2022/04/20 - 2022/04/20
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kimi shinさん
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愛媛・広島を一泊二日の車中泊で訪れた最終日。
阿伏兎観音から県道47号線を鞆の浦方面に向け走らせる、広島県営鞆町鍛冶駐車場までの移動時間は15分程。
瀬戸内海国立公園鞆の浦。
鞆の浦はいろは丸事件でもよく知られ、歴史好き、ドラマ好きには魅力的な町だろう、寺社好きにとってもそれは同じ。
観光案内に紹介される知名度の高い寺社以外にも小さな町内の狭い路地には多くの神社が鎮座する。
各所に案内板やマップが整備されていますが、マップにも記されない小さな神社含め全てを訪れるには一日では到底足りないだろう。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
-
愛媛・広島を一泊二日の車中泊で訪れた最終日。
阿伏兎観音から県道47号線を鞆の浦方面に向け走らせる、広島県営鞆町鍛冶駐車場までの移動時間は15分程。
瀬戸内海国立公園鞆の浦。
鞆の浦はいろは丸事件でもよく知られ、歴史好き、ドラマ好きには魅力的な町だろう、寺社好きにとってもそれは同じ。
観光案内に紹介される知名度の高い寺社以外にも小さな町内の狭い路地には多くの神社が鎮座する。
今回掲載する鞆の浦の神社もその一つ。 -
鞆と云えばやはり鞆の港に立つ常夜灯か、駐車場から海岸沿いを南下し港に向かう。
途中には江戸時代に朝鮮通信使が来日した際に宿舎となった対潮楼やいろは丸事件の際に紀州藩が宿舎として使用した圓福寺などが鎮座している。
写真は圓福寺が鎮座する岬の西側にある大波止から鞆の浦と常夜灯の眺め。 -
写真は大波止から船番所、圓福寺方向の眺め、岬の先端に見える赤い鳥居が穴葉稲荷、陸奥稲荷神社の鎮座地。
圓福寺が鎮座する岬は往古は大可島と呼ばれた小島で、鞆の浦を行き交う舟や鞆の港に出入りする舟の監視が効く立地から村上水軍の砦が築かれ、大可島城も築かれた。
現在は陸続きとなった大可島に嘗ての面影を感じる事は少ないかもしれない。 -
水産加工場の敷地を通り抜けると正面に赤い鳥居が立てられている。
社頭には稲荷神の使い狛狐が一対、鳥居に額はあるが文字は退色し読み取れなかった。
護岸沿いに奥に長い境内で、左側にも鳥居が二つあり、その先に社殿、更に奥に進むと鳥居を構えた境内社が祀られています。 -
この神社の創建等詳細を調べて見たが定かにはならなかった。
狛狐の台座に刻まれた「明治10年(1877)玉光講」が創建に繋がる唯一のものだった。 -
境内に入ると赤い鳥居が二つ並んでいます。
Gマップでは穴葉神社とあったが裏付けが見つからずここでは不明社としておきます。
鳥居の先の二社は屋根の傷みは少ないけれど躯体は朽ち果てお札は納められていない。
既に廃社されたものだろうか。 -
その右にも赤い鳥居がある。
鳥居の柱にはロープが張られ、綺麗に積まれた石垣の上にはあるべきはずの社の姿がない。
石標や玉垣などに神社を特定するものは刻まれておらず、社が祀られていたであろう台座の正面に稲荷玉が見られるので恐らく稲荷社・・・だった? -
陸奥稲荷神社全景。
入母屋妻入り鞘堂に切妻の拝所が付くもので、建替られたのは比較的新しいように見受けられます。
拝所や鞘堂の内部の様子は窺えなかったが拝所の鬼瓦に稲荷玉が施されている事から陸奥稲荷神社で間違いないだろう。
稲荷神は五穀豊穣の神として崇められ農耕のイメージが強いけれど、商工業や航海の安全なども司る事から港を見守るこの場所に祀られたものかもしれない。
地元からは「あなばさん」と呼ばれて大切にされているようで、社殿改修に伴い寄進された方々の家紋が天井に描かれているという。
広島県沼隈郡誌から穴葉神社と陸奥稲荷神社を調べて見たが創建や祭神など記されていなかった。
狛狐の台座か明治初期だった事を思うと遡っても江戸時代までだろうか。 -
陸奥稲荷神社の右の不明社。
三社相殿の社が左右に祀られているが、社名札はなく扉は閉ざされ今もお札が祀られているのか外観からは分からなかった。
中央の銅板葺の小さな社、そこには小さな狛狐が安置されていた。
陸奥稲荷神社含めて祭神は宇迦之御魂大神と思われます。
この一画には何匹の狐が住んでいるのだろうか?
