2022/05/20 - 2022/05/20
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ottoさん
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モンゴルについてどれだけのことを知っているかな? 自問自答してみるに。
…大相撲で活躍するの力士の顔が浮かんできます。
テレビで鑑賞した魅力的な馬頭琴の音色。ナーダムの祭り。
草原の放牧で移動しながらゲルで暮らす北方民族、勇猛な騎馬民族でかつては世界の覇権を握ったチンギスハン、フビライ。蒙古襲来、etc
赤児のお尻の蒼あざ・蒙古斑は日本人と共通などと聞かされたこと等々断片的な知識しかありません。そうそう司馬遼太郎さんが大学で専攻されたとか。
今のモンゴルはどんな様子か。仲良しの知人と誘い合わせて勉強に出かけることになりました。
見終わってから東に隣接する「平和の薔薇園」で幸せなひとときを過ごしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
万博記念公園東口で待ち合わせ ここ民族学博物館傍の自然公園までやって来ました。
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南を向いた水辺の広場。
あいにく空がどんよりしています。. -
あのベンチに座りましょう。
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お昼前に家を出たので千里阪急デパートで買ってきた散らし寿司を頂くことに。
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向こうの方に幼稚園のグループが見えます。
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よく見ると後ろの建物に民博のシンボルが壁に描かれていますね。
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幼稚園教諭の資格がある彼女のこと無関心ではいられません。
たまたま近くに来た男先生の一人とお話が弾みました。 -
そして3ショットがを撮影して頂きました。
私たちは20年来の元お隣さん同士で、姪と叔父・叔母のような親しい間柄。 -
民博の特別展入口へ
国立民族学博物館 美術館・博物館
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大学2年生と高校2年生のお母さんにしては若い!
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ト‐-テムポールの前庭を通って、
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左が特別展の建物(正面は常設展館)
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入るといきなり床に大書された表示が現れます。
ウランバートルは元ウルガと呼ばれモンゴルの首都ですね。、 -
中は薄暗く湾曲した壁面の巨大な展示に圧倒されます。
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正面階段の右側巨大壁パネルの下の小さな入り口に入ります
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ウルカ。。グローバル化した現在の人口150万都市・ウランバートル
国の人口の約半数が集まる大都市で中国からロシアに至る国際鉄道の主要な中継地。 -
広大な草原の面影はなく新旧の建物が建ち並ぶ都市の様子。
第2次大戦後 スターリンによってシベリアから強制労働に駆り出された日本人が建設した建物も多いそうです。
ウランバートルは寒冷な高原の地にあり冷害で放牧を放棄した遊牧民の流入など、無秩序な都市化が急拡大しました。JAICAをはじめ近年、近代的な都市開発に取り組んでいます。 -
モンゴルの歴史にとって中国との関連抜きには語れません。
モンゴル高原を支配した清朝は一帯の地域・フレーを「クーロン」と呼び出先機関としました。 -
1911.辛亥革命によって清朝が崩壊する折に中国とロシアとの駆け引きでモンゴルは中国の宋主権下でのボグド・ハーン政権として自治が認められました。
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1919年中華民国の圧力が高まり自治政権が撤廃されました。
その後ロシア革命などで復権したものの中ソ間の力関係に翻弄されモンゴル義勇軍が蜂起し、親ソ連のモンゴル共和国が誕生しました。
主都は「赤い英雄」を意味するウランバートルとなりました。 -
然し社会主義政権が崩壊するとたちまち経済が混乱し社会不安に陥りました。
1990年民主主義へ転向。ロシア、中国ともバランスを保ちながら努力しています。 -
ウランバートルは寒冷な高原の地にあり冷害で放牧を放棄した遊牧民の流入など、無秩序な都市化が急拡大しました。
多くの移動式ゲルが建つ地域は「ゲル地域」と言われ市の人口に占める割合は最近まで約6割に達すると言われました。
生活インフラは電気のみなので石炭ストーブによる大気汚染や地中に穴を掘ったトイレの地下汚染が大きな社会問題となっています。
JAICAをはじめ近年、近代的な都市開発に取り組んでいます。 -
モンゴルの宗教と信仰はというと、
2020年現在、モンゴル人の51.7%が仏教、3.2%はイスラム教、1.3%がキリスト教、2.5%がシャーマニズム、40.6%がその他となっています -
古来シャーマンの存在が注目です。
有料ですが人々は困った時にとりあえずシャーマンに祈祷をしてもらいました。 -
社会の歪み、様々な苦難に際して人々がシャーマニズムに救済を求めた時代がありました。今も名残はあります。
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何といってもチベット仏教との関わりが外せません。
チベットやブータンと同じくモンゴル人はチベット仏教を信仰し寺院も最初は「フレー」というゲルの形で移動していましたが定住するようになり大都市に発展したと言います。 -
入口で見た宮殿「黄金宮」とは?
チベットとモンゴルの関係は歴史的にみてモンゴル族がチベットを保護する形をとったと言われます。 -
チベット仏教総本山の寺院・「ガンダンテクチェンリン寺院」
100年前に欧米から多くの探検家が中央アジアを越えてモンゴルに至り写真を残しました。当時活仏でもあった皇帝ボグド・ハーンが治める「聖なる都」だったウランバートル。欧米人がウルガと呼んだこの都の中心は黄金の宮殿が燦然と輝いていたそうです。 -
寺院併設の佛教大学 (1970年開校)
本来、基本的には5000人が学ぶ学問寺だった仏教寺院ですが。中国共産主義支配とソ連の社会主義によって厳しく弾圧され1937年には全土で3万人の僧侶が殺されました。スターリンによる宗教弾圧などで破壊され活仏を欠いたまま辛うじて存続し1990年代に復権しました。モンゴル仏教芸術の伝統継承と発展を目指して仏教学部と芸術学部が置かれています。 -
格式ある豪華な衣服をまとった人形たちが目に飛び込んできました。
和服に似た左前の打ち合わせローブ。 -
仏教とラマ僧と題された高僧や僧院長などハイクラスの衣裳
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寒冷地に相応しい重ね着に男女とも先の尖ったユニークな帽子。
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100年後の今、
近代化する暮らしの変化を愛しみを込めて写真に撮り続けている現代の写真家。
暮らしを通して底辺の人たちの声を届けたいと記録する写真家の思い。
ウランバートルは寒冷地にあり冷害で放牧を放棄した遊牧民の流入など、無秩序な都市化が急拡大しました。ゲルのアパート化を進めJAICAは近年、近代的な都市開発に取り組んでいます。 -
主産業は鉱物、食肉加工、製粉、製乳ですが
現在は輸送手段も格段に進化し調理法も様変わりしてきました。
日本の旭川、札幌など北海道を模範とした街造りを志向しているそうです。 -
モンゴルの人たちの顔を見ていると日本人として親近感を覚えます。
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一通り見終えて会場を出ました。本館に入ってみましたが、
ビデオテークはコロナ下で見ることができませんでした。
民博で展示されている民族アートの幾つかを鑑賞。国立民族学博物館 美術館・博物館
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素朴でユーモラスな仮面ですね。
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外に出ます。
カラーが施されてないトーテムポールは製作時代が古いと聞いていますが、 -
横に解説板があります。
部族の歴史、象徴とする動物等が刻まれています。
Canadaのバンクーバーでも沢山見ました。 -
すぐ東側の薔薇園に入ります。
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