2022/12/06 - 2022/12/06
964位(同エリア4581件中)
愛吉さん
上野東照宮、三大東照宮の一つです。(他は日光と久能山)
祭神は徳川家康、創建は1627年藤堂高虎が上野の屋敷内に祀ったのが始まり、その後1651年三代将軍家光が現在の社殿に改築、上野戦争、関東大震災、第2次大戦にも残り、本格的な江戸建築を今に伝える貴重な存在。
(鳥居、社殿、透塀、灯篭、五重塔等全てが重文)
東照宮は上野に来るとその雰囲気に惹かれ良く立寄るのですが、今回は入場料を払い、唐門の内側金色殿前迄入場、又動物園内に建つ五重塔にも立寄りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
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上野東照宮。
石の大鳥居は1633年時の老中酒井忠世が奉納したもの。
銘文によると備前産の大石(御影石)を船で運んだと有ります。
尚関東大震災の折、少しも傾かなかった事から、その技術の高さと備前の御影石の名を高めました。
奥に水舎門が見えます。 -
水舎門。
創建当初は社殿前の水舎として時の老中阿部重次が奉納しました。
江戸後期、老朽化したので神門辰五郎が建替え、古材を保管していたのを昭和39年ここに移築し門とした事から命名されます。
水盤には阿部の名前が残ります。 -
門を潜ると表参道、両脇には諸大名が奉納した石灯篭が続きます。
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正面は唐門、奥は拝殿。
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唐門、1651年造営。
両脇にあるのが左甚五郎作の登り竜と下り竜。
甚五郎というと日光東照宮の眠り猫で有名ですが、ここ上野東照宮の登り竜下り竜も彼を代表する傑作です。
軒下には錦鶏鳥と銀鶏鳥の彫刻。
室町時代技術の集大成品として高く評価されています。 -
唐門の正面には徳川御三家が奉納した銅の灯篭。
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透塀の脇を通り、拝観受付に進みます。
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塀越しに社殿。
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受付を済ませ社殿域に入るとご神木の大楠。
東照宮造営前より、この地に有った楠だそうです。 -
大楠の先は石灯篭が並び、その奥に栄誉権現社。
昔江戸城大奥にあった権現社、大正年間ここに移転しました。 -
透塀の中、神域に入って来ました。
透塀は1651年の造営、菱格子の向うが透けて見えるのでこの名が有ります。
神殿の東西南北を囲み、上段には野山の動植物、下段には海川の動物が彫刻されており、内外両面200枚以上になります。 -
社殿、1651年の造営、金で輝き金色殿と呼ばれます。
前から拝殿、幣殿、本殿の三殿から成り典型的な権現造り。 -
拝殿正面、先ず左側から。
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拝殿、次は右側から。
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拝殿正面を飾る彫刻。
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隅の蟇股。
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欄間にも彫刻が覆います。
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拝殿と透塀。
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唐門を内側から眺めます。
四脚門で多くの装飾が施されています。 -
唐門裏正面屋根飾。
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裏側の内部装飾。
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彫刻がはめられています。
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同上。
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裏参道、不忍口鳥居。
江戸城紅葉山にあった東照宮の鳥居でしたが、明治期ここに合祀、それに合わせ移転しました。 -
五重塔。
1631年、時の老中土井利勝により東照宮に献じられた塔。
1639年火災により焼失しましたが、土井家により直ちに復興再建。
明治に入り神仏分離令発布、塔は仏舎利を納めるものとして破却を検討されますが、所属を寛永寺に移し、難を免れます。
しかし戦後、寛永寺はその維持管理に苦労し、昭和33年東京都に移譲します。
従い現在の所有権は東京都、動物園の中に取り込まれてしまいます。
近くで拝観するには動物園に入園する必要があります。 -
動物園に入って来ました。
五重塔の周りには堀を巡らせ、その外側に遊歩道が設置されています。
以下の写真は遊歩道を一周しながら写したものです。 -
日光東照宮の五重塔を模して造られた塔です。
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相輪
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青モミジ。
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五重塔境内。
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こちらは冬木立。
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こちらは紅葉です。
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塔を囲む遊歩道。
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ゆっくりと一回りして来ました。
これでお別れします。 -
動物園を出て東照宮の側道に出て来ました。
人通りも少なく、私の好きな道です。
終
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