2023/01/03 - 2023/01/13
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ハイペリオンさん
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埼玉県飯能市の山奥にある2つのお寺を
訪ねた。
ひとつは、西武秩父線西吾野駅から行く
子ノ権現(ねのごんげん)、もう一つは、
飯能駅からバスで行った、鳥居観音。
山奥なので、ある程度は覚悟していたが、
なかなかハードな旅程であった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
PR
-
西吾野駅のトイレの貼り紙。
こんなところにまで熊が出没している
のか? イノシシならわかるけど。 -
県道からでも行けるのだが、矢印に
従って、山道を行くことにする。
「徒歩50分」とあったから、相当歩
かされることになりそうだ。 -
歩き始めてすぐに不自然な割れ方を
した巨石があった。
人為的に手を加えなければこうはな
らない気がする。 -
六面に地蔵が彫られている。
-
とにかく巨石がゴロゴロと転がって
いた。
既に苔が生しているから、何年も前
に上から転がって来たのだろうが、
ちょっと怖い。 -
二軒家屋が並んでいたが、一軒は既に
廃屋になっていた。
なかなか香ばしい物件だ。 -
右に静之神社とあったので、ちょっと寄
ってみる。 -
古ぼけた鳥居の向こうに・・・
-
小さな祠が見上げたところにあった。
-
傍らにもひどく古ぼけた祠が。
この山道の地蔵や祠はいつ作られたの
かわからないが、いずれもかなり古い
もののような雰囲気を醸し出している。 -
登山道というか修験道のような山道を
荒い息を吐きながら歩く。
アスファルトを歩くものとばかり思っ
ていたので、底の薄っぺらな靴で来て
しまい、路面の凸凹が足の裏にじかに
伝わって痛い。 -
山道というより獣道だ。
駅を出たころは刺すような寒気に
包まれていたが、30分以上山道を
歩くとすっかり汗ぐっしょりにな
り、ダウンジャケットを脇に抱え、
シャツ一枚で歩いた。
すれ違う人たちは皆登山のいでた
ちで、トレッキングシューズを履
いていた。普段着で来るような場
所ではないのだ。 -
文字が彫られた石が路傍に置かれ
ていた。
間もなく1時間、googleを見ると、
子ノ権現はもう目と鼻の先だ。 -
石段の先に幟が見えた。
あと一息。 -
やっと着いた。
あとで調べると、標高640メートル
の尾根に建てられた山寺だった。 -
山門をくぐった先には、サイクリングで
来ている人やジョギングのかっこうをし
た人たち(トレイルランニングというら
しい)がけっこういた。
おそらく、ここと竹寺を結ぶ尾根のコー
スを走っているのだろうが、歩くのもや
っとの山道をよく走れるものだ。 -
かなり派手な色合いの仁王様の間を通っ
た先に、 -
本殿が見えてきた。
-
911年に十一面観音がこの地に祀られ
たのが、この寺の始まり。
本殿も茅葺き屋根で、相当古そうだ。
このお堂自体がいつ建てられたのかは
わからないが、千年前に材料をどうや
ってここまで引っ張り上げて来たのだ
ろう。現代でもかなり難しい気がする。 -
檀家がいない上に拝観料も徴収していな
いので賽銭やお守りの販売がこのお寺の
収入源らしい。 -
山の上にあるからかどうかわからないが、
足腰の神様ということで、巨大な金のわ
らじが祀られていた。 -
絵馬とともに、小さな草鞋を奉納してい
る人がいる。 -
こちらはえんま堂。
-
安定のブチギレ顔。
-
地蔵菩薩。
普通に写真を撮るとだいたい首から上
が写らなくなる。 -
ふと、電池残量を見ると、ほとんどなく
なっていた。
おかしいな、出発前に確認した時は、
70%くらいあったのに。
帰宅後PCに取り込もうとしたら、
真っ暗な動画がずっと続いていた。
知らないうちに”MOVIE”ボタンを
押してしまっていて、長時間動画
を撮ってしまっていたようだ。
鐘楼のところで完全に電池切れ。
これが最後の1枚となってしまった。
東京の高層ビル群が小さく見えた。 -
帰りは舗装された一般道をを歩いた。
このボロ靴で登山道を下りる気にはなら
なかった。
