2022/05/08 - 2022/05/08
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far_east_hedgehogさん
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(表紙写真)千葉側から見た東京方面。橋付近の発展の差が中朝友誼橋を思い出させる。
東日本大震災から11年。関東でもまたいつ大きな地震が起こるか分かりません。今年の3月16日にも東北地方で震度6強の揺れを観測した地震が発生し、夜通しJRが止まったのは記憶に新しいと思います。私は都内某所にいましたが、帰宅を断念。同じく帰宅をあきらめた同志と一緒にカラオケボックスに入り、始発まで待機することになりました。(そして某氏が高校時代バンドマンだったことが発覚)
もし帰宅困難者になった場合に備えて、自分はどのくらいの距離を歩けるのかを把握する必要があると考えるようになり、GW最終日の日曜日に実際に歩いてみました。
☆スタートは我孫子駅か取手駅からと迷ったが、Googleマップで経路を求めたところ我孫子から北千住で大体30kmだったので我孫子からに選択した。
☆予定では千住宿まで歩いて北千住から電車に乗る予定だったが、閉店する神保町の三省堂を訪れようと思っており、時間が厳しくなったので、綾瀬までに変更した。
☆文章が長くなりそうなので写真は必要なものだけ。
感想
我孫子12:40→綾瀬18:20(5時間40分)
★踏破後は足は重いが歩行には支障なく走ることもできた
★馬橋までは起伏が激しい
★とにかく時間がかかる
★距離が長いので目標ごと(今回は常磐線の駅)に区間を区切ってモチベーションを維持するのが重要。国道6号線には日本橋からのキロポストが100mごとに設置されているので、それを見ながらだと集中が切れにくい
★交通インフラが整っている首都圏に感謝
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
-
(写真)Garminの腕時計のGPSのログより
なぜか新松戸付近からGPSが使えなくなってしまったのが、この区間は問題なく使用できた。
●我孫子→柏
我孫子駅を12:40ごろ出発した。早速交通量の多い国道6号線にぶつかり、左折したが、実は旧道に入るには現道に入らず直進する必要があったと気づくも後の祭り。現道は常磐道に入るのか大型車が多い。 -
(写真)東京(日本橋)まで32kmの標識を発見
現在の国道6号線は金町付近から千住方面には向かわず、青戸、浅草付近を通って日本橋に向かう。故に旧来の水戸街道に沿う常磐線よりも距離は短い。その証拠に、北柏付近に常磐線の(日暮里から!)30kmポストがある。
常磐線と並走しながら北柏駅を通過。 -
旧道はここを左折。歩道のない左側を歩いていたところ、抜け道となっているのか物凄いスピードでタクシーが何台も通過しており怖かった。
-
(写真)旧道はこの歩道橋で常磐線を跨ぐ。ちょうど電車も来ている。
この辺りは立派な民家が多く、眺めていると楽しい。
ふとトイレに行きたくなり、少し先の柏市役所にお邪魔した。
●柏
市役所からは柏駅はすぐに到着。いつも通り駅前は活気がある。サッカーの試合があるらしく、ユニフォーム姿の人も多い。
ビックカメラでPCを見たりしながら少し休憩。ペデストリアンデッキでは某党の政治活動が行われており、写真を撮る気が起きず。 -
●柏→北小金
しばらくは旧道沿いを歩く。人口40万を抱える天下の柏市ということで人も自転車も車も多く、活気に満ちている。道路幅は昔の規格のままなのか、歩道が狭いのもあり歩きずらい。途中で流山街道への分岐の交差点があるが、事情を知らないとただの交差点にしか見えない。
南柏駅を超えて柏市から流山市に入った瞬間、道路片方の歩道が無くなり、もう片方も更に狭い歩道になってしまった。車通りの多い車道のすぐそばを結構な量の人が歩いているので、とても怖かった。
すぐに柏市に戻り、眼下に下り坂が広がる。そこから先は松戸市。地形に沿って道があるのが時代を超えて利用されてきた旧道の証。現道と交差し、また坂道を上ると北小金駅に到着。水戸街道で言うとようやく我孫子から1つ先の小金宿に到着した。駅前のイオンは昔は神社の敷地だったというのも納得。ちなみにこのイオンには書店があるが、小さなゲームコーナーが横に聳えているのでカオスな環境で本を選ぶことになる。
