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城探訪東京6  東京都多摩市・府中市(浅野長政屋敷・関戸城・佐伯屋敷・百草城)     全行程 4時間47分  京王線武蔵野台駅~(4分)本願寺・車返八幡神社・車返諏訪神社(33分)~(10分)武蔵野台駅→(22分)京王線聖蹟桜ヶ丘駅~ (6分)九頭竜神社・九頭竜公園・観蔵院・金毘羅神社・天守台(33分)~(14分)関戸古戦場跡碑・延命寺・無名戦士の墓・観音寺・関戸熊野神社・原峰公園(1時間16分)関戸熊野神社バス停→(10分)聖蹟桜ヶ丘駅~(12分)百草八幡神社・百草城(39分)~ (10分)京王線百草園駅<br />「日時」2021年9月14日 <br />「アクセス」京王井の頭線武蔵野台駅<br />

東京城探訪(6)多摩・府中

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2021/09/14 - 2021/09/14

84位(同エリア343件中)

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27

zenkyou01さん

この旅行記のスケジュール

2021/09/14

  • 京王井の頭線武蔵野台駅から本願寺

  • 井の頭線武蔵野台駅から京王線聖蹟桜ヶ丘駅まで

  • 関戸熊野神社バス停より聖蹟桜ヶ丘駅駅まで

  • 京王線で聖蹟桜ヶ丘駅から百草園駅まで

  • 百草八幡神社から京王線百草園駅まで

この旅行記スケジュールを元に

城探訪東京6 東京都多摩市・府中市(浅野長政屋敷・関戸城・佐伯屋敷・百草城)     全行程 4時間47分  京王線武蔵野台駅~(4分)本願寺・車返八幡神社・車返諏訪神社(33分)~(10分)武蔵野台駅→(22分)京王線聖蹟桜ヶ丘駅~ (6分)九頭竜神社・九頭竜公園・観蔵院・金毘羅神社・天守台(33分)~(14分)関戸古戦場跡碑・延命寺・無名戦士の墓・観音寺・関戸熊野神社・原峰公園(1時間16分)関戸熊野神社バス停→(10分)聖蹟桜ヶ丘駅~(12分)百草八幡神社・百草城(39分)~ (10分)京王線百草園駅
「日時」2021年9月14日 
「アクセス」京王井の頭線武蔵野台駅

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 本願寺本堂 浄土宗の一寺、鎌倉時代頼朝の奥羽州征伐の折、かの地よりもたらされた藤原秀郷の守り本尊薬師如来を祀ったことに始まる。1516年、中興再建、中興開山は鎌倉光明寺の教誉良懐上人、本尊は阿弥陀如来像です。山門前に府中名木百選のサイカチの木、ケヤキ、お地蔵様、供養塔があります。山門を潜ると、薬師堂、本堂、鐘楼、六地蔵、石造十三重塔、竹林等があります

    本願寺本堂 浄土宗の一寺、鎌倉時代頼朝の奥羽州征伐の折、かの地よりもたらされた藤原秀郷の守り本尊薬師如来を祀ったことに始まる。1516年、中興再建、中興開山は鎌倉光明寺の教誉良懐上人、本尊は阿弥陀如来像です。山門前に府中名木百選のサイカチの木、ケヤキ、お地蔵様、供養塔があります。山門を潜ると、薬師堂、本堂、鐘楼、六地蔵、石造十三重塔、竹林等があります

  • 車返八幡神社拝殿 創建は十六世紀後半、本願寺の守護神として勧請したのが始まりです。御祭神 ホンダワケノミコト(応神天皇)です。下の鳥居をくぐると拝殿・本殿があります。その他、境内社、供養塔、府中名木百選スダジイ等があります

    車返八幡神社拝殿 創建は十六世紀後半、本願寺の守護神として勧請したのが始まりです。御祭神 ホンダワケノミコト(応神天皇)です。下の鳥居をくぐると拝殿・本殿があります。その他、境内社、供養塔、府中名木百選スダジイ等があります

  • 車返諏訪神社(浅野長政屋敷跡)創建は不詳、御祭神 建御名方神です。調布にある国領神社の境外社になっています。鳥居をくぐると拝殿、府中保存樹木ムクノキ等があります

    車返諏訪神社(浅野長政屋敷跡)創建は不詳、御祭神 建御名方神です。調布にある国領神社の境外社になっています。鳥居をくぐると拝殿、府中保存樹木ムクノキ等があります

  • 浅野長政屋敷堀跡? 車返諏訪神社境内および隣接の白糸台幼稚園一帯が、豊臣秀吉の五奉行の一人浅野長政(忠臣蔵で有名な浅野長矩の先祖)が隠居謹慎していた屋敷跡と伝承されている。境内外にある畑地?に土塁らしきものと、窪みが続いている堀らしきものが見られる?

