2022/11/29 - 2022/11/29
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gianiさん
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崎津教会で有名なエリアは、戦国大名天草氏の本拠地。
キリシタンの本拠地として、栄えました。
豊臣政権では小西行長の領地として、迫害された聖職者の避難所になりました。
明治期に宣教師が赴任し、ユニークな文化が栄えた歴史もあります。
- 旅行の満足度
- 5.0
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まずは崎津地区。
羊角湾の最奥に位置し、波の静かな入り江です。
ポルトガル船が1587年と89年に来航し、南蛮貿易で栄えました。
ポルトガルの地図にもSaxinoccuと記載された国際都市でした。
住民のほとんどがキリスト教を信仰しました。 -
紋付屋旅館跡
湾の外は外洋(東シナ海)という長所を生かし、
江戸時代も風待ちの港として繁栄しました。
多くの宿屋が並び、写真のように玄関は海側。
現代の駐車場ならぬ船着場が付属していました。 -
1614年の禁教令以降、キリシタンへの弾圧は厳しくなります。
崎津村庄屋の吉田家では、絵踏みが行われました。
潜伏キリシタンは、貝や和鏡に聖母を彫って信仰の対象としました。
現在ここには、教会が建っています。﨑津教会 寺・神社・教会
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天草崩れ(1805年)
崎津村今富・大江・高浜の4村で5205名のキリシタンが検挙された事件。崎津村の鎮守諏訪神社でアーメンデウスと祈る伝統が等が証拠となりました。崎津村では住民の7割がキリシタンと判明。幕府の沽券と社会的影響を考えて、全員無罪となりました。崎津諏訪神社 寺・神社・教会
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写真:初代崎津教会跡
1873年の禁教令撤廃後、フェリエ神父が赴任し、1886年には諏訪神社鳥居の左手前に初代の崎津教会が建設されます。跡地にはハルブ神父(後述)の墓が建っています。 -
世界遺産の崎津教会。1934年築。
大江教会と同じ鉄川与助の作だが、色合いの差だけで随分と違って見えます。1932年にハルブ神父が、庄屋屋敷の土地を購入。かつてここで、キリシタン弾圧の絵踏みが行われていた故の購入。教会の祭壇は、絵踏みが行われた場所の上に設置されています。
ファサードはゴシック風で、内部は畳敷です。 -
向かいには1936年築の旅館が。
内部は、地区の博物館になっています。崎津資料館みなと屋 美術館・博物館
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崎津のジオラマ模型
江戸時代と変わらない景観を保っています。 -
1892年に鹿児島へ異動したフェリエ神父の日記によると、崎津は昼間から三味線の音が聞こえるとのことで、大変繁栄していたことが窺えます。湊屋旅館や教会が建設された昭和初期は、崎津最期の繁栄期でした。長崎・福岡・五島との交易が盛んで、豊富な海産物・木材・木炭を供給しました。
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今富地区
崎津に隣接し、羊角湾の最奥から山間部に広がる今富村。漁村の崎津と対を為し、木材木炭・農産物を供給する一方で、崎津の海産物や交易品と交換しました。両者の婚姻も多かったようです。
天草崩れでは、住民の7割がキリシタンと判明した。禁教令撤廃後、がカトリックへの復帰を促すも徒労に終わり、独自の信仰を実践する「かくれキリシタン」となる道を選ぶ。 -
かくれキリシタンの風習
集落ごとに独自の習慣があったが、カトリックに復帰した地区では消滅した。今富地区では、正月に「幸木」を飾る風習が残る。上半分は神道の飾り、下半分は隠れキリシタンの飾り。臼の中にキリストへの供え物を隠し、その上に3本の杵で十字架を作る。継承者は昭和末期から激減し、現在は2世帯のみで行われる。 -
ウマンテラ様
今富の遺物。背中の羽根と右手の剣は、黙示録の書に出て来る大天使ミカエルを表現したものと思われる。 -
崎津集落の駐車場は4台。激戦区なので、国道沿いの道の駅の駐車をお勧めします。こちらも僅か15台ですが、周囲に空地も多いです。
道の駅 崎津 道の駅
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旧河浦町の中心施設。
展示室は撮影禁止になっていました。
前回訪れた時に、めぼしい史料を撮影しておいて良かったです。
代わりに、展示資料ご案内という写真と解説の付いた冊子が配布されます。天草コレジヨ館 美術館・博物館
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展示内容を、実地で追います。
展示館沿いの町田川を遡ると情緒ある光景が。
戦国時代の城下町です。 -
崇円寺という古刹の境内の小径を進み、背後の丘へ登ります。
崇円寺 寺・神社・教会
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河内浦城址です。
現地には、何も書いていない「解説板」があります。河内浦城跡公園 公園・植物園
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天草氏
鎌倉幕府から島の地頭職を拝命。島の北西部は志岐氏が拝領した。天草氏は向かいの下田城から統治した。写真は、河内浦城址から下田城跡を写したもの。 -
室町時代以降の天草諸島は、肥後国守護(菊池氏相良氏大友氏)の影響下で天草氏を含む五人衆が拮抗します。発掘物を見ると、天草氏はこのころ河内浦城に移動しています。
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写真:遺構に基づく当時の想像図
鉄砲とキリスト教
1560年に柄本氏vs上津浦氏の武力衝突が発生。天草・志岐は栖本に加勢し、肥前の松浦・有馬は上津浦に加勢。松浦氏が派遣した30名の鉄砲隊の威力に天草諸島は震撼します。1864年には島津氏も本格介入し、危機を感じた五人衆は相次いで洗礼を受けます。 -
