2012/03/23 - 2012/03/23
4位(同エリア9件中)
偏西風さん
エルベ河畔の町ラウエンブルクで、対岸に声をかけているような水夫風の像を見かけました。その時は写真に撮っただけでしたが、最近、これは「呼ぶ人」と言われる像で、何よりしまったと思ったのは、彼の右手の親指に触れば幸運に恵まれると言われていて、現に親指はピカピカに光っているのだとか。あらためて写真を見ると右手が写ってもいない。
メルンの「ティル・オイレンシュピーゲル」の像も、やはり右手の親指に触れば幸運に恵まれるということでピカピカに光っているとか。写真を見るとたしかに光っている。これだけはっきり写っていても、親指が光っていることには気がつかなかった。写真に撮ることばかり考えていたのがやはりいけなかった。まずよく見なければ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「呼ぶ人」に出会う前に見かけたのがこのオブジェ。うまいことバランスを保っているのが見事ですが、これが何なのかまだ分からない。
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「呼ぶ人」が立っていた。何か対岸に向かって声をかけているようにみえます。
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「おーい、中村君!」と言っているのかな。
それは古すぎるって。 -
では「おーい、船方さん!かな。
それも古いって。 -
右手の親指がぜんぜん写っていなかった。
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向こうに「呼ぶ人」がみえます。
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ティル・オイレンシュピーゲルの像の所はみんなが集えるようになっていて、この時は若い人たちがいました。
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これでははっきりしないかもしれない。
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たしかに光っている。でもそのことに気がつかなかった。
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いい表情をしてますね。
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壁面の左手に顔の像が見えて、誰かと思ったら、イギリスの作家バーナード・ショーだった。
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ショーはメルンの名誉市民。どんな関係があるのかは分かりません。
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メルンの聖ニコライ教会の内部。
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教会の外壁にプレートが。
事情はよく判らないですが、1936年にリューベックの高位の聖職者が堅信礼を施すのを拒否したため、リューベックの若者たちがメルンまでやってきて、この聖ニコライ教会で堅信礼を受けることができたのだとか。 -
やはりこの教会の外壁に、この町で死んだと伝えられる伝説上の人物ティル・オイレンシュピーゲルのための記念碑があった。
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この旅行記へのコメント (5)
-
- jijidarumaさん 2024/12/22 02:55:47
- ラウエンブルクとメルン
- 偏西風さん、
今晩は。
セピア色の思い出<シュークリーム>にお立ち寄り頂き有り難うございました。
最近、81歳のジジが書くものはいずれも古い思い出の記が多くなりました。
ご興味を持って頂いただけでも、感謝ですね。
さて、何度かお立ち寄り頂いている様子ですが、多分始めましてのコメントでしょう。
ラウエンブルクとメルンをお訪ねになられた旅行記を拝読しました。
日本人観光客がこの地を訪れるのは珍しいことでしょうね。
いたずら者ティル・オイレンシュピーゲルの本をかつて読んだことがあり、駐在中や退職後の旅でこの湖水地帯を旅したことがあります。今はメルンの観光資源の銅像としてきれいに保存されていますね。またラウエンブルクにも立ち寄っていますが、「呼ぶ人」の像は見ておりませんので、ツイ気になって、以下のような文章を見つけました。ご参考に貼りつけます。
それではまた。
jijidaruma
・・・・・
エルプ通りと平行して、川沿いには遊歩道が伸びています。ここには115年の歴史を誇る蒸気船「カイザ-ヴィルヘルム号」が停泊していました。このレトロな汽船は夏の間だけ、観光客を乗せて動くのだそうです。その船着き場のあるルーファー広場で、不思議な銅像が立っているのを見つけました。「ルーファー」(Rufer 、呼ぶ人)というこの銅像は、約185センチの若い船員労働者の男性で、エルベ川に向かって何か叫んでいます。
船と船に関わる人々によって栄えてきた街のシンボルとして建てられた像ですが、1959年の除幕式の際、当時の市長は東西に分断されたドイツに対する思いをこの像に託し、この像を「自由を叫ぶ人」と呼んだそうです。というのも実は、ラウエンブルクは、ドイツが東西に分断された時の国境の街でした。「呼ぶ人」の銅像が立って約30年後に、ドイツは再統一されました。「呼ぶ人」は現在は、船に向かって呼びかける愉快な船員として愛され、訪れる人々を和ませています。
岡本 黄子(おかもと きこ)
ハンブルグ郊外のヴェーデル市在住。ドイツ在住38年。現地幼稚園で保育士として働いている。好きなことは、カリグラフィー、お散歩、ケーキ作り、映画鑑賞。定年に向けて、第二の人生を模索中。
・・・・・
- 偏西風さん からの返信 2024/12/29 00:30:12
- Re: ラウエンブルクとメルン
- jijidarumaさん、今晩は。お便りありがとうございます。
とても遅くなり申し訳ありません。最近パスワードを変えざるを得なくなり、変えたところ、それ以後「返信」を送れなくなりました。ハートマークは押して有効なのですが、、、
