2023/04/03 - 2023/04/07
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akitaineさん
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百済の王都を訪ねる歴史ツアーに参加してきました。
百済といえば、日本と仏教やその他文化の交流があった国ですが、意外と詳細わかっていないのではないかと思っていました。百済観音などの仏教美術と、僧の行基や複数の貴族などが百済系の方であり、古墳~飛鳥・奈良時代に日本の文化社会形成に関わってきたという認識くらい。
今回、専門の研究者が同行して百済の3つの王都を訪ねることとなり、いくぶん理解が深まりました。
百済ってどんな国だったのか?日本との関わりは?
時代の流れに従い、王都が南下していき660年滅亡した百済をまとめてみました。
【行程】
4月3日(月)関空-金浦国際空港ー風納土城ー石村洞古墳群 ソウル泊
4月4日(火)夢村土城ー漢城百済博物館ーロッテタワー(公州へ移動)ー武寧王陵と王陵園(宋山里古墳群)ー国立公州博物館ー大通寺跡ー公州泊
4月5日(水)公山城ー公州新官洞古墳群ー公州大学博物館(扶餘へ移動)ー扶蘇山城ー国立扶餘博物館ー軍守里城址ー扶餘泊
4月6日(木)王興寺址ー定林寺址ー陵山里古墳群ー王宮里遺跡・百済王宮博物館ー帝釈寺址ー弥勒寺址・国立益山博物館(ソウルへ移動)ソウル泊
4月7日(金)漢城百済博物館(2回目)ー国立中央博物館ー金浦国際空港ー関空
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- アシアナ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
百済は2回遷都しています。都となった地は3か所。厳密に言えば、最後の都・泗沘にはもう一つ離宮であろうという益山があります。
まだまだ不明な点が多くある百済ですが、発掘作業も進められています。
写真は、ソウル市内を流れる漢江の江南に位置する風納土城址。発掘現場を見学しました。
発掘した瓦や人面をマスコットキャラクターにして見学者に説明しています。
【百済の時代区分】
前期 漢城(ソウル)時代 ?~475年
中期 熊津(公州)時代 475年~538年
後期 泗沘(扶余)時代 538年~660年
時代が進むにつれ、南下していきます。 -
航空写真で見ると風納土城は、都会のビルに囲まれていることがわかります。漢江沿いです。
-
次に見学したのは、石村洞古墳群です。公園として整備されていて市民の皆さまが散歩していました。
古墳ですから昔の人々のお墓です。百済の王族関連の人が埋葬されていると言われています。大体3世紀後半から5世紀前半まで造られたといわれています。そのため、古墳の形態も様々です。 -
一番大きい3号墳。一辺の長さが50.8mあります。基壇式積石塚は鴨緑江流域の高句麗墓に似ており、百済建国勢力が高句麗から南下したことを物語ります。始祖・温祚(オンジョ)は、紀元前18年に卒本扶余(高句麗の前身)から南下し百済を建国したとされています。
学者の間では、この墓は近肖古王(346-375)のものではないかと言われています。 -
隣にある4号墳。3号墳に比べると大きさは三分の一程度。
3段階段式積石塚4~5C建造。 -
5号墳は円墳。
葺石封土墳。土着勢力墓に高句麗の葺石要素が入ったものか。封土の地上に遺体安置空間を設ける馬韓の伝統要素が入ります。複数の木棺甕棺埋葬墳丘墓です。
これを見ても、百済という国は、韓半島南北の影響を受けていることがわかります。 -
古墳群からロッテワールドタワーを望む。
ロッテワールドタワーは、地上555m、韓国で最も高いビルです。
明日登ります。
2000年近くの時代を隔てて同じ場所にある過去と現在の構築物。 -
今日の見学を終え、漢江を渡りソウル中心地に向かいます。
夕陽がきれいでした。 -
夕食は、カルビ焼肉。
骨についた肉を焼きますが、日本ではあまり見かけません。
今回、骨をつける理由がわかりました。
「この肉は、正真正銘のカルビですよ。きちんと骨がついているからその部位がわかりますね。」という証明なのだそうです。
なるほど~。 -
韓国料理は、主菜に加え、必ずといっていいほど、キムチとその他野菜の副菜が複数ついていることが多いです。野菜をいろいろな味付けでアレンジして提供してくれます。これも楽しみの一つです。
サラダ天国だね。 -
