2022/11/05 - 2022/11/05
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pedaruさん
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あの盲目の天才ピアノストの辻井伸行さんのお父さんが語っていました。「たった一つだけお願いがあります。どんなことでもするから、お母さんの顔を見せて。」と伸行は言いました。とお父さんは声を詰まらせました。
それほど目が見えないということの辛さ、理不尽さは耐えがたいことですね。
私も数年前網膜剥離でその怖さを実感しました。
徳川綱吉の病気を治したということで、杉山検校は褒美になにがいい?と聞かれたところ「見える目が欲しゅうございます」と言ったそうです。
非常に心打たれた将軍はそこで本所一つ目という広大な土地を与えました。
そこに杉山検校は鍼(はり)の学校を建て、後進の指導にあたりました。さらに神社を創建し、江戸名所にまでなりました。
少しずつ杉山検校の努力と人格のことをご紹介していきたいと思います。
参考文献 東京都の歴史散歩 山川出版社
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
錦糸町駅前の国道14号線を行くと、両国高校付属中学校のフェンスの中に、黒御影石の記念碑が偶然目に入りました。
「国産マッチ発祥の地」と刻んであります。 -
東京都立両国高校は芥川龍之介も通った名門校です。
堀辰雄も卒業生だそうです。 -
門から見ると、数人の生徒が談笑しながら歩いていました。
お利口そうな子供たちに見えました。
大都会にありながら、ゆったりとしたキャンパスです。 -
両国高校からすぐのところに大横川親水公園があります。
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桜の木の落ち葉が地面を埋めています。カエデもいいけど桜の葉もきれいですね。
-
鉄の手すりが錆びた、ちょっと古いモルタルの家屋がありました。
なにやら白い人影が窓ガラスに映っています。 -
臆病なpedaruの背中に戦慄が走ります。
なんなんだ、この白ずくめの人たちは、さっきからじっと立ちすくんでいるではないか、という姿を立ちすくんで見ているのは私ですが。
面倒なことに巻き込まれないうちに、その場を離れました。 -
次に目撃したのは細長い植物でした。
ガラスの壁面によじ登るかのように成長したツタでしょうか? -
近づいてみると、それは朝顔ではありませんか。
なんというエネルギーを蓄えた植物でしょう。 -
紅葉が始まったばかりの木がある公園につきました。
ここは両国公園です。子供たちが遊んでいました。
自転車をベンチの前に停めて、子供たちの姿を見ながら、持参の水筒から自宅の千葉県水道の水を飲みます。
うーん、旨いっ 「ぬるい天然水より、冷たい水道水。」 -
ここで、スマホでこの公園の地図を見ると、
-
これは同じ場所の江戸時代の地図です。
公園の中に、男谷精一郎と書かれた部分がありますね。この屋敷で勝海舟は生まれました。 -
勝海舟誕生の地 としての説明板がありました。
幕末、江戸に迫った薩長軍は江戸を総攻撃する準備を整えていました。あわや江戸が火の海になり、江戸市民に多大な犠牲者が出るところを救ったのはこの人、勝海舟でした。西郷隆盛との会談で江戸城開城を条件に江戸総攻撃を止めさせた話は有名な話ですね。
きっぷのいい江戸っ子でしたが、写真を見ると、なかなかハンサムな男ですね。 -
勝海舟は剣を島田虎之助に師事し、蘭学海洋術を学んだ秀才です。
万延元年幕府軍艦咸臨丸艦長として太平洋横断渡米しました。 -
両国公園にはこのように、石碑、勝の功績、略歴などがカラーで紹介されています。
椅子は海舟愛用の椅子でしょう。(ブロンズによる複製) -
公園のとなりは両国小学校、その角に芥川龍之介の文学碑がありました。
両国小学校は芥川龍之介の母校です。 -
黒御影石には名作「杜子春」の一節が彫られています。
