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以前から2022年はラニーニャ現象の影響で厳冬になると報じられていましたが、予測通りに今シーズン最強寒波の影響で12月19日は各地で記録的な大雪となり雪害が発生しました。新潟県柏崎市の国道では一時22kmにわたって800台の車が立ち往生し、県は「災害救助法」を適用しています。また、23日からは新たにクリスマス寒波が到来するようです。再び雪害が生じないよう願いたいと思います。<br />このシーズンに旅行記を投稿するのは初めてであり、冬に相応しい四字熟語の選定に苦慮しました。「寒気凛冽(かんきりんれつ)」の「凛冽」は氷に触れてピリッと身が引き締まるような寒さを表します。そこから、寒気凛冽は「寒さの非常に厳しいこと」を意味する言葉とされます。<br />伊丹市役所の近所に所用があり、2022年11月28日にオープンした新庁舎に立ち寄ってみました。設計は、かの新国立競技場で名を馳せた隈研吾氏です。木のぬくもりと省エネを両立させた合理的な庁舎に感動してまいりました。また、新庁舎建設のために伐採された樟(クスノキ)を活かした、現代彫刻家 三沢厚彦氏と棚田康司氏が制作された作品も堪能できました。<br />更には、市役所から2kmほど西方に佇む「高師直の塚」もレポいたします。

寒気凛冽 北摂伊丹 伊丹市新庁舎

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2022/12/22 - 2022/12/22

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

以前から2022年はラニーニャ現象の影響で厳冬になると報じられていましたが、予測通りに今シーズン最強寒波の影響で12月19日は各地で記録的な大雪となり雪害が発生しました。新潟県柏崎市の国道では一時22kmにわたって800台の車が立ち往生し、県は「災害救助法」を適用しています。また、23日からは新たにクリスマス寒波が到来するようです。再び雪害が生じないよう願いたいと思います。
このシーズンに旅行記を投稿するのは初めてであり、冬に相応しい四字熟語の選定に苦慮しました。「寒気凛冽(かんきりんれつ)」の「凛冽」は氷に触れてピリッと身が引き締まるような寒さを表します。そこから、寒気凛冽は「寒さの非常に厳しいこと」を意味する言葉とされます。
伊丹市役所の近所に所用があり、2022年11月28日にオープンした新庁舎に立ち寄ってみました。設計は、かの新国立競技場で名を馳せた隈研吾氏です。木のぬくもりと省エネを両立させた合理的な庁舎に感動してまいりました。また、新庁舎建設のために伐採された樟(クスノキ)を活かした、現代彫刻家 三沢厚彦氏と棚田康司氏が制作された作品も堪能できました。
更には、市役所から2kmほど西方に佇む「高師直の塚」もレポいたします。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0

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  • 新庁舎 北面(正面)と西面<br />伊丹市の旧庁舎は築50年を超え、老朽化と耐震性が課題でした。そこで2016年の熊本地震を契機に整備計画を大幅に前倒しして新庁舎の建設を決定し、基本コンセプトに「市民の安全・安心な暮らしを支え、夢と魅力があふれる庁舎」を据え、「環境に配慮した庁舎」を目指しました。<br />手前に聳えるのが唯一伐採を逃れた樟(クスノキ)のシンボルツリーです。新庁舎にしっくり溶け込んでいます。

    新庁舎 北面(正面)と西面
    伊丹市の旧庁舎は築50年を超え、老朽化と耐震性が課題でした。そこで2016年の熊本地震を契機に整備計画を大幅に前倒しして新庁舎の建設を決定し、基本コンセプトに「市民の安全・安心な暮らしを支え、夢と魅力があふれる庁舎」を据え、「環境に配慮した庁舎」を目指しました。
    手前に聳えるのが唯一伐採を逃れた樟(クスノキ)のシンボルツリーです。新庁舎にしっくり溶け込んでいます。

  • 新庁舎 西面<br />2022年11月28日にオープンした新庁舎は、鉄筋コンクリート造、地上6階、地下1階建、外観は日本遺産『伊丹と灘五郷』として清酒発祥の地で知られる伊丹に相応しく酒蔵を彷彿とさせる白壁を基調としています。また、耐震と免震の組み合わせでコストカットし、併設する交流広場では災害時に炊き出しなどができます。総工費は約138億円。コンペを経て基本設計と実施設計監修、工事監理を隈研吾建築都市設計事務所、実施設計・施工を大成建設が担いました。

    新庁舎 西面
    2022年11月28日にオープンした新庁舎は、鉄筋コンクリート造、地上6階、地下1階建、外観は日本遺産『伊丹と灘五郷』として清酒発祥の地で知られる伊丹に相応しく酒蔵を彷彿とさせる白壁を基調としています。また、耐震と免震の組み合わせでコストカットし、併設する交流広場では災害時に炊き出しなどができます。総工費は約138億円。コンペを経て基本設計と実施設計監修、工事監理を隈研吾建築都市設計事務所、実施設計・施工を大成建設が担いました。