1568年に天草鎮尚は、志岐領で布教していたアルメイダ神父を招聘。1771年に志岐氏が棄教・迫害に転じたために、河内浦が布教の地域拠点になります。
アルメイダはポルトガルで医師免許を取得した商人だった。山口で日本布教長トーレス神父に出会い、イエズス会士に転身。博学を活かし、仏僧や知識人の改宗に成功。西洋科学殊に外科医療を伝達して、領民にも慕われた。 -
1587年に九州は豊臣政権に統一され、配下のキリシタン大名小西行長が統治。天草氏は領主として安堵されます。
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お城を降ります。
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崇円寺の反対側には、大きな駐車場と小さな資料館が。
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城跡での茶碗の破片等の発掘物が展示。
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旧河浦町役場庁舎の横の公園。
1587年に秀吉は宣教師追放令を出し、九州の宣教師と宗教教育機関は僻地かつ小西行長&天草久種の庇護が篤い天草河内浦へ避難。天草コレジヨ公園 公園・植物園
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天草コレジヨ
1591には、有馬領からコレジヨも移転。司祭を育成する神学校です。1590年に帰国した天正遣欧少年使節の4名も、司祭になるべく河内浦で教育を受けました。長崎で26聖人が殉教した1597年に、コレジヨは閉鎖されます。彼らはマカオへ渡航して残りの過程を修めて司祭に叙任され、うち2名は九州へ赴任します。 -
ヴァリリャーノ神父
1579年にローマ教皇庁への外交使節派遣を提案し、実現させた。 -
使節は帰途の折、バテレン追放令でマカオ差止中のグーテンベルク印刷機を持参して帰国。天草で20年程稼働し、金属活版による多くの書物を発行する。天草は西洋音楽、演劇、油絵など多彩な文化が花開きます。
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天草コレジヨ館で唯一撮影可能なエリア。
天草本
グーテンベルク印刷機を使用して、ポルトガル語辞書を含む12作が印刷された。伊曽保(イソップ)物語は、日本語で(ポルトガル式のローマ字)表記された。西洋の著書は300部程度の印刷だが、天草では1500~3000部におよび、書籍が広く浸透した。 -
小西行長は関ヶ原で敗北し処刑され、唐津藩の飛び地となります。1614年の禁教令も確実に天草で施行されていきます。
町田川を飛び越えると、 -
安養寺。
先述の天草コレジヨ跡地と推定されています。
1615年開山。敢えて大神学校跡地に建てることで、宗教政策をアピールします。 -
浄土真宗で、天草諸島の半分の村を管轄しました。
河内浦城は、天草三郡代所の一つして機能し、並河九兵衛が城代として赴任しました。
天草島原の乱以降は、概ね天領となります。 -
崇円寺
最初に訪れて、スルーした場所。
河内浦城の麓にあります。 -
天草島原の乱の後に天草代官となった鈴木重成は、兄で僧侶の正三のアドバイスの元、領内に4つの寺を開基(天草四ヶ寺、1645年)。郡代的役割を果たしました。
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キリシタン取締役
仏教を擁護し、キリシタンが跋扈しないよう領民を教化します。民心の安定と思想の「善導」を担いました。 -
行政機能
戸籍:天草島原の乱の後、幕府は全領民に仏教寺の信徒になることを義務付けました。各寺の信徒名簿は、出生・転出転入・結婚・死去を管理する戸籍とイコールでした。檀家制度のルーツです。
警察:各村の庄屋・村人を監視する目付役
福祉:貧者や災害時等の支援等 -
将軍家の霊碑を祀り、30石の寺領を知行されます。
松平伊豆守(島原藩主の家系)伊能忠敬の宿泊所にもなりました。 -
以下は、天草コレジヨ館に入居する郷土先達資料展示室より。
旭炭鉱
天草で石炭が発見されたのは18世紀だが、河浦町での発見は1893年、3年後に採掘が開始される。良質の石炭を産出し、1909年以降は海軍に納入。最高の品質が求められる製鉄所にも供給。 -
専用鉄道も敷設したが、1964年に閉山。
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旭炭鉱は、大江教会とコレジヨ館の中間に位置します。
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天草炭
純度が高く(高カロリー)煙が出ないので、軍艦や製鉄炉の燃料に使用。粉カスは固めて、家庭用の練炭として販売した。 -
園田直
河浦町出身。元衆議院副議長。
福田(赳夫)内閣で外務大臣を務め、日中平和友好条約を締結。
厚生大臣としては、水俣病を公害病と認定した。 -
おまけ
道の駅宮地岳は、廃校を利用した案山子の里が。 -
生徒も案山子。
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案山子の顔づくり
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案山子の胴体造り
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衣装着せ。
無資格の外科医が好き放題やっている感じで怖いです。 -
学校のお決まり文句
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理由は、大量拉致・拘束でした。
お巡りさん、ここです! -
かかし工房では、アングラ作品も量産。
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みんなでお見送り。
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国道沿いに、壮大なお見送り。
休憩がてらに立ち寄ってみてください。
ぎりぎり旧本渡市に位置する施設でした。
次の旅行記↓
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