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文学碑の並びに大きな錨(いかり)が置かれていました。
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この錨は日露戦争で活躍した日本海軍の駆逐艦「不知火」(しらぬい)のものです。
この錨はこの近くの両国一丁目の鉄鋼業岡田商事が軍艦の解体作業で得たものを昭和
初年に両国小学校に寄贈したものです。 -
暫く行くと酒屋さんのようななまこ壁で囲まれた狭い公園につきました。
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本所松坂町公園です。
赤穂義士遺跡 吉良邸跡と彫ってあります。 -
古地図で見ると吉良邸は広い敷地を有していました。2550坪だったそうです、驚きの広さですね。4畳半の長屋に一家で住んでいた庶民とは大きな違いです。
時代が進むと、吉良邸は消滅しましたが、忠臣蔵の重要な舞台の吉良邸跡を保存しようという話が持ち上がり、忠臣蔵を愛する人たちが、土地を買い取って、公園に整備したそうです。元の屋敷の面積の86分の1だそうです。 -
忠臣蔵のパネル、首洗いの井戸、邸内のお稲荷さん、これらを整備し、ベンチも用意し、pedaruのような疲れた老人が座れるようにしました。今では珍しく、ひじ掛けのない優しいベンチが置いてあります。
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みしるし洗いの井戸 と説明があります。 みしるし つまり吉良上野の首ですね。
伝統とはいえ、日本人は首狩り族です。あまり誇れたことではありません。 -
「鏡師 中島伊勢の住居跡」
中島伊勢は幕府御用達の鏡師です。葛飾北斎となる時太郎を養子にしています。
北斎の母親は赤穂事件に登場する吉良方の剣豪小林平八郎の娘で中島伊勢に嫁いだということです。 -
ビルの一画の植え込みに「本因坊屋敷跡」の表示板がありました。
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本因坊家は囲碁の名門で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた日海を開祖とする家系で多くの名棋士を輩出してきました。
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同じビルの反対側の端に、やはり歴史をかたる高札がありました。
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赤穂四十七士のひとり、前原伊助宅がこの辺にあったそうです。
前原伊助は江戸急進派として吉良邸の近くに
「米屋 五兵衛」として店を構え、吉良の動向を探ったそうです。 -
塩原橋 日本橋と同じく首都高速の下になっております。
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塩原橋の由来が書いてあります。
「本所には過ぎたるものが二つあり、津軽大名炭屋塩原」と歌われた塩原太助にちなんで名を付けられました。 -
堅川の上に懸かった首都高速7号小松川線。川の風情は台無しです。
-
墨田区千歳、付近の住宅の景観はこんなものです。
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初めて聞く名前の「江島杉山神社」
江島とあったので、「江島生島」を連想し色っぽいイメージが湧いてきましたが、
全く真逆の、人間の尊厳に迫る真摯な物語がそこにはありました。 -
江島杉山神社
鍼術のの神様・杉山和一は幼いころに失明しましたが、江戸に出て鍼術を学び、江の島弁天の岩屋にこもり管鍼術のインスピレーションを得ました。その後も精進を重ね、名人の名声をえました。
五代将軍綱吉から本所一つ目に約12000平方メートルの土地を拝領し総緑屋敷を建て、その西隣に弁財天の一社を建立したのが、江島杉山神社の始まりです。 -
管鍼術とは現在主流となっているもので、
「いくら細い鍼(はり)でも管に入れて使えば盲人の私にも容易に打つことができる。」として管鍼術を考案したということです。 -
