2022/05/17 - 2022/05/17
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chiaki-kさん
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国道229号線(以後R229と称す)は、江差町から乙部町、せたな町、島牧村、寿都町、岩内町、泊村、積丹町、余市町などを通過し、小樽市に至る総延長307kmの一般国道。(一部 R227、R5 などと重複)渡島半島の日本海側を通るルートだが、ここは明治・大正時代から、海岸食で削られた断崖絶壁との戦いに明け暮れた歴史を持つ区間であり、膨大な数の旧道や旧トンネルの一部が今でも残されている。
1996年に積丹半島西部の未供用区間の開通によって全線がやっと開通するが、その年、及び翌年に出来たばかりのトンネルが巨大な岩石の崩落により押しつぶされる災害が発生し、多くの人命が失われた事故を踏まえ、被災地や落石の危険のある場所を迂回する新トンネルを次々と開通させている。その結果安全性は格段に向上したが、荒々しい日本海を眺めながらドライブする箇所は大幅に失われてしまった。
今は「日本海追分ソーランライン」などと言う平和な愛称がつけられているが、かつては「雷電国道」との呼称で呼ばれており、断崖絶壁の連続する道路は歪曲し、狭隘で、一方通行や通行止めは当たり前の超ハードな国道として有名だった。
表紙の写真は、乙部町のすぐ先の、これから旧雷電国道に入るという岬の手前だが、なんとR229は、この先土砂崩れの為、封鎖されていた。迂回路があったので国道には戻れたが、20分程度時間をロスしてしまった。R229は今でも厳しい国道なのだ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- その他
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5/17
函館のホテルを7:30に出発、途中北斗市で給油してから北斗追分ICから函館江差自動車道に入る。木古内ICからR228に降りて、JR木古内駅前にある道の駅に寄ってから移動した場所は・・・ -
北海道新幹線木古内ビュースポット!
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時刻表を見ると8:45に新函館北斗方面行きのはやて93号が通過する模様。
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にわか鉄っちゃんに変身して、はやての通過を待つことに。鉄っちゃんの仕事は待つことなのね。
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トンネルの向こうにライトが光ったと思ったら、はやてがやってきた。
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イチオシ
あっという間に足下を通過し、
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木古内駅方面へ過ぎ去った。こんなことをしていたので30分位ロスしてしまったが、これが後々ひびいた。
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R228 知内町の道の駅を過ぎた所で知内川を渡る。残雪が残る松前半島の山々が綺麗。
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木古内で時間をロスしたので福島町は素通り。福島町出身の大相撲力士、千代の山・千代の富士記念館前を通過。
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松前半島の先っぽにある白神岬に停車。ちなみに、ここは北海道最南端。
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最南端の石碑もある。
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石碑のUP。
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最南端制覇の記念写真。
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津軽海峡の向こう側は青森県・竜飛岬。この海の下を新幹線は走っている。
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何処かの国のコンテナ船が通過中。ちなみに最近ロシア・中国軍の艦隊も通過したことは記憶に新しいが、いくら国際航路だと言っても、失礼な話だ。ちなみにライン・ドナウ河も国際航路河川だが、他国の軍艦が勝手に通れる訳は無いだろう。
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白神岬から5分程度で松前町に到着。車を駐めたのは松前城駐車場(無料)。
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松前城、入城。
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入城料は城だけだと大人一人360円。なお、松前藩の先祖は甲斐武田氏ということで、武田菱が紋所となっている。
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地下から天守に入るような構造になっており、内部は資料館となり、様々な古文書や写真などが並べられている。
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松前城は、江戸時代末期に海防強化のため松前藩が江戸幕府に命じられ、居城であった福山館を拡張する形で築城し、1855年に完成した北海道内で唯一つの日本式城郭。
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箱館戦争では、1868年12月18日に土方歳三が率いる旧幕府軍に攻め落とされたが、翌年、新政府軍が奪回する。その後、天守などを除く城の大半が取り壊されたが、天守は国宝保存法に基づく国宝に指定された。しかし1949年6月5日に類焼により焼失。そのため、創建当時から現存する建築物は切妻造の本丸御門と本丸表御殿玄関(北海道有形文化財)および旧寺町御門のみである。
