2022/12/02 - 2022/12/02
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あおしさん
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2022/12/02
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晩秋の12月2日、岡山に出張がありました。
仕事は午前中で片づけて、午後は晩秋の後楽園と岡山城に行ってきました。
まだ紅葉が残っていた日本3大名園の後楽園。
戦国大名宇喜多家と江戸時代池田家の居城の岡山城。
半日かけても見ごたえのあるところでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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午前中に仕事を終えて、午後は岡山観光。
まずは「日本3名園」の1つ、後楽園へ。
後楽園は備前岡山藩の2代藩主・池田綱政によって造営された大名庭園です。
池田綱政は徳川4代将軍・家綱から5代将軍・綱吉のころの大名で、綱政の「綱」は家綱から与えられたものです。
後楽園は綱吉の元禄時代に造園されました。空港前にミニ後楽園がありました by あおしさん岡山空港 空港
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入り口からすぐのところにある「鶴鳴館」。
普段は中には入れませんが、ちょうどこの時期は特別に内部公開されていました。岡山駅北口とダイレクトに結んでいます by あおしさん岡山空港連絡バス 乗り物
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ただ、「鶴鳴館」はもともと後楽園にあった建物ではありません。
元の鶴鳴館は太平洋戦争の戦災で焼失。
現在の鶴鳴館は戦後、岩国藩の藩主だった吉川家の岩国の屋敷を移築したそうです。旭川を渡り後楽園につながる大きな橋 by あおしさん鶴見橋 名所・史跡
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鶴鳴館の建物の中から見た後楽園の庭園。
広くて落ち着いた大名庭園 by あおしさん岡山後楽園 公園・植物園
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鶴鳴館を出て、中央の沢の池へ。
中央に大きな池のある典型的な大名庭園です。 -
沢の池からは岡山城を見ることができます。
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沢の池の中の島には木造の橋が架かっていて自由にわたって散策できます。
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晩秋でしたが、園内のあちらこちらに紅葉で真っ赤になった木々が見られました。
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「流点」という建物。
建物の中を清らかな水が流れています。
藩主はここで清らかな水の流れを見ながら休憩していたそうです。
全国でも珍しい建物です。 -
「慈眼堂」
後楽園を造営した池田綱政が真っ先に作った建物です。
元禄10年(1697年)に建てられました。
花崗岩を36個に割って運び、再度もとの姿に組み合わせた烏帽子岩や仁王門などがありました。 -
「茂松庵」
山桜、楓、松などの林の中に建てられました。
歴代藩主はここで花や紅葉を楽しんだとされています。
戦災で失われましたが、戦後再建されました。
ちょうど紅葉の木々が美しく見えました。 -
「大立石」
池田綱政が運ばせた大名庭園にふさわしい豪快な庭石です。
花崗岩を90個以上に割って運ばせて、もとの形に組みわせたものです。 -
「能舞台・栄唱の間」
池田綱政は能を好み、この能舞台で自らが舞い、家臣領民にも見せたとされています。
やはり戦災で失われ、戦後復元されました。 -
「延養亭」
藩主の居間として使われた後楽園の中でももっとも重要な建物です。
ここからは園内が一望できる場所に建てられています。
やはり戦災で失われましたが、昭和35年、当時の最高技術で復元されました。 -
今日はやや雲があるものの天気がよく、美しい庭園を十分に堪能できました。
さすがは「日本3名園」と言われる庭園でした。 -