  • 新庁舎 正面エントランス<br />テーマの「環境に配慮した庁舎」に関しては、快適な室内環境を実現しながら、建物で消費する石油やガスなどのエネルギー年間消費量をゼロとすることを目指しています。「ZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)」のうち、50%省エネを達成する「ZEB Ready」仕様にて設計され、床面積2万㎡を超える大規模庁舎では西日本初の新築ZEB庁舎となりました。また、環境省の「レジリエンス強化型ZEB実証事業」において同規模庁舎では全国初となり、その補助金交付によりコスト面での市民負担の軽減を実現しました。<br />1次エネルギー消費量を大幅に削減するために、高断熱かつ高気密の建物とし、自然採光や自然換気ができる設計としています。開口部には、Low-E複層ガラスを採り入れ、効果的な庇や木製日射遮蔽フィンを導入することで空調負荷を減らし、高効率機器で潜熱(湿度)と顕熱(温度)を別々に処理する「潜熱顕熱分離空調方式」を採用。更には、LED照明は人検知センサーを利用して高度な制御を行っています。また、災害時に備えた自動運転も可能な蓄電池付きの太陽光発電設備を整備し、創エネルギーも行うことで54%のエネルギー削減を実現しています。<br />尚、北面には日射遮蔽フィンは不要かと思われますが、建物の統一感を持たせるためこのようにファサードにも適用されているのだと思います。

    新庁舎 正面エントランス
    テーマの「環境に配慮した庁舎」に関しては、快適な室内環境を実現しながら、建物で消費する石油やガスなどのエネルギー年間消費量をゼロとすることを目指しています。「ZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)」のうち、50%省エネを達成する「ZEB Ready」仕様にて設計され、床面積2万㎡を超える大規模庁舎では西日本初の新築ZEB庁舎となりました。また、環境省の「レジリエンス強化型ZEB実証事業」において同規模庁舎では全国初となり、その補助金交付によりコスト面での市民負担の軽減を実現しました。
    1次エネルギー消費量を大幅に削減するために、高断熱かつ高気密の建物とし、自然採光や自然換気ができる設計としています。開口部には、Low-E複層ガラスを採り入れ、効果的な庇や木製日射遮蔽フィンを導入することで空調負荷を減らし、高効率機器で潜熱(湿度)と顕熱(温度)を別々に処理する「潜熱顕熱分離空調方式」を採用。更には、LED照明は人検知センサーを利用して高度な制御を行っています。また、災害時に備えた自動運転も可能な蓄電池付きの太陽光発電設備を整備し、創エネルギーも行うことで54%のエネルギー削減を実現しています。
    尚、北面には日射遮蔽フィンは不要かと思われますが、建物の統一感を持たせるためこのようにファサードにも適用されているのだと思います。

  • 新庁舎 1F 市民課<br />新庁舎の設計者 隈研吾氏は「市役所を『居間』のような身近な存在として使ってもらいたい。昔は『ハコモノ』という言葉があったように、立派な施設こそ存在感があったように思うが、今は市民にとって使い心地の良い空間や場所が求められている」と語っています。また、「自然と都市、伝統との調和が取れた伊丹のまちに似合うような、明るい未来を印象づける設計にした」とも説明されています。<br />尚、旧庁舎の解体跡地には交流広場などが整備され、24年度にグランドオープンの予定です。

    新庁舎 1F 市民課
    新庁舎の設計者 隈研吾氏は「市役所を『居間』のような身近な存在として使ってもらいたい。昔は『ハコモノ』という言葉があったように、立派な施設こそ存在感があったように思うが、今は市民にとって使い心地の良い空間や場所が求められている」と語っています。また、「自然と都市、伝統との調和が取れた伊丹のまちに似合うような、明るい未来を印象づける設計にした」とも説明されています。
    尚、旧庁舎の解体跡地には交流広場などが整備され、24年度にグランドオープンの予定です。

  • 新庁舎 1F <br />建替えのために伐採された敷地内の樟を彫刻作品として蘇らせ、このように新庁舎へ帰郷させています。作品を手掛けたのは現代彫刻家 三沢厚彦氏と棚田康司氏です。樟は「市の木」でもあり、建替え前は庁舎周辺に阪神・淡路大震災の爪痕を残した樹齢50年程の樟が約30本植わっていました。そのうちの1本をシンボルツリーとして残し、一部は市内の公園などに移植し、状態の良い11本を彫刻作品として活かしました。<br />1階の西側エレベーターホールには大きな作品が2点展示されていますが、いずれの作品も目線を遠くに置き、未来をしっかりと見据えているかのようです。

    新庁舎 1F
    建替えのために伐採された敷地内の樟を彫刻作品として蘇らせ、このように新庁舎へ帰郷させています。作品を手掛けたのは現代彫刻家 三沢厚彦氏と棚田康司氏です。樟は「市の木」でもあり、建替え前は庁舎周辺に阪神・淡路大震災の爪痕を残した樹齢50年程の樟が約30本植わっていました。そのうちの1本をシンボルツリーとして残し、一部は市内の公園などに移植し、状態の良い11本を彫刻作品として活かしました。
    1階の西側エレベーターホールには大きな作品が2点展示されていますが、いずれの作品も目線を遠くに置き、未来をしっかりと見据えているかのようです。

