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2022年2月26日(土)、あびこ観音から長居公園に向かってあびこ筋を歩く。戦後、地下鉄御堂筋線の南進と共に整備された道路で、天王寺駅南東の附属天王寺小学校前交差点から大和川に架かる吾彦大橋までを南北に結んでいる約6㎞の通り。登録上の起点は天王寺駅南の近鉄前交差点で、附属天王寺小学校前交差点までは国道25号と重複区間。<br /><br />御堂筋線は天王寺から昭和町までが1951年(昭和26年)開通。翌年、西田辺まで延伸、我孫子までが1960年(昭和35年)に延伸、1987年に中百舌鳥までの区間が全通した。<br /><br />道筋にはオフィスビルも多いが、商店も多く、そのうちの一つの海鮮丼専門店丼丸長居店(下の写真1)で580円の日替わり丼を購入。彩どり親子塩ダレバラ丼で、サーモン、いくらの親子に玉子、きゅうり、温泉玉子、おぼろが乗っている(下の写真2)。後にスタジアムで戴く。<br /><br />あびこ観音を出て30分ほど歩くと長居交差点にたどり着くが、この少し南で我孫子から長居に変わる。長居はかつて所在した長居村から付けられた地名。長居村は1894年(明治27年)に堀村、前堀村、寺岡村の3村が統合されて誕生した村で、その名は当時あった大御池の別名である長居池から取ったされている。<br /><br />大御池は細江川の入江のような池で、水際の景勝地であり、住吉街道を旅する人々がのんびりとした美しい景色にしばし足をとどめて長くいたいと思ったことから長居と名付けられた。「すめらぎの長居の池に水澄みて のどかに千代の影ぞ見えける(常陸)」と云う歌が、平安後期の歌集、堀川百首にある。<br /><br />江戸時代には農村地帯として米や麦、蔬菜(そさい)などの栽培が行われていた。1889年(明治22年)に9村が合併して住吉郡依羅村となるが、堀村、前堀村、寺岡村の3村は他の6村と離れていることから5年後に分離して、長居村となる。1925年(大正14年)に大阪市に編入され、住吉区西長居町(旧寺岡)、東長居町(旧堀)、南長居町(旧前堀)となる。<br /><br />戦後しばらくまでは農村地帯だったが、1950年代初期頃から宅地開発が進められ、団地や住宅が建ち並ぶ住宅地へと変貌を遂げた。1981年に長居西、長居、長居東の現行町名となった。<br /><br />オリックス、日本ハム、ヤクルトで活躍した大引内野手は長居小学校の卒業生。また、JR長居駅の北にある大阪学芸高校は漫才のオール阪神や女子プロゴルファー石山千晶らの出身校。<br /><br />長くなってしまうが住吉区のことは書いたが、大阪市のことは書いてなかったので、改めて調べてみる。近畿地方最大の都市で、大阪府の府庁所在地、政令指定都市。4世紀に都として仁徳天皇の難波高津宮や難波宮が置かれて以降およそ1700年に及ぶ歴史を有し、現在では、商都として商業や国際観光などが盛んなアジアにおける世界都市。<br /><br />西日本および近畿地方の首位都市であり、経済・文化・交通の中心都市。また、近隣の京都市や神戸市と共に、世界有数の経済規模を誇る京阪神大都市圏の都市中枢を成す。市域は24の行政区からなり、市庁所在地は北区中之島。市域に多数の河川や堀を有し、歴史的にも港湾機能や河川交通が発達していたことから「水都」の異名を持つ。<br /><br />古くはこの地は「なにわ」と呼ばれ、浪速、難波、浪花、浪華が漢字として使われていた。「なにわ」の語源は大阪湾の潮の干満によって生じる波が早い意味の「なみはや」とか、魚(ナ)が捕れる庭(ニワ)とか諸説ある。<br /><br />「おおさか」は室町時代の1497年に浄土真宗の蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばしてから使われるようになった。大きな坂があったことから「大坂」となったと云われる。<br /><br />当初の漢字は大坂が一般的だったが、江戸時代から大阪も使われるようになり、明治以降に定着した。「坂」を分解すると「土に反る」で、死を連想させることから武士に嫌われ、明治政府は「士が反する」で士族の反乱をイメージさせるからとも云われる。<br /><br />府内の豊中市、吹田市、摂津市、門真市、大東市、東大阪市、守口市、八尾市、堺市、松原市、兵庫県尼崎市と大阪湾に囲まれており、面積約225平方㎞は大阪府の43自治体の中で一番広い。全国に20ある政令市の中ではさいたま市をわずかに上回るが4番目に狭い。<br /><br />人口は約275万人で全国でも東京23区、横浜市に次ぐ3番目の多さ。昼間人口は約354万人で、東京23区に次ぐ。昼夜比率は東京23区よりも高い。1925年(大正14年)にすでに211万人と200万人を越え、この時点では旧東京市より多かった。その後1940年(昭和15年)には325万人を越えたが、戦争で激減。しかし、1965年には316万人まで回復、ドーナツ化現象で2000年には262万人まで減少したが、その後増加傾向になる。<br /><br />元々は現在の住吉区辺りから大阪城の辺りに掛けて、大阪湾に上町台地が突き出していた土地だった。3世紀にはこの台地に応神天皇が行宮として難波大隅宮(なにわのおおすみのみや)を置き、5世紀には仁徳天皇が難波高津宮(なにわのたかつのみや)を、6世紀には欽明天皇が難波祝津宮(なにわのはふりつのみ)を都を定められた。