2022/12/05 - 2022/12/09
522位(同エリア1667件中)
youさん
2022年10月末に4日間ツアーにて四国を一周しました。その際松山の道後温泉に宿泊しましたが、松山のシンボルでもある松山城は市内からちらりと見ただけで行けずに残念な思いをしました。今回の松山訪問はそのリベンジ旅で、松山市内に4泊して近辺を歩きます。
日程は下記。
12月5日 ■羽田→松山(泊)→松山市内散策
12月6日 松山城→二之丸史跡
12月7日 道後温泉→宝源寺→伊佐爾波神社→湯築城跡→石手寺
12月8日 ■萬翠荘→坂の上の雲ミュージアム→松山市内散策
12月9日 松山→羽田
この旅行記は、松山市内散策・萬翠荘・坂の上の雲ミュージアムを掲載します。
表紙の写真は、坂の上の雲ミュージアムから見る萬翠荘。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
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松山の街歩きマップです。
宿泊は市電の大街道に近いANAクラウンプラザホテル。
萬翠荘や坂の上の雲ミュージアムは、ホテルの目の前、松山城のある勝山の裾にあります。 -
松山一の繁華街 大街道のアーケード入口。松山滞在中は、ここの商店街に度々訪れ夕食などとりました。
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大街道のアーケード街。高い天井に幅の広い歩行者専用の立派な道路が伸びています。東京郊外にもない素敵なアーケード街です。
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大街道のアーケード街をず~と進んでゆくと、道路を隔てて銀天街のアーケードに続いています。
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こちらは大街道から勝山の裾野に沿って延びるロープウェイ街。
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松山城ロープウェイのりばがあります。
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駅前に立つ夏目漱石の小説、坊ちゃんに登場する坊ちゃんとマドンナ像。
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先に進むと、東雲神社(しののめじんじゃ)があります。神社の本殿は石段の先の方。
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幾つかの石段を上って行きます。
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緑青色の立派な屋根を持つ神明造りの拝殿が建っています。
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拝殿から中を見ています。
松山藩祖 松平定勝や松平家の祖先神の菅原道真らを祀っています。1823年に創建されました。 -
境内見張り中のねこちゃん。吾輩はネコである・・ニャ~
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ロープウェイ街から脇道に入り、秋山兄弟の生誕地に来ました。
秋山好古・真之兄弟は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公三人のうちの二人です。あと一人は正岡子規。
秋山好古は、明治20年に旧藩主家の久松定謨の補佐役を命じられフランスに留学、騎兵研究に励み陸軍の発展に貢献しました。秋山真之は、明治23年に海軍兵学校を首席で卒業し、軍人としての道を歩みはじめます。 -
日露戦争を奇跡的勝利に導いた秋山兄弟。。。。彼らは松山の英雄の様です。
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大街道入口にはクリスマスツリーが飾られていました。
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一番町通りから山に向かっている脇道を通って、萬翠荘と坂の上の雲ミュージアムに行きます。
隣の国の若者らが、この道は松山城に登る道かぁ・・・と尋ねてきましたが・・残念。二之丸史跡庭園側からの登り道を教えてあげましたが、分かったでしょうか。 -
はじめに萬翠荘に行きます。
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こちらは萬翠荘の入口に建つ旧管理人舎。国重要文化財になっています。
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坂道の紅葉越しにちらりちらりと西洋館が見えます。
萬翠荘が建っている勝山の山麓一帯のこの敷地は、松山藩の家老屋敷の跡地でありました。夏目漱石が明治28年、松山中学の英語の教師として赴任した折に下宿をしていた「愛松亭」のあったところでもあります。 -
坂道の途中に東屋が建っており、テーブル上に碁盤と碁石が用意されています。
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正面から見た萬翠荘。左右非対称で構成されており、日本人のアンバランスの美意識を表現しているとか。
萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したフランス風洋館です(萬翠荘パンフレット)。 -
人力車に乗って参上・・・・いいえ。写真撮影用の展示品でした。
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萬翠荘の中に入り、玄関ホールを見上げています。
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踊り場正面のステンドグラス。
帆を広げた船が描かれていますが、帆や海はそれぞれの色彩が単一ではなくグラデーションになっているのが特徴みたい。 -
玄関ホール1階右側のサロン(謁見の間)です。
