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    松戸散策(2)・城探訪(2) 千葉県松戸市 全行程4時間58分 JR常磐線北小金駅→(17分)本土寺(40分)~(20分)広徳寺(6分)~(4分)大谷口歴史公園(30分)~(6分)大勝院(9分)~(20分)慶林寺(4分)~(13分)八坂神社(3分)~(14分)東漸寺 (20分)~(44分)根木内歴史公園(18分)~(20分)J常磐線北小金駅<br />「日時」2022年1月20日 <br />「アクセス」JR常磐線北小金駅<br />「参考案内書」松戸市観光協会発行小金地区散策マップ<br />

松戸散策(2)と城探訪(2)

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2022/01/20 - 2022/01/20

144位(同エリア435件中)

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zenkyou01さん

この旅行記のスケジュール

2022/01/20

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   松戸散策(2)・城探訪(2) 千葉県松戸市 全行程4時間58分 JR常磐線北小金駅→(17分)本土寺(40分)~(20分)広徳寺(6分)~(4分)大谷口歴史公園(30分)~(6分)大勝院(9分)~(20分)慶林寺(4分)~(13分)八坂神社(3分)~(14分)東漸寺 (20分)~(44分)根木内歴史公園(18分)~(20分)J常磐線北小金駅
「日時」2022年1月20日 
「アクセス」JR常磐線北小金駅
「参考案内書」松戸市観光協会発行小金地区散策マップ

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 鹿島神社拝殿 創建は不詳、主祭神は武甕槌命です。鳥居を潜ると正面に拝殿、その奥に歴史を感じさせる覆い殿の中の本殿があります。その他、石の境内社、青面金剛供養塔があります

    鹿島神社拝殿 創建は不詳、主祭神は武甕槌命です。鳥居を潜ると正面に拝殿、その奥に歴史を感じさせる覆い殿の中の本殿があります。その他、石の境内社、青面金剛供養塔があります

  • 東平賀貝塚(東平賀公園) 発掘調査の結果この辺りから縄文時代中期の住居跡、土器、貝殻、人骨、土坑等が発見されました。現在は運動場、遊戯、砂場等がある公園になっています

    東平賀貝塚(東平賀公園) 発掘調査の結果この辺りから縄文時代中期の住居跡、土器、貝殻、人骨、土坑等が発見されました。現在は運動場、遊戯、砂場等がある公園になっています

  • 佛持院本堂 本土寺(日蓮宗)の塔頭寺院で、創建は1394年、開山は日覚上人です

    佛持院本堂 本土寺(日蓮宗)の塔頭寺院で、創建は1394年、開山は日覚上人です

  • 本土寺本堂 日蓮宗の本山、創建は1277年、開基は千葉氏家臣曽谷教信、開山は日朗上人、本尊は三宝尊です。文化財を多く有します。仁王像が安置される立派な楼門の仁王門を潜ると、左に鐘楼、五重塔、シダレサクラ、右に開山堂がある。正面に本堂と芭蕉の碑がある。右奥に進むと秋山夫人の墓や歴代住職の墓群がある。更に進むと菖蒲園があり、ローバイが満開である。その他、宝物殿、渡り廊下、像師堂、朗師門、茶室、茶室庭園、妙朗堂、瑞鳳門、妙朗尊尼墓(日像菩薩の母)、弁天堂、日像菩薩誕生の井等を見る

    本土寺本堂 日蓮宗の本山、創建は1277年、開基は千葉氏家臣曽谷教信、開山は日朗上人、本尊は三宝尊です。文化財を多く有します。仁王像が安置される立派な楼門の仁王門を潜ると、左に鐘楼、五重塔、シダレサクラ、右に開山堂がある。正面に本堂と芭蕉の碑がある。右奥に進むと秋山夫人の墓や歴代住職の墓群がある。更に進むと菖蒲園があり、ローバイが満開である。その他、宝物殿、渡り廊下、像師堂、朗師門、茶室、茶室庭園、妙朗堂、瑞鳳門、妙朗尊尼墓(日像菩薩の母)、弁天堂、日像菩薩誕生の井等を見る