(写真)小金宿の看板。宿場町らしく旧道は直角に左に曲がり大きく向きを変えるが、現在は十字路の交差点になっており言われないと分からない。旅行記に貴重な花(華?)を添える1枚 -
●北小金→松戸
疲れないうちに行けるところまでは行こうという考えで休憩せずに出発。
この辺りの旧道は車通りも少なく特に閑静で、騒音に邪魔されることなく歩くことができた。道路幅から言ってもこの辺りは江戸時代から変わっていないのだろう。
壺(?)が埋まっている不思議な坂を下りて武蔵野線の高架を過ぎると坂を上り、現道と合流。車の多い大通りの横に広大な商業施設が連なる郊外の典型的な光景。歩道が広く歩きやすいのは良いのだけど、ざわざわしていて落ち着かない。
(作成中)
(写真)旧道は右折。後ろのキロ標が10km減ったのを見て嬉しくなる。
このあたりで右足に違和感を感じ始めたので、交差点で3分ほど休憩。下手に休むと疲労が脳に蓄積されるので松戸まで一気に向かうことを決意。 -
旧道に入ると一気に静かになり、道は下り坂になる。すると馬橋駅が右手に現れる。寺院あり古そうな商店あり、雰囲気が古い。常磐線随一だと思う。
足の痛みと頭痛によって精神的余裕がなくなってきたのでとにかく前に進むことに専念。
現道に戻り歩道が広く快適な移動になる。でもこの道をひたすら歩くのは飽きちゃうかな。
道の両側に高い建物が広がり始め、山手通りみたいだと思いながらふと右手を見るとそこには北松戸駅。なるほどね。マンションの前に2階建ての長屋のような理髪店と不動産屋があるのが妙である。あと少しで松戸だ!と自分を鼓舞して歩を進める。
(写真)旧道はここを右折。この辺りでスターバックスのカップを持った女性がいきなり国道6号を横断していた。さすが松戸である。 -
跨線橋で常磐線を跨ぐ。ちょうど水戸方面に下って行った常磐特急は満席だった。
跨線橋の先はもう松戸の市街地だった。銚子商工信用組合なる銀行があり驚いたが、松戸は江戸川に面して栄えた港町なのだった。銚子や野田で作られた醤油は必ず松戸を経由していただろうから、江戸時代には今より各地域の結びつきは強かったのかなと思った。
貧血気味なので少し休むことにする。
●松戸
しばらく松戸駅の北口で休憩。頭痛がしていたので水を飲んだりふくらはぎを伸ばしたりと対策を行う。ネットで中距離散歩をしている人の書き物をみると、「カフェに入ったり食べ物や靴下を買った結果電車で行ったほうが安かった」というのが出てくるが、そうなるのは良く分かる。少しばかりの金銭を払えば何とでもなるほどの豊かさを無意識に享受してたのだなとぼんやり考えた。
足のほうは右足が痛いのが気になるが、疲れはあまり出てないのが幸い。 -
松戸から綾瀬のGPS履歴
新宿(にいじゅく)宿の道のカーブ(桝形)を忠実にたどったので、道筋が良く分かる。
●松戸→綾瀬
頭痛が収まったので歩行開始。なにやら伊勢丹跡の商業施設でイベントをやっているようで、非常に騒がしかった。イセタンガナイテオルゾ。
水路があったのでそこを歩く。松戸神社を過ぎると、古びた街並みに出た。松戸郵便局の先で右折と左折を勘違いしていて、またもや旧道を外れていたようだが気づかず。とはいえ遠回りはしておらず、すぐに現道と合流した。 -
(写真)松戸神社
駅から少し歩くと閑静な街並みが広がっていて良い雰囲気。
狭い歩道をしばらく歩いていると目の前には巨大な外環道が見えた。土地収用に手間取り開業が大幅に遅れたようだが、この辺りの道路状況が大幅に改善したようだ。 -
(写真)鉄橋から外環道とスカイツリーを臨む
この写真を撮った直後に常磐緩行線(各駅停車)が上り方面に通過。最高時速90km/hで、駅間を流して走るためにあまり早い印象はなかったが、足の痛みを抱えながら歩を進める立場にとっては魅力的に映った。 -
(写真)なぜか東京側の橋の路面にはピーナッツが散乱していた。
工業地帯を抜けてついに都県境の橋を渡る。江戸川の橋は長く、渡るのにも時間がかかった。目の前には高層ビルやマンションが林立している。
千葉県側は駅前を除いて一戸建てが主体の街並みであったが、都内に入るとマンションが主体の街並みに代わる。
この辺りから綾瀬にたどり着くことをひたすら考えた。何なら金町か亀有から電車に乗ってもよいのだが、そうするとJRの運賃が千代田線の運賃に加算されることになり、悔しいのでそれは却下!がんばるぞ!