皇族の立ち寄り所や、各界の名士が集まる社交の場として利用されていました。訪れたときは絵画展が開かれていました。 -
サロンの壁面に描かれている壁画の一つです。
松山藩が横浜の礎を築いた「神奈川台場」を描いたとのこと。 -
サロンの裏手は食堂(晩餐の間)。
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食堂の天井から下がっている水晶片で造られたというシャンデリア。この下はパワースポットらしいです。
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玄関ホールから階段を上って2階に行きます。
こちらは踊り場から玄関ホールを振り返った風景。階段の両側に立つ2本の柱は、岡山産の万成石で、柱頭はコリント式彫刻が施されています。 -
2階の居間。昭和天皇がここで朝食を召し上がられたそうです。
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他の部屋は展示室などとして使われています。
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こちらも。
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3階は屋根裏部屋(当時は物置として使用)で、その一部に屋根を支える鉄の骨組みを見ることができます(展示されていた写真を転載)。
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2階の各部屋南側には広いバルコニーがあります。 天気が良いときは布団を干すのにちょうどいい場所ですがねぇ~。
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豪華なお部屋ばかりですが、トイレやお風呂(シャワールーム)は地下にありました。当時から水洗式でしたが普通の作りです。ガイドさんに質問しないとここには案内されません。
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玄関に見張り中の猫ちゃん。本日はお越し下さり・だんだん~ニャー。
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隣接する「愛松亭跡」に来ました。
夏目漱石が松山中学の教師として愛媛に赴任して最初の下宿先が、ここにあった小料理屋「愛松亭」です。夏目漱石はこちらで約2ヶ月間過ごしました。 -
跡地にあるお庭。
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ここに当時建っていた「愛松亭」の模型で、萬翠荘に展示されていたものを撮影。
2階に夏目漱石が小説を書いていますが、1階では居候する正岡子規がぼ~としているようです。 -
愛松亭のあった場所は、現在「漱石珈琲店」が建っています。
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坂の上の萬翠荘から坂を下って、「坂の上の雲ミュージアム」に行きます。角がとがった三角形状の建物です。建物への入口は、左側の通路の奥まったところで少し分かりにくいです。
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「坂の上の雲ミュージアム」にて入手のパンフレットの一部を転載。
三角形の各辺に沿ったスロープを上りながら展示品を見るようになっています。 -
2階のライブラリー・ラウンジ。
館内の展示物の写真撮影は指定されているもの以外はNG。 -
イチオシ
ラウンジのガラス窓越しに見る萬翠荘。
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イチオシ
こちらも。
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企画展は、小説 坂の上の雲で日本海海戦を描いた「運命の海」がテーマでした。
戦艦「三笠」の模型が展示されています。想像していたよりも小さい~。 -
展示の場面は、戦艦「三笠」の艦上の様子を示しています。
中央に立っているのは、連合艦隊司令長官東郷平八郎、その隣に立つのが秋山真之。
1905(明治38)年5月27日、28日の日本海海戦で、日本の連合艦隊はロシアのバルチック艦隊と戦いました。この海戦での圧倒的な勝利は、日本海の制海権を確実なものにしただけでなく、日露戦争そのものの戦局を有利に導くことになりました。
秋山真之は、ロシア海軍旅順艦隊の撃滅と封鎖のための旅順港攻撃と閉塞作戦において機雷敷設などを立案。また、ロシアのバルチック艦隊が回航すると迎撃作戦を立案・進言し、日本海海戦の勝利に貢献しました(説明版)。
テーマの関係からか、日露海軍の戦いの様相がメインですが、本当は旅順港に近いあの203高地での壮絶な激戦で、斜面を覆い尽くすほどの大勢の人達が亡くなっています。戦争のむなしさや悲惨なこと共に平和の大切さも説明したらよいと思いました。個人的な意見ですが。。。 -
4階から2階に下りる空中階段です。中間部分に支柱が設けられていない特徴があります。著名な建築家の設計によるものですが、スロープや長い階段等やはり普通の建物とはちょっと違うのでシニアは戸惑いますww。個人的な感想ですけど。。。
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ホテルのレストランからライトアップされた萬翠荘が眺められます。松山の夜は静かに更けて行きます。
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松山城ロープウェイ駅の2階ホールに飾ってあった「松山讃歌」2008年藤木清治さんの作品を撮影。
松山城が建つ勝山を中心に松山の繁栄したまちが広がっています。今日このような素晴らしい町になったのは、加藤嘉明らが松山城を建てた際に、石手川の治水工事などを行い、松山城下の洪水被害をなくして新田開発をしたお陰だそうです。先人に感謝です。
最後までご覧いただき有難うございました。
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