2022/11/12 - 2022/11/12
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pedaruさん
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安積艮斎という儒学者の墓があるという妙源寺をめざしていたが、ふとグーグルマップをみると、古代東海道という文字が飛び込んできた。急遽行き先を変更して、古代東海道に向かうことになった。
古代東海道なんて聞いたことないぞ、一体どんな街道なんだ、はやる気持ちを抑えながら、走り出したのだったが・・・・。
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- 個別手配
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中川に懸かる本奥戸橋を渡ります。中川が大きく蛇行して雄大な景色が広がります。
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歩道は広く自転車も走り易いね。
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少し休もうと通りかかった公園に寄ってみます。
渋江公園と呼ばれるテニスコートがある公園です。入って中央に子供が3人座った像がありました。これは、
大正3年、この地域にセルロイド工場が創設され、葛飾の近代工業の発展を担ったとして、昭和27年に記念碑が建てられました。 -
公園の一角に石毛慶次郎の銅像がありました。
石毛慶次郎は、晒(さらし)工場の経営者であるとともに、戦後は葛飾区内の各種団体の長を務めました。
ちなみに晒(さらし)とは染色まえの糸の不純物を除き漂白することをいいます。 -
キャプテン翼「岬 太郎像」がありました。
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色づき始めた桜の木の下で、お父さんと幼い男の子と遊んでいます。心和む光景です。
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公園の出口の脇に大きな株のランタナが咲いていました。
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暫く行くと、静かなというか、錆びれたと言っては失礼かな?と思わせる商店街がありました。午前中ですから、活気がないのは当然ですね。
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古代東海道に交差する道のようです。
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見ました、来ました、着きました。これが古代東海道か。
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古代東海道、何かを期待するのは間違いです。突然最近、古代東海道と言われても住民は戸惑います。
古代東海道は、律令制度の時代の“行政区画としての東海道を通る官道”を指します。
江戸時代にできた日本橋を起点とする東海道とは異なります。
葛飾をとおる街道は、武蔵から上総に通じる道らしい。
期待した古代東海道はこれだけのことでした。 -
西光寺
正門でなく脇の門から気になる建物が見えたので、入っていくと、 -
寺には梵鐘がありました。西洋の鐘に比べると、重厚で陰鬱な音に聞こえます。
希望の持てない音だと、勝手に思いました。
鐘も経典も仏像も、お釈迦様は否定しましたが、その意思を離れて、いろいろ教義を持つ宗教に発展しました。という意見もあります。お釈迦様は超能力もなく、奇跡も起こしません、あの世?それは分かりません、あの世を見た人はいないのだから、と言っています。
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甍の美しい西光寺です。
草創は1225年(嘉禄元年)と伝えられ、もとは葛西清重の居館ががあったと伝えられています。 -
本堂の裏側も撮ります。どのお寺も同じ造りですが、好きだなぁ、この外観。
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正門から出てきました。山門の前には「天台宗 西光寺」の標識がありました。
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西光寺の近くに葛西清重の墓があると聞いてきたのにグルグル回っても分かりません。家に入りかけたご婦人に訊いて、やっとたどり着きました。
葛西清重夫妻の墓だということです。
一つの墓の敷地としては最大規模のお墓です。天皇陵には適いませんが。 -
葛西 清重(かさい きよしげ)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。桓武平氏の流れを汲む秩父氏・豊島氏の庶流にあたる葛西氏。源頼朝に従って歴戦し、鎌倉幕府初期の重臣になりました。初代の奥州総奉行、葛西氏の初代当主です。
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古代東海道の響きに魅了され、このままでは済まされない、もっと風情のある街道があるはずだと、見果てぬ夢を見ながら、さ迷い歩きます。と高速道路に出てしまいました。
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引き返した古代東海道を行きます。どこにでもある街並みです。
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自然のままの小川を保全し、メダカが泳げる環境になっております。
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これが古代東海道です。
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古代東海道、目をつぶって想像します。(自転車で走りながらでは危険です)
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この静けさは律令時代と変わりません。
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自転車専用レーンはありがたいのですが、長くは続きません、すぐ途切れます。
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目的のお寺に着きました。広い敷地です。
妙源寺(日蓮宗)です。もとは本所番場町にありましたが、関東大震災で被災し、当地に移転しました。 -
定番の鐘楼です。渋くて、いいですね。
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安政の首都直下型地震で7千人から1万人の死者が出ましたが、犠牲者の冥福を祈るため、建立された石像題目塔です。
歌舞伎役者の守田勘彌の書、妻が発起人です。 -
さてこの妙源寺で見たかったものそれは
「安積 艮斎(あさか ごんさい)の墓」です。
安積 艮斎は、幕末の朱子学者。江戸で私塾を開き、吉田松陰、岩崎弥太郎、高杉晋作、小栗忠順、栗本鋤雲、清河八郎らが門人として学んだといいます。 -
左 安積家代々の墓 右 安積 艮斎の墓
安積 艮斎は今の福島県郡山の神社の3男として誕生、16歳のとき今泉家に婿としてはいるが、奥さんに嫌われて悔しい思いをする。畜生っ、今に見ておれ、と発奮して江戸に出て、高名な学者に師事する。普通、いじけて飲んだくれになる人が多い中で、この人は偉いですねぇ。
私塾を開き、本の出版などで名声が上がり、郷里の二本松藩の教授になります。
別れた妻は、出世した彼をどんなふうに思ったでしょうか?