翌日は、昨日見学した風納土城とならび同じく王城があったといわれる夢村土城に行きました。
風納土城・夢村土城・石村洞古墳群はほぼ5㎞平方の範囲にあります。
夢村土城は、オリンピック施設が建設されることとなったため、1983年~1985・87年に発掘調査が行われ、その後オリンピック公園として復元整備されています。一方、一部ではまだ発掘作業も行われていました。 -
時代ごとに発掘した土器や瓦などを分類しています。
百済の後の統一新羅、高麗、朝鮮時代のものも発掘されています。 -
発掘現場。
この近くに城門址があります。 -
発掘現場の一角を離れるときれいに整備された公園です。
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夢村土城は、なだらかな丘陵をそのまま王城にしています。
このあたりが一番高い地点で、遊具が見えるあたりが、王宮があったと考えられる場所です。
今後の調査が待たれます。 -
丘からソウル市内のビル群をみます。
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公園の一角には、ソウル特別市が建てた漢城百済博物館があります。
新しく、立派な博物館です。
無料。基本的に、韓国は博物館が無料のものが多い。
文化施設はより多くの人が来てもらい、認識を深めるのが目的です。日本も見習ってほしい。 -
中に入ると、大きな吹き抜けのホール向かい正面一面に風納土城の城壁転写面が再現されていました。
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石を重ねるのではなく、版築といって土を枠に固めてコンクリート代わりに使った工法です。古代日本でも行われていました。
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漢江と風納土城の位置関係がジオラマで解説されています。
この城壁を作っていたのですね。 -
昨日現場を見ていたから実感わきます。
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解説文。
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きらびやかな冠。とはいえ、これは漢江時代のものではありません。
公州の水村里古墳群より出土しました。
少し時代が下った熊津、泗沘・益山時代のものも展示されています。
明日以降、公州、扶余、益山に行きます! -
百済は、朝鮮半島の西側に面しており、中国やその先の大陸とも貿易を行っていました。もちろん日本とも深く関わっていました。
各地の服装をした人々が描かれています。 -
倭国と書かれています。
ちょっと、これが倭人?と思いますが、百済の方にはこのようなイメージだったのでしょうか??
ともかく倭国と長期間連携があったことは歴史的記載などで確かです。 -
変わった形の刀です。実用ではありません。
日本と百済との密接な関係性を示すものです。
これは、近肖古王が東晋より下賜した儀礼用「七支刀」の複製。
百済が朝貢した時に倭王に贈った(日本書紀)。
今は石上神宮(天理市)保管の国宝です。碑文は369年製作。
当時、人的交流も多く、国家体制整備に倭国と連携強化に関与した倭国系姓氏の集団が百済官僚に登場しています。不安定な韓半島の状況に、軍事的な支援を倭国に期待していたとのことです。
今でもありそうな話ではありませんか。 -
博物館を後にして、次はロッテワールドタワーへ。今回見学した遺跡を上から見てみます。
日本の「あべのハルカス」のような雰囲気。
趣向を凝らしたエレベーターで一挙に120階まで行きました。
昨日見学した石村洞古墳群がこんな風に見えました。 -
夢村土城とオリンピック公園です。
都市の中にかつて存在した王都やお墓。当時、回りには建物などほとんどなかった。位置関係がよくわかりました。
午後からは高速道路を通って、公州へ南下します。
400年代に入り倭軍も半島の争乱に介入しましたが、475年高句麗の侵略を受けて漢城は陥落し、王は殺されました。漢城百済滅亡ーー日本書紀では雄略天皇二十年冬と伝えています。
しかし王族が熊津(公州)に逃れ、477年再興しました。
さあ、お次はどんな遺物が公州や扶余にはあるのでしょうか??
(熊津(公州)編に続く)
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