    浅野長政屋敷堀跡? 車返諏訪神社境内および隣接の白糸台幼稚園一帯が、豊臣秀吉の五奉行の一人浅野長政(忠臣蔵で有名な浅野長矩の先祖)が隠居謹慎していた屋敷跡と伝承されている。境内外にある畑地?に土塁らしきものと、窪みが続いている堀らしきものが見られる?

  • 九頭竜神社拝殿 大洪水の時、上流から関戸大河原に九つの頭を持った龍のようなものが流れつき、それをご神体として祀ったのがはじまりです。御祭神 は九頭竜大神と言われています。関戸熊野神社の所管社です。鳥居をくぐると社務所と社殿のみのこじんまりした神社です

    九頭竜神社拝殿 大洪水の時、上流から関戸大河原に九つの頭を持った龍のようなものが流れつき、それをご神体として祀ったのがはじまりです。御祭神 は九頭竜大神と言われています。関戸熊野神社の所管社です。鳥居をくぐると社務所と社殿のみのこじんまりした神社です

  • 九頭竜公園 聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩5分程の所にある多摩市の公園で、ドラゴン噴水、せせらぎ、遊具、オブジェ、運動広場等がある公園です

    九頭竜公園 聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩5分程の所にある多摩市の公園で、ドラゴン噴水、せせらぎ、遊具、オブジェ、運動広場等がある公園です

  • 観蔵院本堂 曹洞宗の一寺、1255年、鎌倉従関戸号、家親、有山首里太夫により開びょう、1625年中興開山含室傳秋大和尚、ご本尊南無釈迦如来像です。仁王像が建つ山門を潜ると正面に本堂がある。その他、鐘楼、曹洞宗の開祖道元禅師の像、石造十三重塔、不動明王、水子地蔵、石造七福神像等があります

    観蔵院本堂 曹洞宗の一寺、1255年、鎌倉従関戸号、家親、有山首里太夫により開びょう、1625年中興開山含室傳秋大和尚、ご本尊南無釈迦如来像です。仁王像が建つ山門を潜ると正面に本堂がある。その他、鐘楼、曹洞宗の開祖道元禅師の像、石造十三重塔、不動明王、水子地蔵、石造七福神像等があります

  • 道元禅師像 鎌倉時代初期の禅僧で、曹洞宗の開祖です。正法眼蔵を執筆、永平寺を開山する

    道元禅師像 鎌倉時代初期の禅僧で、曹洞宗の開祖です。正法眼蔵を執筆、永平寺を開山する

  • いろは坂桜公園 いろは坂の途中にある公園で、桜の季節にはオオシマ桜が見られます

    いろは坂桜公園 いろは坂の途中にある公園で、桜の季節にはオオシマ桜が見られます

  • 七曲の急ないろは坂を登る

    七曲の急ないろは坂を登る

  • 金毘羅神社拝殿 十九世紀初頭、関戸村の井上林蔵が四国の金毘羅宮からご神体を持ち帰り、社を建てたのがはじまりです。御祭神 は大物主命です。関戸熊野神社の所管社です。いろは坂をもぼり切ったところにあります。鳥居をくぐると正面に社殿のみのこじんまりした神社です

    金毘羅神社拝殿 十九世紀初頭、関戸村の井上林蔵が四国の金毘羅宮からご神体を持ち帰り、社を建てたのがはじまりです。御祭神 は大物主命です。関戸熊野神社の所管社です。いろは坂をもぼり切ったところにあります。鳥居をくぐると正面に社殿のみのこじんまりした神社です

  • 天守台(関戸城跡)築城主は新田義貞、その後の戦国時代に後北条氏家臣佐伯氏の居城であった。築城年は1333年。新田義貞軍と北条康家軍との間でこの辺り一帯関戸古戦場で関戸合戦があり、新田軍が北条軍を敗走させた後、この高台に陣を構えた跡であるとこから天守台と言われるようになったと伝えられる 。遺構はありませんが、高台にあり武蔵野台地を一望できる絶勝の地で陣を構えるには良い場所です

    天守台(関戸城跡)築城主は新田義貞、その後の戦国時代に後北条氏家臣佐伯氏の居城であった。築城年は1333年。新田義貞軍と北条康家軍との間でこの辺り一帯関戸古戦場で関戸合戦があり、新田軍が北条軍を敗走させた後、この高台に陣を構えた跡であるとこから天守台と言われるようになったと伝えられる 。遺構はありませんが、高台にあり武蔵野台地を一望できる絶勝の地で陣を構えるには良い場所です

