ないばかりか、旅の積もる話が国際的にできるなんて、それこそ、旅の醍醐味で、食べきれないほどの食事を無理して食べ、秒単位ではないかと思われる予定で、旅を突っ走り、袖すりあった人や、地元の人との会話も一言もない旅して、「私は、どこそこにいったこともある」と思うのもよいけど、それは、私のスタイルの旅ではない。居間で、旅人の話を聞き(重要な旅の楽しみのひとつ)、その話に乗って、突然、回り道を追加し、予定していなかった旅先に向かうなど、旅のダイナミズムを味わえる最高の喜びだと思うのだけど、人によっては、そうした旅ができない人もいるし、そうした旅を不安に思う人もいるのは、わかっている。私は、私の旅が、参加者のひとりという旅ではなく、その旅の主役者、共演者でないと楽しくないのだ。<br />今回の旅が始まる前、10ページ近い枚数の旅の計画を作り、ワイフに渡した。ワイフは、旅の旅程より、毎日、海鮮とタコ尽くしの外食の旅にびっくりしていた。<br />さらに、出発前に、主要乗り換え点での動線マップを印刷する予定だ。おたおたして、乗り遅れないよう、万全の準備をする。<br />台風3号は、少し、南にずれ、四国や関東地方を直撃しないことがわかってきたが、雨に降られることは、覚悟する必要がでてきて、携行品に傘だけではなく、雨合羽、ポンチョを加えた。Backpackが濡れても困るからである。また、着替えの衣類は、ビニールの袋にも入れ、万が一にも濡れないようにした。衣類は、宿で洗濯したとき、すぐ乾燥するよう、薄手の衣類にした。携行する医薬は、普段使用している、発熱したときのためのロキソニン、頭が重くなった時のバッファリンとした。<br />予約に使用したbooking comからは、「宿泊費、支払い済み」のメールがきた。コロナ以降、決済制度が変わったのか、決済は現地で、という制度がなくなったみたいだ。日本航空からは、搭乗用の2次元バーコードがきた、カメラとスマホは充電した、デジカメとスマホの充電池は、携行品に加える。また、夜間歩行になった場合に備え、ヘッドライトと光反射テープも携行品に含めた。<br />なお、旅行には、必ずPCを持参する。今回は、PCなしにしようかと思案したが、PCには、万が一の場合のbackup情報をすべて記憶させているので、今回も、持参することにした。背負うbackpackの重さは8キロになった。それほど重くはない。<br />6月11日 旅の前日だ。予約のとき、前後を考えず、朝7時5分羽田発の飛行機をとった。結果として、7時5分に間にあうように羽田に到着できる電車は、千葉のオフィスからはなく、可能なのは、居宅から朝一番電車に乗る方法しかないことがわかった。<br />ワイフが最寄りの駅まで、送ってくれるということで、その案に傾いたが、ワイフのフリーターの仕事は、勤務が伴うので、あまり早朝に頑張りすぎると、その日の活動に影響がでる。<br />それで、ワイフには感謝しつつ、川崎日航ホテルに前泊することにした。<br />川崎日航ホテルは、何度かお世話になったことがあるので、よくわかっているつもりだった。<br />でも、久しぶりに訪ねて、びっくりした。ホテルそのものは、もとの位置にあったのだが、周囲が様変わりしていて、川崎駅の改札口をでて、2階フロワ―をそのまま行ったので、知らない間にホテルを通り越してしまい、「はて、どこだったかな?」と迷うことになった。<br />ホテルにたどり着き、チェックインをし、無性に、ラーメンをたべたくなったので、例によって、ホテルのフロントでお勧めのラーメン屋を聞き、チャーシューがいっぱいのラーメンを食べ、念のため、翌日の乗車にあわてないように京急の川崎駅に行き、駅のありかを確認し、電車の時刻を確かめた。何十キロも空港に近づいたのに、電車は、朝一番の5時34分発が安全ということになった。<br />ホテルの内装は、きれいになっていて、作業用デスク兼テーブルが広く、使いやすい上に、必要なアウトレットが、デスクの淵に複数ついていた。TVの案内も、この前の福岡のORIXのホテルのように、必要な案内が表示画面に表示されていた。違っていたのは、近くのお店の案内がなかった点だった。周囲に、あまりに店が多すぎるためかな。<br />前泊なので、夕食後、ホテルに戻り、風呂に入り、すぐに寝た。<br />でも、私の場合は、結構、夜中に目が覚める。当日も同じで、1時過ぎには目が覚めた。<br />じっとしていればよいものを、「よし、問題解決」とばかりに、なぜ、地方にでると、スイカの自動チャージが機能しないのか、スイカの自動チャージの金額を3千円から一時的に大きくする、の2点の問題に取り組むことにした。結果は、要は、JR東日本の事業エリアを超えると、自動チャージは、働かないらしいというこがわかった。また、自動チャージの金額の変更は、特定の場所に設置の、特定の機器を使わないとできないことがわかり、川崎駅付近のその種の機器は、某店舗内に設置されており、真夜中と早朝では、アクセス不可能であることが分かり、これも断念した。こういう不便なカードは、最低限度の使用だけるに制限することにし、カードが決済できる金額を逆に大幅に減らすことにした。万が一の紛失の時のことを考えると、決済金額が大きいカードは、不要なのである。私の使用カードは、主に、航空会社のカードのみにしているので、ほかの会社のカードは、必要な程度でよいのである。<br />また、貯金(入金用)用と支払い用の銀行口座は、分けており、カード引き落とし口座の金額は、当日の支払いに必要な金額のみにしている。口座間のお金の移動は、すべてオンラインで行うので、利息が付かない銀行に足を運ぶのは、最低限度にしている。<br />多分、機会があったとき、View card機能を航空会社のカードに加え、航空会社カードに統合する。これにより、年間マイル獲得数が2400マイル増加する。<br />ポイントで物を買う、あるいは、安く手に入れるという目的は、私には一切ない。むしろ、持ち物は、処分を続けている状態にあり、長い年代を記録したアナログ媒体は、そのアナログ媒体の入出力装置がある間にすべてデジタルに変換し、人生の記録、家族の記録は、1テラバイトの外部記録装置及びバックアップとしての数枚のSDに収まっている。<br />私の場合、カードで獲得するポイントは、航空会社のマイルのみでよいのである。そのマイルは、近々、ワイフとまた海外旅行ができる程度に達っしつつある。航空会社カードで一切の生活費を支払っているからである。<br />なお、夜中にアクセクして、問題解決に取り組んだけど、四国では、スイカを使える場所が極めて限定されていて、役に立たないことがわかり、バス等の運賃は、小銭を用意して、現金払いにすることにした。後日、地元の人に、「なぜ、スイカの使える場所が四国では少ないのか?」と確認したところ、正解かどうかはわからないけど、「システム構築の負担が大きすぎるのではないか」ということだった。瀬戸内海を渡った広島の各地では、スイカの使用は、他の地方と同じで、ほとんど、市電、市バスなどどの交通機関でも使えた。<br />なお、発展途上国が、なぜ、先進国に容易に追いつけるのかというと、レガシーな旧技術のインフラがないためであり、ときに、欠けているものがあることが、社会を変えるブレークスルーのチャンスになることを理解していないと、大都市をしのぐほどの急発展を地方が実現できるチャンスを失うことになるので、人々は、常に躍進の目を摘まない注意が必要と思う。<br />6月12日 飛行機は、ほぼ、予定通りに出発した。飛行は、白い雲の中の雲中飛行だった。ずっとゆれていたね。まあ、揺れの程度を5段階くらいにわけると2段階目だったけど、四国上空にきて、高度を下げるころ、青い空も見えてきた。雲の中の気流のせいでゆれていたので、雲がなくなれば、風が強いわけではなかったので、着陸は、スムーズだった。<br />空港から松山駅に向かうリムジンバスの乗車のとき、四国では、スイカがあまり役立たないということが、実際に分かった。現金が必要なのである。四国で使えるカードを買えばよい点もあるが、自動チャージがないと、旅の移動には、不便なので、クレジットカードからの自動チャージが使えないのであれば、現金の方が使い勝手が良い。<br />松山駅について、最初の失敗をした。10時21分発の列車の切符を買ったまでは、予定どおりだったのだが、60分近く待ち時間があるので、松山市内を市電で回ってみようと思ったのが運の尽き、電車に間に合うように戻ってくることができなかった。電車1本、60分のミスしたのである。ただし、購入したのは、乗車券と自由席特急券だけだったので、購入したそれらが無駄になることはなかった。<br />今日の宿のチェックイン時間締め切りの19時までには、宿に着けないことになった。<br />私の習慣として、旅先で、市電とか、地下鉄とか、都市圏電車網があると、一度にではなくても、それを全部乗りこなしたいという願望があり、世界のあちこちで乗りこなしてきた。<br />例えば、シンガポール、香港、シスコ、ワシントン、パリなどなどだ。ニューヨーク、ロス、シカゴ、ボストン(市電)、ロンドンなどは、まだ、全路線走破はできていない。<br />松山市は、それほど大きくないと思ったので、環状線の一つぐらいだったら、60分以内に乗り切れるのではないかと思い、駅前からのり、しかも、途中でおりて歩き、松山市駅と松山駅が結構、近いのではないかと誤解していたこともあり、20分乗り遅れ、結果として,今治には、予定より1時間後の電車に乗ることになった。スマホのナビをこまめに使わないせいだね。<br />毎日、めいっぱいの予定を組んでいたので、すぐに、予定を変更することとし、バラ園の訪問をやめ、亀老山展望台と道の駅訪問の2か所に絞ることにした。<br />さらに、あわてたのは、電車で今治に着き、今治の駅からのバスを探した時である。バス停のある場所は、事前調査したのだが、今治駅前のバス停の案内所は、どうしたわけか、いつものことなのか、クローズされていて、街頭の路線図には、各島の中心のバス停しか記載していなくて、降車予定の観光用バス停「亀山」がどのバス路線のバスストップなのか、判然としないのである。インターネットで調べた「バス路線案内」に必要な、もう一押しの安心の確認が出来なかった。<br />昔、バルチモアで夜遅く、列車に乗ったとき、わかっているつもりで乗った列車が、私の目的地に行かないことが分かり、慌てて次の駅でおりたけど、もう、折り返しの列車もないことが分かり、遠くに見えてガソリンスタンドの光を目当てに歩き、タクシーを呼んでもらい、元の出発駅に戻ったことがあった。思い込みは、ときに大きな誤りを犯すのだ。<br />仕方がないので、いつものとおり、近くにいた人に片っ端から聞きまわり、亀山を通るバス路線が、「数あるバス路線の中のどれなのかがわかり」、やっと、安堵できた。<br />バスは、予定通りにきて、海外でも国内でも、いつでもするように、運転手さんに「亀山に行きますか?」と確認してから乗車した。海の見える、あるいは、景色のよいルートを通るバス路線では、運転手のすぐ後ろがカメラワークに良いと思っていたので、空いていたその席に座った。<br />カメラのシャッター音は、出ないように設定しているので、運転手の頭の近くで、写真を撮ることができた。もちろん、安全走行に支障ないように注意した。<br />乗用車と違うので、バスの高い位置からとった写真は、景色が良いことも多いのである。<br />この日の、さらなる失敗は、亀山バス停から、亀老山展望台に行く距離が、インターネットの数字より大きかったことである。これは、情報の間違いというより、どこをもって、到達点とするかの違いによるものだと想像した。上り坂を考え、往復時間に、現地滞在時間を考えると3時間半かかりそうなことがわかり、低い山なのに、当日は、ガスがかかることが多かったので、「やめ」とし、計画を、また、変更して、最後の予定地の「道の駅」に行った。歩いて往復1時間強の距離である。なお、亀山のバス停にも自転車のレンタル可能な無人の自転車置き場があり、レンタル可能は自転車もあったので、電動自転車で亀老山展望台を往復すれば、何の問題もなかったのだけど、車の運転をやめてまだ、数日であり、自転車の購入や利用には、まだ、手を付けていなかったので、自転車の利用は、やめにした。<br />この次のチャンスがあれば、自転車を利用すること間違いない。<br />私の一つの座右の銘に「弱きものと言われる勇気を持て」という言葉があり、自転車も乗れないやつ、と言われても、良いとしたのである。<br />私は操縦士ではないけれど、この座右の銘は、「長時間かけて目的地付近に到達したのに何らかの理由で着陸できないときは、着陸を断念する勇気を持て」という趣旨で話されたのを聞いたことがあるのである。<br />今回の旅にでるとき、旅行計画書を作成した。作成しただけではなく、何度か、作り替えた。<br />実用に耐える旅行計画書を意識したのである。数か月の後に、ドライブを何度かしたニュージーランドで、今度は、バスで乗り継ぐ旅をしたいと思っていたので、バスの乗り継ぎ旅には、どのような情報が必要になるのかを意識して作成したのである。<br />作成した旅行計画で旅を実行し、その実用性及び問題点を知り、海外での乗り継ぎ旅計画書作成の参考に使用と思ったのである。もちろん、海外と日本では、同じ区間で利用できるバス、鉄道、船の路線の数が異なり、運行時間の正確性では、日本は、最高のクラスにあり、バスストップの時刻表なども、日本ほどの完備した国は少ないので、海外は、海外なりの現地対応が必要になるのだが、基本は基本として、確かにしておくことも必要なのである。<br />今回の旅行計画書は、つぎのような特徴がある。<br />1.	日にち単位に旅行計画を作成した。<br />2.	時刻表は、ジョルダンの時刻表を利用した。<br />ジョルダンの時刻表を利用して、その日の区間旅程ごとに、ジョルダンを検索し、その答えを、ウェブキャプチアを使い必要な範囲をコピーし、ワード上に複写し、その複写した情報で、その区間の運行交通会社名、利用交通機関の行先名などが確認できるようにした。さらに、乗り継ぎがある場合は、プルダウンメニューにある、「乗り継ぎルート」をクリックして、その回答もウェブキャプチアで複写し、ワードの旅行計画書に「要注意情報」として書き加えた。ジョルダンの検索結果には、乗り換えルートだけではく、乗り換えルート、乗り換え所要時間、さらに待ち時間も表示される。待ち時間がゼロであれば、移動は、迅速、確実が重要になる。<br />3.	時刻表の情報をワードに書き加えたのは、上記の「要注意情報」のほかに、「予定の前後の便の時刻表」も、プルダウンメニューを使い、コピーし、加えた。1本予定をミスすると、どのくらい、全体のダメージになるかを把握するためである。<br />4.	現地の人に、頻繁に確認した点は、<br />(1)	何々行きのバス停はどこにありますか。<br />(2)	何々に行くのは、どのバス路線ですか。<br />(3)	(乗り物の運転手さんとかには)この乗り物は、「どこそこをとおりますか?」<br />などである。海外でも同じ質問をすることが多いが、海外では、回答の正確性は、多少、割り引くことにしている。残念ながら、海外では、街中で出会った人の回答は、正確性に多少の問題があることが多いからである。<br />なお、日本でもそうであるが、旅行には、スマホが必携である。バス停などで、バスの時刻表がなくても、スマホで対応可能な場合が国内はもとより海外でも多いからである。<br />オアフ島のワイキキとは反対側の、airbnbが多い街に行くと、バスストップはあるけど、時刻表はなく、次のバス発車時刻が必要な場合は、スマホで検索するしかない、街も多いのである。町の人は、移動に車を使うことが多いので、バスストップの所在地も知らないことが多いのである。<br />現在地から、バス停で行先を指定する場合、バス停の名称では、検索できない場合、対象候補が多すぎる場合、バス路線名とか、バス会社名を追加する必要があるので、これも注意が必要だ。<br />スマホの予備バッテリーの携行も検討に値する。<br />乗り継ぎルートが必要なケースは、<br />1.乗り継ぎ交通機関や会社が変わる場合<br />2.高速道路の交通機関と一般道路の交通機関の乗り換えの場合<br />3.乗り継ぎの場所が互いに離れている場合<br />などなどである。<br />例えば、高速道路線が高速道内のバスストップに停まり、乗り継ぎ先が一般道の路線バスの場合、当然、高速道路より一般道に歩く必要があり、そのルートが限定さているだけではなく、結構、距離がある場合、乗り継ぎ移動ルートは、必須事項になる。