2022/04/30 - 2022/04/30
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azusa55さん
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一日市場八幡神社から最寄り駅に向かうため下街道を歩いています。
先に掲載した下街道沿いの寺社巡りの御嶽神社から続きとなります。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- JRローカル
-
御嶽神社から下街道を進む。
道は狭くなり下街道は地元の生活道路として生きている。
道の右側に小さな赤い屋根の覆い屋が建つ。 -
赤い屋根の覆い屋の中には社が祀られいた。
後方に石の明神鳥居があり手前には神橋が架けられている。 -
赤となれば身近な印象では津島社か天王社のイメージがあるがここは瑞浪、そのイメージも通用しないだろう。
こちらも下街道マップに紹介されておらず詳細は分からない。
こちらも不明社としておこう。 -
後方の鳥居。
社標はなく鳥居から先の参道は荒れ果て、踏み跡もなく立ち入りがたい雰囲気が漂う。
しかし鳥居には注連縄も架けられ人の温もりは感じられる。 -
鳥居の額には御嶽山とある。
これがこの山の頂に鎮座する御嶽神社に至ると思われます。 -
鳥居から先の参道は御覧の通り。
御嶽山への道は厳しそうだ、これ以上進めば?と遭遇しそうな予感。
この鳥居と手前の不明社が関りがあるのかそれすら分からなかった。
不明社
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / ?岐阜県瑞浪市寺河戸町 -
岐阜県瑞浪市土岐町「耳ノ木神社」
不明社から下街道を西に向け進む。
「耳ノ木神社」社頭全景。
街道筋の民家の間に山の斜面に石段が続きその最上段に覆屋が建つ。 -
常夜灯の寄進は明治の頃、四十とあるがその下がよく分からなかったが1900年代初期に寄進されたもの。
-
境内右の石碑。
耳ノ木神社建立に伴い寄進された方々の名が刻まれている、表には寄進年度は見当たらなかった。
碑の表面は時の経過により苔むし趣のある姿をしている。
後方に「一日市場区 耳ノ木神社」の看板が立てられている。
社標も鳥居もない社頭、神社名を知る術は唯一「土岐地区まちづくり推進協議会」の地道な活動によるこの看板のみ。 -
覆屋に続く石段。
訪れた当日は石段中央に朽ちた木が置かれていた、丸太鳥居の名残かも知れない。 -
石段の右にも寄進者の名が刻まれた碑が立てられている。
-
覆屋右の斜面に石の祠が祀られています。
「山神社」とある。
祭神は大山津見神かと思われますが、いつ頃祀られたものかなどの詳細は不明。 -
岐阜県神社庁の耳ノ木神社の由緒として以下のように記されていた。
「常盤姫の哀話に因むお社
耳ノ木神社という珍しい名前の神社ですが、それには次のような言い伝えがあります。
今から約700年程前、明智の豪族の娘、常盤姫がこの地を領していた土岐頼兼の妻となりました。
或る時、姫の衣擦れの音をおならの音と聞き違えた家臣達から嘲笑を受け、それを苦にして川に身を投げてしまいました。
その時、杉の若木を切って杖にしていたのを川岸に突きさして置いたのですが、それが根づいたのを見て、人々は姫の潔白を知ったのです。
そして自分たちの耳の誤りを深く恥じ、そこに耳木神社を建てたというのです。
祭神は高御産巣日之神(タカミムスビ)という古事記の最初に出てくる神。
天文9年(1540)奉上葺耳木大明神の棟札があることからも古い由緒をもつ神社と云える」
高御産巣日之神は天地創世・天地開闢(かいびゃく)神話のなかで、天地のはじめに高天原に出現した造化三神で、天之御中主神(アメノミナカヌシ)の次に現れた第二の神で五穀豊穣、無病息災・延命長寿にご利益があるとされる神とされる。 -
覆屋の中に祀られる檜皮葺きの流造の社は大きなものではないが、高欄や脇障子がつき、木鼻に獅子と象、向拝に龍の透かし彫り、脇障子に彫など施され手間をかけたもの。