  • 秋山夫人の墓 武田一族の秋山虎康の娘で徳川家康の側室となり、第五男武田信吉を生む。信吉は後に小金城城主になる。墓は甥の水戸光圀が建立する

    秋山夫人の墓 武田一族の秋山虎康の娘で徳川家康の側室となり、第五男武田信吉を生む。信吉は後に小金城城主になる。墓は甥の水戸光圀が建立する

  • 高城氏の墓所 小金城主高城家の墓は広徳寺にあります。1590年、北条氏に味方した高城家は秀吉軍に敗れ落城する。現在の墓石は江戸時代建立したもので、徳川氏に遠慮して、胤則の妻の家系である藤原氏を名のっている

    高城氏の墓所 小金城主高城家の墓は広徳寺にあります。1590年、北条氏に味方した高城家は秀吉軍に敗れ落城する。現在の墓石は江戸時代建立したもので、徳川氏に遠慮して、胤則の妻の家系である藤原氏を名のっている

  • 広徳寺本堂 曹洞宗の一寺、創建1462年、開基は高城胤吉、開山は大口一尊大和尚、本尊は釈迦牟尼仏です。石段を登ると左下に松戸史跡七福神の弁天様、参道右に鐘楼、庫裏、左上に小金・根木内城主高城家墓所、参道正面に本堂、書院、左奥に歴代住職の墓、ペットのお墓がある。その他、延命地蔵菩薩像、六地蔵、亡僧の墓、チャンチンの木等がある

    広徳寺本堂 曹洞宗の一寺、創建1462年、開基は高城胤吉、開山は大口一尊大和尚、本尊は釈迦牟尼仏です。石段を登ると左下に松戸史跡七福神の弁天様、参道右に鐘楼、庫裏、左上に小金・根木内城主高城家墓所、参道正面に本堂、書院、左奥に歴代住職の墓、ペットのお墓がある。その他、延命地蔵菩薩像、六地蔵、亡僧の墓、チャンチンの木等がある

  • 小金城土塁 本郭の周囲に明確に残っています。掘った堀の土を盛り上げて造った土手状の防御施設を言います。内側から見るとあまり高くありませんが、掘った堀側からはかなり高く見えます

    小金城土塁 本郭の周囲に明確に残っています。掘った堀の土を盛り上げて造った土手状の防御施設を言います。内側から見るとあまり高くありませんが、掘った堀側からはかなり高く見えます

  • 小金城石碑 小金城の築城主は高城胤吉、築城年は1462年、廃城は1590年です遺構は虎口、郭跡、土塁、畝堀、障子堀がみられます。公園の入口に建つ碑を見て、登城口の木段を登ると金杉口虎口があり、小さな郭跡があります。更に木段を登ると、本郭跡に出ます。小金城石碑が建ち、周囲に土塁が見られます。本郭の南に畝堀が、北には障子堀が見られます

    小金城石碑 小金城の築城主は高城胤吉、築城年は1462年、廃城は1590年です遺構は虎口、郭跡、土塁、畝堀、障子堀がみられます。公園の入口に建つ碑を見て、登城口の木段を登ると金杉口虎口があり、小さな郭跡があります。更に木段を登ると、本郭跡に出ます。小金城石碑が建ち、周囲に土塁が見られます。本郭の南に畝堀が、北には障子堀が見られます

  • 小金城畝堀 空堀を作り、平らな堀を更に深く掘り下げ、田の畝のように見えるところから畝堀と呼ばれます。ここの特徴は掘り下げた堀底の形状がかまぼこ型をしていて、横への移動がしにくくなっています。堀跡であることは今でも確認できますが、土で埋まってしまい、傍に建つ説明版が無いと畝堀とはわかりません

    小金城畝堀 空堀を作り、平らな堀を更に深く掘り下げ、田の畝のように見えるところから畝堀と呼ばれます。ここの特徴は掘り下げた堀底の形状がかまぼこ型をしていて、横への移動がしにくくなっています。堀跡であることは今でも確認できますが、土で埋まってしまい、傍に建つ説明版が無いと畝堀とはわかりません

  • 小金城障子堀 堀の中に高さ2Mほどの間仕切り(障子の桟のように見える)を作り、敵の横への移動をしにくくしています。堀跡であることは今でも確認できますが、土で埋まってしまい、傍に建つ説明版が無いと障子堀とはわかりません

    小金城障子堀 堀の中に高さ2Mほどの間仕切り(障子の桟のように見える)を作り、敵の横への移動をしにくくしています。堀跡であることは今でも確認できますが、土で埋まってしまい、傍に建つ説明版が無いと障子堀とはわかりません

