2022/06/27 - 2022/06/28
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eimeiさん
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仕事も一段落し、梅雨も明け、天気も良さそうなので、6月27日・28日に信州方面への軽トラの旅を計画した。長野県を通ることは何回もあるが、まだ寄ったことがない善光寺(御開帳期間)・松本城へ行くついでに、「満蒙開拓平和記念館」と「戦没画学生慰霊美術館 無言館」にも寄りたい。
高速道路は使わず、宿泊は快活クラブで、全予算は15,000円以内に抑えたい。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
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自宅 ⇒ 満蒙開拓平和記念館 ⇒ 無言館 ⇒ 善光寺 ⇒ 快活クラブ(宿泊) ⇒ 松本城 ⇒ 奈良井の宿 ⇒ 自宅 の1泊2日の軽トラの旅。
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6月27日(月)早朝5時に自宅を軽トラで出発した。
国道153号線をどんどん走り、最初の休憩は稲武の道の駅。稲武は愛知県豊田市だが、長野県に近い小さな町。「田舎暮らし」の看板があったが、私には絶対無理。 -
国道153号線をさらに走り、長野県に入ったところ。山ばっかり。
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飯田が近づき、スマホのナビを頼りに開館9:30頃に「満蒙開拓平和記念館」に到着。600円を払い入館。
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「満蒙開拓」とは
満州に駐留していた日本の陸軍部隊、関東軍による満州事変を経て1932年に日本の傀儡(かいらい)国家「満州国」が建国されました。
当時の日本国内は世界恐慌のあおりを受け深刻な経済不況に陥り、特に農村経済を支えていた養蚕業は大打撃を受け、農家は借金を背負い、村や町といった自治体も負債を抱えていました。
1936年に「満州農業移民100万戸500万人移住計画」が国策となります。
疲弊した農村の経済の立て直しや食糧増産などを目的に推し進められましたが、背景には「満州国」の支配、防衛といった軍事的な目的もありました。【満蒙開拓平和記念館のWebページより】 -
満州へ渡った開拓団の悲しい末路
1945年8月9日、ソ連侵攻で満州は戦場と化し、開拓団の人たちは広野を逃げ惑います。
戦力で圧倒的に勝っていたソ連軍に加え、日本の敗戦を知った現地の人たちも各地で暴動をおこし日本人を襲撃しました。
逃避行を余儀なくされた人々は、満州の広野でコーリャン畑に身を潜めながら歩きました。
力尽きた母親が我が子を山に置いてきたり、川に流してきたり、手りゅう弾で殺してもらったという話もあります。また追い込まれた人々の壮絶な集団自決も多発しました。
敗戦国となった祖国日本からは何の援助もなく帰る手段もありません。
難民となった開拓団の人々は収容所生活の中、寒さと栄養失調、疫病で大勢亡くなりました。
子どもを中国の人に預けたり、売買もされたといいます。「中国残留孤児」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
満州国へ渡った農業移民、満蒙開拓団は全国から約27万人。そのうち約8万人が犠牲になりました。
中には青少年義勇軍として組織された少年たちもいました。【満蒙開拓平和記念館のWebページより】 -
満州農業移民が全国で一番多かったのが長野県で、更に長野県内でも飯田近辺が多かったので、飯田郊外に満蒙開拓平和記念館が2013年に開設されました。
「満蒙開拓」は国策として大々的に宣伝され推進されましたが、戦後はあまり語られてきませんでした。
それは、あまりに壮絶な体験なのでご本人たちが語ろうとしなかった、地域の中には満州行きを勧めた立場の人もいて責任を問われていた、開拓団が手に入れた土地の中にはもともと現地住民の農地だったものもあった、など様々な背景がありました。【満蒙開拓平和記念館のWebページより】 -
満蒙開拓民の苦難は、宮尾登美子の小説「朱夏(しゅか)」に、自分の体験をもとに詳しく書かれています。集英社文庫からも、上下二巻で発売されています。
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船戸与一の「満州国演義 1 風の払暁 ~ 9 残夢の骸」(全9巻)もお勧めです。満州を通して、「あの戦争は何だったのか」を問う昭和3年~昭和21年の小説なので長~い。
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満蒙開拓平和記念館を1時間ほど見学した後、上田郊外にある「無言館」へ向かった。3時間ほど地道を運転し、スマホのナビだと「無言館」は近いはずだが、こんな場所にあるの?