その後昌平黌の教授ともなり、幕末の偉人に多大な影響を与えたのでした。 -
東条一堂の墓
江戸後期の儒学者。安永7年上総国(千葉県)に生まれる。名は弘、字は子毅通称文蔵、一堂と号す。16歳で京都に行き、折衷派の皆川淇園(みながわきえん)に師事、数年にして江戸に帰り、同じく折衷派の亀田鵬斎(かめだほうさい)に学ぶ。程朱(ていしゅ)学の仏老に混ずるを慨し、『四書知言』や『五辨(ごべん)』(道徳、天文、生命、有無、虚静)を著し、古典の正確な考証を求めた。そのほか『老子標識』『繋辞答問(けいじとうもん)』など著書は多い。安政(あんせい)4年没。
日本大百科全書より -
一堂先生の墓
老中阿部正弘に内治外交の施策を教えた儒学者でした。 -
妙源寺の建物です。
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境内にあった東条一堂の顕彰碑です。
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四ツ木白髭神社で休みます。
江戸時代は客人大権現とよばれ、吉原・深川・千住などの遊郭や水茶屋、花柳界の人びとの信仰を集めたそうです。 -
境内には小さな石柱が何本も建っていて、目を引きます。
さてどんなことが彫られているのでしょうか? -
この碑には「客人大権現」と彫られています。
調べたら「きゃくじんだいごんげん」でなくて「まろうどだいごんげん」
だそうです。えー?漢字って難しぃ! -
右 客人大権現
ほとんど同じ字が書かれていました。 -
屋根のシルエットが美しいお寺に来ました。
「浄光寺」です。綾瀬川と中川の合流するあたりにあります。
木下川薬師とも呼ばれる天台宗のお寺です。 -
時代を思わせる古色を帯びた仁王像がありました。
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仏様を守るにはこれくらいの筋肉が必要です。仁王様はこっそりプロテインなどを
とっているのでは? -
草創は平安初期、葛西荘内の薬師堂の別当寺で天正19年には徳川家康から
朱印地5石を与えられ、江戸時代には将軍の祈願所となりました。
毎年将軍家の代参があったそうです。 -
カキツバタの名所として多くの文人墨客も訪れました。
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仁王門近くにある大きな銀杏が黄葉していて、辺りを照らしているように見えました。
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黄金色の落ち葉が地面を黄色く塗り替えています。
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本堂はこのように石段を登らなければなりません。
階段を上ってまで、お参りする気はありません。 -
境内参道の左手にあるのは、幕末維新に活躍した、日本法律学校(現日本大学)の創設者山田顕義と、わが国女優の育成と演劇界のために功績のあった加藤ひな子との親交を伝える碑です。
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この石には美しいかな書きで文字が書かれてありました。
これまでして、顕彰するのは不思議です。よほどこの寺にご縁のある二人
なのでしょうね。 -
裏のほうの墓地も見学しました。由緒ある寺だけに、古い石塔が並んでいました。
同じ苗字の墓石です。武士など格式のある家の墓石のようです。 -
みごとな五葉松がありました。松のこの形を維持するのは大変な丹精が必要です。
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高速道路のそばにはこの寺関係と思われる家がありました。外壁を板で囲った50年以上前の住宅です。
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彫刻が美しい手水舎だったかな?