杉山和一の尊敬すべきところは、多くの弟子を輩出し、世界初の盲人教育の場、
職業の確立に努めたことでした。
和一は61歳の時「検校」の位を受けました。ちなみに検校とは中世、近世の日本の
盲人としての最高の位の官職です。私は検校をけんこうと読んでしまいましたが、
音ではけんぎょうとは知っていました、検校がけんぎょうと読むとは目から鱗でした。 -
弥勒寺
ここは杉山和一の墓があることで知られています。 -
弥勒寺の門の脇に、後年最高位総検校に任ぜられた杉山検校の碑が建っております。
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ハンディキャップがあっても不屈の精神で努力を積んだ人の生き方は
多くの尊敬と賞賛を得、また影響を与えますね。 -
和一の墓の隣には、観音様の像がありますが、東京大空襲で逃げ惑う人々が、親を求め、また子の名を呼びながら焼け死んだ人々の悲しみを思い、犠牲者の冥福を祈り、再びこのようなことの無いよう、祈りを捧げるため建立されました。
-
帰り道の首都高速の下にあった説明板には
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小林一茶の居住の地
江戸時代後期の俳人小林一茶は長野県の本百姓の家に生まれ、3歳の時に母を亡くします。継母とは不和になり15歳のとき江戸に奉公にでます。苦労の多い生活の中で俳諧に親しみました。この地の借家に移ったとき、
「寝始る その夜を竹の時雨哉」と詠んでいます。家の周りに竹が植わっていたことが想像されますね。
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この旅行記へのコメント (17)
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- 旅猫さん 2023/03/04 15:34:04
- 杉山検校
- pedaruさん、こんにちは。
両国高校は、名門校なのですね。
学校は、ゆったりとした造りの方が、学ぶ場所としては良い環境だと思います。
桜の紅葉は、なかなか綺麗ですよね。
落ち葉も腐りにくく、散った後も綺麗ですし。
勝海舟は、癖がある人物なので好き嫌いがありますね。
未だに評価のし難い人物です。
吉良邸跡は有名ですが、まだ訪れたことがありません。
足利将軍家に次ぐ格式がありながら、最後は改易とは寂しい最後でしたね。
千歳界隈も、色々と歴史の香りが漂っていて、歴史好きには楽しそうです。
杉山検校のことは、詳しく知らなかったので、興味が湧きました。
旅猫
- pedaruさん からの返信 2023/03/05 06:28:04
- RE: 杉山検校
旅猫さん おはようございます
> 吉良邸跡は有名ですが、まだ訪れたことがありません。
訪れなくて正解です(笑)。初めて偶然見つけたときは目が点になりそうでした。
しかし、訪れる価値がないと言われると行きたくなるのが心理ですね。
考えてみれば、道路端に石柱一本に○○跡と書かれただけ、というのが多い中、地元の有志がお金を出し合って、狭いながらも史跡として土地を買い取ったといういきさつがあります。これを思うと、訪れる価値はおおいにあります。あれっ?当初の主張とだいぶかわってしまいました(笑)。
杉山検校のことは私も知りませんでしたので、ハンデを背負った人が、努力を重ねて名声を得たことに感動しました。尊敬をしてやまない人たちが、偉人を神社に祀るという心理が理解できそうな気がいたしました。
pedaru
-
- hot chocolateさん 2023/01/24 01:39:23
- 東京歴史散歩
- pedaruさま
こんばんは。
「東京歴史散歩 30 墨田区千歳」の旅行記にお邪魔しています。
辻井伸行さんの「たった一つだけお願いがあります。どんなことでもするから、お母さんの顔を見せて。」という言葉、切ないですね。
目が見えないという事は、本当につらいことだと思います。
去年の12月半ば、両国周辺の街歩きをしました。
吉良邸の屋敷跡とか江島杉山神社にも行きました。