岡本さんの文章のご紹介、ありがとうございます。この点だけでもjijidarumaさんの軽快さというのか、高い機動力がうかがえます。私はといえば、ショーがメルンとどんな関係があるのか知りたいと思いながら、今日までほったらかしにしていました。お恥ずかしい限りです。
私は皆様のお名前の由来をアレコレ想像するのが好きでして、darumaはともかくとしてjijiは「時事」かなと思っていました。ところがジジなのですね。
お書きの文章やお写真から先輩だとばかり思っていました。でも私が1学年上でした。こんなこともあるのですね。
多くの町や地域にいらっしゃった時のお写真や文章はよい記録、記念になっています。
これも無事送信できるか分かりませんが、遅くなりましたこと、どうぞご容赦ください。
- jijidarumaさん からの返信 2024/12/30 02:54:02
- バーナード・ショーとメルンのブロンズレリーフのこと
- 偏西風さん、
今晩は。寒くなりました。
年末はいつもながら、老体?!を駆使して、門扉、玄関周り、玄関ドア―などの掃除、汚れ拭きをやります。それが漸く完了。29日は「苦を去る」とか言って、家内の指示で28と29日は完全な労働日で、筋肉や足腰が痛む日です(笑)。
さて、先日の返信書き込みはしかっり届き、拝読しました。偏西風さんが1学年上でしたとは・・・こちらも驚きました。
「ショーがメルンとどんな関係があるのか知りたい」・・・私共が訪れた時もショーの銅版があったのか、記憶が定かでありません。撮った写真がないのですよ。やはり気になったので調べてみると、1952年に作成されたとありますから、彼の事は無視してオイレンシュピーゲルの銅像ばかりを撮っていたようです。
作者はKarlheinz Goedtkeカールハインツ・ゲトケ(1915年~1995年)は、カトヴィツェ(ドイツ・シュレージエン:現ポーランド)に生まれ、メルンで死去した。ドイツの彫刻家、彫像家だそうです。メルン地域の作品で代表的なものは、以下のようなものです。
Eulenspiegelbrunnen in Mölln , 1951、 G. Bernard Shaw in Mölln ,1952
Der Rufer in Lauenburg , 1956、 Wassertor in Mölln , 1962
この事で、前回話題にしたDer RuferもEulenspiegelbrunnen、G. Bernard Shaw(1856~1950年)も皆同じ彫像家の作品だったとは初めて知った次第です。
カールハインツ・ゲトケが、バーナード・ショーのBronzereliefブロンズレリーフを作った理由と、それが現在Nicolaikircheニコライ教会への階段のFeldstein-Mauerフィールドストーンの壁を飾っている理由は、可笑しなことにこんなものだったようです。
ティル・オイレンシュピーゲルはブラウンシュバイクに近いクナイトリンゲン村の生まれで、1350年にメルンでペストのために病死したそうです。
没後600年となる1950年のオイレンシュピーゲルの年に(多分式典が催されたのでしょう)、メルンの町はアイルランドのユーモラスな作家に手紙を書き、「Ehreneulenspiegels名誉オイレンシュピーゲル」の称号を授与するためにショーをメルンに招待しました。
(両者の作風がユーモラスといった似た点があったのか、門外漢の私にはわかりません)
オイレンシュピーゲルが何者かを知らなかった!ショーは、自らの老齢を理由(ショーはこの年に94歳で亡くなっている)にメルンまでの旅は難しいと出席は断念したいと述べ、メルンの名誉市民になったことを心から感謝した。 ショーからの返事を受け、町の首脳たちはショーを「町の唯一の名誉市民」にするしかありませんでした!
以上の様で、特段の思いがあって、ショーのブロンズレリーフが出来たわけではなさそうです。また、少々長くなりました。スミマセン。
それではまた。
jijidaruma
- 偏西風さん からの返信 2024/12/31 14:41:16
- Re: ラウエンブルクとメルン
- ijidarumaさん、こんにちは。
やっと送信できてホッとしていました。それにしてもフットワークが軽快ですね。振り返ってわが身がいかにも鈍重に思えてきます。
私が何もしないうちにしっかり調べていただき、申し訳ありません。
ティル・オイレンシュピーゲルとショーを関連付けて考えたメルンの関係者もたいしたものですね。ショーはこの時94歳だったのですか。元気であれば、またはもう少し若ければメルンを訪問していたのでしょうね。そうすれば何か話題になっていたことでしょう。少々残念です。
私はティル・オイレンシュピーゲルの話より「ほら吹き男爵」が記憶に残っています。雪の日、出ている杭に馬をつないでいたら、翌朝雪がとけて、馬は高い教会の塔にぶら下がっていたとか、、、
カールハインツ・ゲトケという彫刻家がいたのですか。ショーのレリーフや
「オイレンシュピーゲルの泉」を制作していたのですね。「呼ぶ人」まで彼の作品だったのですね。Wassertorはどんなもので、どこにあったのだろう。きっと何とも思わず素通りしていたのでしょう。
ばらばらの事実が、jijidarumaさんのおかげでそれらをつなぐものがあるんだということに気づかせていただきました。あらためて御礼申し上げます。
大晦日ですね。どうぞ良い年をお迎えください。
偏西風
- jijidarumaさん からの返信 2024/12/31 19:46:21
- Re: ラウエンブルクとメルン
- 偏西風さん、
今晩は。ご返信ありがとうございました。
<ティル・オイレンシュピーゲルとショーを関連付けて考えたメルンの関係者もたいしたものですね。>
なるほど、この視点から見られたのですか!さすがです。
今日はPCが不調で、返事が遅くなりました。
伝説とか、ほら話は大好きで、ほら吹き男爵については一度投稿もしました。
それはともかく、本日は大晦日、今風呂から出て、年越しそばを食べて、1杯やりつつ、TV東京のジルベスタ―の音楽番組を見る予定です。
ひょんなことから、交信させて頂き、深謝です。
御健康で、良いお年をお迎えください。
jijidaruma
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