  • 新庁舎 1F 『ヴィオレ』<br />ドレスを纏った謎めいた女性像は「神秘的な女性像」で知られる兵庫県明石市出身の棚田氏の作品『ヴィオレ』です。高さ207.5cmの木像に油彩色と金箔で仕上げたスケール感溢れる作品です。<br />棚田氏は「一木造り」という日本古来の木彫技法に拘り、日本ならではの美を表現する彫刻家です。

    新庁舎 1F 『ヴィオレ』
    ドレスを纏った謎めいた女性像は「神秘的な女性像」で知られる兵庫県明石市出身の棚田氏の作品『ヴィオレ』です。高さ207.5cmの木像に油彩色と金箔で仕上げたスケール感溢れる作品です。
    棚田氏は「一木造り」という日本古来の木彫技法に拘り、日本ならではの美を表現する彫刻家です。

  • 新庁舎 1F 『ヴィオレ』<br />「ヴィオレ(violet)」は紫色のフランス語です。伊丹市で作出された薄紫色の薔薇に「マダム・ヴィオレ」という品種があり、美空ひばりさんがこよなく愛した薔薇として知られています。この作品はその「マダム・ヴィオレ」をモチーフにした大作です。<br />裾を薄紫色のグラデーションで染め上げたドレスを纏った女性は、遥か遠くを力強く見据え、少し前のめりになって歩みだそうとしています。その姿に未来へと一歩を大きく踏み出した新庁舎をオーバーラップさせた作品です。<br />個人的には裾に広がる流麗なドレープが印象的な作品だと思います。

    新庁舎 1F 『ヴィオレ』
    「ヴィオレ(violet)」は紫色のフランス語です。伊丹市で作出された薄紫色の薔薇に「マダム・ヴィオレ」という品種があり、美空ひばりさんがこよなく愛した薔薇として知られています。この作品はその「マダム・ヴィオレ」をモチーフにした大作です。
    裾を薄紫色のグラデーションで染め上げたドレスを纏った女性は、遥か遠くを力強く見据え、少し前のめりになって歩みだそうとしています。その姿に未来へと一歩を大きく踏み出した新庁舎をオーバーラップさせた作品です。
    個人的には裾に広がる流麗なドレープが印象的な作品だと思います。

  • 新庁舎 1F 『ヴィオレ』<br />人と同じで木も周りの環境の影響を受けながら育つそうです。棚田氏の目を引いたのは約30年前の濃く変色した年輪層でした。それは阪神・淡路大震災が起こった年代でした。年輪の変化が著しいと、木質が安定せず水分の含み方が均一でないため、乾燥による割れの原因になり易いようです。つまり、彫刻向けの素材ではなかったそうですので、制作に苦労されたことが伝わってきます。

    新庁舎 1F 『ヴィオレ』
    人と同じで木も周りの環境の影響を受けながら育つそうです。棚田氏の目を引いたのは約30年前の濃く変色した年輪層でした。それは阪神・淡路大震災が起こった年代でした。年輪の変化が著しいと、木質が安定せず水分の含み方が均一でないため、乾燥による割れの原因になり易いようです。つまり、彫刻向けの素材ではなかったそうですので、制作に苦労されたことが伝わってきます。

  • 新庁舎 1F 『ヴィオレ』<br />彫り進める棚田氏を悩ませたのが、鑿や刃物の刃先が欠けるという異常事態でした。道路脇という過酷な環境下に植えられた街路樹としての宿命か、浴びせられたように粉塵や砂が食い込み、小さな鉛の玉も多数でてきたそうです。こうして制作の過程で炙り出されてきたのは、樟が伊丹の町で過ごした時間そのものでした。<br />実際に、棚田氏は都会育ちの樟にかなり手こずったと吐露されています。それ故、彫刻作品として美しく蘇って欲しいとの思いが一層強くなったそうです。過去から現在、そしてその先の未来を考えるきっかけとなる像となることを強く願われています。

    新庁舎 1F 『ヴィオレ』
    彫り進める棚田氏を悩ませたのが、鑿や刃物の刃先が欠けるという異常事態でした。道路脇という過酷な環境下に植えられた街路樹としての宿命か、浴びせられたように粉塵や砂が食い込み、小さな鉛の玉も多数でてきたそうです。こうして制作の過程で炙り出されてきたのは、樟が伊丹の町で過ごした時間そのものでした。
    実際に、棚田氏は都会育ちの樟にかなり手こずったと吐露されています。それ故、彫刻作品として美しく蘇って欲しいとの思いが一層強くなったそうです。過去から現在、そしてその先の未来を考えるきっかけとなる像となることを強く願われています。