ですが、江島杉山神社と杉山検校との関係は知りませんでした。
江島杉山神社は眼の病いに霊験あらたかとか、現地では目の悪い方たちが
多数お参りしていました。
なるほど、こちらの旅行記で納得です。
この辺りは、始めて歩いた地ではありますが、見所が沢山あり、
1日ではとても見きれませんね。
hot choco
- pedaruさん からの返信 2023/01/24 06:21:49
- RE: 東京歴史散歩
hot chocolateさん おはようございます
急に寒くなりましたね。お気をつけくだい。
両国周辺を歩かれましたか、京都や奈良の街歩きとは異なり、マニアでなければなかなか
実現しにくいコースです。吉良邸跡なんて初めて見たときは、あまりの狭さにびっくりしたおぼえがあります。でもほっとけば、ビルの角に、吉良邸跡とだけ書かれた石柱が建つだけになっていたでしょう。しかし、一般市民がお金を出し合い、土地を買い取ったおかげで、吉良邸を見ることができるのですね。
江島杉山神社はその存在さえも知りませんでした。江島は江の島のことで、杉山は杉山検校のことなんですね。目の悪い方が参拝していましたか?病は気からといいますから、この神社に参拝することは無駄ではないでしょう。
ハンディキャップを乗り越えて、努力し、盲人ながら世間の尊敬を集めた杉山検校に感銘を受けました。神社に参拝してこんなに清々しい気持ちになったのは初めてです。
pedaru
-
- しにあの旅人さん 2023/01/19 21:01:42
- 両国高校
- 両国高校。
旧制三中ですね。目下堀辰雄に凝っております。芥川だけじゃなく、堀辰雄の母校でもあります。
自由な雰囲気の学校だったそうです。江戸下町の裕福な商人や、職人の子供が多く、サムライなにするものぞ、ということらしい。教師と生徒の関係もフラットだったそうです。
関東大震災で校舎が被災して、四中や一中に疎開授業をした。すると教師がやたらに威張っていて、三中の生徒は驚いたらしい。
「北斎の母親は赤穂事件に登場する吉良方の剣豪小林平八郎の娘」というのは知りませんでした。忠臣蔵はスピンアウト、外伝が多く、どこまでが史実で創作か分かりません。こちらは史実ということですね。
我が家の近く、長南町にも、赤穂義士の一人倉橋伝助という人物の伝承があるのですが、こっちは講談。
堀辰雄の妻多恵子の実家加藤家は、土屋主税の子孫だそうです。多惠子はそんなこと知らなくて、辰雄に教えてもらったとか。
我が家も何か忠臣蔵とトッカカリがないかと思ったのですが、北海道屯田兵の子孫ですから、無理みたい。
- pedaruさん からの返信 2023/01/20 06:56:50
- RE: 両国高校
しにあの旅人さん おはようございます。
両国高校は堀辰雄の母校でもありましたか。東京の学校には優秀な生徒が集まりますね。
堀辰雄の記念館が信州にありますが、以前行ったことがあります。
とここで、しにあさんの旅行記を訪問してきました、ただいま、今帰りました。
堀辰雄の奥様の本を読みながらの紀行、新らしい発想の旅行記でした。
奥さんもかなりの文章家なのですね、そういえば、しにあさんのby妻さんもいきいきとした文章をお書きになりますね。
19歳の旅 なんて題を見ると、読む前から胸キュンですねー。
今は歴史家ですが、このころは文学青年だったのですね。堀多恵子が本をかいているとは恥ずかしながら知りませんでした。
記念館で見た葉書に書かれた、妻にあてた手紙には、作家とはいえ、勝手なことが書いてあって、笑えました。家を留守にして奥さん任せなのに、「あと何日か、寺を見て回るつもりだ」などと言っています。我が家でこんなこと言ったら、離婚されます。(笑)
ご先祖が屯田兵だったとは驚きました、というより興味を持ちました。
今や、ロシアの脅威も高まっている時期、屯田兵の出番です。自衛隊の費用の節約にもなるし、政府は屯田兵を募集したらいかがでしょうか?岸田さんはいうでしょう、
「そんなこと、とんでんもない。」と。
pedaru
- しにあの旅人さん からの返信 2023/01/20 09:12:47
- RE: RE: 両国高校
- 「そんなこと、とんでんもない。」おざぶ1枚。