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帰宅途中休んだ公園。隣のベンチには私と同じ年代の男性が、何するでもなく、ボーっと座っておりました。
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この旅行記へのコメント (10)
-
- 旅猫さん 2023/03/11 22:40:25
- 旧葛西荘
- pedaruさん、こんばんは。
古代東海道が今でも道として使われてるとは驚きです。
律令時代から、続く道を歩くのは感慨深いです。
葛西清重のお墓が残っていると言うのも素晴らしいですね。
奥州に下向しているので、お墓は向こうにあるのかと思っていました。
実際には、幕府の重臣として鎌倉に居たようですね。
この界隈も、お寺さんが多いようですね。
安積艮斎と言う名は、初めて聞きました。
まだまだ、知らないことが多いものです。
旅猫
- pedaruさん からの返信 2023/03/12 06:19:05
- RE: 旧葛西荘
旅猫さん おはようございます
いつもコメントありがとうございます。
学校は日本史で受験しましたが、古代東海道を知らないくらいですから
知識がありません。いろんなところを歩き、その都度勉強しているような
状態です。
葛西清重のことも知りませんでしたので、清重を知っているとはさすがです。
ここでは、一画がやや広い敷地にあり、地元の人がお世話をしている感じでした。
鎌倉の頼朝の墓よりは立派な印象でした。
この辺のお寺は、震災や,大火の後、江戸からこの田舎に移転してきたものが
多いようです。安積艮斎、ごんさいと読むとは、、、人名は難しですね。
ようやく暖かくなりました、また街歩きをしたくなりました。
pedaru
-
- ふわっくまさん 2023/01/26 07:38:21
- 東海道・・
- pedaruさん、おはようございます。
東海道について次の旅行記で、少しだけ書く予定なのですが・・
・・古代東海道は初耳でして、参考になりました。
江戸時代の日本橋を起点とする道とは、異なるのですね(^_-)-☆
まず晒工場・経営者の石毛慶次郎銅像とキャプテン翼・岬太郎像とは、とても対照的でしたねー
・・四つ木めだかの小道も、何だか味わい深く感じました。
そして名だたる偉人がお墓に眠る妙源寺の中で、安積さんという朱子学者さんが・・
奥さんに嫌われて悔しい思いをしたので一念発起したというクダリに、思わずウケた(笑)次第です。
・・人生いろいろ,都心の立派なお墓に未来永劫に眠るなんて、素晴らしい人生だったのですね。
ふわっくま
- pedaruさん からの返信 2023/01/27 06:07:08
- RE: 東海道・・
ふわっくまさん おはようございます
安積 艮斎は、吉田松陰などのそうそうたる人たちの師匠でありながら、奥さんには頭が上がらなかったそうですから、夫婦とは不思議なものです。
入り婿という立場は、昔はかなり弱かったのですね。
pedaruは入り婿ではありませんが、家の中では権力は2番目です(笑)。
古代東海道は今後脚光を浴びるでしょうか?地味な素材です。
安積 艮斎の墓石の下のほうが、汚れていましたが、洗って差し上げればよかったかな?と今になって後悔しております。
引き続き地味な旅行記を書いていきます。よろしくお付き合いください。
pedaru
-
- cheriko330さん 2023/01/22 12:43:50
- ブラ pedaru 歴史探訪の旅☆・゚:*
- pedaruさん、こんにちは~♪
何だか、また寒くなってきましたね。pedaruさんの
東京歴史散歩、ライフワークですね。今の時期は向かい風が
冷たいでしょうね。そういう意味でもマスクも必須です。
帽子、マフラーも。
古代東海道、浪漫がありますね。また新たな目標ができましたね。
周りの景色は変わっても、静かさだけは同じ、ごもっともです。
目的の妙源寺は境内も広いですね。恥ずかしながら安積 艮斎さんも
存じ上げませんでしたが、奥さんに嫌われての下りは・・大笑い。
出世された安積 艮斎さんを奥さんは、どう思っていたか?
気になります。
「浄光寺」は美しい屋根で、由緒あるお寺なんですね。
色んなところや知らない偉人も、たくさん教えていただいて勉強に
なります。
電動でpedaruさんのように頑張る方や、ボーっとしている方が
いるのも面白いです。10年に一度の寒波、お気をつけくださいね。
cheriko330
- pedaruさん からの返信 2023/01/23 06:52:10
- RE: ブラ pedaru 歴史探訪の旅☆・゚:*
cheriko330さん おはようございます
いつもありがとうございます。
ほんと、急に寒くなってきました。先日土曜日はいつものように出かける用意をしていましたが、直前に寒さで外出が億劫になってしまい、一日中、炬燵にはいって4トラベルの編集や過去の掲示板を見たりしていました。
寒いからと言って、出かけるのを億劫がるのは問題です。
ひと気のない神社の境内などを、一人だけで逍遥する寂しさなど、何にも勝る醍醐味です。寒いからこその贈り物です(笑)。真っ赤な落ち葉が一枚だけ落ちていて、そっと拾ってポケットにしまうなんて、詩人になった気分です。
>奥さんに嫌われての下りは・・大笑い。
歴史の本にはこんな書き方していませんが、すこし面白く書き直しました。でも事実だそうですので、訂正はありません(笑)。
pedaru
-
- しにあの旅人さん 2023/01/21 06:53:28
- 古代東海道
- おはようございます。
古代東海道。
古代駅路には凝ったことがあるので、俄然目が覚めました。
写真の古代東海道は8世紀くらいですかね。
整骨院右の東海道、狭い!