  • 霞ヶ関公園 石段のある坂の途中にある遊具のみの小さな公園です

    霞ヶ関公園 石段のある坂の途中にある遊具のみの小さな公園です

  • 関戸古戦場跡碑 鎌倉時代末、新田義貞軍は鎌倉に向かう途中ここ関戸の金毘羅神社や天守台跡辺りで戦いとなり、勝利する。その関戸古戦場跡碑が旧鎌倉街道沿いにある地蔵祠(延命寺に行く分かれ道)の脇に建っている

    関戸古戦場跡碑 鎌倉時代末、新田義貞軍は鎌倉に向かう途中ここ関戸の金毘羅神社や天守台跡辺りで戦いとなり、勝利する。その関戸古戦場跡碑が旧鎌倉街道沿いにある地蔵祠(延命寺に行く分かれ道)の脇に建っている

  • 延命寺本堂(佐伯屋敷跡)時宗の一寺、創建は不詳、藤沢にある清浄光寺(遊行寺)の住持ち普国が隠居寺に定めたと言われる。ご本尊は阿弥陀如来立像です。山門を潜ると六地蔵、釈迦如来像、本堂、竹林等があります。延命寺あたりに、後北条氏の家臣佐伯一助道永の佐伯屋敷があったと言われています

    延命寺本堂(佐伯屋敷跡)時宗の一寺、創建は不詳、藤沢にある清浄光寺(遊行寺)の住持ち普国が隠居寺に定めたと言われる。ご本尊は阿弥陀如来立像です。山門を潜ると六地蔵、釈迦如来像、本堂、竹林等があります。延命寺あたりに、後北条氏の家臣佐伯一助道永の佐伯屋敷があったと言われています

  • 延命寺本堂(佐伯屋敷跡)時宗の一寺、創建は不詳、藤沢にある清浄光寺(遊行寺)の住持ち普国が隠居寺に定めたと言われる。ご本尊は阿弥陀如来立像です。山門を潜ると六地蔵、釈迦如来像、本堂、竹林等があります。延命寺あたりに、後北条氏の家臣佐伯一助道永の佐伯屋敷があったと言われています

    延命寺本堂(佐伯屋敷跡)時宗の一寺、創建は不詳、藤沢にある清浄光寺(遊行寺)の住持ち普国が隠居寺に定めたと言われる。ご本尊は阿弥陀如来立像です。山門を潜ると六地蔵、釈迦如来像、本堂、竹林等があります。延命寺あたりに、後北条氏の家臣佐伯一助道永の佐伯屋敷があったと言われています

  • 横溝八郎の墓 新田義貞軍と北条康家軍との間で戦われた関戸合戦で、北条康家が敗走する際、家臣横溝八郎は奮闘し康家が無事鎌倉に逃れることが出来た。しかし八郎は討ち死にする。塚が延命寺傍にあり碑が建っています。個人の家の中にあり、望遠を使って撮影しました

    横溝八郎の墓 新田義貞軍と北条康家軍との間で戦われた関戸合戦で、北条康家が敗走する際、家臣横溝八郎は奮闘し康家が無事鎌倉に逃れることが出来た。しかし八郎は討ち死にする。塚が延命寺傍にあり碑が建っています。個人の家の中にあり、望遠を使って撮影しました

  • 無名戦士のお墓 旧鎌倉街道にある観音寺より少し北の石段の上にあります。関戸合戦の戦死者の墓と言われています

    無名戦士のお墓 旧鎌倉街道にある観音寺より少し北の石段の上にあります。関戸合戦の戦死者の墓と言われています

  • 観音寺(関戸観音)本堂 真言宗豊山派の一寺、創建は鎌倉時代初期です。通称関戸観音と呼ばれる。石段を登ると本堂、その他南無大師遍照金剛像(弘法大師像)、地蔵菩薩、観音寺石仏六観音、相沢五流・伴主親子の墓があります

    観音寺(関戸観音)本堂 真言宗豊山派の一寺、創建は鎌倉時代初期です。通称関戸観音と呼ばれる。石段を登ると本堂、その他南無大師遍照金剛像(弘法大師像)、地蔵菩薩、観音寺石仏六観音、相沢五流・伴主親子の墓があります

  • 相沢五流・伴主親子の墓 相沢家は関戸の旧家で、親子は文化人として知られた。五流は狩野派の絵師、伴住は生花の「允中流」の創始者として活躍した

    相沢五流・伴主親子の墓 相沢家は関戸の旧家で、親子は文化人として知られた。五流は狩野派の絵師、伴住は生花の「允中流」の創始者として活躍した

  • 霞の関南木戸柵跡碑 参道に都史跡の霞の関南木戸柵跡碑が建っています。木戸柵は鎌倉時代に鎌倉街道に設けられた監視所跡で、熊野神社参道に平行してあった

    霞の関南木戸柵跡碑 参道に都史跡の霞の関南木戸柵跡碑が建っています。木戸柵は鎌倉時代に鎌倉街道に設けられた監視所跡で、熊野神社参道に平行してあった

  • 関戸熊野神社拝殿 1489年、相沢五流が願主となり、紀州熊野を勧請したのが始まりとされます。参道に都史跡の霞の関南木戸柵跡碑、地蔵尊、庚申塔が見られます。参道の先に拝殿、その奥に壊れそうな覆い殿の中に本殿があります。その他境内社があります。境内社に稲荷社、伊勢山社、神明社、境外社に秋葉社、稲荷社、三王社、金山社、所管社に金毘羅神社と九頭竜神社があります