<br />一方、高速道路線のバスでも、高速道路を出て、一般道にあるバス会社の営業所で停まり、一般道路線のバスとその場所で乗り換えできる場合もあり、それらの乗り継ぎの情報が必須になるのである。<br />ジョルダンの時刻表を使用したのは、必要な情報がすべて含まれていることを確認したからである。<br />6月12日の宿泊は、大島バス停の近くである。亀老山展望台に行く予定で降車した亀山に、道の駅から戻り、再度、高速バスに乗った。次の行先は、同じ島内の大島バス停である。そこから宿までは、約10分ほどである。宿には17時過ぎに着くように、行き、少し早めだったので、付近の飲食店とスーパーを探した。残念ながら営業している店は少なく、街に活気があるように見えなかったので、12日夜と12日の朝に食するものを買おうと思ったけど、まあ、その夜と翌朝は、手に入るもので我慢することにし、飲み物、パン、お湯だけで食べられるラーメンを買い、宿に向かった。<br />道は、くねくねと降り曲がった狭い路地で、途中に町役場支所があったので、宿と飲食店の所在を確認した。飲食店は、前もって調べた店しかないこと、宿の位置は、おおよそしかわからず、当然のことながら、スマホの利用を勧められた。仕事では、海辺の町と周辺の役場にしばしば行ったので、支所などを訪ねるのは、抵抗がないのである。<br />当日の宿泊客は、私一人で、リビングも、キッチンも、冷蔵庫も、浴室も、トイレも私一人で占有した。静かな夜になった。<br />宿のオーナーとも話ができ、魅力的な話が聞けた。宿のオーナーの人には、どこも、宿にかけた気持ち、情熱, 背景などがあり、それを聞けることが多いのもbackpackの宿の魅力の一つである。宿の名前は、母親の名前にちなんだ名前であることが分かった。<br />旅の計画を用意周到に作成したのだけれど、やはり、問題があった。各地の朝食、昼食、それに、夕食は、「どこどこ」と決めたのだけれど、以下の点で失敗があった。<br />1.	ネットの情報には、最終更新期日が記載されていないことが多く、今日、すでに有効でない情報がある。コロナの時に、廃業した店も、多かった。<br />2.	朝食、昼食、夕食には、それぞれ、営業時間があり、特に昼食の時間は、11時半から13時半まで、というように、時間が限られていて、食事時間が限定されていて、営業時時間を外すと、店があっても食事ができない。<br />3.	何曜日が休日かもしっかりと確認しなかったので、瀬戸田では、訪問の日にお休みの店が多かった。<br />6月13日、朝食は、前日に近くのスーパーで買っておいた飲み物、お湯を注ぐとすぐに食べられるラーメンですまし、宿を早めに出た。朝食を予定していた喫茶店は、宿から結構離れていることがわかったからである。<br />今日の立ち寄り先は、大山祇神社。大山祇神社の前の飲食店「大漁」で昼食を予定していた。しかし、前日の失敗にこり、宿を朝8時と早く出、大島バス停から大山祇神社は、それほど離れておらず(乗車時間32分)、大山祇神社には、すぐに着いた。ゆっくり歩いてもそれほど時間を要する境内の広さではなく、10時過ぎには、見学が終わった。昼食の営業は、11時30分からのため、大漁での昼食を断念し、予定より早い高速バスに乗って、次の目的地、耕三寺に向かった。<br />今回は、途中で2回バスの乗り換えがあり、最初が大三島バス停留所、2度目が高速の瀬戸田パーキングエリアから歩いて一般道に出、早瀬というバス停での乗り換えである。ここでも、失敗があった。乗り換えの歩き8分、その後の待ち時間10分の時間を考え、余裕があるかなと思ったのだけれど、パーキングエリアのどこから出て、一般道のどこに停留所があるのか、ナビで確認しないで、パーキングエリアの人に聞いたので、要領を得ず、時間をミスした。<br />ミスしたことにより、待ち時間は、10分ではなく1時間になった。1時間に1本のバスサービスが、昼まではあったので助かった。12時をすぎると、2時間位、バスは来ない。<br />バスが来て、耕三寺に向かった。本四バスの運転手さんがとても親切な方で、バスの中に、旅程表を置き忘れたのだけれど、後に宿に届けてくれた。お名前が残っていなかったけど、ありがとうございます。<br />旅の途中で受けた一番大きな心配りは、アフリカのリビアという国のベンガジという空港で、緊急脱出をし、着の身着のままで生還できた時だ。<br />何時間もかからないうちに、現地にいた日本商社他の人たちから、履物、下着、衣類、洗顔用具他の差し入れを受けた時だ。こんな僻地に日本人が「いる」ということにも感激した。ベンガジ州政府は、宿を提供してくれた。<br />旅は、いつ、どこで、人の親切を受けるか、わからないですよね。<br />耕三寺というお寺は、不思議なお寺だった。その起源を読み、耕三寺降耕三という人を知り、耕三という人がかかわったいろいろな建築物があり、それを見て回った。耕三寺耕三という人がそのご母堂への報恩感謝のために建立したとか、その思いに圧倒された。未来心の丘というところでは、大理石をこれでもかというほど集積した建造物にも圧倒された。<br />お昼は、近くのお店で、たこの炊き込みご飯を食べたが、こちらは、感激するほどではなかった。ここでは、予定したお店が定休日だった。<br />13日の宿は、瀬戸田のbackpackの宿で。宿は、14時頃からチェックインができるということだったので、早めに宿に行って、backpackをおろし、身軽になって街を見てまわることにした。13日の宿には、私以外もお客あるとの話、詳しくは聞かず、荷をおいて、街歩き出かけた。ただし、例により、宿では、布団の上げ下げのはなし、トイレ、浴室、キッチン、食堂、台所用具などの所在を説明してくれた。前泊の宿もそうだったけど、きれいに片づき、掃除された部屋だった。<br />ここでも、夜も朝も外食を予定していたのだけれど、飲食店の多くが定休日とか、休業しているので、街の印象が寂しく、宿の人に聞いても、営業しているお店がそれほど多くなかったので、片道30分ほどかかるスーパーに行き、食べられるものを買ってすました。1軒、揚げ物がおいしいことで有名らしい店があり、その店では、コロッケを買った。<br />ここでも、宿でのクッキングは、パスした。この宿では、オーナーには出会えず、受付の人から宿の案内を受けた程度にとどまった。温泉街であれば、日帰り温泉の選択肢もあるのだが、温泉街ではないので、日帰りのお風呂が使えたのは、旅館1軒だけで、そこには、行かなかった。ただし、その1軒の日帰り温泉の宿は、銭湯 ユブネ、瀬戸田の旅館「アズミ」の別棟は日帰り入浴も可ということで、後になって、「行けばよかった」と悔やんだ。<br />6月13日は、少し早め早めの行動になったけど、ほぼ、計画どおりの行動になった。<br />食べることについては、すべて、予定外の行動になった。<br />6月14日 今日は、昨日と同様に予定を変更し、早めに宿を出て、宿の目の前の乗船場から船に乗り、電車にのり、また、船に乗って、今回の旅の重要な目的になっていた、ウサギの島に行き、かわいいウサギたちに、それこそ何百羽(ウサギの数は、おおよそ900羽とのこ)と会ってきた。<br />うさぎたちとの出会いは、想像以上に感激的だった。ウサギに会ったくらいでと思うかもしれないけど、感激した。折角来たのだし、時間もあるから、島を一周しようと、歩き始めたら、暑さや大型の鳥達よる襲撃を避けるために、あじさいとか、ちいさな木立の下にいたウサギたちがいて、私を遠くに認めると例のウサギ足で、駆け寄ってくるのだ。私の足元に来ると、二本足でたちあがり、「何か、ある?」というしぐさをする。私は、何も持って行かなかったので、何もあげない、すぐに私から離れた。<br />ウサギ達は、1か所とか限られた場所に大きな群れでいるというより、1家族とか数家族単位の群れでいるみたいで、どこか隠れたところにいて,他にはいないということはなく、ほぼ、島を一周したけど、ウサギは、随所で見かけることがでた。ただ、白いウサギは少なかった。<br />中には、リピータの人達もいて、カートを引き、そのカートに、ウサギ用のカリカリの餌を2段に積み、ウサギ達にであうと、餌用のカンに適量の餌を入れ、足らなければたし、余れば回収して、次のウサギ達との出会いを求めて、島を巡り歩いている人がいた。ウサギ用の飲み水のカンに水がなければ補給していた。例によって、リピーターの人とも話した。島でのウサギとの接し方を良く知っていた。<br />その人は、野放図与えられたウサギの餌がちらばっていると、それらを回収することもしていた。確かに島の案内は、うさぎとの接しかた、餌を与えるときの注意などが記載されていた。<br />島にはうさぎの餌は売っていないらしいので、この次のときは、島に来る前に忠海の乗船待合所の店で、買い求めて来ようと思った。旅人が日本全国どころか、世界中からくるので、残してカラスやイノシシが増えるも困るので、旅人がウサギあげる餌は、それこそ、少しでも良いかもしれない。ただし、コロナの時、ウサギ達にも食の困難があったようだ。<br />うさぎ島は、良かった。たのしかった。気持ちがほっこりした。<br />14日は、三原での食事の時間を、うさぎ島に行く前に計画していたが、この案だと、タコ専門店の「蔵」という店が開くまで、三原で過ごす必要があり、蔵へ行く時間をうさぎ島の後にし、宿をはやく出て、瀬戸田、三原、忠海を経て、うさぎ島を先に回ることにした。<br />そして、できれば、三原に1時30分までに戻れば、蔵の昼の営業時間に間に合うかもと思った。ただし、今回の旅もこの頃になるとプラン重視より、ゆとり重視になり、船が朝7時に瀬戸田港をでるのであれば、うさぎ島で十分な時間がとれる、という選択に傾いた。朝の時間の移動は、船、JR, そして船のつなぎが比較的にうまくつながり、うさぎ島についた。<br />ただ、戻りは、朝のように、接続が順調にならず、三原に着いたのは、昼の営業時間終了の13時30分のかなり後となり、ここでも、予定のプランを失した。<br />新幹線が停まる三原ほどの駅周辺でも、昼の営業時間が過ぎても営業しているお店が、ほとんどなく、仕方がないので、予定を変更し、唐揚げの店で、カレーに唐揚げがトッピングされた昼食ですませた。タコ料理ではなかった。<br />そこで、こだまで、広島に行くことにし、駅で時刻表をみたら、16時過ぎの便しかなく、三原の駅で、持って行った本を読みながら、カメラとスマホの充電をして、時間をつぶした。<br />ウサギ島と忠海の間の船便は、結構な本数があるのだけど、忠海駅に発着するJRの本数は、きわめて少ないので、大三島(盛港)とウサギ島の便も検討する価値があるかも知れない。<br />もともと、うさぎ島に行くフェリーは、車をうさぎ島に運ぶのが目的ではなく、大三島に運ぶのが目的らしく、フェリーは、大三島―うさぎ島―忠海の区間を往復しているようだ。<br />なお、忠海駅から広島駅あるいは三原駅への本数が極めて少ないので、忠海駅で無駄な待ち時間をついやすより、うさぎ島を離れる時間を調整して、無駄な待ち時間を生まない工夫が必要と思われる、忠海の周りには、これという店が見当たらなかった。<br />また、うさぎ島航路には、土日祝日に運航される三原―うさぎ島の航路もあるみたいだが、私の旅程は、土日祝日は、入らなかったので、プラン作成の際の検索に入らなかった。また、現在も運航しているのかどうかは、確認していない。このほか、竹原港からもうさぎ島への航路があるように見える資料もあるが、現実に運航しているかどうかは確認していない。<br />うさぎ島は、竹原市という市にぞくしており、うさぎ島に行く忠海港の出航待合場所に竹原市の案内パンフがあるので、忠海港を含む竹原市の案内パンフを参照すると、必要な情報が得られる。竹原市での食事は魚飯が良いかも。竹原市の周辺にはお店が沢山あるようだ。<br />なお、うさぎ島へ行く船は、小さな客船とフェリーにより運航されているけど、うさぎ島には、一般の自動車が走れる道路はない。<br />14日の宿は、広島駅から歩いて10分程度のといネストホテル広島駅前という宿だった。広島球場の近くで、ちょうど、広島と楽天との連戦が行われていたので、宿にも、カープファンがいた。<br /><br />ここのホテルの案内も、部屋のTV画面に、最近のORIX, 川崎日航と同じようであり、どのホテルも結構新しくしているのかな、との印象になった。ホテルのカウンターで広島お好み焼きの店を紹介してもらい、でかけたが、広島駅の駅ビルに入って、回転ずしを見かけ、海鮮を島々で食べ損ねた私は、その店で、夕食をとった。かきとか、タコとか、鯛とか、アナゴとか、島々で食べようと思い、たべられなかった魚介類を食べたいと思ったのである。<br />なお、日本では、多くのタコをいろいろな国から輸入しており、中でもアフリカからの輸入が一番多いのではないかと思う。帰りにお土産の一つとして干しダコを買ったけど、原産地は、ベトナムまたはタイと記載されていた。瀬戸内海の飲食店で出すのは、瀬戸内海のタコと思うけどね。<br />ここのホテルのコインランドリーは、これまで私が見たコインランドリーより最新型だった。洗濯開始のとき、洗濯機のドアを閉めるが、そのとき、暗証番号をセットできるようになっていて、他人が開けるのが不可能になっていた。それに、部屋のTVで運転状態を確認できるようになっていて、部屋で洗濯終了まで、待てるようになっていた。なので、洗濯物は、このホテルですべて洗濯した。普段もオフィスでは、洗濯しているので、洗濯後、きれいにたたむのは、おてのもである。<br />15日は、帰る日だ。便は、20時過ぎの便なので、昼間は、丸々使える。<br />宿は、早めに出て、広島駅の新幹線口の近くにあるコインロッカーにbackpackを入れ、身軽になった。ここでも、スイカで鍵もかけられ、料金も払えた。<br />広島のプランは、食以外は、何も予定していなかったけど、雨にならなさそうなので、市バスに乗って、広島市内散歩に出かけた。最初、広島駅より、八丁堀までの距離をバスで行ったけど、歩きながら食べこの屋を探そうと思い、八丁堀でバスをおり、広島市中区本通8-28の本通り商店街に入った。朝食は、そこのマックですました。<br />その後は、原爆ドーム、平和記念ドーム見て歩き、さらに市電で宮島まで行こうかと思ったけど、帰る日なので、ミスすると、大変なことになるので、また、帰り路が、朝通った本通りに近くなってきたので、お昼は、牡蠣小屋で、牡蠣のランチを食べた。帰りに機内で食べるかと思い、本通りの商店街にある広島夢タウンの店で、3種のサバずしがセットになった、サバ尽くしの弁当を買った。<br />広島駅にもどったのは、まだ、4時頃で、飛行機が出る夕8時には、まだ、時間があった。<br />それで、空港に早めに行って、空港のベンチで一寝入りするかと考え、コインロッカーから荷物を出し、バス停5番で空港行きリムジンバスをまった。近くの係員の人に聞いたら、スイカの場合、社内で支払えます、と言われた。乗車券の自動発券装置が何台かあったけど、スイカで発券する場合の、スイカ読み取り機能がなく、どうやってスイカで乗車券を購入するか質問しようと思っていた。悩むことはなかった。<br />空港では、北海道物産店を開いていて、北海道のお土産が沢山展示されていた。<br />それで、広島のお土産も買ったけど、北海道のお土産も買った。<br />それで、お土産を家族に見せた時、「北海道、なぜ?」と聞かれた。羽田に着陸しようとして、羽田空港がクローズになっていれば、他の空港に一時着陸する可能性はあるけど。代替飛行場としては、北海道は遠すぎる。北海道お土産のわけを話した。<br />今回の旅行中の歩行距離は、12日17,237歩―亀井山と道の駅の往復を歩いた、大島バス停から宿を通り越し、海賊博物館まで行き、宿に戻った。13日14,716歩―<br />大山祇神社、耕三寺をほぼ全域あるいた。瀬戸田で宿からスーパーまであるいは、14日19,005歩―うさぎ島を一周した、広島駅周辺を歩いた。15日21707歩―広島駅から原爆塔間を往復した。<br />次の旅行は、11月の予定で、ワイフと一緒の、ちょっと豪華な旅だ。琵琶湖と京都に行く。宿はラフォーレ倶楽部が紹介する宿を使う予定。琵琶湖は、マリオットホテルの宿だ。泊数は、2泊か3泊の予定で、主な移動手段は、新幹線の予定。<br />そのあとは、年が明けて2月頃、ニュージランド北島バスの旅。まだ、ワイフには言っていない。ワイフは、この27日より娘とハワイ旅行の予定。私は、ワイフの猫のケアのため、留守番。<br />