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天守を出て、御門方面へ向かう。右側の塀の向こうには・・
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このような原っぱが広がっているが、かつては御殿などがあった場所と思われる。
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こちらの本丸御門は1854年に建てられた本物(重要文化財)。
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元々の天守は火災で焼けてしまった為、1960年に鉄筋コンクリートで再建された。
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イチオシ
こじんまりとした綺麗なお城だね。
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前庭の向こうには日本海が広がっていた。
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松前城の桜はすでに終わっているが、普賢象とよばれる八重桜が咲いていた。
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松前を後にR228日本海追分ソーランラインを北へ向かって疾走。時折このような風車が現れる。
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綺麗なロケーションだね。
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12時少し前に上ノ国町にある道の駅上ノ国もんじゅに到着。
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売店で販売していた「かにめし」弁当を衝動買い。
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ご飯の上全面にほぐしたカニが敷き詰められており、美味しかった。(500円也)
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海の向こう側には江差町が見えたが、これから寄る予定の、海の駅江差港マリーナが見える。
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江差・海の駅・開陽丸に到着。建物の中は、お土産屋。
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イチオシ
そしてレプリカではあるが、開陽丸が鎮座している。なお、船の内部は開陽丸記念館となっている。
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入館料500円を支払って乗船、では無く入館する。
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開陽丸は、幕末期に幕府がオランダに注文して造らせた軍艦のことで、最新鋭の主力艦として外国勢力に対する抑止力となることが期待されたが、わずか1年数ヶ月後の1868年11月15日、江差沖において暴風雨に遭い、座礁・沈没した不運の戦艦である。
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入館してまず目に飛び込むのは、ずらっと並んだ大砲のレプリカ。
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砲手たちがこれからブッ放そうとしている。
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開陽丸は何度か引き揚げが試みられたが、本格的に開始したのは1974年からで、写真のような大砲や、弾丸、ロープ、拳銃、サーベル、日本刀などが引き揚げられた。
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1868年、政権交代により新政府に開陽丸などを引き渡すことを断固拒否した榎本武揚らは、同年8月に停泊していた品川沖を脱出し、仙台で土方歳三らを加えて、蝦夷地へと向かう。
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船内で会議中の榎本武揚ら。榎本の後ろに居るのは土方歳三。
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10月25日に旧幕府軍が箱館および五稜郭を占領すると、箱館港に入港して祝砲を撃った。旧幕府軍は松前城を奪取した後、江差へ進軍を開始。その援護のために開陽丸も11月11日に箱館を出港して江差沖へ向かった。
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ところが翌15日夜、天候が急変する。開陽丸は、タバ風と呼ばれる土地特有の風浪に押されて座礁して、身動きが取れなくなる。留守を預かっていた機関長の中島三郎助は、艦内の大砲を一斉に陸に向けて撃ち、その反動で船を離礁させようと試みたがこれも失敗に終わり、乗組員は全員脱出して江差に上陸。数日後、榎本や土方が見守る中、開陽丸は完全に沈没し、海に姿を消した。
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主力戦艦たる開陽丸の喪失により、旧幕府軍は新政府軍に対する海上戦力の優位が一挙に崩れ、その後の戦局(箱館湾海戦)に大きく影響を及ぼすことになったのは言うまでも無い。
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綺麗に整備された江差の、いにしえ街道を駆け上ると江差町郷土資料館(旧檜山爾志郡役所)がある。
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資料館の前に、こんな曲がった松の木が一本生えている。
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これが「土方歳三 嘆きの松」だそうだ。(五稜郭タワーにミニチュアがありましたね)