本来道幅は12mあったはず。速足くらいの馬がすれ違えたはずですが、これじゃ片側相互通行がやっとですね。
住宅地を通っている東海道。やや広くなりました。
変圧器以下の3枚。面影あります。まっすぐです。
古代官道は直線なのです。目的地にとにかく早く着く、それしか考えていないので、無理やりまっすぐに作ります。
沿線の住民の便利など考えないので、古代律令国家が滅びると、官道もすぐに廃れました。古代東海道に家を建てた方は、使っていない道路を活用したわけで、不法占拠ではありません。
でも厳密にいうと、今の天皇家に地代を払う義務があるかも。
静かであったかは、時期によるでしょう。早馬がドタドタ行き交ったり、馬糞があちこち。映画みたいに馬が疾走する事はありません。あんなスピード、5分と続きません。おばさんがこぐママチャリくらいだったはず。
Pedaruさんの自転車が変速機付きなら、早馬より速い。
官兵が集団で動くときは賑やかだったでしょうね。
税金の米なども運んでいたはず。
危ないから、自転車を止めて、目をつぶったら、馬など見えませんでしたか。
- pedaruさん からの返信 2023/01/21 10:49:58
- RE: 古代東海道
しにあの旅人さん おはようございます
古代東海道の名前もその存在さえも知らなかったので、なんか怪しいと思っていましたが、しにあさんのコメントでほんとにあったんだっ、とほっとしています。
直線道路であることが古代東海道の見極めのカギなんですね。沿道の家なども当時とは比べ物にはなりませんが、掘っ立て小屋で草ぶき屋根、今のほうがましですね。
律令時代の道路だった、なんて皆さんに受けるとは思えませんが、オンリー一人だけ反応を示してくださってありがとうございます。
今日はいつもの東京でなく地元市川の歴史散歩をしようと用意をしていましたが、風が強いので、行くのを止めました。雨よりましだと思いますが、風が強いと鼻水が垂れてきますので、苦手です(笑)。
pedaru
-
- norisaさん 2023/01/21 06:07:29
- 安積 艮斎
- pedaruさん
おはようございます。
今回はポールポジションを確保できたかな?(苦笑)
人気作家のポールポジション取りは難しいですね!
さて、安積 艮斎という学者、全く知りませんでした。
しかし、吉田松陰、岩崎弥太郎、高杉晋作、小栗忠順など浅学の身でも知っているそうそうたる人物達を教育したとのこと。
かなりの学者だったようですね。
良いことを知りました!
いつも感じているのですが、pedaruさんの旅行記でご紹介される東京はイメージ一新の驚きです。
写真によっては、どこの田舎だろうという風情があります。
寺社仏閣にしてもしかり。
東京は広いということを感じますーーー。
norisa
- pedaruさん からの返信 2023/01/21 06:31:04
- RE: 安積 艮斎
norisaさん おはようございます
今回は前回から一週間もたたずに投稿したので、なるほど書き込みはないのだな、と理解し、今度からは少なくとも一週間は間を開けなくては、と戦略を練っていたところでした。今も旅行記を見ていたら、一つもありません。
あきらめても一度旅行記を開くと、3分前にありがたい神様のような方からの書き込みがありました。書き込みのレジェンドnorisaさんからでした。心が折れそうなとき、書き込みほどありがたいものはありません。(書き込みがないだけで、心が折れるとは?)
今回の旅行記は特にハイライトになるようなものもなく、コメントし難い旅行記だったと思います。安積 艮斎 読むのが難しい字ですね。ごんさい、変換はゴン斎とでてきます。
これではキツネのゴン斎じいさん、なんて童話の世界です(笑)。
旅行記で古い建物を探すとすれば、どうしても寺社くらいしかありません。東京の下町は寺社さえも空襲で焼けてますから、コンクリート作りのと寺などもたくさんあります。
古いのは墓石くらい、古けりゃいいというものでありませんが。
pedaru
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