公共交通機関と脚によるしまなみ海道

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2023/06/12 - 2023/06/15

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アーサーさん

今回の旅は、新たな移住先を調べるために、考えていたことだったのだけど、そこまで、時間をとることができず(調査対象市関係窓口の訪問、移住受け入れ関係先の訪問、実際の空き家の調査、生活環境の調査などなど)、普通の旅になった。移住の検討は、少し先へ伸ばすことにした。
もともと、田舎暮らしをする、ということで、20年少し前に、その当時で、このオフィスを終の棲家とするか、と新築したのだけれど、実際に年齢を重ねてみると、重要な点が落ちていたことがわかり、数年前に、また、新たな終の棲家が必要だなと思ようになった(実際に骨折した時期があって、バリアフリー、フローリング、ボールで滑る椅子など、それなりに重宝した)。重要な点とは、これからの年齢とその段階での健康状態を考え、その年齢で歩ける距離の範囲に、日常生活を支えられる買い物ができるお店があるか、という点で、今のオフィスは、生活必需品を購入できる店から、現在の脚力で徒歩30分も離れているのである。ただし、今度は、新築ではなく、購入でもなく、借家の予定だ。高齢でローンを組むことが困難なためだ。また、介護が必要になって、介護付き老人ホームに住む必要になった場合、そのための費用は、残しておかなければならないからだ。
ただし、大きな負債は一切つくらない主義で生活してきたので、現在、負債は一切ない。
20年前の時は、バリアフリーで、家の中でも、車いす生活ができ、いよいよとなれば、車庫から車椅子のまま、リフトで自分の部屋に入れるように(実際の改修は、必要になってから)プランしたのだけれど、実際に年をとると、日常生活を支えるいくつかの点を見落としていたことがわかった。それで、終の棲家をさらに探す気持ちになったのだ(かつて、山の中に移住していた高校の同窓生も、歳をとって山暮らしは不可と山をおり、諏訪市のマンションの低層階に移った)。
瀬戸内海の周辺の自治体には、老若男女の移住を歓迎し、いろいろな移住受け入れ策を打ち出している自治体がある。そうした自治体の歓迎策が、どの程度、年寄にも適用してもらえるか、調べたい、というのが、そもそもの今回の旅の始まりだったのだ(実際に、今治市のポスターを見た、写真を参照下さい)。例えば、空き家バンクの有無とか、それを借家する場合の支援とか、居宅にするための改修補助とかである。老人には、子育て支援は、いらない。ただし、望むらくは、ホームドクター制度が普及していると安心この上ない。スポーツジムはいらないが、散策できる道があればよく、近くに家庭菜園ができるところがあると良い。私のオフィスの近くには、自治体が運営している家庭菜園がある。貸しっぱなしの耕作地ではなく、周りの草を刈ったりしてくれるのだ。
居宅近くにある24時間外来とか、病院・薬局でのクレカによる支払とか、夜間の急病に対応する病院があると心強いが、地方では無理かも知れない。
多くの人と、わたしとの相違点は、仕事は、できれば、何歳になってもする(現在が該当)、自分の身の回わりのことは、ワイフに頼らないで、自分でする、そうした習慣を100歳まで、続ける、私の父が実際そうしていた、兄や姉もそうしてきた、という点だ。ただし、100歳まで生きているかはわからない。脳みその衰えを少しでも、遅め、遅めにするために高額のお金を使ってサプリメントを飲むより、できる仕事をし、毎日の献立を自分で考え、素材を自分で買い求め、自分で調理を工夫すれば、お金を使わなくても、多分、体と脳の健康維持の点で、下手にサプリメントを飲むよりはるかに実践的だと思うようになった。
何年か前、「あなたの膝がいたいのは、コンドロイチン不足かも」とか、いろいろな、脅迫めいた宣伝文句に不安を感じ、いくつかのサプリメントを選び、サプリメントを飲み続けたけれど、ある日、思い切ってそれらのすべてをやめ、毎日の歩きと、おいしい食事作りに精を出した結果、サプリメントを飲んでいた時より、毎日が健康的になったのを感じた。持久力も改善されている。なお、病院などで服用が指示されている医薬の服用を取りやめる場合は、事前に医師との相談が必要である。
ジムにも通っているけど、雨の日以外は、散歩は、自然の中が良い。自然の中で時の移ろいを感じ、季節を感じ、自然の命を感じるのが良い。なので、現在の一番の目標は、サプリメントを飲まないで、健康を維持することであり、自分のことは、自分ですることであり、サプリメントや薬が第一ではないのである。それに、良いホームドクターに出会って、あなたは、インシュリンがよく出ており、血圧が高くならなければ、糖尿病も心配ないとかの、アドバイスをもらい、もう、何年も、医薬のお世話にならない毎日を続けている。血圧も、ほかの兆候も、何も飲まなくても正常なのである。
今から考えると、体の悪い兆候は、40歳を坂にして、いろいろ出てきた。飛蚊症、耳鳴り、不整脈などだ。けれど、検診のあと何もいわれず、今日に至っている。
今年から、いよいよ、車ものらないことにした。まだ、90歳までは、安全に運転できると考えたけれど、自身で行ってきた、些細なことのインシデント分析から、もう、潮時と判断した。今日まで、月間1000キロは走り、近々では、6年間に10万キロを走行してきた。それも、運転免許更新の直後に、である。
それは、思い付きで、突然、車をやめたのではなく、数年前から、生活範囲の行動を自分の脚でできるかどうか確かめ、また、実際にできるように準備してきた。今は、年に1千数百キロを歩くし、数日前にも、1時間に1本しかないバスを頼らず、2時間かけて駅まで歩き、20キロ近い買い物をして、それを背負い、また、歩いて帰ってきた。しかも、帰途は、普段より遠回りして帰ってきた。
帰り道では、いつも見かけている高齢の女性の方と、話をし、「お互いにがんばりましょう」とエールを交換した。合計の歩行時間は、4時間を超えた。今回の旅では、4日間で7万2千歩を歩いた。歩きで疲れることはない。
運転をやめるということは、二つのダメージがあって、両方とも、精神的なダメージで、その一つは、自由に出まわる翼を失うダメージであり、自動車があれば、1時間ですむ買い物が、ときに4時間も5時間もかかるという疲労感だ。自動車をやめた後の足の確保として、自動補助付きの自転車を「あさひ」という店に調べにいったら、店員が、「運転をやめるって、自由の翼を失うことですよね」と胸の内を察してくれた。気遣いのよい店員さんだ。
散歩で3,4時間位あるくことは、少しも苦痛ではないけど、買い物など、「ねばならないこと」で、3時間も4時間も歩くのは、大きな苦痛なのだ。
すぐ上の姉からは、「歳をとってからの生活態様の変更は、すごく、精神力と体力を必要とするから、経なければならない過ぎ越しは、少しでも若いうちが良いのよね」ともいわれた。
二つ目のダメージは、いままでの家族の足としての役割がなくなり、家族との。接点が一層細ることだ。家族の足としての役割一つでも、家族から期待されなくなるのは、寂しい。
ただ、私は、いろいろと、ひとよりはるかに、「心」の勉強と訓練をしたので、ものごとや自分の思いに依存する「依存症」が一切ないので、車をやめると家族に宣言して、そのとおりに、やめられた。それがこの5月26日だった。お酒も、20年ほど前、ある日、突然、禁酒すると宣言して酒を断った。タバコは、生まれてこの方、吸ったことがない。人は、知らず知らずに依存していることがらが沢山あり、それをやめなくてはならなくなったような場合に、「なぜ、やめなくて良いか」という理由を、実に、合理的に説明する。その合理的な内容が、心理的に実に巧妙なのだ。、で、そういう時、私は、その合理的説明を自分自身にいう。そして、聞いたのちに言う、「なんだ、それ、言い訳だけじゃないか。結局、やめたくないのか」と。そして、自分に言った、どうせ、いつかはしなければならない事なら、にっちもさっちもいかない事態に囲まれて、追い込まれて決断をするより、心も、体も、健康で、車をやめた後に来る困難に。前向きに耐えられるときに、その決断をしよう、と。
私が、ある日、突然、自動車の運転をやめるといったとき、家族は、誰も反対しなかった。少しは、反対してほしかったけど、その「少し」もなかった。
むしろ、私が、日常生活上、家族にお願いしなければならないことを列挙したとき、黙って、賛同してくれた。ワイフは、それ以上のことを提案してくれ、助けられている。ワイフは、私より、かなり歳が若いからである。
なので、先月5月26日に車を売却した。
それで、こんな話をt4で、なんでするかというと、今回の旅は、車なし、自転車もなし、ただただ、公共交通機関と自分の脚と、自分の頭で旅することにした最初の旅なので、ちょと、前書きが多くなったのだ。
ただし、今時、自分で仕立て、公共交通機関と脚だけで旅する人は、少ない。でも、何かの参考に、変わった旅日記をまとめることにした。

プランを立てるのが大変だった。3泊4日の旅の詳細を詰めるのに、1週間かかった。1週間かかっても、最高のプランができた、という達成感は、生まれなかった。時間がかかったのには、もう一つ理由があった。インとアウトの航空券が廉価で予約できる日を待ったことだ。
3泊4日ののなかで、行きたい場所を順番にならべ、飛行機、鉄道、船、バス、自分の脚の組み合わせで、プランを作ったのだけれど、あれも、これも盛り込めないか、もっと最短ルートがあるのではないか、1時間も2時間も乗り継ぎ時間が生ずるのは、コースの回り方、選んだ時間帯が悪かったのではないか、等々、疑問が次々と生まれ、作っては壊し、壊しては新たな組み立てをし、それでも、「やったぜ!」という達成感が得られることがなかった。そして、いよいよ直前になって、さらに全面的に書き直した。書き直しの中心は、旅の移動にあわせて、乗り継ぎ時刻表を得、それを切り取りコピーして、出発、乗り継ぎ、到着、目的地での時間など簡単に確認できるようにした。どのバス会社のどの目的地行のバスにのり、どのバス停の次でおり(降りる予定のバス停の1,2個前を確認しておくのは、海外の路線バスを利用する場合の鉄則、そうすると、欧米諸国における、バス停名のつけかたの一般的な方法もわかり、場所の確認の仕方もわかる)、そこでの乗り継ぎをどのように歩き、どの会社のバス、なんという行先のバスに乗っていくのか、わかるようにしたのである、

今回の旅は、松山空港から松山駅に空港リムジンで行き、松山駅からJRで今治駅まで行き、駅前の今治バスセンターから瀬戸内海交通㈱のバスで、最初は、大島どまりし、その次は大三島を経て、本四バスに乗り換え、生口(3泊目)島から本州の三原に行き、そこから、忠海駅・港を経、うさぎ島に行き、うさぎ島から忠海―三原駅-広島駅・泊まりー広島空港ー羽田空港に戻る3泊4日の旅である。前泊を含めると4泊5日の旅である。