境内はここで終わり、この先は岩礁帯になる。 -
陸奥稲荷神社常夜灯の火袋から淀姫神社方向の眺め。
鞆の港に出入りする舟が良く見える、現在の舟に風待ち潮待ちは無縁だ。
陸奥稲荷神社
創建 / 不明
祭神 / 宇迦之御魂大神
境内社 / 不明社複数
所在地 / 広島県福山市鞆町
参拝日 / 2022/04/20
阿伏兎観音から広島県営鞆町鍛冶駐車場 / ?県道47号線を鞆の浦方面に15分程?
鞆町鍛冶駐車場から陸奥稲荷神社まで徒歩15分程。 -
陸奥稲荷神社を後に潮の香漂う鞆の港沿いを左に見える常夜灯方向に進む。
港の船着き場に鳥居も社標もない小さな神社が鎮座する。
港の通り沿いに唐突に小さな狛犬が神社を守護している。
神域は石垣が積まれ玉垣に囲われているが、通りと社地の区切りがないので、社頭前を通り過ぎる車や観光客など、小さな狛犬に息抜きする暇はないだろう。
出勤や登校時の通りすがりに何気に手を合わせて行ける日常生活に密着した身近な神社の姿。
鳥居はないと書きましたが、過去には鳥居があったようで、阿形の狛犬の前に置かれた笠木はそれを物語ります。
こうなった経緯は分からないが社地と道路の区切りがないだけに鳥居は建てにくいだろう。 -
働き者の小さな狛犬。
尾をピンと上に立て、大きな球に両前脚を乗せた姿。
台座には1877年(明治10)と刻まれていた。 -
本殿は銅葺屋根の入母屋平入で向拝が付く。
社名札はないものの本殿前に嘗ての鳥居に掲げられた扁額が立てかけられていた。
そこには「住吉大明神、蛭子神社」と刻まれていた、二社相殿のようだ。 -
鞆ノ津の力石。
尾道の住吉神社で見かけた力石、ここ鞆の住吉神社本殿域にも安置されていた。
力石は重要民俗文化財に、玉垣の黒いプレートから神社が伝統的建造物(89)に指定されているのが分かる。
こうした黒いプレートは鞆の町を歩いているとそこかしこで見かける事になります。 -
神社の創建由緒等、広島県沼隈郡誌(大正12年発行)の頁をめくって見た。
社名の記述はあったものの欲しい情報は得られなかった、狛犬が寄進された1877年(明治10)が一番古い物か。
福山観光協会の紹介では「現在の社は鞆の名士、林家が建立した」とあった、創建は江戸時代まで遡るようです。
住吉神社、蛭子神社
創建 / 不明
祭神 / 住吉三神、
所在地 / 広島県福山市鞆町鞆865
陸奥稲荷神社から徒歩 / ?港沿いに5分程 -
住吉神社から雁木が続く港沿いに進むと焼き板塀の黒と白壁のコントラストが新鮮な蔵が現れる。
なんでもドラマのロケとして使われた場所らしく、ここだけにとどまらず鞆の町にはこうしたロケ地が各所に点在するようです。
この案内板の先にも一社祀られています。 -
胡神社。
鳥居の痕跡は見当たらず、こちらも住吉神社と同じ佇まい。
町内の氏神さまのようで、西町氏子中と刻まれた玉垣が誇らし気だ。 -
胡神社の本殿は銅板葺の流造。
通りと社地を隔てるものはなく、住民にとっては身近な神社だ。
この神社も伝統的建造物(121)に指定されているようです。 -
玉垣の前の狛犬は、大きさ・容姿ともに住吉神社の狛犬とよく似ています。
同時期に寄進されたものだろうか。
このちびっこい狛犬、神社を守護しながら路上駐車にも気を配らなければならないようだ。
胡神社の創建についても広島県沼隈郡誌に名はあるがそれ以上のものは得られなかった。
胡神社について以下の記述を見付けた。
「江戸時代前期の古史にも記述がある神社で西町の氏神様として崇敬されている。
港を生業とした商人たちの商売繁盛を祈願して祀られたもの」 -
どうもスッキリしない、伝統的建造物としてシリアル番号が打たれているので指定内容等問い合わせしています、そこで教えて頂いた内容は後日加筆しておこう。
胡神社
創建 / 不明
祭神 / ゑびす
所在地 / 広島県福山市鞆町鞆859
住吉神社から徒歩 / ??港沿いに1分程 -
上は鞆の町なかの人一人通るのがやっとの狭い路地で見かけた神社。
鳥居には1862年(文久2)と記されていたが詳細は不明、この神社に至っては所在地すら思い出せない。
昔の風情が残る歴史の町鞆は見所満載、朝陽や夕陽を浴びると全く違った表情を見せてくれるだろう。
各所に案内板やマップが整備されていますが、マップにも記されない小さな神社含め全てを訪れるには一日では到底足りないだろう。
滞在最終日、まだ一之宮を二社参拝する予定だ、そろそろ鞆の町を後にしよう。
訪問日 / 2022/04/20
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