  • 新庁舎 1F 『ヴィオレ』<br />棚田康司氏は1968年兵庫県明石市出身の現代彫刻家です。東京造形大学造形学部美術学科Ⅱ類(彫刻)卒業後、東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。また、文化庁芸術家在外研究員としてベルリンへ留学されています。<br />2001年ベルリン滞在後からは、「一木造り」と呼ばれる、1本の木材を外から彫り込むことで継ぎ目のない木彫を成形する日本古来の技法を用い、少年少女をモチーフとした彫刻の制作に着手。油彩色された木彫は手足が長く華奢かつ神秘的な表情が特徴です。

    新庁舎 1F 『ヴィオレ』
    棚田康司氏は1968年兵庫県明石市出身の現代彫刻家です。東京造形大学造形学部美術学科Ⅱ類(彫刻)卒業後、東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。また、文化庁芸術家在外研究員としてベルリンへ留学されています。
    2001年ベルリン滞在後からは、「一木造り」と呼ばれる、1本の木材を外から彫り込むことで継ぎ目のない木彫を成形する日本古来の技法を用い、少年少女をモチーフとした彫刻の制作に着手。油彩色された木彫は手足が長く華奢かつ神秘的な表情が特徴です。

  • 新庁舎 1F 『ヴィオレ』<br />2022年10月には、優れた木彫作家に贈られる「第30回 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)賞(岡山県井原市主催)」に選ばれました。受賞作は『つづら折りの少女 その4』(2021年)です。<br />大人と子ども、人間と自然、個人と社会の「間」といった境界線をテーマにした、無限の広がりを感じさせる少年少女像などを手掛け、「木彫における伝統性と現代性を高いレベルで融合させている」と評価されました。棚田氏は「気持ちを木に染み込ませて、それが形に表れれば」と語られています。

    新庁舎 1F 『ヴィオレ』
    2022年10月には、優れた木彫作家に贈られる「第30回 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)賞(岡山県井原市主催)」に選ばれました。受賞作は『つづら折りの少女 その4』(2021年)です。
    大人と子ども、人間と自然、個人と社会の「間」といった境界線をテーマにした、無限の広がりを感じさせる少年少女像などを手掛け、「木彫における伝統性と現代性を高いレベルで融合させている」と評価されました。棚田氏は「気持ちを木に染み込ませて、それが形に表れれば」と語られています。

  • 新庁舎 1F 『ヴィオレ』<br />矜持に満ちた神秘的な表情にも引き付けられます。

    新庁舎 1F 『ヴィオレ』
    矜持に満ちた神秘的な表情にも引き付けられます。

  • 新庁舎 1F 『Animal 2022-01』<br />威風堂々と立つ白熊は動物彫刻「ANIMALS(アニマルズ)」シリーズで知られる現代彫刻家 三沢厚彦氏の作品『Animal 2022-01』です。<br />「リアリズム」と「リアリティ」の中間にある白熊のイメージがなにげに興味をそそる愛嬌のある作品です。

    新庁舎 1F 『Animal 2022-01』
    威風堂々と立つ白熊は動物彫刻「ANIMALS(アニマルズ)」シリーズで知られる現代彫刻家 三沢厚彦氏の作品『Animal 2022-01』です。
    「リアリズム」と「リアリティ」の中間にある白熊のイメージがなにげに興味をそそる愛嬌のある作品です。

  • 新庁舎 1F 『Animal 2022-01』<br />三沢氏の「白熊シリーズ」作品は、カナダの太平洋沿岸に生息し、先住民からスピリットベア(森の精霊)と呼ばれるヒグマ系のアメリカクロクマをモチーフにしており、肉球がピンク色なのが特徴です。<br />また、素材を樟に拘るのは、飛鳥時代の彫刻のほとんどが樟だったこともあり、「これは飛鳥の人が嗅いでいた匂いだ、感触だ」という時空を超えたコミュニケーションを取っている気がするからだそうです。

    新庁舎 1F 『Animal 2022-01』
    三沢氏の「白熊シリーズ」作品は、カナダの太平洋沿岸に生息し、先住民からスピリットベア(森の精霊)と呼ばれるヒグマ系のアメリカクロクマをモチーフにしており、肉球がピンク色なのが特徴です。
    また、素材を樟に拘るのは、飛鳥時代の彫刻のほとんどが樟だったこともあり、「これは飛鳥の人が嗅いでいた匂いだ、感触だ」という時空を超えたコミュニケーションを取っている気がするからだそうです。

  • 新庁舎 1F 『Animal 2022-01』<br />動物をモチーフとする理由は「造りたいものを普通に造って展示したい。奇を衒わず普通のことを普通にやりたい」との思いからだそうです。表情を押し殺し、動きに乏しい作品が多いのですが、それ故その佇まいはあくまでもシンボリックであり、見る人にその解釈を委ねます。つまり、「作家が語る」のではなく「作品が語る」というコンセプトです。これは「黙して語らず」という仏像など日本の美意識から連綿と引き継がれてきた日本伝統の彫刻思想です。