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開陽丸はクレーンの向こう側にある防波堤付近で沈んだらしい。
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江差の町を過ぎると国道はR228からR229となり、乙部町からいよいよ旧雷電国道が始まるのだが、いきなりの通行止め。(再掲)
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館の岬トンネル先で土砂崩れがあり、もう1年以上通行止めになっているそうだ。迂回は出来たが、20分ほどタイムロス。なお、プロローグに記述したとおり、ここにも今のトンネルの隣に旧トンネルが見えているね。
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迂回路でR229に戻り、乙部町豊浜地区を過ぎると豊浜トンネルがあるが、トンネル手前右側に慰霊碑があった。
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1962年10月17日、乙部町豊浜において約600mにわたり山津波(土石流)が発生、国道走行中の大成村発・江差行きの函館バスの路線バスが4~5m下の海岸まで押し出され11名が死亡、3名が行方不明、14名が重軽傷を負う事故があったが、この慰霊碑は犠牲者を悼む為に建立された。
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現国道の向こう側にかつてのR229豊浜1号トンネルが残っている。
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豊浜1号トンネル。(廃隧道)
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かつてはここに橋が架かっていた。向こう側に2号トンネル(廃隧道)が見えている。
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2号トンネルの先に3号トンネルがあったが、バスはその付近で山津波に巻き込まれた。なお、バスはいまだに見つかっていない。ところで豊浜トンネルというと、1996年2月に積丹半島の古平近くで発生した岩盤崩落事故が有名ですが、その34年前に同じ名前の場所で、このような悲惨な事故があったのです。
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熊石地区を過ぎたあたりで撮影したR299の標識。予定では午後1時過ぎにこの辺を通過するはずだったが、もう午後3時を回ってしまった。
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車の左手には奥尻島がうっすら見えている。この後、せたな町・大成地区のセイコマートでオニギリ・サンドイッチなどを購入。長期戦の準備をする。
なお、大成地区から海沿いの道は道道740号・北桧山大成線となるが、構造はR229と変わらないのでD740に突入する。 -
1875mの帆越山トンネルを抜けた地点を左折すると、こんな神社がある。
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太田山神社拝殿ということは、拝殿から拝む山の上に・・・
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UPします。
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さらにUPすると、山の壁に穴が2つみえるが、なんと左側の穴が本殿!!!
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拝殿から北側を見るとこんな感じの厳しい岬が見えるが、
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北海道最西端の尾花岬付近と思われる。岬まで行く道は無い。これが北海道だ。
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右に振ると鳥居を発見。行って見よう。
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これが日本一危険な神社と言われる、太田山神社。
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何故か2本のロープが石段からぶら下がっている。
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写真では伝わらないが、ほぼ、壁の状態。
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石段の角度は45度以上。もし本気でここを登る方はロック・クライミングで鍛える必要あり。
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時間と根性を持ち合わせていない私は、記念写真だけ撮ってオサラバする。
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太田集落の先に太田トンネルがあるが、左に見える旧トンネル手前には大量の落石がある。
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せたな町から島牧村に入り、R229白糸トンネルが見えてきた。
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1997年8月25日午後2時30分、5万立方メートルの土砂がトンネルを押しつぶす大崩落事故があったが、幸いなことに通過車両は無く死者はゼロ。
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UPです。今回行かなかった古平の豊浜トンネル事故はこの前年1996年2月10日に発生したもので、朝の通勤時間ということも災いして、死者20名という大惨事となりました。TVのニュース等で記憶している方も多いと思います。