<br /><br />645年の大化の改新の後、孝徳天皇は改新の詔を発し難波宮を日本初の首都とした。683年に飛鳥とともに複都制の都となるが、その翌年に宮室は全焼、復活するのは奈良時代の726年で、聖武天皇により平城京の副都として復活する。その後793年まで副都としての役割が続くが、長岡京遷都後に難波大宮は停止され、794年に平安京に統合された。<br /><br />ただし、都としての役割は終えたが、住吉津や難波津などは国内流通の中心であり続け、政治の中心は京都、鎌倉、江戸などに移り変わっても、常に第二の都市として発展を続けた。特にアジア各国との外交の窓口となり、貿易や文化交流において重要な役割を果たした。<br /><br />戦国時代の1532年、蓮如の2代後の証如が山科本願寺から上町台地の北端部の石山本願寺に寺基を移し、大坂も寺内町として発展する。さらに、1583年に秀吉が大坂城を築き、城下に配下の大名の屋敷や堺などの周辺の町々の町人を集めて、上町台地から大阪平野に広がる大坂の町を築いて政治・経済の中心都市とした。<br /><br />江戸時代に入り、1614年の大坂冬の陣、1615年大坂夏の陣によって、大阪城とその城下町は焼かれ、豊臣氏も滅亡したが、江戸幕府は大坂を直轄地とし、大坂城を再建する。また、河川の改修や堀の開削を行い、水の都として復興する。大坂は日本全国の物流が集中する経済・商業の中心地となり、「天下の台所」と呼ばれて繁栄した。<br /><br />また、江戸の「八百八町」、京都の「八百八寺」と並んで、「八百八橋」で知られる。実際には200橋程度だったそうだが、9割が町人達が自腹で架けた橋だったっことは特筆される。<br /><br />明治時代から昭和時代初期は、政府が造幣局や砲兵工廠を置き、金属工業や繊維産業を中心に商社・卸売・新聞など様々な商工業が発展し「東洋一の商工地」と称され、多くの企業が勃興した。1932年(昭和7年)の東京市の市域拡張までの間は日本最大の都市で、世界でも第6位だった。<br /><br />昭和10年代より政府が戦時統制を敷き、文化・芸術・教育・産業その他あらゆる分野の中枢を東京に集めたことで、相対的地位は低下し、大阪空襲で大被害を受けたが、戦後の復興計画と大阪人の前向きな姿勢により戦前の活気が戻り、現在も西日本の中心都市になっている。<br /><br />1970年の万博はお隣の吹田市だったが、その後大阪はあらゆる国際博覧会や国際会議、展示会や国際ミーティングを受け入れ続けている。1995年のAPECサミットもそのひとつ。2025年には大阪・関西万博が開催予定。<br /><br />大阪には、大阪国際会議場に代表される世界からのゲストを迎えるに充分な会議施設、トップクラスのホテル、美味しい料理、独特な文化と歴史、多様なエンターテイメントにレジャー、すべてが揃っており、現代のアジアにおける重要な都市であり、世界に誇る大都市となっている。<br /><br />「大阪の食い倒れ」と云われる食文化、上方落語、漫才、新喜劇、人形浄瑠璃などの上方芸能はよく知られており、大阪弁は全国的に知られた方言でもある(実際には地域によっていろいろあるのだが)。<br /><br />大阪市の誕生は1889年(明治22年)。1968年(明治元年)に大阪府が置かれたが、市街地エリアは4大組に分割され、4大組はやがて4つの区となる。この区は現在のような行政区ではなく現在の東京23区と同様の法人格を有していた。この4区、東区・南区・西区・北区をまとめて大阪市とした(西区以外は再編されて消えた(この北区は現在の北区とは異なる))。広さ約15平方㎞は現在の広さの約7%だったが、人口は47万人いた。市制特例により大阪府知事が市長職務を行っていた。<br /><br />1897年(明治30年)に第1次市域拡張で西成郡および東成郡の一部が編入され、面積が約4倍の56平方kmとなり、人口は75万人を超える。その翌年に市制特例が廃止。1925年(大正14年)には第2次市域拡張。西成郡および東成郡の残り全てを編入し、面積は3.2倍に増え、人口は210万人を超える。新たに8区を設置して全13区となる。1932年(昭和7年)には2区設置、1943年(昭和18年)に7区設置し、全22区になり人口は325万人に達する。<br /><br />戦後、1955年(昭和30年)に第3次市域拡張。北河内郡1町および中河内郡1町4村を編入し、ほぼ現在の市域となる。翌年に政令指定都市に移行。1976年にさらに4区を設置し、全26区となるが、1989年に合区を行い現在の24区となる。<br /><br />現在の区は、西区(1889年設置)、此花区、港区、天王寺区、浪速区、西淀川区、東淀川区、東成区、住吉区、西成区(以上1925年設置)、大正区、旭区(以上1932年設置)、都島区、福島区、生野区、城東区、阿倍野区、東住吉区(以上1943年設置)、淀川区、鶴見区、住之江区、平野区(以上1974年設置)、北区、中央区(以上1989年設置)。<br /><br />プロ野球のオリックス・バファローズ(ORIX Buffaloes)、サッカーJリーグのセレッソ大阪(Cerezo Osaka)、フットサルFリーグのシュライカー大阪(Shriker Osaka)、バスケットBリーグの大阪エヴェッサ(Osaka Evessa)は大阪市内に本拠地を置く。<br /><br />その他、市内出身や関連の有名人や舞台となった作品などは各区の項で触れるものとする。<br /><br /><br />ヨドコウ桜スタジアムへ向かうが、続く