    新庁舎 1F 『Animal 2022-01』
    動物をモチーフとする理由は「造りたいものを普通に造って展示したい。奇を衒わず普通のことを普通にやりたい」との思いからだそうです。表情を押し殺し、動きに乏しい作品が多いのですが、それ故その佇まいはあくまでもシンボリックであり、見る人にその解釈を委ねます。つまり、「作家が語る」のではなく「作品が語る」というコンセプトです。これは「黙して語らず」という仏像など日本の美意識から連綿と引き継がれてきた日本伝統の彫刻思想です。

  • 新庁舎 1F 『Animal 2022-01』<br />よく見ると、右目と左目は異なる方向に視線を向けています。これは通路を挟んで展示されている『ヴィオレ』と視線を交差させ、ホールを行きかう人と目線を合わせるための工夫だそうです。実際に市民課のロビーに立つと、見守られているような気がします。<br />道徳の青い目は『Dog 2022-01』の青い目や『Bird 2022-01』の小鳥の青と繋がっています。また、緑色に塗られた台座は、この白熊が大地に根付いた草原の上に立っていることを表しています。

    新庁舎 1F 『Animal 2022-01』
    よく見ると、右目と左目は異なる方向に視線を向けています。これは通路を挟んで展示されている『ヴィオレ』と視線を交差させ、ホールを行きかう人と目線を合わせるための工夫だそうです。実際に市民課のロビーに立つと、見守られているような気がします。
    道徳の青い目は『Dog 2022-01』の青い目や『Bird 2022-01』の小鳥の青と繋がっています。また、緑色に塗られた台座は、この白熊が大地に根付いた草原の上に立っていることを表しています。

  • 新庁舎 1F 『Dog 2022-01』<br />北西の入口で出迎えてくれたため「忠犬ハチ公」のフェイクかと思いましたが、こちらは白い日本犬シリーズの作品『Dog 2022-01』です。<br />こちらも三沢氏の作品です。

    新庁舎 1F 『Dog 2022-01』
    北西の入口で出迎えてくれたため「忠犬ハチ公」のフェイクかと思いましたが、こちらは白い日本犬シリーズの作品『Dog 2022-01』です。
    こちらも三沢氏の作品です。

  • 新庁舎 1F 『Dog 2022-01』<br />「物事のはじまり」を表す 「白」 を基調にし、モチーフには白い日本犬を選ばれたそうです。見る角度により、体つきや表情が変化するのはトリックアートのようで不思議な感覚に囚われます。<br />

    新庁舎 1F 『Dog 2022-01』
    「物事のはじまり」を表す 「白」 を基調にし、モチーフには白い日本犬を選ばれたそうです。見る角度により、体つきや表情が変化するのはトリックアートのようで不思議な感覚に囚われます。

  • 新庁舎 1F 『Dog 2022-01』<br />入口脇に凛と立つ白い犬はクスノキ広場に聳えるシンボルツリーと共に市民をやさしく出迎えてくれます。

    新庁舎 1F 『Dog 2022-01』
    入口脇に凛と立つ白い犬はクスノキ広場に聳えるシンボルツリーと共に市民をやさしく出迎えてくれます。

  • 新庁舎 1F 『Dog 2022-01』<br />三沢氏は1961年に京都府に生まれ、幼少時は鴨川の渓流が遊び場だったそうです。両親の影響で京都や奈良の仏像に親しむ中で木彫の魅力に惹かれ、小学生の頃から彫刻家になるのが夢だったそうです。その夢を実現する第一歩として美術高校の彫刻家に進学。しかし、意に反して往時は音楽(ロックやポップミュージック)に没頭されていたそうです。その後、東京芸術大学美術学部彫刻科へ進学して本格的に木彫刻に取り組み始めました。現在は武蔵野美術大学造形学部彫刻学科特任教授に就かれています。<br />幼少時から自然に親しんできた三沢氏が、木の匂いや温もり、感触に触れられる木彫を選んだのは、極自然な選択だったようです。

    新庁舎 1F 『Dog 2022-01』
    三沢氏は1961年に京都府に生まれ、幼少時は鴨川の渓流が遊び場だったそうです。両親の影響で京都や奈良の仏像に親しむ中で木彫の魅力に惹かれ、小学生の頃から彫刻家になるのが夢だったそうです。その夢を実現する第一歩として美術高校の彫刻家に進学。しかし、意に反して往時は音楽(ロックやポップミュージック)に没頭されていたそうです。その後、東京芸術大学美術学部彫刻科へ進学して本格的に木彫刻に取り組み始めました。現在は武蔵野美術大学造形学部彫刻学科特任教授に就かれています。
    幼少時から自然に親しんできた三沢氏が、木の匂いや温もり、感触に触れられる木彫を選んだのは、極自然な選択だったようです。

  • 新庁舎 1F 『Dog 2022-01』<br />失礼して後ろから接近!<br />ピンク色のお尻の穴がキュートです?