旅行計画の作成では、公共交通機関を短い時間で乗り継いでいく際に、乗り継ぎのための移動に、結構、事前確認を要することがわかったからである。例えば、高速バスから、一般道の市内バスに乗り換える際、同じ名前のバスステーションであることは少なく、バスストップの場所が違うことが当然であり、高速道路から一般道に出るルートとバスストップの場所の確認をきちんと確認していないと、短い乗り継ぎ時間の間に、乗り継ぎ失敗という事態が想定でき、1本、バスを逃すと、その日の宿に、たどりつけない事態があり得るとわかったからである。
参考までにいうと、スマホの時代になっても、バス時刻一覧表とか、運賃表は、バスターミナルとかBSと表示されているところに案内書がある場所では、聞けばもらえる。なので、必要な場合は、訪ね、あればもらうのがおすすめである。船着場もおなじである。
今回の旅では、前泊を除く、3泊のうち、2泊は、backpackの宿(くめちゃんハウス及び島宿NEST)を使い、宿泊費用の節減につとめたのだが、チェックイン時間が何時から何時までと決められている宿もあり、その時間枠に入るよう、1日の移動を終える必要があり、これも、プラン作成を困難にした。ホテルにだどりつければ、それが何時でも問題ない、これまでの旅と違ったからである。
1移動にいくつもの乗り物を使うので、乗り継ぎの時間も、プランを困難にし、乗り継ぎ時間が60分を超えるようなルートは、ルートを変え、交通手段を変え、移動時間帯をかえるなどの試行を何度も繰り返すことになった。
それでも、四苦八苦の末、松山空港から広島空港まで、しまなみ海道を通り抜けるプランができた。ただし、主な橋の全部の写真をとったりすること、メインのテーマの全てを網羅することなど、いくつかの点で、とても不可能ということがわかり。断念を強いられる結果になった。タオルのアウトレットとか、ジーンズの町とか、是非、回りたいという思いも、「次に」キャリーオーバーすることにした。
その「次ぎ」がいつくるのか、わからないけどね。
人は、旅の回数を抑える代わりに、旅をするときは、思い切り豪華な旅にする人もいるけど、私の旅は、豪華な旅もときどき、行きたい旅は、行きたいだけ、ただし、質素にと、私は、二兎を追うスタイルの旅をしているので、豪華な旅は、豪華にし、質素な旅は、思い切り質素にする。ただし、働ける限り、旅資金稼ぎの働きは「する」を、実践している。私の仕事は、物を売る商売ではなく、仕入れがないので、原価がかからない仕事である。私は、どちらかというと、安全、安心を重んじる性格なので、自分が獲得した知識とノウハウ、そして、会社人生の初めから、培った国内外での人脈づくりで得た、人のネットワークをもとに、自分の会社を始めた。顧客は、高額の時間料金が支払える海外企業を対象とした。また、常にリモートで行う支援なので、信用と信頼を第一にした。それで、仕事は、細くなってもめんめんと続いているのである。
今回は、ワイフに許可をもらって旅する一人旅なので、質素を極めた旅になる。
質素な旅を極める時は、食べきれないほどの食事がでる旅館は、パスする。寝るところの確保と好きなものを食べるという目的は分離させる。また、旅行代理店ではできない旅の技を使う。
今回の旅では、航空会社が競って実施している格安航空券を使う。こうすると、旅行代理店が常用する団体割引料金とか、仕入れ先からもらう販売促進報奨金などを組み合わせて実現するツアー料金より、格安な旅行が実現する。そのうえで、自分の夢を満喫できる旅ができる。旅の上で起こる予期しない出来事も、後に振り返ると、旅の楽しい思い出になり、楽しかった旅より、苦労した旅の方が強く、記憶に残るのである。
なので、今回の旅を安く仕上げる錬金術は、航空会社の格安航空券であり、backpackの宿であり、公共交通機関の利用である。自分だけの旅のプランを練るのも、旅で思わぬハプニングに出会うのも、旅の大事な楽しみなのだ。
backpackの宿を予約したのち、そのうちの一つから、メールがきた。宿は、日本の住まいそのままの宿であり、共通の居間、共通のトイレ、共通の浴室、共通のキッチン、共通のキッチン用具(冷蔵庫、ガスレンジあるいはIHI、食器など)を使うので、そうした点に慣れていない人は、予約を取り消しできます、という内容だった。
今回は、宿でクッキングをし、自炊するという選択肢は、とらないことにした。外食するか、インスタント食品とか、レンジでチンで、済む食べ物とか、おむすびやサンドウィッチで済ますことにしたのである。人数もそろえば、皆でつくり、一緒に食べるのも楽しいひと時になるけど、宿泊客が一人なんて言うときは、簡素な食事で良い。
私にとって、宿泊客が全員外国人であっても、問題ないばかりか、旅の積もる話が国際的にできるなんて、それこそ、旅の醍醐味で、食べきれないほどの食事を無理して食べ、秒単位ではないかと思われる予定で、旅を突っ走り、袖すりあった人や、地元の人との会話も一言もない旅して、「私は、どこそこにいったこともある」と思うのもよいけど、それは、私のスタイルの旅ではない。居間で、旅人の話を聞き(重要な旅の楽しみのひとつ)、その話に乗って、突然、回り道を追加し、予定していなかった旅先に向かうなど、旅のダイナミズムを味わえる最高の喜びだと思うのだけど、人によっては、そうした旅ができない人もいるし、そうした旅を不安に思う人もいるのは、わかっている。私は、私の旅が、参加者のひとりという旅ではなく、その旅の主役者、共演者でないと楽しくないのだ。
今回の旅が始まる前、10ページ近い枚数の旅の計画を作り、ワイフに渡した。ワイフは、旅の旅程より、毎日、海鮮とタコ尽くしの外食の旅にびっくりしていた。
さらに、出発前に、主要乗り換え点での動線マップを印刷する予定だ。おたおたして、乗り遅れないよう、万全の準備をする。
台風3号は、少し、南にずれ、四国や関東地方を直撃しないことがわかってきたが、雨に降られることは、覚悟する必要がでてきて、携行品に傘だけではなく、雨合羽、ポンチョを加えた。Backpackが濡れても困るからである。また、着替えの衣類は、ビニールの袋にも入れ、万が一にも濡れないようにした。衣類は、宿で洗濯したとき、すぐ乾燥するよう、薄手の衣類にした。携行する医薬は、普段使用している、発熱したときのためのロキソニン、頭が重くなった時のバッファリンとした。
予約に使用したbooking comからは、「宿泊費、支払い済み」のメールがきた。コロナ以降、決済制度が変わったのか、決済は現地で、という制度がなくなったみたいだ。日本航空からは、搭乗用の2次元バーコードがきた、カメラとスマホは充電した、デジカメとスマホの充電池は、携行品に加える。また、夜間歩行になった場合に備え、ヘッドライトと光反射テープも携行品に含めた。
なお、旅行には、必ずPCを持参する。今回は、PCなしにしようかと思案したが、PCには、万が一の場合のbackup情報をすべて記憶させているので、今回も、持参することにした。背負うbackpackの重さは8キロになった。それほど重くはない。
6月11日 旅の前日だ。予約のとき、前後を考えず、朝7時5分羽田発の飛行機をとった。結果として、7時5分に間にあうように羽田に到着できる電車は、千葉のオフィスからはなく、可能なのは、居宅から朝一番電車に乗る方法しかないことがわかった。
ワイフが最寄りの駅まで、送ってくれるということで、その案に傾いたが、ワイフのフリーターの仕事は、勤務が伴うので、あまり早朝に頑張りすぎると、その日の活動に影響がでる。
それで、ワイフには感謝しつつ、川崎日航ホテルに前泊することにした。
川崎日航ホテルは、何度かお世話になったことがあるので、よくわかっているつもりだった。
でも、久しぶりに訪ねて、びっくりした。ホテルそのものは、もとの位置にあったのだが、周囲が様変わりしていて、川崎駅の改札口をでて、2階フロワ―をそのまま行ったので、知らない間にホテルを通り越してしまい、「はて、どこだったかな?」と迷うことになった。
ホテルにたどり着き、チェックインをし、無性に、ラーメンをたべたくなったので、例によって、ホテルのフロントでお勧めのラーメン屋を聞き、チャーシューがいっぱいのラーメンを食べ、念のため、翌日の乗車にあわてないように京急の川崎駅に行き、駅のありかを確認し、電車の時刻を確かめた。何十キロも空港に近づいたのに、電車は、朝一番の5時34分発が安全ということになった。
ホテルの内装は、きれいになっていて、作業用デスク兼テーブルが広く、使いやすい上に、必要なアウトレットが、デスクの淵に複数ついていた。TVの案内も、この前の福岡のORIXのホテルのように、必要な案内が表示画面に表示されていた。違っていたのは、近くのお店の案内がなかった点だった。周囲に、あまりに店が多すぎるためかな。
前泊なので、夕食後、ホテルに戻り、風呂に入り、すぐに寝た。
でも、私の場合は、結構、夜中に目が覚める。当日も同じで、1時過ぎには目が覚めた。
じっとしていればよいものを、「よし、問題解決」とばかりに、なぜ、地方にでると、スイカの自動チャージが機能しないのか、スイカの自動チャージの金額を3千円から一時的に大きくする、の2点の問題に取り組むことにした。結果は、要は、JR東日本の事業エリアを超えると、自動チャージは、働かないらしいというこがわかった。また、自動チャージの金額の変更は、特定の場所に設置の、特定の機器を使わないとできないことがわかり、川崎駅付近のその種の機器は、某店舗内に設置されており、真夜中と早朝では、アクセス不可能であることが分かり、これも断念した。こういう不便なカードは、最低限度の使用だけるに制限することにし、カードが決済できる金額を逆に大幅に減らすことにした。万が一の紛失の時のことを考えると、決済金額が大きいカードは、不要なのである。私の使用カードは、主に、航空会社のカードのみにしているので、ほかの会社のカードは、必要な程度でよいのである。
また、貯金(入金用)用と支払い用の銀行口座は、分けており、カード引き落とし口座の金額は、当日の支払いに必要な金額のみにしている。口座間のお金の移動は、すべてオンラインで行うので、利息が付かない銀行に足を運ぶのは、最低限度にしている。
多分、機会があったとき、View card機能を航空会社のカードに加え、航空会社カードに統合する。これにより、年間マイル獲得数が2400マイル増加する。
ポイントで物を買う、あるいは、安く手に入れるという目的は、私には一切ない。むしろ、持ち物は、処分を続けている状態にあり、長い年代を記録したアナログ媒体は、そのアナログ媒体の入出力装置がある間にすべてデジタルに変換し、人生の記録、家族の記録は、1テラバイトの外部記録装置及びバックアップとしての数枚のSDに収まっている。
私の場合、カードで獲得するポイントは、航空会社のマイルのみでよいのである。そのマイルは、近々、ワイフとまた海外旅行ができる程度に達っしつつある。航空会社カードで一切の生活費を支払っているからである。
なお、夜中にアクセクして、問題解決に取り組んだけど、四国では、スイカを使える場所が極めて限定されていて、役に立たないことがわかり、バス等の運賃は、小銭を用意して、現金払いにすることにした。後日、地元の人に、「なぜ、スイカの使える場所が四国では少ないのか?」と確認したところ、正解かどうかはわからないけど、「システム構築の負担が大きすぎるのではないか」ということだった。瀬戸内海を渡った広島の各地では、スイカの使用は、他の地方と同じで、ほとんど、市電、市バスなどどの交通機関でも使えた。
なお、発展途上国が、なぜ、先進国に容易に追いつけるのかというと、レガシーな旧技術のインフラがないためであり、ときに、欠けているものがあることが、社会を変えるブレークスルーのチャンスになることを理解していないと、大都市をしのぐほどの急発展を地方が実現できるチャンスを失うことになるので、人々は、常に躍進の目を摘まない注意が必要と思う。
6月12日 飛行機は、ほぼ、予定通りに出発した。飛行は、白い雲の中の雲中飛行だった。ずっとゆれていたね。まあ、揺れの程度を5段階くらいにわけると2段階目だったけど、四国上空にきて、高度を下げるころ、青い空も見えてきた。雲の中の気流のせいでゆれていたので、雲がなくなれば、風が強いわけではなかったので、着陸は、スムーズだった。
空港から松山駅に向かうリムジンバスの乗車のとき、四国では、スイカがあまり役立たないということが、実際に分かった。現金が必要なのである。四国で使えるカードを買えばよい点もあるが、自動チャージがないと、旅の移動には、不便なので、クレジットカードからの自動チャージが使えないのであれば、現金の方が使い勝手が良い。
松山駅について、最初の失敗をした。10時21分発の列車の切符を買ったまでは、予定どおりだったのだが、60分近く待ち時間があるので、松山市内を市電で回ってみようと思ったのが運の尽き、電車に間に合うように戻ってくることができなかった。電車1本、60分のミスしたのである。ただし、購入したのは、乗車券と自由席特急券だけだったので、購入したそれらが無駄になることはなかった。
今日の宿のチェックイン時間締め切りの19時までには、宿に着けないことになった。
私の習慣として、旅先で、市電とか、地下鉄とか、都市圏電車網があると、一度にではなくても、それを全部乗りこなしたいという願望があり、世界のあちこちで乗りこなしてきた。
例えば、シンガポール、香港、シスコ、ワシントン、パリなどなどだ。ニューヨーク、ロス、シカゴ、ボストン(市電)、ロンドンなどは、まだ、全路線走破はできていない。
松山市は、それほど大きくないと思ったので、環状線の一つぐらいだったら、60分以内に乗り切れるのではないかと思い、駅前からのり、しかも、途中でおりて歩き、松山市駅と松山駅が結構、近いのではないかと誤解していたこともあり、20分乗り遅れ、結果として,今治には、予定より1時間後の電車に乗ることになった。スマホのナビをこまめに使わないせいだね。
毎日、めいっぱいの予定を組んでいたので、すぐに、予定を変更することとし、バラ園の訪問をやめ、亀老山展望台と道の駅訪問の2か所に絞ることにした。
さらに、あわてたのは、電車で今治に着き、今治の駅からのバスを探した時である。バス停のある場所は、事前調査したのだが、今治駅前のバス停の案内所は、どうしたわけか、いつものことなのか、クローズされていて、街頭の路線図には、各島の中心のバス停しか記載していなくて、降車予定の観光用バス停「亀山」がどのバス路線のバスストップなのか、判然としないのである。インターネットで調べた「バス路線案内」に必要な、もう一押しの安心の確認が出来なかった。
昔、バルチモアで夜遅く、列車に乗ったとき、わかっているつもりで乗った列車が、私の目的地に行かないことが分かり、慌てて次の駅でおりたけど、もう、折り返しの列車もないことが分かり、遠くに見えてガソリンスタンドの光を目当てに歩き、タクシーを呼んでもらい、元の出発駅に戻ったことがあった。思い込みは、ときに大きな誤りを犯すのだ。
仕方がないので、いつものとおり、近くにいた人に片っ端から聞きまわり、亀山を通るバス路線が、「数あるバス路線の中のどれなのかがわかり」、やっと、安堵できた。
バスは、予定通りにきて、海外でも国内でも、いつでもするように、運転手さんに「亀山に行きますか?」と確認してから乗車した。海の見える、あるいは、景色のよいルートを通るバス路線では、運転手のすぐ後ろがカメラワークに良いと思っていたので、空いていたその席に座った。
カメラのシャッター音は、出ないように設定しているので、運転手の頭の近くで、写真を撮ることができた。もちろん、安全走行に支障ないように注意した。
乗用車と違うので、バスの高い位置からとった写真は、景色が良いことも多いのである。
この日の、さらなる失敗は、亀山バス停から、亀老山展望台に行く距離が、インターネットの数字より大きかったことである。これは、情報の間違いというより、どこをもって、到達点とするかの違いによるものだと想像した。上り坂を考え、往復時間に、現地滞在時間を考えると3時間半かかりそうなことがわかり、低い山なのに、当日は、ガスがかかることが多かったので、「やめ」とし、計画を、また、変更して、最後の予定地の「道の駅」に行った。歩いて往復1時間強の距離である。なお、亀山のバス停にも自転車のレンタル可能な無人の自転車置き場があり、レンタル可能は自転車もあったので、電動自転車で亀老山展望台を往復すれば、何の問題もなかったのだけど、車の運転をやめてまだ、数日であり、自転車の購入や利用には、まだ、手を付けていなかったので、自転車の利用は、やめにした。