訪れた時は雑草が茂り、奥に踏み込む気になれなかったが、往古の先人達や多くの寄進者の思いから祀られた神社、本殿や覆屋を見る限り今もその思いは受け継がれている。
耳ノ木神社
創建 / 天文9年(1540)の棟札が残る
祭神 / 高御産巣日之神
境内社 / 山神
所在地 / ???? 岐阜県瑞浪市土岐町476-1
訪問日 / 2022/04/30 -
岐阜県瑞浪市寺河戸町「金刀比羅宮」
耳ノ木神社から下街道を西に2~3分程歩いた右側の個人住宅の一画と思われる片隅に鎮座する。
金刀比羅宮と刻まれた常夜灯が立てられ、縦長の敷地に縦に4社の石祠が祀られていました。
それらに合わせる様に奥に長い覆屋が建てられている。 -
詳細を語る看板などは見当たらなかった。
4つの祠が綺麗に一直線に祀られている。
山里で海の神様金刀比羅宮が祀られるのは特に珍しい事ではないかもしれない。
祭神の御神徳が開拓の守護、五穀豊穣、農業、漁業の守護、航海安全、厄除開運、勝利祈願など幅広い。
漁業や航海は場違いな印象を持つけれど、目の前は土岐川が流れているので何ら不自然でもない。
祀られた動機がそれらの一部、或いは全ての守護を祈願して祀ったものか分からないがここに必要だったのだろう。 -
さて、金刀比羅宮の祠はどれ?、一つずつ見て廻る。
先頭は小さな狐が安置されているので稲荷社で良いだろう、二番目の祠は文字も確認できず不明。 -
三番目の石標は二十二或いは二十三と刻まれているように見える月待塔か?
下に大神と読めるので月待講の二十三大神かもしれない。
最後尾の一際大きな石標が金刀比羅宮となります。 -
金刀比羅宮。
いつ頃祀られたものか定かにはならなかった。
当日健之年度まで見ておらず、今になってコントラストを変え何とか明治廿弐まで読めるようになった。
明治12だとすると1789年、随分古いものです。
その年に讃岐國金刀比羅神社より勧請された、ともいえないので江戸時代にまで遡るのだろうか。 -
我が町では家すら継がれることなく一代で廃屋になっていく。
今ではアライグマや韓国イタチが世帯主となっている。
金刀比羅宮が地域で護られてきたものか、個人なのか定かではないけれど、何代に渡って綿々と継がれきた。
今の姿を見るとこれからも先人の思いは継がれていくのだろう。
我家はどうなるのだろう・・・息子達
金刀比羅宮
創建 / 不明
祭神 / 大名持命
境内社 / 稲荷社、二十三大神、不明社
参拝日 / 2022/04/30
所在地 / 岐阜県瑞浪市寺河戸町1262 -
瑞浪市寺河戸町「秋葉神社」
金刀比羅神社から下街道を西に進んだ三叉路の突き当りに鎮座する。
秋葉神社全景。
左の秋葉常夜灯が鎮座地の目印になるのでは。
常夜灯は石垣が三段に積まれ、その上に台石が乗せられ、その上に常夜灯が乗っています。
くびれた竿から宝珠まで高さはそれほどでもないが、下からの全高は見上げる高さ。
境内の大半はこの常夜灯が占めている、右に寄進者の名が刻まれた石標があり、秋葉神社はその奥に祀られています。 -
注連縄が張られた切妻の赤い屋根の小さな社。
賽銭箱はなく扉の前に。
境内は清掃され、社も傷んだところもなく綺麗に保たれ、町内の方々の目が行き届いているようです。
祭神の秋葉三尺大権現は本地観世音菩薩が俗界の世界に現れた姿とされ、修験を積み自在に空を飛ぶ技を会得、秋葉山へは白狐に乗り飛来し鎮座したという。
後に圓通寺で火を操る奥義を会得した事から火伏の神として広く崇敬されている。
人は火を自在に扱う事を覚え、それにより進歩してきた。
反面、当時の建物は茅葺や木造なので容易く火災に繋がり、火は有難いものであり恐怖そのものだったに違いない。
そうした事もあり火伏の神を祀る秋葉さんは人の集まる集落や寺の鎮護社などに祀られ、火伏と五穀豊穣など人々に浸透し崇敬されたのだろう。
秋葉さんは集落の消防施設的な位置付けもあったのかもしれない。
ここ寺河戸町も下街道を挟み多くの民家が連なり、火災に対する意識は強いのだろう。 -
常夜灯。
竿には1903年(明治36)建之と刻まれていた。
冒頭から秋葉と記載していますが、竿には「?葉神社」と彫られています。
秋葉神社の創建は分からない、竿に残る1903年が創建時期か?
