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    低山歩き  衣笠山(標高134.2M)(標高差登り120M)と衣笠城  神奈川県横須賀市 全行程 2時間19分 <br />衣笠駅~(1時間1分)衣笠山山頂(5分)~(12分)登山口~(33分)衣笠城(26分)~(2分)大善寺<br />「日時」2021年11月17日  <br />「アクセス」JR横須賀線衣笠駅下車<br />「参考案内書」衣笠観光マップ<br /><br />  衣笠山・衣笠城・横須賀市内散策  神奈川県横須賀市  全行程 5時間38分  JR横須賀線衣笠駅~(衣笠山と衣笠城、2時間19分)大善寺(9分)~(46分)満昌寺(10分)~(4分)近殿神社・薬王寺旧跡・駒繋石・清雲寺(44分)~(15分)衣笠城址バス停→ (13分)衣笠十字路バス停~庚申塔・公郷神社・曹源寺(32分) ~ (18分)JR横須賀線衣笠駅<br />「日時」2021年11月17日  <br />「アクセス」JR横須賀線衣笠駅下車<br />「参考案内書」衣笠観光マップ<br />

衣笠山・衣笠城・横須賀散策

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2021/11/17 - 2021/11/17

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zenkyou01さん

この旅行記のスケジュール

2021/11/17

この旅行記スケジュールを元に

低山歩き  衣笠山(標高134.2M)(標高差登り120M)と衣笠城  神奈川県横須賀市 全行程 2時間19分 
衣笠駅~(1時間1分)衣笠山山頂(5分)~(12分)登山口~(33分)衣笠城(26分)~(2分)大善寺
「日時」2021年11月17日  
「アクセス」JR横須賀線衣笠駅下車
「参考案内書」衣笠観光マップ

  衣笠山・衣笠城・横須賀市内散策 神奈川県横須賀市  全行程 5時間38分  JR横須賀線衣笠駅~(衣笠山と衣笠城、2時間19分)大善寺(9分)~(46分)満昌寺(10分)~(4分)近殿神社・薬王寺旧跡・駒繋石・清雲寺(44分)~(15分)衣笠城址バス停→ (13分)衣笠十字路バス停~庚申塔・公郷神社・曹源寺(32分) ~ (18分)JR横須賀線衣笠駅
「日時」2021年11月17日  
「アクセス」JR横須賀線衣笠駅下車
「参考案内書」衣笠観光マップ

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
友人
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 衣笠山ハイキングコースに入る 衣笠山公園バス停から~衣笠山~衣笠城址~大楠山に登るハイキングコースです

    衣笠山ハイキングコースに入る 衣笠山公園バス停から~衣笠山~衣笠城址~大楠山に登るハイキングコースです

  • 小葉桜 フユサクラという名で知られていて、10~12月にかけて咲く桜で、白色~淡紅色の花をつける、春に咲くソメイヨシノより花径は小さい

    小葉桜 フユサクラという名で知られていて、10~12月にかけて咲く桜で、白色~淡紅色の花をつける、春に咲くソメイヨシノより花径は小さい

  • 忠犬タマ公の像 新潟県の狩人が雪崩にあった際、飼い主を二度にわたって助けた猟犬です。この美談を残すために新潟県出身の退役将兵関係者が碑を建立し、その後、像が建てられました

    忠犬タマ公の像 新潟県の狩人が雪崩にあった際、飼い主を二度にわたって助けた猟犬です。この美談を残すために新潟県出身の退役将兵関係者が碑を建立し、その後、像が建てられました

  • 衣笠山山頂 歩き始めて1時間1分、木段またはプラ段の急登りを経て、衣笠山山頂(134.2)に到着。山頂には展望台があります

    衣笠山山頂 歩き始めて1時間1分、木段またはプラ段の急登りを経て、衣笠山山頂(134.2)に到着。山頂には展望台があります

  • 展望台からの眺望 展望台に登って遠くを見ると、東側の東京湾や横須賀の街は見えますが、西側は遠くが霞んでいるため富士山は見えませんでした

    展望台からの眺望 展望台に登って遠くを見ると、東側の東京湾や横須賀の街は見えますが、西側は遠くが霞んでいるため富士山は見えませんでした

  • 急下り木段 急下り木段が10分程続きます

    急下り木段 急下り木段が10分程続きます

  • 石段を登る 標識はありませんでしたが、この石段を登る

    石段を登る 標識はありませんでしたが、この石段を登る

  • シロヨメナ 葉は長楕円、披針形、先端鋭、縁は鋸刃状、舌状花は白色で他の菊に比べ小さめ(直径1~2cm)

    シロヨメナ 葉は長楕円、披針形、先端鋭、縁は鋸刃状、舌状花は白色で他の菊に比べ小さめ(直径1~2cm)

