2022/11/18 - 2022/11/18
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名古屋のmisakoさん
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近所の焼肉ざんぎがランチを始めたので出掛けてみました
牛さがり焼ランチタレ味1000円
牛ホルモン焼きランチニンニク味880円
ごはんおかわり自由です
美味しくいただきました
ランチは平日のみです
#焼肉ざんぎ
#焼きランチ
#ホルモン
#さがり
焼肉ざんぎランチの後、南区の富部神社と長楽寺を参拝、御朱印いただきました
富部神社の御朱印は毎月の御朱印もありました
嵯峨菊がきれいに咲いてました
長楽寺は尾張三十三観音霊場第4番、本尊立木十一面観音、両脇には馬頭観音、熱湯観音の三体が並んでました
最近は御朱印も複数あって集めるとかなりの数になりますね
先日お留守の医王寺の御朱印もいただこうと行ってみましたが、やはりお留守で、小桜幼稚園の方にお尋ねしたら御朱印郵送していただけることになりました
お寺の方もお忙しいようですね
焼肉ざんぎ P無料6台 契約駐車場有
愛知県名古屋市中川区高畑5丁目 159
ランチは平日のみ
富部神社 P無料
愛知県名古屋市南区呼続4-13-38
長楽寺
名古屋市南区呼続4丁目13-18
尾張三十三観音霊場
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
PR
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焼肉ざんぎの牛ホルモン焼きランチニンニク880円
ランチは平日のみ -
牛サガリ焼きランチタレ1000円
ランチは平日のみ -
富部神社は名古屋市南部の笠寺台地上に位置します。江戸時代には台地は松に覆われた大きな島とみられ「松巨島(まつこじま)」と呼ばれていました。古代、台地の周辺は海で「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれ、海を広範に眺めることの出来る景勝の地であり、「愛知」の地名のおこりの地とも言われています。万葉集では「桜田に鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟 汐干にけらし鶴鳴き渡る」「年魚市潟汐干にけらし知多の浦に 朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ」と詠まれています。
海を広範に眺めることのできるこの景勝の地に、慶長年間、清洲城主松平忠吉公は富部神社を創建いたしました。桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定され、祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車は名古屋市指定有形文化財に指定されています。
約400年にわたり、この地を守り続けてきた富部神社は、現在も変わらぬ四季折々の美しい姿で、地域の憩いの場として、また地域の守り神として人々の信仰を集めています。
御祭神
素戔嗚尊(スサノオノミコト)
御相殿
田心姫命(タゴリヒメノミコト)
湍津姫命(タギツヒメノミコト)
市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)
菊理媛神(ククリヒメノカミ)
(富部神社HPより) -
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御祭神
素戔嗚尊(スサノオノミコト)
御相殿
田心姫命(タゴリヒメノミコト)
湍津姫命(タギツヒメノミコト)
市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)
菊理媛神(ククリヒメノカミ)
国重要文化財 富部神社本殿
居森社・八王子社
金毘羅社
秋葉社・龍王社
厄除け開運
病気平癒・縁結び
商売繁盛
富部神社は慶長8年(1603)、愛知県津島市に鎮座する津島神社から勧請されたことに始まります。その後慶長11年(1606)、清洲城主松平忠吉(徳川家康四男)が病気平癒の祈願をしたところ、日ならずして快復し、その恩頼奉謝のしるしとして本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建されました。その後代々の藩主による崇敬篤く、江戸時代を通して尾張藩の国印地として毎年百石が寄進され、営繕は藩主により行われています。なお、天保12年(1841)『尾張名所図会』「蛇毒神社」に、当時の境内の様子を詳しく見ることができます。創建以来、「富部蛇毒神天王」「蛇毒神天王」「蛇毒神社」などと呼ばれていましたが、明治に入り現在の「富部神社」と改称され現在に至ります。牛頭天王と同様に素戔嗚尊と同体とされ、疫病退散の神として信仰されています。桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定され、祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車(高砂車)は名古屋市指定有形文化財に指定されています
(富部神社HPより) -
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ツワブキ
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嵯峨菊
嵯峨菊は、嵯峨天皇がその気品ある姿と香りを好まれ、この独特の古代菊を、永年にわたり王朝の感覚を持って育成し、一つの型に仕立て上げられた風情と、格調をかねそなえた菊が大覚寺「門外不出」の嵯峨菊です。この菊の仕立ては一鉢に三本仕立てとし、長さは約二メートルに育成いたします。これは殿上から鑑賞されるために高く育てているのです。
花は、下部に七輪、中程に五輪、先端に三輪で「七五三」とし、葉は下部を黄色、中程は緑、先端を淡緑と、四季を表しています。花弁は、糸状で五十四~八十弁程、長さは約十センチの茶筅状が理想とされます。淡色の花々が色とりどりに美を競い、格調高い香りを漂わせています。
(大本山大覚寺HPより) -
ノボタンかな?
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もとは寛蔵寺といい、荒廃したこの寺を永正5年(1508)に今川氏が再建し、寺号を「長楽寺」と改めました。一説には、戸部新左衛門が再建したとも言われます。
昔の製塩作業の様子を知ることのできる「汐くみ桶」や「素門懸鏡」が寺宝として伝えられています。また、明治6年(1873)には、この場所で呼続小学校が開校しました。
(名古屋市南区史跡散策路HPより) -
長楽寺
目守弘法大師 -
本尊木立十一面観音立像
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馬頭観音
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熱湯観音
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