2022/08/25 - 2022/08/25
38位(同エリア1291件中)
のーとくんさん
- のーとくんさんTOP
- 旅行記971冊
- クチコミ305件
- Q&A回答0件
- 1,949,358アクセス
- フォロワー189人
きっかけは、読売テレビの夕方ワイドニュース番組「かんさい情報ネットten.」の若一調査隊コーナーです。
淡路島で、2015年4月に発見された銅鐸が基になって、その使い方をはっきりさせたという、歴史的にもすごいことが起こりました。
そんなこともあったなぁ、と見ていると、その松帆銅鐸7点が9月11日まで展示されているとのこと。
場所は、南あわじ市の滝川記念美術館玉青館。
また神話では、淡路島は伊弉諾命(いざなぎのみこと)と伊弉冉命(いざなみのみこと)が、おのころ島で、国造りをして初めて出来た島です。
そこで、伊弉諾神宮→おのころ島神社→玉青館この順番で廻ることにしました。
【写真は、伊弉諾神宮の拝殿です】
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
伊弉諾神宮の大鳥居です。
明石海峡大橋を渡って、神戸淡路鳴門自動車道の津名一宮ICをおりてやってきました。
御祭神は、もちろん伊弉諾命と伊弉冉命です。 -
かなりりっぱな狛犬です。
-
参道を歩く。
少し時間が早いのか、参拝する人も見かけません。 -
百日紅が咲く。
-
放生の神池にはカメの噴水が。
-
放生の神池の太鼓橋を渡ると、正門が有ります。
この地は、伊弉諾命が天照皇大御神に権限を譲ったあと、幽宮(かくりのみや)を造り余生を過ごされたところです。 -
正門の扁額には一宮の文字が。
この地で終焉を迎えられた伊弉諾命の宮居の跡地に神陵が築かれました。 -
正門を進んで、拝殿で参拝します。
伊弉諾命が、ゆっくりと歩いたりしていたのですね。
神話と歴史とが交わる地です。 -
その後、境内を散策します。
樹齢約900年の、夫婦の大楠です。
元は二株の木が、大きくなるにつれて合体したものです。
伊弉諾命、伊弉冉命の御神霊の宿るといわれるご神木です。 -
一回、正門を出て、参道横にある日時計のようなもののところに。
「陽の道しるべ」というのだそうで、伊弉諾神宮を中心として円形のモニュメントです。 -
伊弉諾神宮の真東に伊勢神宮があり、夏至の日の出の方角に諏訪大社、日没の方角に出雲大社がある、等などです。
-
参拝する人がチラホラ。
正門から入ってブラブラしていると、まずこの建物を拝んでから拝殿で拝む方がいました。
何故だろうとそばに行ってみると、祓殿。
あぁ、祓殿から拝むのが順序でした。 -
本殿・幣殿です。
祓殿へ拝んでから、この辺りを通って拝殿の方へ。 -
手順に従って再び参拝します。
お宮の方々も、神社のスタート準備で慌ただしくなってきています。 -
拝殿では、朝の祝詞が始まりました。
低頭して聞いていると、神聖な清々しい気持ちになります。
授与所に(巨石ロマン)岩上神社のリーフレットが置いてあります。
車で約8分ということで、お参りすることに。 -
岩上神社の石段の下につきました。
最後の方は、「ポツンと一軒家」ほどではありませんが、運転するものとしては、それを彷彿させるような山道でした。 -
石段の上には、岩上神社が。
-
左の方に大岩に上っていく階段が有ります。
階段は、蚊が多い。
この大岩は、神籬石(ひもろぎいし)と呼ばれ、奈良時代以前より崇拝されていました。 -
下には岩神神社。
整備されています。
おのころ島神社に行くため、津名一宮ICに向かいます。
先程の山道を走らせ始めたところに、なんとポルシェ(だった?と思います
)が停まっています。
そういえば、伊弉諾神宮の駐車場にこの車が停まっていたような。
同じ流れでお参りに来たのでしょうね。
軽トラが一番似合う山道に・・・・・、すごい取り合わせです。 -