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このような悲しい事故を教訓として、北海道の危険地帯を走る道路は次々と長大トンネル化が進みました。写真は現白糸トンネル、1806m。
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南側は兜岩トンネル、1370m。
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寿都町の手前に弁慶岬がある。伝説では、奥州を逃れた義経・弁慶一行は蝦夷地に渡り、この地に滞在した。弁慶は、毎日この岬の先端に立って同志の到着を待っていたが、再会することはできませんでした。そんな弁慶の姿を見ていたアイヌの人たちはいつしかこの岬のことを「弁慶岬」と呼ぶようになったと言われています。
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R229巡りの最期は雷電温泉郷跡。
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かつては9つの温泉宿があり、岩内町や寿都町方面からの客で賑わったこともあったが、2007年に一番大きな「ホテル雷電」が廃業し、2019年には最期の宿も閉館となった。
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武蔵坊弁慶が刀を掛けた伝説が残る刀掛岩がある。
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そして廃トンネルも。
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岩内町の手前からは泊原発が眺められた。予定ではこの後積丹半島を一周して古平の豊浜トンネル事故慰霊碑に寄るつもりだったが、すでに時間は18:00をまわり、走行距離は400kmを越え、あと100kmは無理と判断して、岩内町からR5に廻って、余市・小樽方面へ向かうことにした。
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本日のお宿は2014年にも泊まったことのある「天然温泉灯の湯ドーミーインPREMIUM小樽」。チェックインは20:00を越え、疲労困憊状態だったので、食堂探しは止め、向かいにあった長崎屋で「あんかけ焼きそば」と野菜サラダをを購入して部屋食とした。
ホテルの口コミは↓です
https://4travel.jp/dm_hotel_tips/14693827
これで「2022年 東北・北海道3:函館、松前、江差、太田山神社&旧雷電温泉郷」は終了です。本日も最期まで、ご覧いただきありがとうございます。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ひでちゃんさん 2022/09/22 16:09:10
- 太田トンネル通りました。
- chiaki-kさん
こんにちは。懐かしいです2015年です。開通して2年後ですね。3360mとか手前が海岸線でゆっくり走っていたのでスピードが遅かったんですね。えらく長いトンネルだった記憶があります。トンネル抜けて振り返った所が最西端尾花岬ですね。看板が欲しかったです。東西南北端制覇しました。今後とも宜しくお願い致します。
ひでちゃん
- chiaki-kさん からの返信 2022/09/23 06:21:51
- 尾花岬は・・・
- ・
ひでちゃんさん、おはようございます。いつも私の
旅行記に”いいね”をありがとうございます。
北方領土や離島を除いて、私も北海道は4端制覇しました。
太田トンネルに入る手前には、急階段で有名な太田神社が
ありますが、拝殿から尾花岬付近を望むことができます。
他の岬と違って、ここには道がありませんが、どうしても
行きたい方はフル装備の上、岩だらけの海岸や、急斜面
などを這い上がるしか無いようですね。
北海道はオロロンラインのように道が広く、真っ直ぐで、
交通量も少なく車の天国のような場所が多いのですが、
夜間は真っ暗となり、鹿やキツネなどが飛び出してくる
ので、ちょっと怖い一面もありますね。
chiaki-k
-
- frau.himmelさん 2022/05/28 21:00:30
- 楽しいドライブ旅、楽しませていただいています
- chiaki-kさんこんばんは。
東北・北海道のドライブ旅、楽しく拝見させていただいています。
車好きのchiaki-kさんらしい、歴史や観光名所を考えた独特のルートは、ほんとに素晴らしいなと思っています。それから時事を織り込んだコメントも。
ライン・ヴォルガ川の他国軍艦通過の件は、そうだ!そうだ!と深く頷きました。
ところで開陽丸の明治維新の人物は、榎本武昭ではなく、榎本武揚ではないかと思います。私も前に榎本のことで調べたことがありそのように記憶しています。
また続きのドライブ旅をお待ちしています。
himmel
- chiaki-kさん からの返信 2022/05/29 14:21:58
- いつも、ありがとうございます
- ・
frau.himmelさん、こんにちは。私の旅行記に、いつもたくさんの
”いいね”を頂き、ありがとうございます。
車やバイク好きにとって、北海道は最期に残された車の天国のよう
な所です。それもレンタカーでは無く自分の車であれば、感慨もひ
としお、といったところですね。
今回の北海道旅行記のイントロに記載した通り、年齢から見て、
自分の車で北海道を走るのは、これが最期と思い、今まで行った
事の無い、欲張ったルートを計画してみました。
函館山の夜景、松前・江差を経由しての旧雷電国道の走破、大倉山
シャンツェ、千歳空港、シルバーフェリー特別室の乗船、宮城・福島
の被災地訪問などが、今回のハイライトですが、毎日400km以上の
軽自動車での走行は、さすがに疲れました。でも、まだまだ行ける
と自信もついたのも、今回の収穫です。
>榎本武昭ではなく、榎本武揚では・・・
はい、その通りです。
原稿はメモ帳に一旦書き上げてから、推敲を重ねながら、何度も
見直しているつもりですが、やはり見落としはありますね。
ご指摘ありがとうございます。
> また続きのドライブ旅をお待ちしています。
上記の通り、札幌、千歳、苫小牧、八戸と旅は続きますので、続編を
UPしましたら、どうぞ、ご覧になってください。
では、また
chiaki-k
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