4とらダジャレ大家Pedaruさんに負けじと鋭意努力していますが、座布団をくれるのはkummingさんだけです。
ご先祖は、1890年ごろ岩見沢に入植したようです。岩見沢の図書館で開拓史を読んだら、うちのばあちゃん(1900ー1993)がそのばあちゃんから聞いたという話と、内容が一致していました。津軽海峡を渡る船をサメが追ってきた(ばあちゃん説)→イルカが追ってきた(開拓史)くらいの違いはありました。
堀辰雄が多恵子におんぶに抱っこだったのは、こんな生やしいものではなく、何からなにまで全ぶ多恵子がやったみたいです。このあとたっぷりと資料あさりの成果をお見せします。
ほんのちょっと特別にお見せします。現在の記念館の土地は、戦中戦後の食糧難の時代、多恵子が耕した畑だったのです。150キロのジャガイモを収穫して、東京の親戚友人にまで送ったそうです。
-
- olive kenjiさん 2023/01/15 10:25:05
- 著名人続出地帯
- pedaru師匠 おはようございます。
今回は義理読みしていません。珍しく本気で読んでいます。
冒頭の辻井伸行のお話から、涙しました。
それに続く杉山検校さまのお話。この様な立派な方が居たとは知らずでした。
検校といえば、座頭市とか勝新演じる助平検校か知らず、悪い奴かと思っていました。私の知識不足を恥じるばかりです。
norisaさんも書かれていましたが、この一画は著名人が集まっていたのですね。
勝海舟のおとっつあん小吉もいたのでしょうか。師匠は昔ドラマで見たと言ってましたが、おそらくNHKドラマの小吉の女房で三年前に放映されました。
私も三年前を昔といふようになるのでしょうか。
norisaさんが書いていましたように、この一角は著名人が住んでいたとは驚きました。
吉良邸が公園になっているとはつゆ知らずでした。
今でも吉良家を慕う人が多く、その人たちが購入したのなら分かりますが、仇の浅野家の方が購入整備したとなると、大したものです。
私は大昔、赤穂から流れて来た子孫であるそうですが、誰も赤穂藩の士族の末裔とは誰も言ってはくれません。おそらくどん百姓か製塩業に携わっていた人でしょう。
(吉良家と浅野家の確執は製塩業の利権争いだったとの説もあります)
あまり師匠が書いている地域には行こうと思う気も無いのですが(すみません)
この一角は行ってみたい気がしてしました。
小吉の憎かーねえよ との声が聞こえて来そうです。
- pedaruさん からの返信 2023/01/16 05:03:31
- RE: 著名人続出地帯
olive kenjiさん おはようございます。
杉山検校、これを「けんぎょう」とは読めませんでした、すぎやまけんこう、つまり病気を治して健康になる。そんな意味合いで付けられたかと。餃子を「さめこ」と呼んでいるようなものです。こんな男を師匠などと呼んでいいものでしょうか?公序良俗に反するものではないでしょうか?あるいは社会正義に背くものではないでしょうか?
驚きました、kenjiさんが赤穂浪士、直前で逃げたかどうかは知りませんが、とにかく、
日本の偉人、赤穂藩士の末裔とは、ミミズと一緒に田を耕していた私の祖先とは大きな違いです。これからはkenji様とお呼びすべきかと考えております。
> あまり師匠が書いている地域には行こうと思う気も無いのですが(すみません)
kenjiさん それは正解です、こんな地域に、金と時間をかけてく来る場所ではありません。裏町に入ればはげかかったモルタル塗りの、くっつきあった民家が立ち並び、戦前からの建物はすべて米軍の攻撃で焼失してしまって、なんにもありません。
あるのは熱い人情にあふれた住民と、小股の切れ上がった粋な姉さんがいるくらいです。
親子鷹は1972年に放送されたテレビドラマだそうですから、私が見たのはこれかも知れません。半世紀前ですから十分昔です。「憎かねーよ」のセリフは、小勝に思いを寄せる女性に対してですが、無頼なくせに色事には潔白な小吉の人柄を表しています。kenjiさんによく似ています(笑)。
pedaru
-
- norisaさん 2023/01/15 05:40:40
- 墨田区千歳
- pedaruさん