    新庁舎 1F 『Dog 2022-01』
    失礼して後ろから接近!
    ピンク色のお尻の穴がキュートです?

  • 新庁舎 1F <br />ロビーに設置されたベンチは三沢氏と棚田氏が1本の樟を彫り上げたものです。<br />新庁舎の設計に携わった建築家 隈研吾氏がデザインし、樟の変色した部分を芸術性を帯びた模様のように仕立てています。<br />もったいなくて座るのが憚られます!

    新庁舎 1F
    ロビーに設置されたベンチは三沢氏と棚田氏が1本の樟を彫り上げたものです。
    新庁舎の設計に携わった建築家 隈研吾氏がデザインし、樟の変色した部分を芸術性を帯びた模様のように仕立てています。
    もったいなくて座るのが憚られます!

  • 新庁舎 1F <br />伐採した樟の年輪を数えると、阪神・淡路大震災の衝撃で水脈が変化した形跡が確認できるそうです。年輪のいびつさから1本の木でも軟硬が混在するという稀な性質を持ち、通常では見られない茶褐色の変色が見られます。<br />表面は、天守閣の梁や柱に見られるような、釿(ちょうな)で削られたようなリズミカルなギザギザ感がよい雰囲気を醸しています。

    新庁舎 1F
    伐採した樟の年輪を数えると、阪神・淡路大震災の衝撃で水脈が変化した形跡が確認できるそうです。年輪のいびつさから1本の木でも軟硬が混在するという稀な性質を持ち、通常では見られない茶褐色の変色が見られます。
    表面は、天守閣の梁や柱に見られるような、釿(ちょうな)で削られたようなリズミカルなギザギザ感がよい雰囲気を醸しています。

  • 新庁舎 1F <br />露わになった年輪は、旧庁舎の建築に始まり現在の新型コロナ禍までの伊丹市の歴史を黙して語ります。<br />また、随所に「埋木」の存在も確認できます。<br />

    新庁舎 1F
    露わになった年輪は、旧庁舎の建築に始まり現在の新型コロナ禍までの伊丹市の歴史を黙して語ります。
    また、随所に「埋木」の存在も確認できます。

  • ファミリーマート伊丹市役所/S店<br />新庁舎と同じタイミングでオープンしました。<br />TOUCH TO GO開発の無人決済システムを導入した「レジにスタッフがいない」店舗で、自治体施設へは初めての出店だそうです。<br />

    ファミリーマート伊丹市役所/S店
    新庁舎と同じタイミングでオープンしました。
    TOUCH TO GO開発の無人決済システムを導入した「レジにスタッフがいない」店舗で、自治体施設へは初めての出店だそうです。

  • ファミリーマート伊丹市役所/S店<br />無人決済システムの仕組みは、天井に設置されたカメラなどの情報から客が手に取った商品をリアルタイムに認識します。出口付近に設置された決済端末のディスプレイに購入商品と合計金額が自動で表示され、バーコード決済や交通系電子マネー、クレジットカード、現金で支払いができ、スピーディに買い物ができます。<br />また、運営者にとっては、省人化・省力化が可能で、店舗のオペレーションコストの低減、人材不足解消に繋げられます。

    ファミリーマート伊丹市役所/S店
    無人決済システムの仕組みは、天井に設置されたカメラなどの情報から客が手に取った商品をリアルタイムに認識します。出口付近に設置された決済端末のディスプレイに購入商品と合計金額が自動で表示され、バーコード決済や交通系電子マネー、クレジットカード、現金で支払いができ、スピーディに買い物ができます。
    また、運営者にとっては、省人化・省力化が可能で、店舗のオペレーションコストの低減、人材不足解消に繋げられます。

  • 新庁舎 6F 展望テラス <br />6Fの一部が展望テラスになっており、その脇に太陽光発電設備が所狭しと設置されています。<br />展望テラスからは兵庫や大阪の山並み、伊丹空港(大阪国際空港)から離陸する飛行機が見渡せます。<br />こちらは神戸方面です。

    新庁舎 6F 展望テラス
    6Fの一部が展望テラスになっており、その脇に太陽光発電設備が所狭しと設置されています。
    展望テラスからは兵庫や大阪の山並み、伊丹空港(大阪国際空港)から離陸する飛行機が見渡せます。
    こちらは神戸方面です。

  • 新庁舎 6F 展望テラス <br />こちらが伊丹空港方面です。<br />設置されているベンチもデザイン性が高く可愛らしいものです。<br />阪神地区はめったに雪は降らないのですが、この日は冬型気圧配置のため天候が目まぐるしく変化し、今にも雪が舞ってきそうな寒々しい雰囲気です。

    新庁舎 6F 展望テラス
    こちらが伊丹空港方面です。
    設置されているベンチもデザイン性が高く可愛らしいものです。
    阪神地区はめったに雪は降らないのですが、この日は冬型気圧配置のため天候が目まぐるしく変化し、今にも雪が舞ってきそうな寒々しい雰囲気です。