大阪 住吉区 長居(Nagao,Sumiyoshi,Osaka,Japan)

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2022/02/26 - 2022/02/26

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旅行記グループ 我孫子・長居

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年2月26日(土)、あびこ観音から長居公園に向かってあびこ筋を歩く。戦後、地下鉄御堂筋線の南進と共に整備された道路で、天王寺駅南東の附属天王寺小学校前交差点から大和川に架かる吾彦大橋までを南北に結んでいる約6㎞の通り。登録上の起点は天王寺駅南の近鉄前交差点で、附属天王寺小学校前交差点までは国道25号と重複区間。

御堂筋線は天王寺から昭和町までが1951年(昭和26年)開通。翌年、西田辺まで延伸、我孫子までが1960年(昭和35年)に延伸、1987年に中百舌鳥までの区間が全通した。

道筋にはオフィスビルも多いが、商店も多く、そのうちの一つの海鮮丼専門店丼丸長居店(下の写真1)で580円の日替わり丼を購入。彩どり親子塩ダレバラ丼で、サーモン、いくらの親子に玉子、きゅうり、温泉玉子、おぼろが乗っている(下の写真2)。後にスタジアムで戴く。

あびこ観音を出て30分ほど歩くと長居交差点にたどり着くが、この少し南で我孫子から長居に変わる。長居はかつて所在した長居村から付けられた地名。長居村は1894年(明治27年)に堀村、前堀村、寺岡村の3村が統合されて誕生した村で、その名は当時あった大御池の別名である長居池から取ったされている。

大御池は細江川の入江のような池で、水際の景勝地であり、住吉街道を旅する人々がのんびりとした美しい景色にしばし足をとどめて長くいたいと思ったことから長居と名付けられた。「すめらぎの長居の池に水澄みて のどかに千代の影ぞ見えける(常陸)」と云う歌が、平安後期の歌集、堀川百首にある。

江戸時代には農村地帯として米や麦、蔬菜(そさい)などの栽培が行われていた。1889年(明治22年)に9村が合併して住吉郡依羅村となるが、堀村、前堀村、寺岡村の3村は他の6村と離れていることから5年後に分離して、長居村となる。1925年(大正14年)に大阪市に編入され、住吉区西長居町(旧寺岡)、東長居町(旧堀)、南長居町(旧前堀)となる。