  • 大勝院本堂 真言宗豊山派の一寺、創建1506年、開基は高城胤吉、開山は僧栄秀法印、本尊は十一面観世音菩薩です。山門は通れません。境内には鐘楼、本堂、石造十三重塔、大師堂、大勝院興教大師と弘法大師と専誉僧正の三尊像、六地蔵、観世音像、保存樹木大銀杏、ヤマザクラ等があります

    大勝院本堂 真言宗豊山派の一寺、創建1506年、開基は高城胤吉、開山は僧栄秀法印、本尊は十一面観世音菩薩です。山門は通れません。境内には鐘楼、本堂、石造十三重塔、大師堂、大勝院興教大師と弘法大師と専誉僧正の三尊像、六地蔵、観世音像、保存樹木大銀杏、ヤマザクラ等があります

  • 慶林寺本堂 曹洞宗の一寺、創建1565年、開基は高城胤辰(胤吉の息)、本尊は大福薬師瑠璃光如来です。小金城主高城胤辰が母珪琳尼(高城胤吉の妻)の霊を弔うために建てたのが始まりです。山門を通ると正面石段上に本堂、本堂前にマニ車、その他、梵鐘、松戸史跡七福神の寿老尊、六地蔵、珪琳尼の墓、野間奉行綿貫夏右衛門の墓等があります

    慶林寺本堂 曹洞宗の一寺、創建1565年、開基は高城胤辰(胤吉の息)、本尊は大福薬師瑠璃光如来です。小金城主高城胤辰が母珪琳尼(高城胤吉の妻)の霊を弔うために建てたのが始まりです。山門を通ると正面石段上に本堂、本堂前にマニ車、その他、梵鐘、松戸史跡七福神の寿老尊、六地蔵、珪琳尼の墓、野間奉行綿貫夏右衛門の墓等があります

  • 珪琳尼の墓 高城胤吉の妻で、千葉家第十三代千葉介昌胤の妹である珪琳尼の墓です

    珪琳尼の墓 高城胤吉の妻で、千葉家第十三代千葉介昌胤の妹である珪琳尼の墓です

  • 八坂神社拝殿 創建は不詳、室町時代に小金城主高城氏が建立と言われています。主祭神 須佐之男命です。鳥居を潜ると正面に拝殿、その奥に本殿があります。その他、境内社、供養塔、石碑等があります

    八坂神社拝殿 創建は不詳、室町時代に小金城主高城氏が建立と言われています。主祭神 須佐之男命です。鳥居を潜ると正面に拝殿、その奥に本殿があります。その他、境内社、供養塔、石碑等があります

  • 八坂神社種々の庚申塔 青面金剛と三猿を彫った供養塔、青面金剛の字のみの供養塔等異なった供養塔を見ることが出来ます

    八坂神社種々の庚申塔 青面金剛と三猿を彫った供養塔、青面金剛の字のみの供養塔等異なった供養塔を見ることが出来ます

  • 水戸道中、水戸街道、八坂神社跡石碑 UR都市機構ピコティー前の道路沿いに水戸道中標識と八坂神社跡地碑が建っています

    水戸道中、水戸街道、八坂神社跡石碑 UR都市機構ピコティー前の道路沿いに水戸道中標識と八坂神社跡地碑が建っています

  • 小金宿 江戸時代、水戸徳川家の水戸と江戸を結ぶために整備されたのが水戸道中(水戸街道)で、小金宿は江戸から四番目の宿場町でした

    小金宿 江戸時代、水戸徳川家の水戸と江戸を結ぶために整備されたのが水戸道中(水戸街道)で、小金宿は江戸から四番目の宿場町でした

  • 東漸寺仁王門 二階建てで、上部に屋根を乗せた門を楼門といいます。ちなみに、一階にも屋根がある場合は二重門といいます。楼門形式の山門で、門の両脇には阿形像と吽形像の仁王像が安置されているところから仁王門と言われます

    東漸寺仁王門 二階建てで、上部に屋根を乗せた門を楼門といいます。ちなみに、一階にも屋根がある場合は二重門といいます。楼門形式の山門で、門の両脇には阿形像と吽形像の仁王像が安置されているところから仁王門と言われます

  • 明治維新の志士の碑 小金宿に生まれた竹内廉之介、哲次郎兄弟は尊王攘夷に目覚め水戸天狗党挙兵に参加した。哲次郎は24才でなくなりましたが、廉之介は明治維新で活躍しました