この次のチャンスがあれば、自転車を利用すること間違いない。
私の一つの座右の銘に「弱きものと言われる勇気を持て」という言葉があり、自転車も乗れないやつ、と言われても、良いとしたのである。
私は操縦士ではないけれど、この座右の銘は、「長時間かけて目的地付近に到達したのに何らかの理由で着陸できないときは、着陸を断念する勇気を持て」という趣旨で話されたのを聞いたことがあるのである。
今回の旅にでるとき、旅行計画書を作成した。作成しただけではなく、何度か、作り替えた。
実用に耐える旅行計画書を意識したのである。数か月の後に、ドライブを何度かしたニュージーランドで、今度は、バスで乗り継ぐ旅をしたいと思っていたので、バスの乗り継ぎ旅には、どのような情報が必要になるのかを意識して作成したのである。
作成した旅行計画で旅を実行し、その実用性及び問題点を知り、海外での乗り継ぎ旅計画書作成の参考に使用と思ったのである。もちろん、海外と日本では、同じ区間で利用できるバス、鉄道、船の路線の数が異なり、運行時間の正確性では、日本は、最高のクラスにあり、バスストップの時刻表なども、日本ほどの完備した国は少ないので、海外は、海外なりの現地対応が必要になるのだが、基本は基本として、確かにしておくことも必要なのである。
今回の旅行計画書は、つぎのような特徴がある。
1. 日にち単位に旅行計画を作成した。
2. 時刻表は、ジョルダンの時刻表を利用した。
ジョルダンの時刻表を利用して、その日の区間旅程ごとに、ジョルダンを検索し、その答えを、ウェブキャプチアを使い必要な範囲をコピーし、ワード上に複写し、その複写した情報で、その区間の運行交通会社名、利用交通機関の行先名などが確認できるようにした。さらに、乗り継ぎがある場合は、プルダウンメニューにある、「乗り継ぎルート」をクリックして、その回答もウェブキャプチアで複写し、ワードの旅行計画書に「要注意情報」として書き加えた。ジョルダンの検索結果には、乗り換えルートだけではく、乗り換えルート、乗り換え所要時間、さらに待ち時間も表示される。待ち時間がゼロであれば、移動は、迅速、確実が重要になる。
3. 時刻表の情報をワードに書き加えたのは、上記の「要注意情報」のほかに、「予定の前後の便の時刻表」も、プルダウンメニューを使い、コピーし、加えた。1本予定をミスすると、どのくらい、全体のダメージになるかを把握するためである。
4. 現地の人に、頻繁に確認した点は、
(1) 何々行きのバス停はどこにありますか。
(2) 何々に行くのは、どのバス路線ですか。
(3) (乗り物の運転手さんとかには)この乗り物は、「どこそこをとおりますか?」
などである。海外でも同じ質問をすることが多いが、海外では、回答の正確性は、多少、割り引くことにしている。残念ながら、海外では、街中で出会った人の回答は、正確性に多少の問題があることが多いからである。
なお、日本でもそうであるが、旅行には、スマホが必携である。バス停などで、バスの時刻表がなくても、スマホで対応可能な場合が国内はもとより海外でも多いからである。
オアフ島のワイキキとは反対側の、airbnbが多い街に行くと、バスストップはあるけど、時刻表はなく、次のバス発車時刻が必要な場合は、スマホで検索するしかない、街も多いのである。町の人は、移動に車を使うことが多いので、バスストップの所在地も知らないことが多いのである。
現在地から、バス停で行先を指定する場合、バス停の名称では、検索できない場合、対象候補が多すぎる場合、バス路線名とか、バス会社名を追加する必要があるので、これも注意が必要だ。
スマホの予備バッテリーの携行も検討に値する。
乗り継ぎルートが必要なケースは、
1.乗り継ぎ交通機関や会社が変わる場合
2.高速道路の交通機関と一般道路の交通機関の乗り換えの場合
3.乗り継ぎの場所が互いに離れている場合
などなどである。
例えば、高速道路線が高速道内のバスストップに停まり、乗り継ぎ先が一般道の路線バスの場合、当然、高速道路より一般道に歩く必要があり、そのルートが限定さているだけではなく、結構、距離がある場合、乗り継ぎ移動ルートは、必須事項になる。
一方、高速道路線のバスでも、高速道路を出て、一般道にあるバス会社の営業所で停まり、一般道路線のバスとその場所で乗り換えできる場合もあり、それらの乗り継ぎの情報が必須になるのである。
ジョルダンの時刻表を使用したのは、必要な情報がすべて含まれていることを確認したからである。
6月12日の宿泊は、大島バス停の近くである。亀老山展望台に行く予定で降車した亀山に、道の駅から戻り、再度、高速バスに乗った。次の行先は、同じ島内の大島バス停である。そこから宿までは、約10分ほどである。宿には17時過ぎに着くように、行き、少し早めだったので、付近の飲食店とスーパーを探した。残念ながら営業している店は少なく、街に活気があるように見えなかったので、12日夜と12日の朝に食するものを買おうと思ったけど、まあ、その夜と翌朝は、手に入るもので我慢することにし、飲み物、パン、お湯だけで食べられるラーメンを買い、宿に向かった。
道は、くねくねと降り曲がった狭い路地で、途中に町役場支所があったので、宿と飲食店の所在を確認した。飲食店は、前もって調べた店しかないこと、宿の位置は、おおよそしかわからず、当然のことながら、スマホの利用を勧められた。仕事では、海辺の町と周辺の役場にしばしば行ったので、支所などを訪ねるのは、抵抗がないのである。
当日の宿泊客は、私一人で、リビングも、キッチンも、冷蔵庫も、浴室も、トイレも私一人で占有した。静かな夜になった。
宿のオーナーとも話ができ、魅力的な話が聞けた。宿のオーナーの人には、どこも、宿にかけた気持ち、情熱, 背景などがあり、それを聞けることが多いのもbackpackの宿の魅力の一つである。宿の名前は、母親の名前にちなんだ名前であることが分かった。
旅の計画を用意周到に作成したのだけれど、やはり、問題があった。各地の朝食、昼食、それに、夕食は、「どこどこ」と決めたのだけれど、以下の点で失敗があった。
1. ネットの情報には、最終更新期日が記載されていないことが多く、今日、すでに有効でない情報がある。コロナの時に、廃業した店も、多かった。
2. 朝食、昼食、夕食には、それぞれ、営業時間があり、特に昼食の時間は、11時半から13時半まで、というように、時間が限られていて、食事時間が限定されていて、営業時時間を外すと、店があっても食事ができない。
3. 何曜日が休日かもしっかりと確認しなかったので、瀬戸田では、訪問の日にお休みの店が多かった。
6月13日、朝食は、前日に近くのスーパーで買っておいた飲み物、お湯を注ぐとすぐに食べられるラーメンですまし、宿を早めに出た。朝食を予定していた喫茶店は、宿から結構離れていることがわかったからである。
今日の立ち寄り先は、大山祇神社。大山祇神社の前の飲食店「大漁」で昼食を予定していた。しかし、前日の失敗にこり、宿を朝8時と早く出、大島バス停から大山祇神社は、それほど離れておらず(乗車時間32分)、大山祇神社には、すぐに着いた。ゆっくり歩いてもそれほど時間を要する境内の広さではなく、10時過ぎには、見学が終わった。昼食の営業は、11時30分からのため、大漁での昼食を断念し、予定より早い高速バスに乗って、次の目的地、耕三寺に向かった。
今回は、途中で2回バスの乗り換えがあり、最初が大三島バス停留所、2度目が高速の瀬戸田パーキングエリアから歩いて一般道に出、早瀬というバス停での乗り換えである。ここでも、失敗があった。乗り換えの歩き8分、その後の待ち時間10分の時間を考え、余裕があるかなと思ったのだけれど、パーキングエリアのどこから出て、一般道のどこに停留所があるのか、ナビで確認しないで、パーキングエリアの人に聞いたので、要領を得ず、時間をミスした。
ミスしたことにより、待ち時間は、10分ではなく1時間になった。1時間に1本のバスサービスが、昼まではあったので助かった。12時をすぎると、2時間位、バスは来ない。
バスが来て、耕三寺に向かった。本四バスの運転手さんがとても親切な方で、バスの中に、旅程表を置き忘れたのだけれど、後に宿に届けてくれた。お名前が残っていなかったけど、ありがとうございます。
旅の途中で受けた一番大きな心配りは、アフリカのリビアという国のベンガジという空港で、緊急脱出をし、着の身着のままで生還できた時だ。
何時間もかからないうちに、現地にいた日本商社他の人たちから、履物、下着、衣類、洗顔用具他の差し入れを受けた時だ。こんな僻地に日本人が「いる」ということにも感激した。ベンガジ州政府は、宿を提供してくれた。
旅は、いつ、どこで、人の親切を受けるか、わからないですよね。
耕三寺というお寺は、不思議なお寺だった。その起源を読み、耕三寺降耕三という人を知り、耕三という人がかかわったいろいろな建築物があり、それを見て回った。耕三寺耕三という人がそのご母堂への報恩感謝のために建立したとか、その思いに圧倒された。未来心の丘というところでは、大理石をこれでもかというほど集積した建造物にも圧倒された。
お昼は、近くのお店で、たこの炊き込みご飯を食べたが、こちらは、感激するほどではなかった。ここでは、予定したお店が定休日だった。
13日の宿は、瀬戸田のbackpackの宿で。宿は、14時頃からチェックインができるということだったので、早めに宿に行って、backpackをおろし、身軽になって街を見てまわることにした。13日の宿には、私以外もお客あるとの話、詳しくは聞かず、荷をおいて、街歩き出かけた。ただし、例により、宿では、布団の上げ下げのはなし、トイレ、浴室、キッチン、食堂、台所用具などの所在を説明してくれた。前泊の宿もそうだったけど、きれいに片づき、掃除された部屋だった。
ここでも、夜も朝も外食を予定していたのだけれど、飲食店の多くが定休日とか、休業しているので、街の印象が寂しく、宿の人に聞いても、営業しているお店がそれほど多くなかったので、片道30分ほどかかるスーパーに行き、食べられるものを買ってすました。1軒、揚げ物がおいしいことで有名らしい店があり、その店では、コロッケを買った。
ここでも、宿でのクッキングは、パスした。この宿では、オーナーには出会えず、受付の人から宿の案内を受けた程度にとどまった。温泉街であれば、日帰り温泉の選択肢もあるのだが、温泉街ではないので、日帰りのお風呂が使えたのは、旅館1軒だけで、そこには、行かなかった。ただし、その1軒の日帰り温泉の宿は、銭湯 ユブネ、瀬戸田の旅館「アズミ」の別棟は日帰り入浴も可ということで、後になって、「行けばよかった」と悔やんだ。
6月13日は、少し早め早めの行動になったけど、ほぼ、計画どおりの行動になった。
食べることについては、すべて、予定外の行動になった。
6月14日 今日は、昨日と同様に予定を変更し、早めに宿を出て、宿の目の前の乗船場から船に乗り、電車にのり、また、船に乗って、今回の旅の重要な目的になっていた、ウサギの島に行き、かわいいウサギたちに、それこそ何百羽(ウサギの数は、おおよそ900羽とのこ)と会ってきた。
うさぎたちとの出会いは、想像以上に感激的だった。ウサギに会ったくらいでと思うかもしれないけど、感激した。折角来たのだし、時間もあるから、島を一周しようと、歩き始めたら、暑さや大型の鳥達よる襲撃を避けるために、あじさいとか、ちいさな木立の下にいたウサギたちがいて、私を遠くに認めると例のウサギ足で、駆け寄ってくるのだ。私の足元に来ると、二本足でたちあがり、「何か、ある?」というしぐさをする。私は、何も持って行かなかったので、何もあげない、すぐに私から離れた。
ウサギ達は、1か所とか限られた場所に大きな群れでいるというより、1家族とか数家族単位の群れでいるみたいで、どこか隠れたところにいて,他にはいないということはなく、ほぼ、島を一周したけど、ウサギは、随所で見かけることがでた。ただ、白いウサギは少なかった。
中には、リピータの人達もいて、カートを引き、そのカートに、ウサギ用のカリカリの餌を2段に積み、ウサギ達にであうと、餌用のカンに適量の餌を入れ、足らなければたし、余れば回収して、次のウサギ達との出会いを求めて、島を巡り歩いている人がいた。ウサギ用の飲み水のカンに水がなければ補給していた。例によって、リピーターの人とも話した。島でのウサギとの接し方を良く知っていた。
その人は、野放図与えられたウサギの餌がちらばっていると、それらを回収することもしていた。確かに島の案内は、うさぎとの接しかた、餌を与えるときの注意などが記載されていた。
島にはうさぎの餌は売っていないらしいので、この次のときは、島に来る前に忠海の乗船待合所の店で、買い求めて来ようと思った。旅人が日本全国どころか、世界中からくるので、残してカラスやイノシシが増えるも困るので、旅人がウサギあげる餌は、それこそ、少しでも良いかもしれない。ただし、コロナの時、ウサギ達にも食の困難があったようだ。
うさぎ島は、良かった。たのしかった。気持ちがほっこりした。
14日は、三原での食事の時間を、うさぎ島に行く前に計画していたが、この案だと、タコ専門店の「蔵」という店が開くまで、三原で過ごす必要があり、蔵へ行く時間をうさぎ島の後にし、宿をはやく出て、瀬戸田、三原、忠海を経て、うさぎ島を先に回ることにした。
そして、できれば、三原に1時30分までに戻れば、蔵の昼の営業時間に間に合うかもと思った。ただし、今回の旅もこの頃になるとプラン重視より、ゆとり重視になり、船が朝7時に瀬戸田港をでるのであれば、うさぎ島で十分な時間がとれる、という選択に傾いた。朝の時間の移動は、船、JR, そして船のつなぎが比較的にうまくつながり、うさぎ島についた。
ただ、戻りは、朝のように、接続が順調にならず、三原に着いたのは、昼の営業時間終了の13時30分のかなり後となり、ここでも、予定のプランを失した。
新幹線が停まる三原ほどの駅周辺でも、昼の営業時間が過ぎても営業しているお店が、ほとんどなく、仕方がないので、予定を変更し、唐揚げの店で、カレーに唐揚げがトッピングされた昼食ですませた。タコ料理ではなかった。
そこで、こだまで、広島に行くことにし、駅で時刻表をみたら、16時過ぎの便しかなく、三原の駅で、持って行った本を読みながら、カメラとスマホの充電をして、時間をつぶした。
ウサギ島と忠海の間の船便は、結構な本数があるのだけど、忠海駅に発着するJRの本数は、きわめて少ないので、大三島(盛港)とウサギ島の便も検討する価値があるかも知れない。
もともと、うさぎ島に行くフェリーは、車をうさぎ島に運ぶのが目的ではなく、大三島に運ぶのが目的らしく、フェリーは、大三島―うさぎ島―忠海の区間を往復しているようだ。
なお、忠海駅から広島駅あるいは三原駅への本数が極めて少ないので、忠海駅で無駄な待ち時間をついやすより、うさぎ島を離れる時間を調整して、無駄な待ち時間を生まない工夫が必要と思われる、忠海の周りには、これという店が見当たらなかった。
また、うさぎ島航路には、土日祝日に運航される三原―うさぎ島の航路もあるみたいだが、私の旅程は、土日祝日は、入らなかったので、プラン作成の際の検索に入らなかった。また、現在も運航しているのかどうかは、確認していない。このほか、竹原港からもうさぎ島への航路があるように見える資料もあるが、現実に運航しているかどうかは確認していない。
うさぎ島は、竹原市という市にぞくしており、うさぎ島に行く忠海港の出航待合場所に竹原市の案内パンフがあるので、忠海港を含む竹原市の案内パンフを参照すると、必要な情報が得られる。竹原市での食事は魚飯が良いかも。竹原市の周辺にはお店が沢山あるようだ。
なお、うさぎ島へ行く船は、小さな客船とフェリーにより運航されているけど、うさぎ島には、一般の自動車が走れる道路はない。
14日の宿は、広島駅から歩いて10分程度のといネストホテル広島駅前という宿だった。広島球場の近くで、ちょうど、広島と楽天との連戦が行われていたので、宿にも、カープファンがいた。