  • 高師直(こうのもろなお)の塚(慰霊碑)<br />伊丹市池尻1丁目にある国道171号線と尼宝線の交差点の北西側、国道(高架)の側道に佇みます。<br />元祖 石碑が建てられた年代は不詳ですが、江戸時代にはすでに塚があり、1806(文化3)年完成の『山崎通分間延絵図』には塚が西国街道北側に描かれています。現在の石碑は1915(大正4)年に山田村の村民が師直の供養のために建てたものです。国道の拡張工事や耕作の妨げになるという理由で移転を繰り返し、現在地に安置されました。<br />高師直は、室町幕府初代将軍 足利尊氏の執事でした。幕府の中枢にあって、南朝 後醍醐天皇に味方する北畠顕家や楠木正行・正時兄弟を討ち取り(四条畷の戦い)、吉野山にある南朝の本拠を焼き払って幕府の危機を救いました。しかし、革新的な政策と急速な勢力拡大から、幕政を主導する尊氏の弟 直義(保守派)との対立が表面化し、尊氏や南朝をも巻き込む全国的争乱へと発展しました(観応の擾乱)。<br />これを受けて尊氏は師直を罷免しますが、師直は弟 師泰と共に尊氏邸に逃れた直義を攻めて出家させ、執事に復権しました。しかしその後、直義は南朝 後村上天皇と和睦して尊氏を破り、尊氏は師直と師泰の出家を条件に和睦しました。そして尊氏と共に京都へ向かう途中、高兄弟は武庫川を過ぎた摂津国 打出浜で待ち伏せていた直義派の上杉重能の養子 能憲に討たれ、ここに高一族は滅びました。因みに重能は、師直が起こした謀反で越前国へ追放、後に殺害された人物です。

    高師直(こうのもろなお)の塚(慰霊碑)
    伊丹市池尻1丁目にある国道171号線と尼宝線の交差点の北西側、国道(高架)の側道に佇みます。
    元祖 石碑が建てられた年代は不詳ですが、江戸時代にはすでに塚があり、1806(文化3)年完成の『山崎通分間延絵図』には塚が西国街道北側に描かれています。現在の石碑は1915(大正4)年に山田村の村民が師直の供養のために建てたものです。国道の拡張工事や耕作の妨げになるという理由で移転を繰り返し、現在地に安置されました。
    高師直は、室町幕府初代将軍 足利尊氏の執事でした。幕府の中枢にあって、南朝 後醍醐天皇に味方する北畠顕家や楠木正行・正時兄弟を討ち取り(四条畷の戦い)、吉野山にある南朝の本拠を焼き払って幕府の危機を救いました。しかし、革新的な政策と急速な勢力拡大から、幕政を主導する尊氏の弟 直義(保守派)との対立が表面化し、尊氏や南朝をも巻き込む全国的争乱へと発展しました(観応の擾乱)。
    これを受けて尊氏は師直を罷免しますが、師直は弟 師泰と共に尊氏邸に逃れた直義を攻めて出家させ、執事に復権しました。しかしその後、直義は南朝 後村上天皇と和睦して尊氏を破り、尊氏は師直と師泰の出家を条件に和睦しました。そして尊氏と共に京都へ向かう途中、高兄弟は武庫川を過ぎた摂津国 打出浜で待ち伏せていた直義派の上杉重能の養子 能憲に討たれ、ここに高一族は滅びました。因みに重能は、師直が起こした謀反で越前国へ追放、後に殺害された人物です。

  • 高師直の塚<br />後年、『太平記』の流布と共に高師直は、史実通りに尊氏に忠義を尽くした文武両道の才人としてではなく、欲深い極悪非道の武将として次のように描かれました。しかし、焼き討ち以外の暴挙は根拠がなく、その焼き討ちさえも公人としての使命に迫られた末の苦渋の決断の結果であり、私人としては敬虔で模範的な人物と評されます。<br />① 南朝が要塞化した神社仏閣、特に清和源氏の氏神 石清水八幡宮に放火。<br />② 好色が高じ、美女を獲得するためにその夫 塩谷判官を悪辣な手段で滅ぼす。<br />③ 「帝や院などは木か金の像で作り、本物は流罪にせよ」と暴言を呈した。<br />④ 配下の武人が荘園を横領するのを許した。<br />因みに、「赤穂浪士討入り事件」は江戸時代に歌舞伎や人形浄瑠璃で上演され、その決定版が『仮名手本忠臣蔵』です。江戸幕府は社会的事件をそのまま芝居にすることを禁じました。そこで作者らは『太平記』の登場人物に仮託し、吉良上野介は高師直、浅野内匠頭は塩冶判官に変えました。それほど極悪人として認知されていたことの証左と言えます。<br />一方、高師直を「悪の権化」と蔑んだ『太平記』にも師直が尊氏の執事に相応しい寛大さと聡明さを兼備した実像に近い描写もあり、馴染みある諺の出典ともなっています。<br />北朝の武士 上山六郎左衛門は急な敵襲の際、師直の甲冑を無断拝借し、高家の配下と揉めました。そこに現れた師直は配下を諌め、「この上山殿は私に替わって戦って下さろうとしている方。そのような御仁のためなら、鎧一領など惜しくはない」と上山の非常識な振る舞いを快く許したばかりか、大切な鎧までも彼に与えたのでした。その思いやりに感じ入った上山は、楠木正行の突撃で師直が窮地に陥った際、影武者となって楯となり師直を再起させたのです。それを『太平記』では、首実検で別人と確認して落胆する正行・正時兄弟の描写と共に次のように評しています。<br />「情は人の為ならずとは斯様の事をぞ申すべき」。つまり、人にかけた情けはいずれ自分に戻って来ると言うことわりです。