おはようございます。
墨田区千歳と言うところ、名所のオンパレードですね。
杉山検行の碑やお墓はもちろんですが、勝海舟や吉良上野介、さらには小林一茶など各時代を駆け抜けた名士たちの生誕地であったり居住地だったのですね。
それはそれで興味深いエリア。
丸一日を費やして巡るのも良いですね。
さらに、今回ビックリしたのはあの細長い建物。
この建物というよりも10mくらいにも伸びた朝顔です。
ツル性植物なので上に伸びるのは普通ですが、これではツタにも負けない成長ですね。
いろいろ面白いトピックスを集めたオムニバスの傑作でしたーー。
norisa
- pedaruさん からの返信 2023/01/15 07:36:35
- RE: 墨田区千歳
norisaさん おはようございます
ジャックと豆の木の豆の木のように、天に上る朝顔の蔓、norisaさんの関心を引いて大成功、うれしいです。
わざとらしい、マネキンの影は無視されました(笑)。
東京には、というか江戸には多彩な人が集まりましたね。偉人から異人、悪人から、善人、
黒人、白人、採り上げたらきりがありません。
昔、私が東京に出かけ英会話の練習で外人に話しかけたころは、みな立派なエリートという感じの人が多かったですね。フェノロサとかヘボンとか・・・これは捏造です。
pedaru
-
- jijidarumaさん 2023/01/15 01:06:59
- 勝新の座頭市シリーズと検校(けんぎょう)
- pedaruさん、
今晩は。
私は例の勝新の座頭市シリーズの先駆けとなった1960年の映画作品『不知火検校』(しらぬいけんぎょう)という古いものを知っていましたから、けんぎょうは読めましたよ(笑)。
勝 海舟(かいしゅう)さんの碑の顔は一番知られた顔でしょうか?
我が家の係累に繋がる村長さんが、村の鎮守様・千ヶ瀬神社の幟旗(のぼりはた)を「幕末の三舟:高橋泥舟(でいしゅう)、山岡鉄舟(てっしゅう)」と共に謳われた勝 さんに揮毫して頂いた話が残ります。
勝さんは気さくで、親切だったそうです。
それではまた。
jijidaruma
- pedaruさん からの返信 2023/01/15 07:22:47
- RE: 勝新の座頭市シリーズと検校(けんぎょう)
jijidarumaさん おはようございます
もう一月十五日、今年もよろしくお願いします。
不知火検校、けんぎょうは音では知っていましたが、まさかけんぎょうと読むとは、改めて自分の無知を恥じ入るばかりです。
もし、「けんぎょう」を漢字で書けと言われたら「兼業」と書くでしょう、欲の深い盲人が、按摩と金貸しなどを兼業しているから、と解釈して(笑)。
勝海舟の揮毫の幟旗 毎年祭りには立てるのでしょうから、傷んでいませんか?
本物は社宝として保存し、レプリカはjijidarumaさんが書いてあげてください。
「ああ、いいよ、書いてやるよ」なんて調子だったのでしょうね。江戸っ子ですねぇ。
pedaru
- jijidarumaさん からの返信 2023/01/15 13:46:28
- RE: RE: 勝新の座頭市シリーズと検校(けんぎょう)=>勝さんの揮毫
- pedaruさん、
今日は。早速のご返信恐縮です。
勝 海舟の揮毫の幟旗の事ですが、
*「勝 海舟先生の想い出」と題して45年後の大正14年9月5日に村長の息子が口述筆記したもの:「お前さんの家は代代名主だったというから、おれと同じように、どうせ金には縁が薄いだろう。だがな、家へ持って帰ったら、誰か職人を頼んでおれの書いたものを布地へ写しをとらせ、その模写を鎮守は納めることだよ。それ位の金は何とか自分で工面するのだな。ハハ・・・」)
紙に書かれた海舟直筆の幟旗のための書は、現在、青梅市郷土博物館に収蔵されています。
・・・という事で、折角のご提案乍ら、ダルマの達筆をお見せする事はできないようです(笑)。
・・・
勝さんは
≪「ああ、いいよ、書いてやるよ」なんて調子だったのでしょうね。江戸っ子ですねぇ。≫の言葉通りで、
海舟(59歳)は明治14 年9月5日に、海舟の幕府海軍関係の同志であった澤 太郎左衛門の目黒別邸で、幟旗の書を紙に書きました。紙に書かれたのを布地に写したのが幟旗で、長さ約10m、幅約1mの大きさです。