ここのホテルの案内も、部屋のTV画面に、最近のORIX, 川崎日航と同じようであり、どのホテルも結構新しくしているのかな、との印象になった。ホテルのカウンターで広島お好み焼きの店を紹介してもらい、でかけたが、広島駅の駅ビルに入って、回転ずしを見かけ、海鮮を島々で食べ損ねた私は、その店で、夕食をとった。かきとか、タコとか、鯛とか、アナゴとか、島々で食べようと思い、たべられなかった魚介類を食べたいと思ったのである。
なお、日本では、多くのタコをいろいろな国から輸入しており、中でもアフリカからの輸入が一番多いのではないかと思う。帰りにお土産の一つとして干しダコを買ったけど、原産地は、ベトナムまたはタイと記載されていた。瀬戸内海の飲食店で出すのは、瀬戸内海のタコと思うけどね。
ここのホテルのコインランドリーは、これまで私が見たコインランドリーより最新型だった。洗濯開始のとき、洗濯機のドアを閉めるが、そのとき、暗証番号をセットできるようになっていて、他人が開けるのが不可能になっていた。それに、部屋のTVで運転状態を確認できるようになっていて、部屋で洗濯終了まで、待てるようになっていた。なので、洗濯物は、このホテルですべて洗濯した。普段もオフィスでは、洗濯しているので、洗濯後、きれいにたたむのは、おてのもである。
15日は、帰る日だ。便は、20時過ぎの便なので、昼間は、丸々使える。
宿は、早めに出て、広島駅の新幹線口の近くにあるコインロッカーにbackpackを入れ、身軽になった。ここでも、スイカで鍵もかけられ、料金も払えた。
広島のプランは、食以外は、何も予定していなかったけど、雨にならなさそうなので、市バスに乗って、広島市内散歩に出かけた。最初、広島駅より、八丁堀までの距離をバスで行ったけど、歩きながら食べこの屋を探そうと思い、八丁堀でバスをおり、広島市中区本通8-28の本通り商店街に入った。朝食は、そこのマックですました。
その後は、原爆ドーム、平和記念ドーム見て歩き、さらに市電で宮島まで行こうかと思ったけど、帰る日なので、ミスすると、大変なことになるので、また、帰り路が、朝通った本通りに近くなってきたので、お昼は、牡蠣小屋で、牡蠣のランチを食べた。帰りに機内で食べるかと思い、本通りの商店街にある広島夢タウンの店で、3種のサバずしがセットになった、サバ尽くしの弁当を買った。
広島駅にもどったのは、まだ、4時頃で、飛行機が出る夕8時には、まだ、時間があった。
それで、空港に早めに行って、空港のベンチで一寝入りするかと考え、コインロッカーから荷物を出し、バス停5番で空港行きリムジンバスをまった。近くの係員の人に聞いたら、スイカの場合、社内で支払えます、と言われた。乗車券の自動発券装置が何台かあったけど、スイカで発券する場合の、スイカ読み取り機能がなく、どうやってスイカで乗車券を購入するか質問しようと思っていた。悩むことはなかった。
空港では、北海道物産店を開いていて、北海道のお土産が沢山展示されていた。
それで、広島のお土産も買ったけど、北海道のお土産も買った。
それで、お土産を家族に見せた時、「北海道、なぜ?」と聞かれた。羽田に着陸しようとして、羽田空港がクローズになっていれば、他の空港に一時着陸する可能性はあるけど。代替飛行場としては、北海道は遠すぎる。北海道お土産のわけを話した。
今回の旅行中の歩行距離は、12日17,237歩―亀井山と道の駅の往復を歩いた、大島バス停から宿を通り越し、海賊博物館まで行き、宿に戻った。13日14,716歩―
大山祇神社、耕三寺をほぼ全域あるいた。瀬戸田で宿からスーパーまであるいは、14日19,005歩―うさぎ島を一周した、広島駅周辺を歩いた。15日21707歩―広島駅から原爆塔間を往復した。
次の旅行は、11月の予定で、ワイフと一緒の、ちょっと豪華な旅だ。琵琶湖と京都に行く。宿はラフォーレ倶楽部が紹介する宿を使う予定。琵琶湖は、マリオットホテルの宿だ。泊数は、2泊か3泊の予定で、主な移動手段は、新幹線の予定。
そのあとは、年が明けて2月頃、ニュージランド北島バスの旅。まだ、ワイフには言っていない。ワイフは、この27日より娘とハワイ旅行の予定。私は、ワイフの猫のケアのため、留守番。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
3.5
グルメ
3.5
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス JALグループ JR特急 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 松山駅風景<br />