    明治維新の志士の碑 小金宿に生まれた竹内廉之介、哲次郎兄弟は尊王攘夷に目覚め水戸天狗党挙兵に参加した。哲次郎は24才でなくなりましたが、廉之介は明治維新で活躍しました

  • 東漸寺本堂 浄土宗の一寺、創建1481年、開山は経誉愚底運公上人、本尊は大福薬師瑠璃光如来です。山門を潜ると、長い参道先に二階建ての仁王門(楼門という)があり、仁王門の両脇には阿形像と吽形像が安置されている。更に中雀門を潜ると、本堂、石造十三重塔、鐘楼、観音堂、本堂がある。また小金宿に生まれた尊王の志士竹内廉之介、哲次郎兄弟の碑がある

    東漸寺本堂 浄土宗の一寺、創建1481年、開山は経誉愚底運公上人、本尊は大福薬師瑠璃光如来です。山門を潜ると、長い参道先に二階建ての仁王門(楼門という)があり、仁王門の両脇には阿形像と吽形像が安置されている。更に中雀門を潜ると、本堂、石造十三重塔、鐘楼、観音堂、本堂がある。また小金宿に生まれた尊王の志士竹内廉之介、哲次郎兄弟の碑がある

  • 旅籠玉屋 水戸街道沿いの小金宿には多くの旅籠があり、この鈴木家は玉屋の屋号で徳川時代後期の旅籠の原型を留めている

    旅籠玉屋 水戸街道沿いの小金宿には多くの旅籠があり、この鈴木家は玉屋の屋号で徳川時代後期の旅籠の原型を留めている

  • 一月寺本堂 日蓮正宗の一寺、創建1257~1259年、開基は金先古山、中興年昭和30年代、中興開基は佐藤悦三郎です。山門を入ると直ぐに本堂があるこじんまりした寺院です

    一月寺本堂 日蓮正宗の一寺、創建1257~1259年、開基は金先古山、中興年昭和30年代、中興開基は佐藤悦三郎です。山門を入ると直ぐに本堂があるこじんまりした寺院です

  •  根木内城の築城主は千葉氏の家臣高城胤忠、築城年は1462年、廃城は1590年です。根木内歴史公園入口に公園と根木内城の説明版が建っています。城跡の北東に上富士川が流れていて天然の水堀になっています。その内側には広い空堀があります。登城口を登っていくと、土塁、空堀が見られます。その先に広い本郭跡があります。更に進むと土橋が見られます

     根木内城の築城主は千葉氏の家臣高城胤忠、築城年は1462年、廃城は1590年です。根木内歴史公園入口に公園と根木内城の説明版が建っています。城跡の北東に上富士川が流れていて天然の水堀になっています。その内側には広い空堀があります。登城口を登っていくと、土塁、空堀が見られます。その先に広い本郭跡があります。更に進むと土橋が見られます

  • 根木内城空堀と土塁 郭の周囲には堀が作られます。このあたりの堀は薬研堀といわれる底が尖った形状の空堀になっており、歩き難くまた登りにくいように工夫がされています。土塁は掘った堀の土を盛り上げて造った土手状の防御施設を言います

    根木内城空堀と土塁 郭の周囲には堀が作られます。このあたりの堀は薬研堀といわれる底が尖った形状の空堀になっており、歩き難くまた登りにくいように工夫がされています。土塁は掘った堀の土を盛り上げて造った土手状の防御施設を言います

  • 根木内城土橋 空堀を一部、掘り残して土の橋を作っています。廓への出入り口です。ここでは両側の土塁の位置を直線的作らず、食い違いを起こさせ、道を曲げ直線的に攻められないよう工夫がされています

    根木内城土橋 空堀を一部、掘り残して土の橋を作っています。廓への出入り口です。ここでは両側の土塁の位置を直線的作らず、食い違いを起こさせ、道を曲げ直線的に攻められないよう工夫がされています

  • 左から金毘羅大権現、蟲王大明神、正一位大権現 杉原家は江戸時代中期に出雲地方から小金の地に到来し、少名彦名神を主祭神とする蟲王大明神(中央)を建立し、祈祷していました。左右に福祭神が配されています

    左から金毘羅大権現、蟲王大明神、正一位大権現 杉原家は江戸時代中期に出雲地方から小金の地に到来し、少名彦名神を主祭神とする蟲王大明神(中央)を建立し、祈祷していました。左右に福祭神が配されています

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