    関戸熊野神社拝殿 1489年、相沢五流が願主となり、紀州熊野を勧請したのが始まりとされます。参道に都史跡の霞の関南木戸柵跡碑、地蔵尊、庚申塔が見られます。参道の先に拝殿、その奥に壊れそうな覆い殿の中に本殿があります。その他境内社があります。境内社に稲荷社、伊勢山社、神明社、境外社に秋葉社、稲荷社、三王社、金山社、所管社に金毘羅神社と九頭竜神社があります

  • 原峯公園東屋 遊具のある児童公園から拡張され、橋、森、東屋、梅園等のある自然豊かな公園になっています。伝武者屋敷や土塁らしきもの、堀らしきものがあり、関戸城や佐伯屋敷より、原峰公園の方がはるかに城跡らしきに見えます

    原峯公園東屋 遊具のある児童公園から拡張され、橋、森、東屋、梅園等のある自然豊かな公園になっています。伝武者屋敷や土塁らしきもの、堀らしきものがあり、関戸城や佐伯屋敷より、原峰公園の方がはるかに城跡らしきに見えます

  • 松蓮禅寺の碑 1830年松蓮寺第八代 住職魯庵によって建立される。十一世紀中ごろ、源頼義・義家親子が建立、十四世紀分倍河原の戦いで焼失、十七世紀小田原城主大久保家の後援で寺を再建、1873年に廃寺になる。再建時にできた松蓮寺の庭園が整備され百草園になっています

    松蓮禅寺の碑 1830年松蓮寺第八代 住職魯庵によって建立される。十一世紀中ごろ、源頼義・義家親子が建立、十四世紀分倍河原の戦いで焼失、十七世紀小田原城主大久保家の後援で寺を再建、1873年に廃寺になる。再建時にできた松蓮寺の庭園が整備され百草園になっています

  • 百草八幡神社拝殿 創建は不詳、御祭神 は誉田別命、気長足姫命、武内宿禰、源義家です。廃寺となった松蓮寺はこの神社の別当寺でした。石段を登り鳥居を潜るとシイノキ群、庚申塔、地蔵尊、境内社、本殿等があります。神社、神社背後の山、百草園一帯が百草城跡です

    百草八幡神社拝殿 創建は不詳、御祭神 は誉田別命、気長足姫命、武内宿禰、源義家です。廃寺となった松蓮寺はこの神社の別当寺でした。石段を登り鳥居を潜るとシイノキ群、庚申塔、地蔵尊、境内社、本殿等があります。神社、神社背後の山、百草園一帯が百草城跡です

  • 百草城虎口 鎌倉時代から戦国時代にかけての城と言われています。百草神社、神社背後の山、百草園一帯が百草城跡です。神社拝殿の左側から回り込むように登ると、正面下に郭(腰郭)が北に連なっている、右手には虎口が見られる。右手をさらに進むと神社の裏手に出て、堀切が見られる。高台の郭跡に松蓮寺詩碑が建っている。その先を左に下っていくとフェンスに行きあたる。フェンスの向こう側は百草園です。フェンスの向こう側に木段があり虎口のようでその先に郭があるようです。虎口というのは、郭(堀や土塁で囲った城内の区画)の出入口です

    百草城虎口 鎌倉時代から戦国時代にかけての城と言われています。百草神社、神社背後の山、百草園一帯が百草城跡です。神社拝殿の左側から回り込むように登ると、正面下に郭(腰郭)が北に連なっている、右手には虎口が見られる。右手をさらに進むと神社の裏手に出て、堀切が見られる。高台の郭跡に松蓮寺詩碑が建っている。その先を左に下っていくとフェンスに行きあたる。フェンスの向こう側は百草園です。フェンスの向こう側に木段があり虎口のようでその先に郭があるようです。虎口というのは、郭(堀や土塁で囲った城内の区画)の出入口です

  • 百草城堀切 堀切というのは尾根をスパットと断ち切る堀で、尾根伝いに攻めてくる敵を足止めする

    百草城堀切 堀切というのは尾根をスパットと断ち切る堀で、尾根伝いに攻めてくる敵を足止めする

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