それともさらに遡るのか?
何れにしても100年以上も前から地域で受け継がれてきた?葉神社。
火袋に灯される明りは電灯に変わり、夜の下街道でその存在を示すのだろう。 -
秋葉神社の南側は県道352号線の「水の木」交差点に繋がります。
名古屋方面から車の場合「水の木」交差点を左折すれば社頭に出ますが駐車余地はありません。
下街道は車を諦め自分の足で廻るのが一番。
水の木 秋葉神社
創建 / 不明(常夜灯は1903年(明治36)寄進)
祭神 / 秋葉三尺大権現
参拝日 / 2022/04/30
所在地 / 岐阜県瑞浪市寺河戸町1258-1 -
岐阜県瑞浪市明世町戸狩「津島神社」
水の木 (秋)葉神社から下街道(赤線)を西に進むとすぐ先で県道352号線に合流します。
水の木津島神社と塚の地蔵堂はその三叉路に鎮座しています。
水の木津島神社。
下街道と岩屋不動尊に続く三叉路の角に鎮座する小さな石の社。
この向かいに「塚の地蔵堂」があるので見落としやすいかもしれない。
背後にある建物の敷地の一部が神社の社地に与えられているようだ。 -
石の祠には「津島神社 戸狩」と書かれた葦簀がかけられている。
この祠が立つ辺りから西側が戸狩集落で、津島神社祠は集落の東外れに位置し、集落に立ち入る禍いをここで鎮めている。
創建時期は不明。 -
道路を挟んだ津島神社の向かいに塚の地蔵堂がある。
後方は県道352号線が東西に延び、瓦葺の堂は県道からでもそれと分かる。
堂の右に手水鉢も置かれている。 -
堂内。
中央にベストを着せられた一体の地蔵さん。
着ぶくれしているせいか像長と頭部の大きさに対し妙に胴が太く見える。
手前にも黒光りした地蔵さんとその両脇にもこけしのように小さな地蔵さまが安置されている。
日々お参りに訪れる方がいるのだろう、両脇に供えられた生花は新しいもの。
瑞浪市のMAPに目を通しこの地蔵さんの謂れを調べてみた。
「昔から地蔵尊は少年の形となって現れ、人間を救済するとも言われ、特に子どもの安全を守ってくれるものとして地蔵信仰が盛んになった。
ここの地蔵尊もそんな願いによって建立されたと伝えられている」
この地蔵さんの情報はここまでしか書かれていなかった。
塚の地蔵とあり、古墳を連想させるがそれ程盛られているわけでもない。
ここ瑞浪は土岐川沿いに古くから人が居住し多くの古墳が残り、ここ戸狩にも古墳が残っているものの古墳とは関係なさそうだ。 -
いつ頃安置されたものか定かではないが、鼻を除いて表情は読み取れなくなっている。
お地蔵さまには「子安地蔵」、「身代わり地蔵」、集落や村の境界や辻を守る「道祖神」などありますが、像の背後の額に謂れが書かれているのかもしれない。
地元の方に尋ねるしかなさそうです。
酔い覚ましで歩いてきた下街道もここをお参りしてひとまず瑞浪駅に向かう事にします。
まだ〃一帯にある寺社の一部を参拝したにすぎません。
時間はかかるだろうがゆっくり回っていきたい。
水の木 津島神社
創建 / 不明
祭神 / 素盞嗚命
所在地 / ?岐阜県瑞浪市明世町戸狩853-3?
塚の地蔵堂
建立 / 不明
祭神 / 地蔵菩薩
所在地 / 岐阜県瑞浪市寺河戸町1168-1
公共交通機関アクセス / JR中央線「瑞浪」?駅から北西に徒歩10分程 -
今回歩いたコースを地図上に落として見ました。
下街道(緑色)を西に進みJR瑞浪駅方向を目指し歩いてきました。
一日市場八幡神社から此処まで距離にして約1㌔程。
ここからJR中央本線「瑞浪」駅までは歩いても10分はかかりません。
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