橋を渡ると金町駅前。京成の踏切を超えて、旧道に入ると静かな住宅街に入る。新金線の踏切名は「浜街道踏切」。こんなところに名残があった。踏切を超えて交差点にぶつかると、そこから新宿(にいじゅく)宿。江戸時代は栄えたそうだが活気はあまりない。wikipediaによると常磐線の駅はこの辺りに設けられる計画だったが、地元の反対により亀有に駅ができたらしい。逃がした魚は大きい、という訳だ。
日が暮れて徐々に暗くなってきたが、街灯がたくさんあるので安心。このまま歩を進める。右側に亀有駅が見え、ラストスパート!、と思うも足の痛みが増すので早くは歩けなかった。常磐線の高架下で水戸街道と別れて、住宅街を歩いていると、前方がキラキラと明るい。人がたくさんいて店舗も多い。そう、綾瀬だ!なんとかたどり着いた。
時刻は18:20。休憩含め5時間50分歩いたことになる。 -
●綾瀬→新御茶ノ水
ここは潔く千代田線に乗る。地下鉄の頼もしさをかみしめる。80km/hしか出さずよく遅延する千代田線に不満を言うこともあるが、今日ばかりは何も言えない。
人気の少ない御茶ノ水から坂を下りて神保町へ。歩行に支障はないが足が重い。
何とか三省堂の閉店に間に合った。1階のレジは長蛇の列で、店員が声を張り上げて客を誘導していた。また店内はとにかく多数の人で溢れていた。会社の人間と思しきしっかりスーツで固めて懇談している人、写真をたくさん撮る人、じっくりと本を眺める人、店員との会話を楽しむ人。
本店にはいろいろとお世話になったが、ここでは割愛。別れを惜しみながら地下鉄に乗って帰宅した。
★お読みいただきありがとうございました
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この旅行記へのコメント (2)
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- 中国の風景さん 2022/06/07 06:30:51
- 我孫子から綾瀬まで
- 我孫子から綾瀬まで歩いて行くなんて大した物ですね。お疲れ様でした。電車、車と違い歩いて見ると色々な物が見えて来ると思います。松戸の橋を見て中朝友誼橋を思い出すなんて私は考えませんでした。次回は流山(旧日光街道)が良いと思います。最近体調が悪く出歩けません。次回旅行記を楽しみに待ってます。中国に行け無くなった「中国の風景」より
- far_east_hedgehogさん からの返信 2022/06/23 17:54:54
- RE: 我孫子から綾瀬まで
- 中国の風景様
コメントありがとうございます。たまに手賀沼を15kmほど走っているので体力的には問題ありませんでしたが、時間が予想以上にかかってしまいました。
> 電車、車と違い歩いて見ると色々な物が見えて来ると思います。松戸の橋を見て中朝友誼橋を思い出すなんて私は考えませんでした。
小金・柏・我孫子辺りは下総台地上にあるのを実感しました。
どうしても都のお金で街づくりをしている23区と松戸・八潮辺りを比べると見劣りしてしまいます。決して揶揄する意図はないのですが。
> 次回は流山(旧日光街道)が良いと思います。
流山街道は個人的に馴染み深いのですが、歩道が無い箇所が多く交通量は都内並み、事故もたまに起きるので、車に気を取られてしっかり歩こうという気にならないのです。申し訳ないのですが。
>最近体調が悪く出歩けません。次回旅行記を楽しみに待ってます。
ありがとうございます。体調不良は如何せん辛いですね。中国の風景様の体調が快方に向かうよう願います。くれぐれもご自愛ください。
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