その日、海舟は大筆まで持参し、ごく気易く
「神徳周邦土 (しんとくほうどをあまねし)明治十四年辛巳九月 吉祥日」、「真心歌盈豊(しんしんえいほうをうたう)当村氏子中 海舟勝安芳拝書」と
揮毫し、
おまけ に自ら進んで端紙か余紙へ*「千箇瀬学校」と書いてくれましたとあります。
(昭和48 年12 月発行『多摩郷土研究 第44 号』平岡昌一著「勝海舟の幟と額の由来」から)
*「千箇瀬学校」の書は扁額(へんがく)となって、私の母校・青梅市立第二中学校の校長室に今も掲げられています。
追記すれば、
「すべてが終わって(澤家の別邸で)簡単な茶席になったとき先生はまたおれの方に目を向けになった。「お前さんの家には松や柏の樹があるかい。」すると、澤さんがおれの代わりに答えられた。「彼の庭には古い雄松と柏がよく茂っております。」「そうか、じゃその松のことを書いてやるかな。幟の方は摸写が済むと蔵の中へでも押し込まれるだろうが横額なら邪魔にならず座敷の上の方へでも挙げて貰えるだろう。」
そうして書いて下さった唐紙半裁の横物があの「松柏弥茂」だった。」
この時の勝さんの筆による横額(扁額)「松柏弥茂」は村長宅の「家宝」となっています。
・・・
江戸っ子 勝さんの面目躍如ですね。
それではまた。
jijidaruma
- pedaruさん からの返信 2023/01/16 05:27:50
- RE: RE: RE: 勝新の座頭市シリーズと検校(けんぎょう)=>勝さんの揮毫
jijjdarumaさん おはようございます。
生きた歴史を聞く思いでした。ありがとうございます。
同じ地域にあって、親しくしている白幡店神社というのが市川市にあるのですが、
そこに勝海舟揮毫の扁額があります。この神社には幸田露伴と永井荷風の文学碑があります。このとき我が家も寄付をとられました(笑)。
ドキュメンタリーな番組を見ているようです。貴重な言葉や光景の数々、ありがとうございました。
pedaru
-
- cheriko330さん 2023/01/14 18:46:17
- 今年は快調に飛ばしていますね☆*゚
- pedaruさん、こんばんは☆彡
久々に一票目をいただきました。辻井伸行さんのお父さんのお話は
本当にせつないですね。世の中で目が見えないってことは、何よりも
辛いことだと思います。
墨田区千歳は、初めて知りました。歴史的に有名な方や偉人が多く
いらっしゃったのですね。
確かに、桜の紅葉も美しいです。でもなぜか紅葉の方が脚光を浴びて
います(笑)
窓ガラスに映っていた白い人影、ぱっと見にはビックリですね。
朝顔もすごいです。この時期にも元気に咲いて、ヘブンリーブルー
でしょうか。
「ぬるい天然水より、冷たい水道水」pedaruさんの名言ですね。
勝海舟さん、こんな優しいお顔でしたか。もう少し、ごつかった
イメージだったのですが。歳とともに柔和になられたのですね。
見どころ多しの旅行記で、色々と歴史の勉強もできました。
cheriko330
- pedaruさん からの返信 2023/01/15 06:58:21
- RE: 今年は快調に飛ばしていますね☆*゚
cheriko330さん おはようございます
前編の書き込みから連続に頂戴して、お礼の申しようがありません。
私も緑内障とか白内障とかで目のトラブルでは他人に負けません(笑)、そう、網膜剥離もやりまた。ですから病気前は盲人に関心はありませんでしたが、病気をしてから
目の不自由な人を見るとほっとけません。
駅などで困っている様子だと、駆け寄って誘導してしまいます。肩などを軽く押してあげると、とても怖いんだそうです、自分から腕に掴まるようにすると、安心だそうです。
ご本人から聞きました。いつでしたか、電車のホームに連れていったら、「ありがとうございます、でもいつもの場所でないと、この後、困るのです」と言って、違う場所に自分から移動してました。お手伝いするのも、思い付きだけでは難しいですね。
旅行記を丁寧に見てくださりありがとうございました。
pedaru
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