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2022年2月26日(土)11時15分過ぎ、JRの我孫子町駅の約500m東南東にあるあびこ観音の入口に到着。我孫子町駅の南側の道を東に進み、信号機のある交差点を南に折れて、少し進んだところの左手に参道の入口がある(下の写真1)。<br /><br />あびこ(我孫子)観音は正式には吾彦山(あびこさん)大聖(だいしょう)観音寺。観音宗の総本山で、日本最古の観音菩薩の霊場とされる。吾彦(安彦)観音寺とも呼ばれる。本尊は聖観音菩薩。<br /><br />百済と交易をしていた依網吾彦(よさみのあびこ)の一族が百済の王から観音像を贈られ、欽明天皇の時代の546年にこの地の人々がその像を祀る堂を建てた。そして、推古天皇の時代、618年に聖徳太子がその観音像を祀る観音寺を建立したとされる。<br /><br />江戸初期の1615年の大坂夏の陣の際には、真田信繁の攻撃を受けて逃げてきた徳川家康をかくまったと云う。江戸時代には最盛期を迎え、塔頭寺院が36を数えるに至った。ただし、戦国時代にはこの辺り一帯は今井兵部によって築城された石山本願寺の支城の我孫子城があったとも云われる。何も遺構は残ってないそうなので、寺との関係は不明。<br /><br />1881年(明治14年)に火災に遭い、多くの寺宝と共に焼失したが、1890年(明治23年)から再建を始め復興を果たした。1946年(昭和21年)に真言宗山階派より独立し、観音宗を設立した。<br /><br />1月から2月に行われる護摩祈祷がよく知られている。修験道形式の天蓋護摩で、奉書などで作られた紙製の天蓋を護摩炉の上に吊す。天蓋は護摩炉の炎が近くに至っても燃えないという。また、毎年2月3日の節分厄除大法会には聖観音が開帳され、厄除開運・無病息災・諸願成就を祈る人々で賑わう。<br /><br />参道を東に進むと、まずは右手に参道の十一面さんと呼ばれる観音さまが建つ。参道に唯一安置されている観音像で、頭部に11の顔を持つため十一面観音さんと呼ばれている。参道の突き当りが正門(西門)。1902年(明治35年)に再建されたもの<br /><br />正門を抜けて境内に入ると中央部に手水舎(井戸屋形)があり、南側には大阪市の保存樹になっている楠と百度石などがある。保存樹は「都市の美観風致維持するための樹木の保存に関する法律」に従って、大阪市が認定したもの。幹周3.45m、樹高18mとある。楠の保存樹の周りに置かれた水鉢では水浴びする鳩もいる(下の写真2)。まだ2月で寒いのに・・・<br /><br />本堂は正門入って左側、北側の奥にある。1897年(明治30年)に再建されたもの。正面中央にご本尊「聖観世音菩薩」、左右に大勢の仏様が鎮座している(下の写真2)。境内左手にはご朱印所と大日堂、右手には庫裡が境内を囲む。<br /><br />大日堂は1984年に建てられたもので、大日如来、不動明王、弘法大師、阿弥陀三尊、聖武天皇像、行基菩薩をお祀りしている(下の写真4)。庫裡は寺院の台所にあたる建物で、1898年(明治31年)に再建されたもの。<br /><br />本堂の左手奥には1982年に建立された白龍弁財天を祀る金辰殿があり、その手前に2018年に拡張工事が完成した白龍池がある。池には大きな錦鯉が泳ぎ、東側の下部がガラス張りになっていて鯉を眺めることが出来る(下の写真5)。鯉は本堂裏手の池から移されたそうだ。<br /><br />さらに奥に進むと西国三十三観音が並ぶ。西国三十三カ所の観音菩薩を祀るもので、1982年に完成した。ここをお参りすると西国三十三観音を巡ったのと 同じ功徳が得られると云われる。<br /><br />大阪市の保存樹である幹周2.11m、樹高14mのイチョウ(下の写真6)がある本堂の裏手を回り込んで本堂の右手に出るとお堂が続き(下の写真7)、一番手前にびんずるさんと呼ばれる賓頭盧(びんずる)尊者像が祀られている。お釈迦様の高弟で優れた神通力の持ち主だった十六羅漢の第一のピンドーラ・バーラドヴァージャ(Pindola-Bharadvaj)。病人がこの像の自分の患部と同じ箇所を撫でると病気が平癒すると云われて、信仰されている。<br /><br />境内に戻り、庫裡の先に進むと2月の節分厄除大法会で修験行者による護摩焚きが盛大に執り行われる護摩堂。1978年に建立されたもので、油之不動明王を祀る。平安時代の(921)に醍醐天皇の中宮の藤原穏子(おんし)が、安産祈願をしたことで知られ、「安産の身代わり不動尊」とも呼ばれ、醍醐天皇の勅願仏と云われている。<br /><br />護摩堂の南側には観自在大楠とも呼ばれる樹齢約800年の大楠がある。いつまでも私達を見守って欲しいとの願いを込め名付けられた。幾度の戦火にも残り、大阪市の保存樹にも指定されている。誕生起源は定かでは無いが 古い書物や専門家の意見を参考に推定すると1300年代 後醍醐天皇の没後 室町時代中期と推定されている。木の前には稲荷社がある。<br /><br />観自在大楠と南門を挟んだ反対側には福聚(ふくじゅ)地蔵堂。もともとは白龍池があったところに置かれていたそうだが、お社が傾きだして危ないと云うことで、ここに移された。白龍池はそれで空いたスペースを有効活用と云うことで造られたとのこと。<br /><br />11時半過ぎ、帰りは南門から出る。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9722900394446564&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />南門の先は駐車場になっているが、駐車場の先公道に出るところの交差点にレトロな建物がある(下の写真8)。我孫子町会館と云う地元の公民館で、昭和初期の建築らしい。建物の前に竣功記念の碑と創立50周年記念の碑が建っていた(下の写真9)。<br /><br />竣功記念は大阪市我孫子土地区割整理組合のもので、昭和9年創立、昭和20年竣功とある。創立50周年記念は我孫子町青年団のもので、昭和12年とあるが、それ以上は私が調べた限りでは分からなかった。<br /><br /><br />あびこ筋を長居公園へ向かうが、続く