  • 衣笠城本郭跡 築城主は三浦氏第一代当主三浦為通、築城年は1062年、廃城1247年。三浦縦貫道衣笠入口交差点の南に見える石段から登城する。緩やかに登っていく途中、竹林の下に郭らしきものが見える。本郭跡に到着。大きな広場になっており、案内図、ベンチ、衣笠城址標柱、金峰山蔵王権現碑がある。南東側には郭があり、御霊神社の祠が建っている。本郭周囲には土塁らしきものが見られます

    衣笠城本郭跡 築城主は三浦氏第一代当主三浦為通、築城年は1062年、廃城1247年。三浦縦貫道衣笠入口交差点の南に見える石段から登城する。緩やかに登っていく途中、竹林の下に郭らしきものが見える。本郭跡に到着。大きな広場になっており、案内図、ベンチ、衣笠城址標柱、金峰山蔵王権現碑がある。南東側には郭があり、御霊神社の祠が建っている。本郭周囲には土塁らしきものが見られます

  • 衣笠城址碑 本郭北西側最高点には衣笠城址碑、物見岩がある

    衣笠城址碑 本郭北西側最高点には衣笠城址碑、物見岩がある

  • 大善寺本堂 曹洞宗の一寺、729年僧行基が自ら彫った不動明王と金峰山蔵王権現を祀った際、別当寺として創建された。本尊は不動明王像です。本堂、庚申供養塔、六地蔵、地蔵尊があります。寺の直ぐ西北にある衣笠城本郭跡に金峰山蔵王権現碑があります

    大善寺本堂 曹洞宗の一寺、729年僧行基が自ら彫った不動明王と金峰山蔵王権現を祀った際、別当寺として創建された。本尊は不動明王像です。本堂、庚申供養塔、六地蔵、地蔵尊があります。寺の直ぐ西北にある衣笠城本郭跡に金峰山蔵王権現碑があります

  • 不動井戸 大善寺を過ぎ、県道27号線に行く途中、僧行基に依って開かれた泉(不動井戸と言われる)があり、衣笠城の飲み水に使用されていました。この辺りが衣笠城の居館址で、本郭は詰めの城です

    不動井戸 大善寺を過ぎ、県道27号線に行く途中、僧行基に依って開かれた泉(不動井戸と言われる)があり、衣笠城の飲み水に使用されていました。この辺りが衣笠城の居館址で、本郭は詰めの城です

  • 満昌寺本堂 臨済宗建仁寺派の一寺、三浦氏第四代当主の三浦義明追善のために1194年に建立、開基は源頼朝、中興開山は天岸慧広和尚、本尊は華厳釈迦如来像です。山門の横を通り境内に入ると、庚申供養塔、六地蔵、鐘楼堂、本堂、地蔵堂がある。本堂前には頼朝お手植えのツツジ、佐野藤右衛門作の祇園シダレサクラ、石造九重塔、本堂西竹庭がある。本堂の左手を進むと、御霊神社鳥居、石段の途中に三十三羅漢像、階段上に三浦義明座像を祀る宝物殿、その裏に奥之院に当たる三浦義明の廟所がある。境内では紅葉が見られる

    満昌寺本堂 臨済宗建仁寺派の一寺、三浦氏第四代当主の三浦義明追善のために1194年に建立、開基は源頼朝、中興開山は天岸慧広和尚、本尊は華厳釈迦如来像です。山門の横を通り境内に入ると、庚申供養塔、六地蔵、鐘楼堂、本堂、地蔵堂がある。本堂前には頼朝お手植えのツツジ、佐野藤右衛門作の祇園シダレサクラ、石造九重塔、本堂西竹庭がある。本堂の左手を進むと、御霊神社鳥居、石段の途中に三十三羅漢像、階段上に三浦義明座像を祀る宝物殿、その裏に奥之院に当たる三浦義明の廟所がある。境内では紅葉が見られる

  • 祇園シダレサクラ 京都市右京区の桜守佐野藤右衛門によって作られた祇園シダレサクラが満昌寺にうえられています。佐野氏邸園では珍しい桜の木200種以上を増殖しており、季節にはこれらを公開されています。圧巻は京都円山公園で見られる祇園シダレサクラです

    祇園シダレサクラ 京都市右京区の桜守佐野藤右衛門によって作られた祇園シダレサクラが満昌寺にうえられています。佐野氏邸園では珍しい桜の木200種以上を増殖しており、季節にはこれらを公開されています。圧巻は京都円山公園で見られる祇園シダレサクラです

  • 三浦義明の廟所 満昌寺の奥之院に当たるところです。中央の宝篋印塔は三浦義明の墓、右の五輪塔は義明の妻の墓と言われています。左の板碑は廃寺となった薬王寺旧跡にあったものをここに収める

    三浦義明の廟所 満昌寺の奥之院に当たるところです。中央の宝篋印塔は三浦義明の墓、右の五輪塔は義明の妻の墓と言われています。左の板碑は廃寺となった薬王寺旧跡にあったものをここに収める