    高師直の塚
    後年、『太平記』の流布と共に高師直は、史実通りに尊氏に忠義を尽くした文武両道の才人としてではなく、欲深い極悪非道の武将として次のように描かれました。しかし、焼き討ち以外の暴挙は根拠がなく、その焼き討ちさえも公人としての使命に迫られた末の苦渋の決断の結果であり、私人としては敬虔で模範的な人物と評されます。
    ① 南朝が要塞化した神社仏閣、特に清和源氏の氏神 石清水八幡宮に放火。
    ② 好色が高じ、美女を獲得するためにその夫 塩谷判官を悪辣な手段で滅ぼす。
    ③ 「帝や院などは木か金の像で作り、本物は流罪にせよ」と暴言を呈した。
    ④ 配下の武人が荘園を横領するのを許した。
    因みに、「赤穂浪士討入り事件」は江戸時代に歌舞伎や人形浄瑠璃で上演され、その決定版が『仮名手本忠臣蔵』です。江戸幕府は社会的事件をそのまま芝居にすることを禁じました。そこで作者らは『太平記』の登場人物に仮託し、吉良上野介は高師直、浅野内匠頭は塩冶判官に変えました。それほど極悪人として認知されていたことの証左と言えます。
    一方、高師直を「悪の権化」と蔑んだ『太平記』にも師直が尊氏の執事に相応しい寛大さと聡明さを兼備した実像に近い描写もあり、馴染みある諺の出典ともなっています。
    北朝の武士 上山六郎左衛門は急な敵襲の際、師直の甲冑を無断拝借し、高家の配下と揉めました。そこに現れた師直は配下を諌め、「この上山殿は私に替わって戦って下さろうとしている方。そのような御仁のためなら、鎧一領など惜しくはない」と上山の非常識な振る舞いを快く許したばかりか、大切な鎧までも彼に与えたのでした。その思いやりに感じ入った上山は、楠木正行の突撃で師直が窮地に陥った際、影武者となって楯となり師直を再起させたのです。それを『太平記』では、首実検で別人と確認して落胆する正行・正時兄弟の描写と共に次のように評しています。
    「情は人の為ならずとは斯様の事をぞ申すべき」。つまり、人にかけた情けはいずれ自分に戻って来ると言うことわりです。

  • 高師直の塚<br />歴史に「もしも」はありませんが、高師直が南朝を賀名生に追い詰めた時、それを幕府が追撃して滅ぼしていたら、天皇制は江戸時代で終焉していたかもしれません。何故なら、江戸時代に武家への批判が高揚した時、それに代わる権威は北朝では役不足だったからです。北朝は武家との野合を繰り返してきた天皇系ですから、南朝に頼るしか方策がなかったのです。それ故、明治天皇は北朝の子孫ながら、早々に南朝を正統と認める英断に及んだのです。<br />一方、この「南朝認知」から派生したのが、南朝の末裔 大村寅之助を明治天皇にすり替えたとする陰謀説です。明治天皇の基本思想が豹変したのですから荒唐無稽と論破もできないのですが、江戸時代の歴史を複層的に鑑みれば、北朝を存続させるための苦肉の策とするのが賢明なところと思います。<br /><br />Wishing you a joyous holiday season and a happy new year !<br />最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。

    高師直の塚
    歴史に「もしも」はありませんが、高師直が南朝を賀名生に追い詰めた時、それを幕府が追撃して滅ぼしていたら、天皇制は江戸時代で終焉していたかもしれません。何故なら、江戸時代に武家への批判が高揚した時、それに代わる権威は北朝では役不足だったからです。北朝は武家との野合を繰り返してきた天皇系ですから、南朝に頼るしか方策がなかったのです。それ故、明治天皇は北朝の子孫ながら、早々に南朝を正統と認める英断に及んだのです。
    一方、この「南朝認知」から派生したのが、南朝の末裔 大村寅之助を明治天皇にすり替えたとする陰謀説です。明治天皇の基本思想が豹変したのですから荒唐無稽と論破もできないのですが、江戸時代の歴史を複層的に鑑みれば、北朝を存続させるための苦肉の策とするのが賢明なところと思います。

    Wishing you a joyous holiday season and a happy new year !
    最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。

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