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スマホのナビを頼りに、細い坂道を軽トラで登っていくと、駐車場があり、遠くに無言館の建物が見えました。
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建物の入り口に「料金は後払い」と書いてあったので、さっそく入場。
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1997年に開館し、第二次世界大戦中に、志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品などを収蔵、展示してある。
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故水上勉氏の息子である窪島誠一郎氏が、私財を投じて運営している。自らも全国を回って、戦没画学生の遺族を訪問して遺作を収集している。
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30分ほど絵画等を見て、出口で入館料1,000円を払った。その際、無言館チケットと共に写真のような紙を渡された。
21世紀になった今でも、ウクライナの若者だけでなく、ロシアの若者も「無言館」の若者と同じ運命をたどっていると思うとやるせない。
ウクライナ人もロシア人も、第二次世界大戦で一番多い死傷者を出した旧ソ連の子孫だが……。
また、ウクライナやシリアだけではないが、何百年もかけ、多くの人々の努力・労働でできた美しい街を瓦礫の山にして何の意味があるのだろうか? -
無言館を出発するとき、すでに午後3時半だったが、長野駅近くにある善光寺に向かった。善光寺近くの城山公園の無料駐車場に着いたのが、午後5時過ぎ。歩いて善光寺へ向かった。参道を歩き、仁王門に来たが、午後5時半なのにすごい人。
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仁王門をくぐり、左側に御朱印する場所があるが、ここにも多くの人が並んでいる。
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正面には、天台宗の本坊の善光寺。
江戸時代から「一生に一度は善光寺参り」という言葉があり、一度でもいいから善光寺をお参りすると「極楽往生」できると言われている。
私は、今までの悪行からして、お参りしても「地獄往生」しかない上、更に往生際が悪いときている。
中央の柱が「回向柱」。 -
午前中に、善光寺を訪れていれば、パンフレットのように、御開帳の行事が行われていたはず?
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「回向柱」を片手で触ると御利益があるらしいので、私もやってみた。
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善光寺の本堂でお参りをし、駐車場へ向かう途中にあった牛くん。撫でると御利益があるらしいので、私もナデナデ。
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その後、国道19号線を松本の快活クラブへ向けて走ったが、到着したのが、午後8時過ぎ。(翌日の写真)
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鍵付き個室をとり、途中のスーパーで買ってきた半額寿司の夕食。その後、シャワーを浴び、個室でバタンキュー。
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6月28日(火)、朝7時に起き、まず無料の朝食をとり、8時前に会計を済ませた。(快活クラブは宿泊施設ではないので、チェックアウトと言わない)
株主優待+シニア割引で30%OFF、更にポイントで100円引き。ソフトドリンク飲み放題、アイスクリーム食べ放題、漫画・雑誌読み放題の12時間パックでこの値段。 -
快活クラブから、松本城近くのイオンモールへ向かった。平日は駐車料金無料なので、駐車場に軽トラを置いて、歩いて松本城へ向かった。
途中の綺麗に保存されている中町の街並み。それにしても朝から暑い。 -
さらに先にあった、カエルのモニュメント。
お祭りに使うのかな? -
暑い中を20分ほど歩いて、松本城に到着。
暑いので、人影もまばら。 -
正面からの松本城。後ろの山々が借景となり、美しい。
外からの美しさに堪能したので、城内へ入場しなかった。
歩いて、イオンモールへ帰り、昼食とお土産を買い、国道19号線で帰路に就いた。 -
中山道の宿場町、「奈良井の宿」で休憩。
駐車場近くの「木曽の大橋」。 -
木曽大橋とJR中央線を渡り、奈良井の宿場町へ行ってみた。
平日の上、暑さのため人もまばら。 -
宿場町の反対側もご覧の有様。
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国道19号線沿いの道の駅から見た御岳山(2014年の噴火で60名ほどが亡くなっている)。午後4時ごろ無事帰宅。
ガソリン代、宿泊費、食事代、入場料、お土産代で13,000円ほどかかり、予算内に納めることができた。全走行距離は450Kmほどであった。
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