おのころ島神社に着きました。
大鳥居です。
おのころ島は、伊弉諾命と伊弉冉命が天浮橋(あまのうきばし)に立ち、天沼矛(あめのぬほこ)で大海原をかき回し、矛の先からポタッと落ちた雫によって出来ました。 -
石段を上ります。
-
正殿です。
御祭神は、伊弉諾命と伊弉冉命で、菊理媛命(キクリヒメノミコト)が、合祀されています。 -
鶺鴒石(せきれいいし)です。
この石の上に鶺鴒がとまり、契をかわすのを見た、伊弉諾命と伊弉冉命は、国造りを始めました。 -
正殿の東側にある、夫婦松のご神木。
-
正殿の西側奥にある、八百萬神社です。
-
絵馬は、伊弉諾命と伊弉冉命が、おのころ島を造っているところ。
-
もう一つの絵馬は、かわいい伊弉諾命と伊弉冉命。
神社では、おのころ島神社を自凝島神社と書いています。 -
大鳥居の近くの松は、三鈷(さんこ)の松。
招福の松葉です。
次に行くのは、銅鐸が展示されている滝川記念美術館玉青堂へ。 -
お寺のような形の、玉青堂です。
近くの国清禅寺の土地に造られた建物です。
日本現代南画の第一人者である直原玉青画伯は、国清禅寺を再興しました。
絵を通じて知り合った滝川氏が、直原玉青画伯の美術館を建てました。 -
今回その美術館で、銅鐸が展示されています。
-
まずに二階に行くと、玉青画伯の南画が展示されています。
このときは、禅でおなじみの十牛図(ここでは十二牛図)、すごい迫力です。
一階に下りて、銅鐸の展示に。
世紀の大発見の銅鐸7点です。
思ったより小型。
松帆銅鐸と呼ばれています。 -
5号は破損しています。
6号7号は入れ子の状態で発見されました。
舌と呼ばれる振り子にひもが残っています。 -
1号と2号、3号と4号がそれぞれ入れ子状態で発見されました。
ここには、親につれられた子供が多くいました。
夏休みの自由研究、そんな感じです。 -
別の部屋に、レプリカが有ります。
松帆銅鐸、青銅製の銅鐸(ベル)に鳴らす舌(振り子)、吊り下げる紐(ひも)の組み合わせとして発見されました。
そこから、このように吊り下げられた状態で使われていたことがわかりました。
両脇の鰭(ひれ)と呼ばれるところを両手で持って前後のゆらして音を出します。
結構大きな音がします。 -
受付に若一調査隊に取り上げられたことが書かれています。
受付にあった秋季特別展「銅鐸への序曲」(9月14日~12月4日)のリーフレットをみると、この特別展でも引き続き松帆銅鐸が展示されるようです。
良いですね。
この受付で、国清禅寺に連絡をとってくれて、お寺の襖絵(南画)を鑑賞することができるようになりました。 -
歩いて国清禅寺に。
黄檗宗のお寺で、山門も黄檗宗らしい。 -
山門に立派な龍。
前住職に対応していただきました。
その前の住職(前々住職)が、このお寺を復興させた、直原玉青画伯になるのだそうです。 -
いま本堂として使われている建物には、大きな三つの部屋があります。
それぞれの部屋の周囲の襖に立派な、南画が描かれています。 -
三つの部屋にそれぞれ天井絵があります。
素晴らしい南画、そしていろいろおもしろおかしく説明して頂き、良い時間を過ごすことが出来ました。 -
だいぶお腹がすいてきましたが、海を見に慶野松原に寄ってみました。
この辺りで食べれるところを探したのですが、なかなかありません。 -
海水浴をする人は、もう少ない。
こちらは西の方角、夕日がとても綺麗のようです。 -
結局、お昼は淡路SAで、ということになりました。
明石海峡大橋を眺めることが出来ます。 -
鳴門わかめうどんミニしらす丼セットです。
(おしまい)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
淡路島(兵庫) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
43