戦後しばらくまでは農村地帯だったが、1950年代初期頃から宅地開発が進められ、団地や住宅が建ち並ぶ住宅地へと変貌を遂げた。1981年に長居西、長居、長居東の現行町名となった。

オリックス、日本ハム、ヤクルトで活躍した大引内野手は長居小学校の卒業生。また、JR長居駅の北にある大阪学芸高校は漫才のオール阪神や女子プロゴルファー石山千晶らの出身校。

長くなってしまうが住吉区のことは書いたが、大阪市のことは書いてなかったので、改めて調べてみる。近畿地方最大の都市で、大阪府の府庁所在地、政令指定都市。4世紀に都として仁徳天皇の難波高津宮や難波宮が置かれて以降およそ1700年に及ぶ歴史を有し、現在では、商都として商業や国際観光などが盛んなアジアにおける世界都市。

西日本および近畿地方の首位都市であり、経済・文化・交通の中心都市。また、近隣の京都市や神戸市と共に、世界有数の経済規模を誇る京阪神大都市圏の都市中枢を成す。市域は24の行政区からなり、市庁所在地は北区中之島。市域に多数の河川や堀を有し、歴史的にも港湾機能や河川交通が発達していたことから「水都」の異名を持つ。

古くはこの地は「なにわ」と呼ばれ、浪速、難波、浪花、浪華が漢字として使われていた。「なにわ」の語源は大阪湾の潮の干満によって生じる波が早い意味の「なみはや」とか、魚(ナ)が捕れる庭(ニワ)とか諸説ある。

「おおさか」は室町時代の1497年に浄土真宗の蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばしてから使われるようになった。大きな坂があったことから「大坂」となったと云われる。

当初の漢字は大坂が一般的だったが、江戸時代から大阪も使われるようになり、明治以降に定着した。「坂」を分解すると「土に反る」で、死を連想させることから武士に嫌われ、明治政府は「士が反する」で士族の反乱をイメージさせるからとも云われる。

府内の豊中市、吹田市、摂津市、門真市、大東市、東大阪市、守口市、八尾市、堺市、松原市、兵庫県尼崎市と大阪湾に囲まれており、面積約225平方㎞は大阪府の43自治体の中で一番広い。全国に20ある政令市の中ではさいたま市をわずかに上回るが4番目に狭い。

人口は約275万人で全国でも東京23区、横浜市に次ぐ3番目の多さ。昼間人口は約354万人で、東京23区に次ぐ。昼夜比率は東京23区よりも高い。1925年(大正14年)にすでに211万人と200万人を越え、この時点では旧東京市より多かった。その後1940年(昭和15年)には325万人を越えたが、戦争で激減。しかし、1965年には316万人まで回復、ドーナツ化現象で2000年には262万人まで減少したが、その後増加傾向になる。

元々は現在の住吉区辺りから大阪城の辺りに掛けて、大阪湾に上町台地が突き出していた土地だった。3世紀にはこの台地に応神天皇が行宮として難波大隅宮(なにわのおおすみのみや)を置き、5世紀には仁徳天皇が難波高津宮(なにわのたかつのみや)を、6世紀には欽明天皇が難波祝津宮(なにわのはふりつのみ)を都を定められた。

645年の大化の改新の後、孝徳天皇は改新の詔を発し難波宮を日本初の首都とした。683年に飛鳥とともに複都制の都となるが、その翌年に宮室は全焼、復活するのは奈良時代の726年で、聖武天皇により平城京の副都として復活する。その後793年まで副都としての役割が続くが、長岡京遷都後に難波大宮は停止され、794年に平安京に統合された。

ただし、都としての役割は終えたが、住吉津や難波津などは国内流通の中心であり続け、政治の中心は京都、鎌倉、江戸などに移り変わっても、常に第二の都市として発展を続けた。特にアジア各国との外交の窓口となり、貿易や文化交流において重要な役割を果たした。

戦国時代の1532年、蓮如の2代後の証如が山科本願寺から上町台地の北端部の石山本願寺に寺基を移し、大坂も寺内町として発展する。さらに、1583年に秀吉が大坂城を築き、城下に配下の大名の屋敷や堺などの周辺の町々の町人を集めて、上町台地から大阪平野に広がる大坂の町を築いて政治・経済の中心都市とした。