  • 近殿神社社殿 創建は不詳、御祭神は三浦氏第六代当主 三浦義村です。明治6年、近殿神社を含め近郷数社は衣笠神社に合祀されましたが、第二次大戦後、これらの神社は元の場所に遷宮されました。鳥居、拝殿、拝殿右手に石宮があります

    近殿神社社殿 創建は不詳、御祭神は三浦氏第六代当主 三浦義村です。明治6年、近殿神社を含め近郷数社は衣笠神社に合祀されましたが、第二次大戦後、これらの神社は元の場所に遷宮されました。鳥居、拝殿、拝殿右手に石宮があります

  • 三浦義澄の墓 鎌倉幕府の侍別当であった和田義盛が父義宗や叔父三浦義澄(三浦氏第五代当主)を弔うためにこの辺りに建立された薬王寺(明治時代の廃仏棄釈で廃寺)にあった墓で、中央が三浦義澄の墓と伝えられています

    三浦義澄の墓 鎌倉幕府の侍別当であった和田義盛が父義宗や叔父三浦義澄(三浦氏第五代当主)を弔うためにこの辺りに建立された薬王寺(明治時代の廃仏棄釈で廃寺)にあった墓で、中央が三浦義澄の墓と伝えられています

  • 駒繋石 武将が薬王寺(現在は廃寺)に参拝する時、馬の手綱を繋いだ石と言われています

    駒繋石 武将が薬王寺(現在は廃寺)に参拝する時、馬の手綱を繋いだ石と言われています

  • 三浦義明戦士処碑と松 源頼朝再興の戦いで味方した三浦義明は衣笠合戦で平家方江戸重長・畠山重忠等軍に敗れ、この辺りの松樹の下で自刃をしたと言われています

    三浦義明戦士処碑と松 源頼朝再興の戦いで味方した三浦義明は衣笠合戦で平家方江戸重長・畠山重忠等軍に敗れ、この辺りの松樹の下で自刃をしたと言われています

  • 清雲寺本堂 臨済宗円覚寺派の一寺、創建は1104年、開基は三浦氏第三代当主義継で、父為継(二代当主)を弔うために建立、本尊は観音菩薩像です。山門を潜ると六地蔵、子安地蔵、宝篋印塔、本堂がある。本堂背後の墓地に初代当主三浦為通、為継、義継三代の五輪塔、板碑がある

    清雲寺本堂 臨済宗円覚寺派の一寺、創建は1104年、開基は三浦氏第三代当主義継で、父為継(二代当主)を弔うために建立、本尊は観音菩薩像です。山門を潜ると六地蔵、子安地蔵、宝篋印塔、本堂がある。本堂背後の墓地に初代当主三浦為通、為継、義継三代の五輪塔、板碑がある

  • 三浦三代の墓 清雲寺本堂裏手の墓の中に三浦三代の墓がある。中央の五輪塔が為継、左右のいずれかが為通と義継の五輪塔です。周囲には三浦九十三駒墓と伝えられる石塔がある

    三浦三代の墓 清雲寺本堂裏手の墓の中に三浦三代の墓がある。中央の五輪塔が為継、左右のいずれかが為通と義継の五輪塔です。周囲には三浦九十三駒墓と伝えられる石塔がある

  • 清雲寺板碑 板碑とは石製塔婆のことで、元は円通寺(廃寺)裏山の三浦氏墳墓と伝えられるやぐら群(横穴式の納骨窟)の傍らにあった板碑(1271年の銘)で、1939年にここ清雲寺に移設される

    清雲寺板碑 板碑とは石製塔婆のことで、元は円通寺(廃寺)裏山の三浦氏墳墓と伝えられるやぐら群(横穴式の納骨窟)の傍らにあった板碑(1271年の銘)で、1939年にここ清雲寺に移設される

  • 庚申塔群 市内最古の庚申塔(1639年)を含む8基の庚申塔群です。三猿の上に青面金剛像が刻まれたもの、文字のみを刻んだもの等の庚申塔があります

    庚申塔群 市内最古の庚申塔(1639年)を含む8基の庚申塔群です。三猿の上に青面金剛像が刻まれたもの、文字のみを刻んだもの等の庚申塔があります

  • 公郷神社社殿 鳥居、社殿、狛犬のこじんまりした神社です。説明板がないので、詳細は分かりません

    公郷神社社殿 鳥居、社殿、狛犬のこじんまりした神社です。説明板がないので、詳細は分かりません

  • 曹源寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は不詳、奈良時代後期、開基は行基、中興開基は長谷川七左衛門長綱、中興開山は霊屋伝英禅師、本尊は薬師如来像です。石段を登り山門をくぐると、本堂、水子地蔵、六地蔵、鐘楼、石灯籠等があります

    曹源寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は不詳、奈良時代後期、開基は行基、中興開基は長谷川七左衛門長綱、中興開山は霊屋伝英禅師、本尊は薬師如来像です。石段を登り山門をくぐると、本堂、水子地蔵、六地蔵、鐘楼、石灯籠等があります

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