    松山駅風景

  • 松山駅から駅前の風景

    松山駅から駅前の風景

  • 松山市内で見た「めし代のない人」への案内

    松山市内で見た「めし代のない人」への案内

  • 市電。線路は単線で、交差する駅で複線になる。

    市電。線路は単線で、交差する駅で複線になる。

  • 松山駅から今治行き列車内

    松山駅から今治行き列車内

  • 今治駅前のバス停、案内所及び路線図は、この付近にある。

    今治駅前のバス停、案内所及び路線図は、この付近にある。

  • しまなみ海道を行くバスの時刻表

    しまなみ海道を行くバスの時刻表

  • バス停からロータリーを見た風景

    バス停からロータリーを見た風景

  • バス停から今治駅を見た風景

    バス停から今治駅を見た風景

  • やっと、乗るべきバスが判明、時刻通りにバスが来て出発、大島の亀山を目指す。

    やっと、乗るべきバスが判明、時刻通りにバスが来て出発、大島の亀山を目指す。

  • 今治から大島方向を見た風景

    今治から大島方向を見た風景

  • 今治ー大島を結ぶ橋

    今治ー大島を結ぶ橋

  • 今治ー大島を結ぶ橋

    今治ー大島を結ぶ橋

  • 同上、大きな橋

    同上、大きな橋

  • 道路にはかならず自転車道がついていて、サイクリングを楽しむ人を多く見かける。

    道路にはかならず自転車道がついていて、サイクリングを楽しむ人を多く見かける。

  • 同上、

    同上、

  • 橋の終わりが近づく

    橋の終わりが近づく

  • 大島に入る

    大島に入る

  • 大島に上陸

    大島に上陸

  • 大島の亀山に向かう

    大島の亀山に向かう

  • 道の駅「よしうみいきいき館」の前から今治方向にむかって、とおってきた橋をみる。<br />瀬戸の渦巻きをみる船は、あちこちから出ており。そうしたところでは、写真のような案内がある。よしうみいきいき館そのものは、小規模な道の駅である。エビハンバーガーを昼食にした。

    道の駅「よしうみいきいき館」の前から今治方向にむかって、とおってきた橋をみる。
    瀬戸の渦巻きをみる船は、あちこちから出ており。そうしたところでは、写真のような案内がある。よしうみいきいき館そのものは、小規模な道の駅である。エビハンバーガーを昼食にした。

  • 同上、同じところから見た風景。島々を通り抜ける橋、そして、海の風景、島の風景を楽しめる道は、いろいろあるが、しまなみ海道が一番ではないか。<br />天草をまわったり、三陸の海沿いを車で走れば、海と橋と島々がみられる道路もあるが、しまなみ海道が一番かな。

    同上、同じところから見た風景。島々を通り抜ける橋、そして、海の風景、島の風景を楽しめる道は、いろいろあるが、しまなみ海道が一番ではないか。
    天草をまわったり、三陸の海沿いを車で走れば、海と橋と島々がみられる道路もあるが、しまなみ海道が一番かな。