大阪 我孫子 あびこ観音(Abiko Kannon-ji Temple,Abiko,Sumiyoshi,Osaka,Japan)

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2022/02/26 - 2022/02/26

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旅行記グループ 我孫子・長居

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年2月26日(土)11時15分過ぎ、JRの我孫子町駅の約500m東南東にあるあびこ観音の入口に到着。我孫子町駅の南側の道を東に進み、信号機のある交差点を南に折れて、少し進んだところの左手に参道の入口がある(下の写真1)。

あびこ(我孫子)観音は正式には吾彦山(あびこさん)大聖(だいしょう)観音寺。観音宗の総本山で、日本最古の観音菩薩の霊場とされる。吾彦(安彦)観音寺とも呼ばれる。本尊は聖観音菩薩。

百済と交易をしていた依網吾彦(よさみのあびこ)の一族が百済の王から観音像を贈られ、欽明天皇の時代の546年にこの地の人々がその像を祀る堂を建てた。そして、推古天皇の時代、618年に聖徳太子がその観音像を祀る観音寺を建立したとされる。

江戸初期の1615年の大坂夏の陣の際には、真田信繁の攻撃を受けて逃げてきた徳川家康をかくまったと云う。江戸時代には最盛期を迎え、塔頭寺院が36を数えるに至った。ただし、戦国時代にはこの辺り一帯は今井兵部によって築城された石山本願寺の支城の我孫子城があったとも云われる。何も遺構は残ってないそうなので、寺との関係は不明。

1881年(明治14年)に火災に遭い、多くの寺宝と共に焼失したが、1890年(明治23年)から再建を始め復興を果たした。1946年(昭和21年)に真言宗山階派より独立し、観音宗を設立した。

1月から2月に行われる護摩祈祷がよく知られている。修験道形式の天蓋護摩で、奉書などで作られた紙製の天蓋を護摩炉の上に吊す。天蓋は護摩炉の炎が近くに至っても燃えないという。また、毎年2月3日の節分厄除大法会には聖観音が開帳され、厄除開運・無病息災・諸願成就を祈る人々で賑わう。

参道を東に進むと、まずは右手に参道の十一面さんと呼ばれる観音さまが建つ。参道に唯一安置されている観音像で、頭部に11の顔を持つため十一面観音さんと呼ばれている。参道の突き当りが正門(西門)。1902年(明治35年)に再建されたもの