西吾野駅まで、1時間以上かかった。
やっぱり登山道に比べるとかなり遠回り
になるようだ。
西吾野駅には、子ノ権現で見た人が数人
いた。 -
さてもう一つの寺は鳥居観音。
子ノ権現と直線距離にして4キロ程度な
のだが、間に山があるので、直線的に行
くことはできない。
一度県道53号線まで下って行かなければ
ならず、何時間かかるかわからない。
当初は1日で済ますつもりだったが、子
ノ権現までの登山道でほとほと疲れ切っ
てしまい、さらにその先までという気に
はとてもならなかった。
鳥居観音へは西武池袋線飯能駅からバス
が出ていて、40分ほどで行くことができる。
停留所は蓮慶橋。バスを降りると、山の
頂上に三体の観音像が見えた。 -
53号線から橋を渡って少し行くと、鳥居
観音の入り口があった。 -
昭和15年に小さな観音堂を作ったのが
始まりで、かなり新しいお寺だから、
門もなかなか近代的。 -
鳥居をくぐり、少し上ると、本堂が
ある。 -
扉が閉まっていたが、開けてもいい
ということなので開けると、観音像
があった。
七観世音菩薩という名称らしい。
作ったのはこの寺の創建者、平沼彌
太郎という人物。この人、埼玉銀行
(現埼玉りそな銀行)の初代頭取を
務めたバンカーだが、彫刻の趣味が
あり、こんな見事な観音菩薩像を彫
り上げた。趣味の域を完全に超えて
いる。 -
その先には仁王門。
-
中々劇画的な仁王像だな。
-
見てみい、わしには感情線はないんや!
けど怒ってんだからな! -
仁王門をくぐって歩を進めるとこん
な感じの山道になった。
とりあえず道があったので進んでいる
が、どこへ向かっているのかわからない。
観音像のところに行きたいのだが、明
らかに逆方向である。 -
古ぼけたお地蔵さまがぽつりぽつり
と置かれていた。
途中、この寺の創建者、平沼彌太郎
の母、志げの遺言に沿って建てた恩
重堂という、ここの母体となるお堂
があったが、何の変哲もない小さな
お堂だったので無視した。バチ当た
りめが。 -
どうもこの平和観音に向かっている
ようだ。
しかし、近づくにつれ、山道は木に
覆われ、肝心の観音様を近くで拝む
ことはできなかった。もうちょっと
うまく道をつけられなかったのかね。
ここまで30分近く歩き、かなり疲れ
た。 -
平和観音から三体の救世観音までは
再び山道となった。
しかし、5分程度で着くようだ。 -
途中に玄奘三蔵塔というのがあった。
法師の霊骨が納められているという
ことだが、ホントかね。
傍らには玄蔵法師が西域への天竺
(インド)への旅に出た時の像があ
った。 -
救世観音像の手前には、ガンダーラ
様式の仏塔、納経塔がある。
一万体観音のための一万巻の般若心
経を始め、多数の写経が納められて
いるということだ。 -
手前にはこんなものもあった。
満蒙開拓青少年義勇軍の碑。
このあたりから、戦前に満州へ渡
った若者が多かったのか。 -
そして、最後は救世観音像。
まあ、とりたててどうというもので
はないが。この大きさで三体という
のはなかなかないのではないか。 -
山頂からは連慶橋のあたりが見下ろせた。
-
まあなんとか見るべきものは全部
見たので、帰りは車用の道路を通
って帰ることにする。 -
麓近くにあったのが中華風建築
の玉華門。
タイのチェンマイにあるお寺の
様式を取り入れているらしい。 -
よくわからないトーテムポール。
しかしすごいぞ、インドの中部に
あるマディヤ・プラデーシュ州、
ラーイセーン県の丘陵の村にある
サーンチーの仏塔の門を模したも
のだそうだ。
紀元前3世紀のアショカ王によっ
て作られ、アーンドラ朝の時に完
成したひどく古い時代の門の一部
をコピーしたものである。 -
創建者の平沼彌太郎が戦争に召集さ
れ、昭和15年に母の遺言で建てた恩
重堂が完成して以来約30年をかけて
現在のように広大な地に様々な仏教
関係の建造物が建てられた。
いささか安っぽいさを感じないでは
ないが、B級スポットと呼ぶには失
礼な、個人の様々な思いが詰まった
お寺であった。
この2つのお寺をお参りするのに山
道を歩きまくったおかげで、薄っぺ
らな靴底は完全に穴が空いた。
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