  • 大島の宿の近くでの潮流体験の案内。潮流案内はあちこちにある。

    大島の宿の近くでの潮流体験の案内。潮流案内はあちこちにある。

  • レストランは、訪ねると、定休日、時間外、休業のいずれかとなっていて、人影がなかった。

    レストランは、訪ねると、定休日、時間外、休業のいずれかとなっていて、人影がなかった。

  • 目指したレストランへは、まだ、距離があった。車だとすぐ近くだが。

    目指したレストランへは、まだ、距離があった。車だとすぐ近くだが。

  • 12日宿泊地での漁港

    12日宿泊地での漁港

  • 瀬戸内海交通㈱の大島BSの案内所 時刻表をもらえた。

    瀬戸内海交通㈱の大島BSの案内所 時刻表をもらえた。

  • バスの案内所には、おおくのこうした路線図があった。

    バスの案内所には、おおくのこうした路線図があった。

  • 13日、大島営業所から大三島の大山祇神社へ向かう。朝食は、前日にスーパーで買ったものですました。

    13日、大島営業所から大三島の大山祇神社へ向かう。朝食は、前日にスーパーで買ったものですました。

  • 大島から伯方島へ橋を渡る。

    大島から伯方島へ橋を渡る。

  • 車窓に移る島々

    車窓に移る島々

  • 同上、橋の終わり

    同上、橋の終わり

  • 車窓から見る島々

    車窓から見る島々

  • 車窓から見る島々

    車窓から見る島々

  • 車窓から見る島々

    車窓から見る島々

  • 瀬戸内海で抜去した海賊の紹介看板、島々のあちこちにある。

    瀬戸内海で抜去した海賊の紹介看板、島々のあちこちにある。

  • 大三島の大山祇神社

    大三島の大山祇神社

  • 大山祇神社境内案内図、時間があったので、奥までいった。ただし、そんなに広大ではないので、それほどは、時間を要しない。

    大山祇神社境内案内図、時間があったので、奥までいった。ただし、そんなに広大ではないので、それほどは、時間を要しない。

  • 樹齢2000年を超えると紹介されている木。

    樹齢2000年を超えると紹介されている木。

  • 大山祇神社境内。

    大山祇神社境内。

  • 大山祇神社境内。

    大山祇神社境内。

  • 大山祇神社付近の町の様子。11時30分には、まだ、早すぎ、大漁はパスした。<br />場所は、大山祇神社のすぐ前。

    大山祇神社付近の町の様子。11時30分には、まだ、早すぎ、大漁はパスした。
    場所は、大山祇神社のすぐ前。

  • 生口島をつなぐ橋

    生口島をつなぐ橋

  • 大三島のBSで見かけた今治市移住勧誘ポスター。移住では、いくつかの点で全国1位とあった。移住調査の対象としている理由である。<br />この大三島BSで今治市から来た瀬戸内海交通から福山駅にむかうしまなみライナーに乗り換える。

    大三島のBSで見かけた今治市移住勧誘ポスター。移住では、いくつかの点で全国1位とあった。移住調査の対象としている理由である。
    この大三島BSで今治市から来た瀬戸内海交通から福山駅にむかうしまなみライナーに乗り換える。

  • 生口島に向かうバスからの島々の風景。島と、海と、青い空で、どこまでも気分が良い。

    生口島に向かうバスからの島々の風景。島と、海と、青い空で、どこまでも気分が良い。

  • 同上。

    同上。

  • 瀬戸パーキングエリアから見た付近の様子。<br />手前のオレンジ色の注意看板「イノシシに関する注意」があるところから、パーキングエリアを出、高速道路の下を通り、海岸沿いにある一般道に出、そこで本四バスに乗り換える。結構、乗り換えの距離がある。

    瀬戸パーキングエリアから見た付近の様子。
    手前のオレンジ色の注意看板「イノシシに関する注意」があるところから、パーキングエリアを出、高速道路の下を通り、海岸沿いにある一般道に出、そこで本四バスに乗り換える。結構、乗り換えの距離がある。

  • パーキングエリアの案内図

    パーキングエリアの案内図

  • 高速道路の下を通るトンネル、通行人は、ほとんどいない。

    高速道路の下を通るトンネル、通行人は、ほとんどいない。

  • 一般道への下り坂。

    一般道への下り坂。

  • ちょっと見えるのは、大三島をつなぐ橋。

    ちょっと見えるのは、大三島をつなぐ橋。

  • 訪ねる予定だった店。定休日だった。

    訪ねる予定だった店。定休日だった。

  • 13日の昼食の店、万作のタコ飯。

    13日の昼食の店、万作のタコ飯。

  • 耕三寺博物館入り口。

    耕三寺博物館入り口。

  • 耕三寺博物館の案内図。

    耕三寺博物館の案内図。

  • 耕三寺の五重塔。

    耕三寺の五重塔。

  • 耕三寺の五重塔のつくり。

    耕三寺の五重塔のつくり。

  • 耕三寺本堂

    耕三寺本堂

  • 未来心の丘、遠くに瀬戸の島々が見える。手前の構造物は大理石。

    未来心の丘、遠くに瀬戸の島々が見える。手前の構造物は大理石。

  • 未来心の丘から瀬戸の島々。

    未来心の丘から瀬戸の島々。

  • このお店も閉まっていた。

    このお店も閉まっていた。

  • 宿の前の船着き場(瀬戸田港)

    宿の前の船着き場(瀬戸田港)

  • 瀬戸田港で見かけた案内図。ここからしまなみ海道を離れ、三原海―三原駅ー忠海ーうさぎ島へ向かう。

    瀬戸田港で見かけた案内図。ここからしまなみ海道を離れ、三原海―三原駅ー忠海ーうさぎ島へ向かう。

  • 乗船券は。自動販売機で購入する。一番船7時発に乗船した。

    乗船券は。自動販売機で購入する。一番船7時発に乗船した。

  • 案内が分かりやすい。

    案内が分かりやすい。

  • 乗船する船。

    乗船する船。

  • 船内。朝が早いせいか、乗客もまばら。

    船内。朝が早いせいか、乗客もまばら。

  • 瀬戸田港を離れる。

    瀬戸田港を離れる。

  • 島々の中を走る。

    島々の中を走る。

  • 瀬戸田港と近隣の島を結ぶ橋。

    瀬戸田港と近隣の島を結ぶ橋。

  • 朝もやに煙る島の風景。島の名前は不明。

    朝もやに煙る島の風景。島の名前は不明。

  • すれ違った船

    すれ違った船

  • 三原駅から忠海駅へ。

    三原駅から忠海駅へ。

  • 電車の車窓から見た風景。

    電車の車窓から見た風景。

  • 同上。

    同上。

  • 忠海駅から忠海港船着き場へ向かう。三原駅方向に戻る感じ。

    忠海駅から忠海港船着き場へ向かう。三原駅方向に戻る感じ。

  • うさぎ島への玄関。きれいな施設で、垢ぬけていた。

    うさぎ島への玄関。きれいな施設で、垢ぬけていた。

  • うさぎ島へ訪れる人たちへの案内、日本語で英語はない。

    うさぎ島へ訪れる人たちへの案内、日本語で英語はない。

  • 船着き場。車も乗せられるが、うさぎ島には、車が走れる道はない。うさぎ島を経由してゆく大三島には、車もおろせる。

    船着き場。車も乗せられるが、うさぎ島には、車が走れる道はない。うさぎ島を経由してゆく大三島には、車もおろせる。

  • 正面から見たうさぎ島玄関口。

    正面から見たうさぎ島玄関口。

  • この世界地図、日本地図は、旅人がどこから来たかをピンを打つようになっており、日本全国、世界各地から、うさぎ島に来る人々が多くいることを示している。

    この世界地図、日本地図は、旅人がどこから来たかをピンを打つようになっており、日本全国、世界各地から、うさぎ島に来る人々が多くいることを示している。

  • 小型のうさぎ島行き船。

    小型のうさぎ島行き船。

  • 大型のうさぎ島行きフェリー。うさぎ島では、車が走れる道路はない。

    大型のうさぎ島行きフェリー。うさぎ島では、車が走れる道路はない。

  • 忠海港を出航。

    忠海港を出航。

  • すれ違った観光船。

    すれ違った観光船。

  • うさぎ島に近づく。

    うさぎ島に近づく。

  • うさぎ島の桟橋。

    うさぎ島の桟橋。

  • 早速、ウサギ達の出迎え。うさぎがうようよとるわけでなく、4,5羽単位で群れ、足元に近づくのは、数匹である。

    早速、ウサギ達の出迎え。うさぎがうようよとるわけでなく、4,5羽単位で群れ、足元に近づくのは、数匹である。

  • ベンチの下にるウサギ。

    ベンチの下にるウサギ。

  • うさぎ。

    うさぎ。

  • 島の宿

    島の宿

  • 何かをくれるかと待っている。

    何かをくれるかと待っている。

  • 同上。家に猫がいるので、他の猫を含め、他の動物もだいたりしない・

    同上。家に猫がいるので、他の猫を含め、他の動物もだいたりしない・

  • 白いウサギはこの島ではめずらしい。<br />再度,説明すると、ウサギは、うようよと固まっているわけではなさそう。島を一周しても、うさぎが足元に来るのは、数羽のみ。

    白いウサギはこの島ではめずらしい。
    再度,説明すると、ウサギは、うようよと固まっているわけではなさそう。島を一周しても、うさぎが足元に来るのは、数羽のみ。

  • 白いウサギ

    白いウサギ

  • そばに来ては、何かをもらえるか待つ。

    そばに来ては、何かをもらえるか待つ。

  • こんな調子で、名十枚も写真を撮った。

    こんな調子で、名十枚も写真を撮った。

  • 木の下にいるウサギ達。

    木の下にいるウサギ達。

  • 場所が変わり、群れが変わると、色も変わる。

    場所が変わり、群れが変わると、色も変わる。

  • 遠くの寛いでいるウサギも、私を見つけると駆け寄ってくる。

    遠くの寛いでいるウサギも、私を見つけると駆け寄ってくる。

  • 島の全体図

    島の全体図

  • おねだりして、二本足でたつ。

    おねだりして、二本足でたつ。

  • うさぎ島の船着き場案内所

    うさぎ島の船着き場案内所

  • 広島駅新幹線口

    広島駅新幹線口

  • 原爆ドーム

    原爆ドーム

  • 広島市では、牡蠣小屋に行き、牡蠣の昼食を食べた。

    広島市では、牡蠣小屋に行き、牡蠣の昼食を食べた。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 3104ねえねえさん 2023/10/24 06:33:49
    しまなみ街道も素敵ですね!
    アーサー様
     しまなみ街道=自転車でのサイクリングのイメージが強く、自分には体力的に無理と思って旅の候補には入れていませんでした。でも時間と暇だけはあるシニアにとってはアーサー様のように公共交通機関を利用しての旅もあり、なのですね!今後、参考にさせていただきます。
      9月にアドバイスをいただきました陸路国境越えの件、本当にありがとうございました。おかげ様で準備万端整え、安心して成田空港を出発出来ました。国境越えは心配していた事が嘘のようにスムーズに(子ども連れファミリーは怪しまれない?)ドライバーが応答し、私は予めパスポートとチケット控えを渡すだけで済みました。税関申告もありませんでした。
     楽しい旅の記録は『シニアトラベラー!シアトル・バンクーバー満喫の旅』として順次アップしております。陸路国境越えの様子も書いておりますので、よろしければ目を通してみて下さい。
     お世話になりました事、心より感謝致します。

    アーサーさん からの返信 2023/10/24 10:42:12
    Re: しまなみ街道も素敵ですね!
    旅行記へのコメントありがとうございます。しまなみ街道の旅は、大ぶりの雨にも出会わず、小さな行き違いの連続で、それでも楽しい旅でした。9月は、仕事仲間(みな、海外の仕事を日本でしています)と現地集合。現地解散の旅のシンガポール行を行う予定でしたが、第7回目のコロナワクチンとこの冬のインフルワクチン接種を控え(コロナワクチンは終了、初めて発熱の副作用がありました。インフルワクチンは、来週です)、見送りにしました。私以外の仲間は予定通り実行しました。来月は、京都嵐山と琵琶湖に行きます。来年のことを言うと鬼に笑われるらしいのですが、シンガポールに行かなかった代わりとして、ニュージーランド北島に、一人で行くつもりでいます。今度は、車を使わず、バスを使い、無理しないで1か所程度の街でのんびりと夏の終わりを楽しむ旅をする予定です。そのためだけではないのですが、今朝も朝4時過ぎに近くのジムで歩き、肩を使い、腹筋と太ももを鍛えるエクササイズをしてきました。健康でないと、どこへもいけませんものね。
    はい、旅行記を見させてもらいます。楽しみにしています。



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