江戸時代に入り、1614年の大坂冬の陣、1615年大坂夏の陣によって、大阪城とその城下町は焼かれ、豊臣氏も滅亡したが、江戸幕府は大坂を直轄地とし、大坂城を再建する。また、河川の改修や堀の開削を行い、水の都として復興する。大坂は日本全国の物流が集中する経済・商業の中心地となり、「天下の台所」と呼ばれて繁栄した。

また、江戸の「八百八町」、京都の「八百八寺」と並んで、「八百八橋」で知られる。実際には200橋程度だったそうだが、9割が町人達が自腹で架けた橋だったっことは特筆される。

明治時代から昭和時代初期は、政府が造幣局や砲兵工廠を置き、金属工業や繊維産業を中心に商社・卸売・新聞など様々な商工業が発展し「東洋一の商工地」と称され、多くの企業が勃興した。1932年(昭和7年)の東京市の市域拡張までの間は日本最大の都市で、世界でも第6位だった。

昭和10年代より政府が戦時統制を敷き、文化・芸術・教育・産業その他あらゆる分野の中枢を東京に集めたことで、相対的地位は低下し、大阪空襲で大被害を受けたが、戦後の復興計画と大阪人の前向きな姿勢により戦前の活気が戻り、現在も西日本の中心都市になっている。

1970年の万博はお隣の吹田市だったが、その後大阪はあらゆる国際博覧会や国際会議、展示会や国際ミーティングを受け入れ続けている。1995年のAPECサミットもそのひとつ。2025年には大阪・関西万博が開催予定。

大阪には、大阪国際会議場に代表される世界からのゲストを迎えるに充分な会議施設、トップクラスのホテル、美味しい料理、独特な文化と歴史、多様なエンターテイメントにレジャー、すべてが揃っており、現代のアジアにおける重要な都市であり、世界に誇る大都市となっている。

「大阪の食い倒れ」と云われる食文化、上方落語、漫才、新喜劇、人形浄瑠璃などの上方芸能はよく知られており、大阪弁は全国的に知られた方言でもある(実際には地域によっていろいろあるのだが)。

大阪市の誕生は1889年(明治22年)。1968年(明治元年)に大阪府が置かれたが、市街地エリアは4大組に分割され、4大組はやがて4つの区となる。この区は現在のような行政区ではなく現在の東京23区と同様の法人格を有していた。この4区、東区・南区・西区・北区をまとめて大阪市とした(西区以外は再編されて消えた(この北区は現在の北区とは異なる))。広さ約15平方㎞は現在の広さの約7%だったが、人口は47万人いた。市制特例により大阪府知事が市長職務を行っていた。

1897年(明治30年)に第1次市域拡張で西成郡および東成郡の一部が編入され、面積が約4倍の56平方kmとなり、人口は75万人を超える。その翌年に市制特例が廃止。1925年(大正14年)には第2次市域拡張。西成郡および東成郡の残り全てを編入し、面積は3.2倍に増え、人口は210万人を超える。新たに8区を設置して全13区となる。1932年(昭和7年)には2区設置、1943年(昭和18年)に7区設置し、全22区になり人口は325万人に達する。

戦後、1955年(昭和30年)に第3次市域拡張。北河内郡1町および中河内郡1町4村を編入し、ほぼ現在の市域となる。翌年に政令指定都市に移行。1976年にさらに4区を設置し、全26区となるが、1989年に合区を行い現在の24区となる。

現在の区は、西区(1889年設置)、此花区、港区、天王寺区、浪速区、西淀川区、東淀川区、東成区、住吉区、西成区(以上1925年設置)、大正区、旭区(以上1932年設置)、都島区、福島区、生野区、城東区、阿倍野区、東住吉区(以上1943年設置)、淀川区、鶴見区、住之江区、平野区(以上1974年設置)、北区、中央区(以上1989年設置)。

プロ野球のオリックス・バファローズ(ORIX Buffaloes)、サッカーJリーグのセレッソ大阪(Cerezo Osaka)、フットサルFリーグのシュライカー大阪(Shriker Osaka)、バスケットBリーグの大阪エヴェッサ(Osaka Evessa)は大阪市内に本拠地を置く。

その他、市内出身や関連の有名人や舞台となった作品などは各区の項で触れるものとする。


ヨドコウ桜スタジアムへ向かうが、続く

  • 写真1 海鮮丼専門店丼丸長居店

    写真1 海鮮丼専門店丼丸長居店

  • 写真2 彩どり親子塩ダレバラ丼

    写真2 彩どり親子塩ダレバラ丼

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