正門を抜けて境内に入ると中央部に手水舎(井戸屋形)があり、南側には大阪市の保存樹になっている楠と百度石などがある。保存樹は「都市の美観風致維持するための樹木の保存に関する法律」に従って、大阪市が認定したもの。幹周3.45m、樹高18mとある。楠の保存樹の周りに置かれた水鉢では水浴びする鳩もいる(下の写真2)。まだ2月で寒いのに・・・

本堂は正門入って左側、北側の奥にある。1897年(明治30年)に再建されたもの。正面中央にご本尊「聖観世音菩薩」、左右に大勢の仏様が鎮座している(下の写真2)。境内左手にはご朱印所と大日堂、右手には庫裡が境内を囲む。

大日堂は1984年に建てられたもので、大日如来、不動明王、弘法大師、阿弥陀三尊、聖武天皇像、行基菩薩をお祀りしている(下の写真4)。庫裡は寺院の台所にあたる建物で、1898年(明治31年)に再建されたもの。

本堂の左手奥には1982年に建立された白龍弁財天を祀る金辰殿があり、その手前に2018年に拡張工事が完成した白龍池がある。池には大きな錦鯉が泳ぎ、東側の下部がガラス張りになっていて鯉を眺めることが出来る(下の写真5)。鯉は本堂裏手の池から移されたそうだ。

さらに奥に進むと西国三十三観音が並ぶ。西国三十三カ所の観音菩薩を祀るもので、1982年に完成した。ここをお参りすると西国三十三観音を巡ったのと 同じ功徳が得られると云われる。

大阪市の保存樹である幹周2.11m、樹高14mのイチョウ(下の写真6)がある本堂の裏手を回り込んで本堂の右手に出るとお堂が続き(下の写真7)、一番手前にびんずるさんと呼ばれる賓頭盧(びんずる)尊者像が祀られている。お釈迦様の高弟で優れた神通力の持ち主だった十六羅漢の第一のピンドーラ・バーラドヴァージャ(Pindola-Bharadvaj)。病人がこの像の自分の患部と同じ箇所を撫でると病気が平癒すると云われて、信仰されている。

境内に戻り、庫裡の先に進むと2月の節分厄除大法会で修験行者による護摩焚きが盛大に執り行われる護摩堂。1978年に建立されたもので、油之不動明王を祀る。平安時代の(921)に醍醐天皇の中宮の藤原穏子(おんし)が、安産祈願をしたことで知られ、「安産の身代わり不動尊」とも呼ばれ、醍醐天皇の勅願仏と云われている。

護摩堂の南側には観自在大楠とも呼ばれる樹齢約800年の大楠がある。いつまでも私達を見守って欲しいとの願いを込め名付けられた。幾度の戦火にも残り、大阪市の保存樹にも指定されている。誕生起源は定かでは無いが 古い書物や専門家の意見を参考に推定すると1300年代 後醍醐天皇の没後 室町時代中期と推定されている。木の前には稲荷社がある。

観自在大楠と南門を挟んだ反対側には福聚(ふくじゅ)地蔵堂。もともとは白龍池があったところに置かれていたそうだが、お社が傾きだして危ないと云うことで、ここに移された。白龍池はそれで空いたスペースを有効活用と云うことで造られたとのこと。

11時半過ぎ、帰りは南門から出る。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9722900394446564&type=1&l=223fe1adec

南門の先は駐車場になっているが、駐車場の先公道に出るところの交差点にレトロな建物がある(下の写真8)。我孫子町会館と云う地元の公民館で、昭和初期の建築らしい。建物の前に竣功記念の碑と創立50周年記念の碑が建っていた(下の写真9)。

竣功記念は大阪市我孫子土地区割整理組合のもので、昭和9年創立、昭和20年竣功とある。創立50周年記念は我孫子町青年団のもので、昭和12年とあるが、それ以上は私が調べた限りでは分からなかった。


あびこ筋を長居公園へ向かうが、続く

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  • 写真1 参道入口

    写真1 参道入口

  • 写真2 水浴びする鳩

    写真2 水浴びする鳩

  • 写真3 本堂内部

    写真3 本堂内部

  • 写真4 大日堂内部

    写真4 大日堂内部

  • 写真5 白龍池

    写真5 白龍池

  • 写真6 保存樹のイチョウ

    写真6 保存樹のイチョウ

  • 写真7 本堂右手奥のお堂

    写真7 本堂右手奥のお堂

  • 写真8 我孫子町会館

    写真8 我孫子町会館

  • 写真9 竣功記念と創立50周年記念の碑

    写真9 竣功記念と創立50周年記念の碑

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