後楽園から岡山市内を流れる旭川を隔てて岡山城があります。
月見橋を渡って岡山城へ行くことができます。
江戸時代の藩主も橋を渡って城と後楽園を行き来していたのでしょう。岡山市内を流れる川・川沿いに岡山城と後楽園もあります by あおしさん旭川 自然・景勝地
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月見橋の上から見た岡山城天守閣。
ここから見る天守閣が一番美しい。旭川を横断し、岡山城と後楽園を結ぶ橋 by あおしさん月見橋 名所・史跡
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岡山城天守閣。
黒漆塗が特徴でその色合いから「烏城」とも呼ばれます。
ちょうど姫路城が「白鷺城」と呼ばれているのと対象的です。天守は「歴史博物館」になっています by あおしさん岡山城 名所・史跡
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天守閣は戦災で焼失、戦後再建されました。
天守閣内は岡山城と歴代藩主の博物館になっています。
江戸時代の岡山城の模型です。 -
天守から見た旭川とその向こうの後楽園。
黒漆塗の黒いお城、「烏城」と言われます by あおしさん烏城公園 (岡山城) 公園・植物園
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岡山城を最初に築城したのは戦国大名である宇喜多直家です。
宇喜多家は守護大名だった赤松家、その家臣の浦上家のそのまた家臣に過ぎませんでしたが、宇喜多直家は多くの合戦を戦い、また謀略、調略、暗殺、粛清などのありとわらゆる「悪業」を行使して、戦国大名にのし上がりました。
その「悪業」ぶりには実の弟でさえ兄といるときは気が抜けなかったとされます。
最近では大河ドラマ「軍師官兵衛」で陣内孝則さんが演じていました。
主人公の岡田准一さん演じる黒田官兵衛との初対面の場で、家臣の1人を毒殺し、官兵衛を唖然とさせていました。 -
宇喜多直家は53歳のときに8歳の息子、宇喜多秀家を残して病死しました。
その死の際には直家は毛利攻めに岡山に来ていた羽柴秀吉(豊臣秀吉)に息子を泣きながら頼んだとされています。
「悪業三昧」だった直家も小さいわが子のいくすえは心配だったのでしょう。
秀吉は宇喜多秀家を自分の子同然にかわいがり、57万石の大名、養女豪姫(前田利家の娘)と結婚させ、のちに五大老の1人にしています。
秀家は今度は秀吉の死の床で幼い息子・秀頼のことを頼まれました。
秀家はその恩に報いるために、関ケ原の合戦では2万の大軍で西軍(石田三成方)で最大の軍勢で参戦しましたが、敗北し、八丈島に流されます。 -
その後岡山城主は一時関ケ原の合戦の裏切りで有名な小早川秀秋となりましたが、わずか3年で発狂死。
その後、姫路城を築城した池田輝政の息子・忠継に与えられました。
忠継の母・督姫は徳川家康の娘、つまり忠継は家康の孫になります。
ちなみに篤姫の母は家康の側室・西郡局の1人娘。
「どうする家康」では北香那さんが演じていました。
子供は娘が1人だけだったので同性愛者の設定になっていました。
忠継はわずか5歳だったので、実際は父・輝政の領地同様だったようです。
このころ、姫路城主・池田輝政は姫路52万石や岡山28万石など息子たち名義の領地を含め100万石に及び、「西国将軍」と呼ばれました。 -
復元された城主の間。
池田輝政の死後、やはり100万石は徳川幕府にとって目障りだったのでしょう、池田家は岡山藩40万石と鳥取藩30万石に分割されて明治維新に至ります。
明治後は大大名として侯爵家になりましたが、戦後岡山池田家は断絶、鳥取池田家も当主は90歳の女性・池田百合子さんはお子さんがおらず、「織田信長の家臣以来の池田家は私で終わりです」と絶家を宣言しています。 -
岡山城を出たころには夕方5時を過ぎて薄暮に。
夜の岡山城も美しい。旭川の中州にある銅像 by あおしさん水辺のももくん 名所・史跡
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夕食はお好み焼き屋さんで。
ちょうど旬の牡蠣をのせたお好み焼きがありました。
「カキオコ」というそうです。
牡蠣とお好み焼きが合っていてなかなかの味でした。市街地にあり、リーズナブルな料金でした。 by あおしさんベネフィットホテル岡山駅前 宿・ホテル
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